監査官到着前日
公社に石版の情報を引き渡してから13日、監査官はまだ現れなかった。
しかし公社から宿泊している宿屋の滞在費と、1日の食費に1人6千ジールが至急されている為にシオンとアクロには余裕があった。
だから2人は採掘公社支部で今日の主な活動場所を連絡してから、街の広場でそれぞれ訓練をしていた。
アクロは綿入りの布鞘を巻きつけた剣を酷くゆっくりとした動作で振る。
何千、何万と繰り返してきた型の基本を身体に馴染ませる、そしてその動作は徐々に速さを増していき、いつしかその動きは周囲の人間の目には留まらなくなる。
普通の人々が見れば言うだろう、あまりの速さに剣閃の跡も見えないと。
だが彼はこれ以上の速さで力を振るう存在を知っている。
だからもっと速く、豊かにと剣を振る。
いつしかそのメタルブラウンの肌には白い汗が流れ、散る。
そんなアクロの近くでは、広場に据えつけられた長椅子に座り、探査角を露にしているシオンの姿があった。
彼女は今街の全てを把握しようとしている。
分子の繋がりや揺らぎからはじき出される情報を脳内で整理して知覚する。
たとえばそれはパン屋の息子が父に試しにパンを焼かされてダメ出しをされている情景であったり。
あるいは昼日中から街の裏側で行われる獣のような行為であったり。
とにかくそういった情報を白皙の顔を百面相させながら、少しでも早く正確に感知できるように機能の精度を上げていく。
この間彼女は表面的には動いていないが、脳が凄まじい勢いでエネルギーを消耗している。
そんな2人が訓練を終えればどうなるかと言うと……味より量が売りの暖簾分けで各町にある飯処「山盛り飯」に来ていた。
そして2人の前にはそれぞれ、アクロの前には端肉と端野菜をひたすら煮込んでほとんどとろかしたようなどんぶり一杯のスープと、街の近郊で取れる川魚の塩掛け丸焼き、そしてどんぶりに山を作る麦飯。
シオンの前には甘ったるそうなクリームの堆積層の合間に砂糖菓子がふんだんに詰め込まれたシュガーサンドクリームマウンテンが置かれ、二人とももう待ちきれないといった様子で顔を合わせる。
「それじゃあシオン、食べようか」
「うん。これ以上のお預けはストレス的な観点からも良くないと思うの、いただきましょう」
「じゃ、いただきます!」
「いただきます」
目の前の大量の食材を、アクロはがつがつと口いっぱいに放り込んで思い切り咀嚼する漫画のような食べ方で、シオンは一口の分量こそ女の子らしい慎ましさを持っていたが、その速度は女の子の可憐さなどとはかけ離れたものだった。
周囲の人々は2人の食べっぷりに感嘆している。
「はっむ……んん、おいしいね、シオン」
「私は別に……あぁ、甘ったるい。こんなのばっかり食べてたら私ぶくぶく太っちゃうわ」
「……んっ、大丈夫じゃないの。シオンは毎日食べた分消費してるし」
「探知角使ってる時に使うのはエネルギーとある種の糖分だけで全部を消費してるわけじゃないんだから」
「え?食事でのカロリーって全部エネルギーに転化されるよね?」
「え?訓練とは別に運動しないと当然脂肪になるわよ」
「うん?」
「はい?」
顔をつき合わせてお互いの言葉を吟味しあう2人。
シオンが先んじてアクロに問いかける。
「貴方、普段から精鉱石食べるような生活してて、その上食事もとって太った事無いの?」
「う、うん。ないよ。ボクに付くのは筋肉ばっかり。本当はもうちょっとエネルギーのプール分を確保するのに脂肪を増やし……痛い、痛いよシオン」
「この、この女の敵!この腕!?この腕が脂肪もつかない悪魔の腕なの!?」
卓上に置かれたアクロの腕を掴んで、思い切りつねるシオンだが、アクロは痛い痛いといいながらも顔は笑っている。
彼にとってはこのくらいは軽いコミュニケーションなのだろう。
「太るかどうかってシオンにはそんな大事な事なの?」
「私だけじゃなくて女の子は皆大事よ!貴方かなり羨ましい身体してるわ」
「ボクにはシオンの太れる体質の方が羨ましいなぁ。体積が増えればそれだけでエネルギーの総量は増えるし、脂肪は特にエネルギー貯蔵効率の良い組織だしね」
「はぁ、貴方と体質が交換できるなら今すぐしたいわ」
「そう?困る事もあると思うけど」
「……何が困るのよ」
「女の子って胸の大きさ気にするよね。ボクみたいな体質だと胸みたいな脂肪も全部筋肉だよ。きっと困るんじゃないかな」
「うぐっ、そ、それは……確かに……嫌、かも……」
自分の程よいと思っている膨らみが、カチカチの胸板に変化した場合を想像したのか、シオンは軽く頬を引きつらせる。
そして、シオンが自分の腕から手を離すのを待って食事を再開するアクロ。
「まぁ食後に運動するならボクも付き合うからさ。気にせず食べなよ」
「本当?約束よ?運動中エネルギーが小減りしたからって精鉱石出したりしないでよ?」
「解ってるって。駆け足と短距離走どっちがいいかな」
「あ、それは駆け足。私持久力欲しいし」
「うん、解った。じゃあとりあえず食事片付けちゃうか」
「そうね。あ、クリーム溶けてるー。ま、これはこれで美味しいからいっか」
こんな雑談を交えながらも、2人はお腹一杯になる食事を楽しむのだった。
