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不適任コンビ 2

 ミック・ホッパーの住まう高級マンションは、超高層ビルの立ち並ぶ密集地帯から少し外れた一角にそびえている。

 人間たちが住みたがる――というよりは、そこに住んでいるのだと表現したがる、いわゆる“閑静な住宅街”という体面の聖域だ。


 どっしりとした横幅のある薄灰色の外壁に、大窓が上から下まで連なって、つやつやと周りの世界を映している。

 建物からゲートまでの間には前庭があり、都会の喧騒をその外に追いやって、「ここだけは時間がゆっくりと流れているのです」と言わんばかりに、石造の日時計や、丸く剪定された樹木なんかが立ち並んでいる。

 デザイナーズマンションだけあって内装も洒落ているが、とりわけその十三階は、他のフロアとは構造ががらりと異なっていた。

 二部屋を貫通させた間取りはもとより、床や壁の材質にいたるまで、まるで別の空間にある部屋を切り取って、そのマンションにはめ込んだかのようだ。

 なけなしの魔力を駆使した大改装の末、ようやく手に入れたホッパー念願のマイホームである。


 中でも彼が念入りに設計したのは、バスルームだ。

 黒っぽい大理石と、同色の耐水ゴムを使った空間が、ガラスの壁に仕切られている。

 浴槽は半埋め込み式で、仕込まれた照明によって湯の色が変化する。

 サウナやジャグジー機能も備わっているし、壁にはインターネットに接続できるテレビが掛けられ、シャワーヘッドは“浴びるだけでマイナス0.3歳”がうたい文句の、美容効果のある(らしい)浄水器からの水を引き、きめ細かくて勢いのある水を放出――そんな胡散臭ささえ、彼のお気に入りなのだった。

 なぜ彼がバスルームに拘ったかといえば、なにより彼は風呂が嫌いで、しかし、風呂に入りたかったからである。

 たかが「水浴びは悪魔っぽくないから好きじゃない」というレヴェルの苦痛のために、大事な所有物――この美しい肉体――の手入れをなおざりにはできない、というわけだった。


 そのバスルームで、ホッパーは一人湯を浴びて立っている。

 もとより苦手なシャワータイムだが、それにしても浮かない顔は泥人形のようで、今にもドロドロと溶け出しそうである。

 彼は大理石の壁に手をついて俯き、排水溝に吸い込まれていく水を眺めながら、水滴を滴らせる尖った鼻をフンと鳴らす。

 ついさっき、流されるがままに受けてしまった“極秘任務”について考えているのだ。

 不正に魂を駆り集めている何者かを捕え、魂を取り戻すという、低級悪魔には過大すぎる任務について。

 おかげで、貴重な恋人役であるアンジェラを怒らせたことは、幸か不幸か今の彼にとってさしたる問題にはならなかった。


 確かに、地獄――あるいは天国――に従事する者が魂を不正に狩り集めているなどという事態は、あってはならない不祥事だろう。

 税務署の職員が脱税をするとか、ジュニア・ハイスクールの教師が児童に手を出すとか、警察官が万引きをするとかいった事件と同種の、自らの存在意義を根底から否定し、あまつさえ組織社会そのものを揺るがすという、迷惑この上ない自虐行為といっていい。


 けれども、なぜその不祥事を俺が処理しなければならないんだ?

 考えてみれば、俺は獲物の魂を奪われたのだから、むしろ被害者じゃないか。


 その答えは簡単だった。

――実績が悪いからだ。

 言われなくたってわかっているさ。


 つまり、地上派遣員の総責任者であるグランド・ブラックは、ホッパーの出来の悪さに付け込んで、己の管理不行き届きの不始末を押し付ける算段なのだ。

 この任務をホッパーがしくじれば、彼を処分して上に報告する――「ゆゆしき事態に迅速に対応しましたが、この低級悪魔めがしくじりまして云々。なにとぞご猶予を。そして私に有能な部下を」

 あるいは、ホッパーがうまくやれば――過去は隠蔽して、現状維持だ。

 何の問題もない。

 そう、上級悪魔は怖いのである。

 たとえ、低級悪魔たちの前で偉そうぶるグランド・ブラックであっても、その理不尽さの前では無力な黒山羊ちゃんに過ぎない。

 

