中学時代の男女の距離感はかなり難しいと思う。
長々とした回想で申し訳ない。後もう少しで終わるので勘弁願いたい。
ボクの回想する最後の新生活の記憶。それは中学校入学時のものだ。
ボクはあいも変わらずマスコットを作ることにうつつを抜かし、そのほかのことがあまり見えていない状況にあった。
しかし、中学入学と同時に思い知らされることになる。
中学校と小学校はあまりにも違いすぎた。
まず、制服というシステム。
これにより、男女というものが嫌でもはっきりとわけられてしまった。
これまで漠然と感じていた、「男女の違い」という境界線が、目に見える形ではっきりとわけられた。
これまでマスコットを作ってあげたり、一緒にマスコットのポーズの相談をしあったり、果ては一緒に家でマスコット作りをしたりした仲だった女の子の友達とも、当然のように距離が開いて、あいさつくらいはするけど、これまでのように一緒に過ごすようなことはなくなってしまった。
こんな状態になって、ボクは初めて気がつく。
…ボクには今、友達と呼べるような人がいない。
もちろん顔見知りはいて、一緒に話したりはするし、小学校の時のような露骨ないじめにあっているわけではなかったが、だがしかしそれでもボクは中学校に居場所がなかった。
小学校時代に一人でも平気だったのは、思えば一人でいることに対する恐怖心がなかったからだ。
熱中していれば、群れていなくても平気だった。
まわりにどう思われようが平気だった。
ところがどうして、いざ中学生になってまわりに群れられる仲間がいないと気がつくと、急に不安になってきた。浮いているボクは、どう思われているんだろうと…。
今からでも中学生らしいことをしよう。運動部にでも入ろう。
そう思ってテニス部に入った。1年間は続けて、新人戦にも参加し、個人戦で5位と、それなりの成果をあげたけど、でもあまり楽しくなかった。
なんだか無理をしているなと感じていた。こうじゃない。ボクの過ごしたい日々はこうじゃない…。なんとなくそう思っていた。
そんな悶々とした状態でテニス部を長く続けられるわけもなく、2年生の3学期で、受験勉強を理由に部活をやめた。
それなりに仲が良くなった仲間たちは、ボクが抜けることを残念がってくれたが、だからと言って
「もうちょっと一緒にやらないか」
なんて言ってくれるほどではなかった。
その後は例によって悶々とマスコット作りにいそしみながら、世間一般における青春を謳歌する中学生と自分とのギャップに苦しんだ。苦しみながらも、だからと言ってどうすることもできずに、甘んじてそれを受け入れて過ごした。
その間にソフトボール部に入った幼馴染が襲撃してきて、世間一般における眩しい青春を謳歌している自慢話をしに来たりして、余計にへこんだりした。
悶々としている間に、ボクのマスコットを満面の笑顔でほめてくれた初恋の人である佐藤さんは、あろうことかあの飯塚と付き合い始め、ボクの悶々は極致に達した。最盛期には、何に対して悶々としているのか自分でもよくわからないほどに悶々としながら、中学時代は進み、そして終わった。
最初にも言ったが、ボクは勉強もそれなりにできる学生だった。
中学生活の終わりとともに入った高校は、県内で2番目の進学率を誇る進学校だ。
この高校に進学した理由は、以下の3つだ。
・近い。
・公立高校で学費が安い。
・何より勉強熱心だから、世間一般にイメージするような青春の謳歌の仕方をしている学生が少ない。
以上のような経緯を経て、ネガティブな理由から進学した高校生活が、この先、
「ドキドキわくわくをいっぱいに詰め込んだ玉手箱のようなもの」
になるとは思えないのは、当然のことだった。