そして、街の外周を周るジョギングをしながら2人は更に語り合う。
アクロは、並んで駆け足をするシオンに問いかける。
「そういえばさ、シオンは古代語解読と発掘の一族で、本30万冊持ってるんだよね」
「うん。持ってるけど、それがどうかした?」
「ボク走り始めてからずっと本が30万冊ってどのくらいか想像してたんだけどさ、もしかしてシオンって結構大きな家の子なの?」
「えっ、そんな今更じゃない?」
「そうかもしれないけど、どうなの?」
好奇心に満ちたアクロの視線に、軽く息を整えてからシオンは応える。
「そりゃ結構大きいわよ。とはいっても、大きな書庫に家がくっついてるって感じで、生活する場所はそんな広くないんだけど」
「そうなんだ。本をしまう場所って今泊まってる宿屋と比べてどっちが大きい?」
「書庫の方が大きいわね。本ってただ積んでおくと痛むし、ちゃんと手入れしやすいように棚に入れないといけないから結構場所取るのよ」
「へぇ、本の手入れってどんなことするの」
「昔……採掘所から形質保存技術と、形質復元剤が発見されて、その働きが解明される前ね……は、虫干ししたり、本を修繕したり、あまりにも古くなった資料は写本したりしてていれしてたのよね」
「なんだか大変そう」
「うん、実際大変だったって。その頃は蔵書の数もまだ半分くらいで、一族の人間だけで管理できてたらしいんだけど……研究が進むに連れて増える本に、置き場所と管理の手が回らなくなって、一時は公社お抱えと言う名前で良い様に使われてた時期もあったって言うわ」
「大店の屋号を借りて商売する小さなお店とか、そんな感じ?」
「うん。でもそれは解読業を生業にしてる一族なら殆ど皆通って来た歴史だから、特別なことじゃないのよ。各家庭で管理できる物量の限界なんてたかがしれてたの」
「あ、だから公社が古代文字解読のハウツー本とか出したりできるんだね」
「そういう事。でも形質復元剤と形質保存技術が世間に開放されると本の手入れに掛かる時間も大幅に減ってね。1ページ切り取られても復元剤を使えば元通りにできるようになったのもあって、今じゃ家は有料図書館状態よ」
「ふーん。でもそれって本業の古代文字解読業で競争相手ができちゃうんじゃない?」
「あの書庫の中身を覚えるのなんて年単位で通い続けなきゃいけないのよ。本を意図的に傷つけるような人を見張る人を雇っても元は取れてるの」
「へぇー。巧くやってるんだ」
「それでも持ってる建物の大きさの割りに裕福な暮らしってわけじゃないけどね」
「じゃあシオンは凄いお嬢様ってわけじゃないんだね」
「そうよ。でもそれがどうかした?」
「いやぁ、もしシオンがお嬢様なら、ボクの事無礼者!なんて思われてたらどうしようかと思ってさ」
「あ、それお嬢様じゃなくても思った事あるわ」
調子よく走っていた足を止めるシオンに合わせて、アクロも足を止める。
そして何やら頬を紅くして身を震わせるシオンにアクロは問いかけた。
「え?いつ?」
「ねぇ、今いつって言った?覚えてないわけないわよね?」
「な、なに?怖いよシオン」
「貴方が!ノックもせずにドアを開けて!人が着替えてる所に入ってきた時があったでしょ!!」
「あ、あぁー!思いっきりほっぺた叩かれたあの時のことかぁ」
「ほんと、あの時の貴方の態度信じられなかったわ。女の子の裸見ておいて悪びれないんだもの!」
「裸って……あの時シオンは服、着てたじゃないか」
アクロとしては下着は服だ、そこの所は主張させてもらったのだが……。
シオンにその理屈は通じなかったようだ。
目じりを吊り上げながらアクロに噛み付く言葉を投げかける。
「下着姿は裸とおんなじよ!」
「でも、シオンの下着姿と同じくらい肌が出てる装備の採掘者は一杯居るよ」
「下着とそーいう装備は違うの!理解できなくても覚えなさい!」
「う、うん解った。なんか怖いよシオン」
「怖くて結構よ。貴方がちょっとでも常識を身につけられるならね」
「ボクそんな常識ないかな」
「私から見ると無いわね」
「うう、勉強するよ」
シオンの言葉にがっくりと肩を落としたアクロを見て満足したのか。
彼女は腕を組んで頷いた。
「よろしい。……にしても、足止めちゃったらもう走る気分じゃなくなっちゃったわね。ゆっくり散歩でもしましょ」
「じゃあ屋台でも探しながらゆっくり行こうか!」
「買い食いはダメ!何の為に走ったのか解らなくなるじゃない!」
「えー、ボクだけが食べるのはダメなの?」
「ダメ。だって、貴方とっても美味しそうに食べるから、私まで食べたくなっちゃうんだもの」
頬を膨らませながら恥ずかしそうにそっぽを向いたシオンに、仕方ないなぁと思いながらアクロは言った。
「解ったよ。じゃあ買い食いはしない」
「本当に?絶対よ?」
「うん、約束する」
「じゃ、行きましょ」
こうして街中を何気なくぶらつく事になった2人。
だが、ついつい屋台で売られる果物の切り売りなどの匂いに惹かれるシオンを、アクロはあの手この手で止めなければいけなくなるのだった。
そして、その次の日。
とうとう採掘公社からの古代語解読監査官が到着した事が2人に知らされるのだった。