「極秘任務……」

 ホッパーは声に出して呟いた。

 不機嫌に鼻を鳴らしたのは他でもない。

 断るという選択肢はもとよりないが、こんなにも安い言葉にすっかり乗せられた自分の愚かさを呪ってのことだった。

 弱々しいため息をついたホッパーは、そろそろ自分の扱いやすさに気付いてもよい頃である。


 さて、水浴びもたいがいにしなければ肌が荒れてしまう。

 彼は顔を上げ、シャワーヘッドから勢いよく噴き出すきめ細かな飛沫を額に受けて、顔をゆすいだ。

 そして、最後の抵抗とばかりに頭を抱えてひとしきり呻くと、観念したように水を止めたのだった。

 もはや崖っぷちに立ってしまった以上は、飛び降りるか、空を飛ぶ方法を考えるかだ。


 バスローブを翻しながらバスルームを出ると、甘さを抑えたコクのあるフレグランスを漂わせながら、その足で衣裳部屋へ直行した。

 彼が指を鳴らすと、間接照明がふわりと明度を上げ、所狭しと吊るされた服の群れが部屋の中に浮かび上がる。

 そこには国籍も様々なブランドスーツが取り揃えられ、いつ主が袖を通しても良いように、威厳と型を保って規則正しく並んでいた。

 手頃なものから芸術ともいえる逸品までが一堂に会するこのコレクションは、極上の選りすぐりというよりは、ホッパーの好みの集大成だった。


 しかし、ホッパーが特別気に入った服とてこの部屋での滞在が許されるのは長くて半年で、一年前に購入した衣装を見ることはない。

 古くなった服はというと、ここではない、秘密の場所に大切に保管されている。

 永久に満杯になることのない、異次元に隠しているのだ。

 所有物に執着するあまり、とにもかくにも捨てられないのがこの悪魔の欠点だった。

 失うことを極端に恐れている、と解釈すべきかもしれない。


 ハンガーに吊るされ、まだスーツカバーも解かれていないような服の行列をざっと眺めると、黒地にほとんど見えないほどのピンストライプが入ったスーツズボンに、ワインレッドのカラーシャツを選んで腕を通した。 

 気分を変えて、というより気合を入れて、戦闘服はブリオーニだ。

 極秘任務と言うからには、007の愛用ブランドというわけである。

 形から入るのは浅はかかもしれないが、及び腰で取りかかるよりはマシだろう――などと考えるミック・ホッパーは、やはりその言葉に踊らされているのだった。


 何事も、ポジティブシンキングに切り替えるんだ。

 ホッパーは、いつものように自分に優しく言い聞かせた。

 そう、これは理不尽な話ではなく、チャンスじゃないか。

 魂を奪い取られたことを貰い事故としても、これまでの成績不振を理由に、否応なしに地獄へ引きずりこまれなかったのは運が良かった。

 まだ、地上に残ることができたのだから。


 しかし、失態が帳消しにされたわけではない。

 魂を取り返し、犯人を捕まえなければ、再び同じ道をたどることになるだろう。

 いや、一度目に堕ちるはずだった地獄よりも、もっと深くまで叩き堕とされるに違いない。

 三年経って音沙汰のない前任の悪魔のように、誰にも見つからない真の闇で苦痛に悶え苦しむ――おっと、どこがポジティブだ?


 と、そんなことを考えているせいで、なかなかボタンを留められずに、指先がやきもきし始めていた。

 せっかくのブリオーニだというのにちぐはぐボタンでは、ジェームズ・ボンドどころかマックスウェル・スマートですらない。

「お前はクールか?」

 袖のボタンを留めながら、鏡の中に問いかける。

 かっこよくて、冷静で、冷淡で、ずうずうしいか?

 すると、鏡の中の若い男はじろりとこちらをにらみ返した。

「当たり前だ」

 なんたって、極秘任務を与えられたのだから。

 ちんけだろうと茶番だろうと、それはいかなる映画においても、主人公に与えられるものに違いない、だろう?


