新生活の始まりとは?
新生活の始まりは、「ドキドキわくわくをいっぱいに詰め込んだ玉手箱のようなもの」と、ボクの幼馴染は語っていた。
ボクにとって新生活の始まりは「不安要素を満載に詰め込んだ、回避不能の時限爆弾のようなもの」だった。
始めに言っておくと、ボクは決してネガティブではない。現実論者なだけだ。だってボクの新生活が過去一度たりとて、満ち足りた幸福のもとに訪れたことなどないのだから。
唐突に回想を始める無礼を許してもらいたい。
ボクの記憶にある、最初の新生活は小学校入学時のことだ。
ボクは、運動神経が別段悪いわけでもなく、学業も塾に行っているわけではないけどいつも上の中くらいで、顔だってごく平凡で当たり障りなく、本来ならこれと言っていじめられる要素など無いはずだった。しかしながら、ボクは当然のように小学校生活において軽度のいじめを受けることになる。
問題だったのは、ボクの運動神経でもなく、勉強ができなかったり、もしくはできすぎたりといったことが原因ではなく、さらには不潔であるとかそういったわけでもなく、さらには性格的な問題でもなく、ただ単にボクの興味の向かう方向にあったと思われる。
小学校に通う男子児童が何に興味を持っていると普通はお考えになるだろうか?
戦隊ヒーロー?
怪獣?
テレビゲーム?
漫画、アニメ?
トレーディングカードゲーム?
野球、サッカー etc?
うん。それが一般的な小学生男子が興味を持っていそうだと思うものだろう。ボクもそう思う。あくまで『一般的な』小学生男子は。
ボクが興味を持っているものは、一般的ではなかった。なにせ、ボクが小学校低学年で興味を持ってやりこんでいたものって、「折り紙」だもの。
ボクは折り紙が好きだった。幼稚園児の頃からずっと、折り紙が好きだった。
なぜ折り紙が好きになったかって聞かれたら、幼稚園で教えてもらったときに、
「あら上手ね」
なんて当時好きだった幼稚園の先生にほめてもらったのが理由なのかもしれない。
ともかく、やんちゃ盛りの小学校低学年時代を、ボクは折り紙に情熱を注いで過ごした。まぁ、自分で回想してみてもへんてこな小学生だと思うのだから、周りから見たら、もっとへんてこな小学生に見えたことだろう。
でも、それだけではいじめられる理由にはならなかった。あくまで、「変な奴」というレッテルをクラスメイトに張られるだけ。
ボクが折り紙に熱中しているうちに、クラスメイト達はボクを様々な遊戯にさそうことをやめ始めた。賢明な判断だと思う。ボクはスポーツやテレビゲームが嫌いなわけではなかったが、そこまで好きでもなかった。故にそこまで真剣にやらない。いつでも真剣勝負の仲間たちの中で、ボクは完全に浮いていたし、誘っても面白くなかったのだろう。
そうして周りから浮きながらも、楽しく折り紙に熱中していたボクを、いじめの渦中に叩きこんだのは、ほかならぬ担任の先生だった。
新卒で若くてかわいい新任の新垣先生は、いつも一人で折り紙を折っているボクのことを心配して、頻繁に声をかけるようになった。
若くてかわいい人気者の新垣先生がボクに頻繁にかまうようになる。それは同時にボクに注目が集まることにつながった。
ただでさえお母さんのように担任の先生に甘える年ごろの低学年のクラスの中で、ボク一人が先生に構われているという構図は、周りのクラスメートたちにはさぞかし不満だったことだろう。
ある時、ボクの靴が片方無くなり、ゴミ箱から見つかった。
ある時、ボクの体操服が水浸しの状態で発見されて、体育を見学した。
ある時、筆箱の中が接着剤か何かを流しこんだようにぐちゃぐちゃになっていた。
そしてそのたび先生はボクをかばい、それを見てクラスのボクに対する悪感情は募っていき、そしてさらにいじめが悪化するという最悪のサイクルをたどっていた。
さて、そのいじめがどのようにして終わったのか。
別に大したことではなかった。ボクが折り紙でおったお気に入りの作品、よくできたブロントサウルス。それをいじめの主犯格だった飯塚君が破り捨てて言ったのだ。
「こんなの何が楽しいんだ?」
嘲笑うように。バカにするように。
ボクの一番大好きなものをバカにしたのだ。
ボクは頭に血が上って、気がついたら飯塚君を思いっきりぶん殴っていた。
素人の暴力において、何が勝敗を分けるか?それは簡単なことで、相手の痛みを考えず、より思いっきりぶん殴れる方が強いのだ。
その日、飯塚君が敗北するという形で、クラス中に「アイツはキレさせると怖い」という情報が広がり、不本意な形でボクの小学校低学年でのいじめは幕を閉じた。
しかし、ボクのいじめられライフはまだまだ続くのである。