 百八十度出来栄えを確認し、彼は最後にサングラスをかけた。

 夜のサングラスは無論日除けではなく、車のヘッドライトに瞳孔が反射しないようにするためだ。

――さて、装備は整った。




 濁った照明に照らされた地下に降りたち、ずらりと並ぶ高級車たちを左右にはべらせて、ホッパーは駐車場の真ん中を進む。

 一際艶やかな黒い跳ね馬が主の臭いを嗅ぎ分けて、自分の寝床で首をもたげる――オートキーで、持ち主が近づくとヘッドライトがギラリと光った。

 ホッパーはピアノの鍵盤をはじくように車の滑らかな鼻先を指で叩き、運転席のドアに手をかけた。

 この車は、どんなときでも、ホッパーの気持ちを高めてくれる。

 裏切らないし、八つ当たりもしてこないし、棹立ちになって騎手を振り落とす事だってしない。

 地獄にいる気性の荒い馬たちに勝る、最高の乗り物だ。


 と、そのとき。

 不意に遠くから不気味な怒号が響き、だんだんと近づいてくるのが聞こえた。

 どきりとして、ホッパーは息を潜め、身体をこわばらせる。

 怒っているような嘆いているような苦渋の声――耳を覆いたくなるようなその声は地下空間に反響し、一匹の獣が吠え立てているようにも、無数の亡者が口々に呪いを呟いているようにも聞こえた。

 間違いなく、地獄に住まう者の声だった。


 誰だ?

 言いようもない嫌な予感が、クラッシュしたときのエアバッグのごとく一気に膨れ、ホッパーは身体が破裂するのではないかと思った。


――まだ時間はある。

 グランド・ブラックは電話でそう言っていたが、猶予なんてものは、上司の気分次第で変わる。

 サイン付きの契約書があるならさておき、悪魔同士の口約束ほど当てにならないものはない。

 時間なんて、もしかしたらあと三分しかないかもしれないのだ。

 あるいは、五秒、今すぐかもしれない。

 唐突に肩を叩かれ、振り返った瞬間には「気が変わった」とばかりに地獄に引きずり堕とされるなんてことも、十分にありえる。


 ホッパーの尖った顎を、冷や汗がつるりと滑り堕ちた。

 俺はなんて愚かなんだ。

“上げて落とす”という悪魔の常套手段を、なぜすぐに思い起こさなかったのだろう!


 やがて、その声は徐々に人間の声帯を使った男の声へと変わっていった。

「マイケル、マイケル!」

 認めたくはないが、どうやらホッパーの名を呼んでいるらしい。

 声の主は、何かに追われているかのように必死な声で叫びながら、みるみる背後に近づいてくる。

 大きな靴がドタンバタンとけたたましい音を響かせている。


 ひくりと、こわばっていたホッパーの眉が痙攣する――声の正体がわかったのだ。

 それは少なくとも、彼が恐れた相手ではなかった。

 しかし、会いたくない相手であることには違いない。

 不安のエアバッグはしぼみ始めたが、今度は苛立ちが膨れ始める。

 とんだ怯え損だ。


「その名前で呼ぶなと言ったはずだ、」振り返りざまに、イライラと怒鳴る。「バディ・グリー――」

 その瞬間、彼は息を呑んだ。


 バディ・グリージー、地上界勤務十二年。

 この一年でとりわけ体重を増やした彼は、贅肉をブルンブルン震わせながら、ゼリーボールのようにその巨体を虚空に躍らせていた。

「マイケル!」


 ホッパーは、とっさに身をかわしていた。

 反射的に危険を察知したのだ――まともに受け止めたら、大事な肉体が損傷する。

 ところが、それもあまり良い判断ではなかった。


 両手を広げ、胸から突っ込んできたバディの身体は、そのままフェラーリの車体にボディープレスを食らわし、弾んで、反対側に転がり落ちた。

 バゴンと、嫌な音がした。


 悲鳴を上げて、ホッパーはボンネットにすがりついた。

 フェラーリが怒り狂ったように防犯サイレンを鳴らしている。

「凹んだ! チクショウ、なにしやがる(ジーザズ)!」思わずそう叫んで、浅いクレーターができたボディをなでまわした。「ああああ、マイ・スウィート……!」

 昨日といい今といい、どうもついてない。

 手塩にかけて磨き続けてきた所有物が、二つも傷つくなんて。


 車の反対側へ落ちたバディは、まるで何事もなかったかのようにひょこりと顔を覗かせると、まいったなぁというように薄い頭をなで上げた。

「避けるなんて、薄情なやつだなマイケル――あ、すまない、ミックだったな。そんなことより聞いてくれ、大変なんだ」

「そんなこと? 冗談じゃない、大変なのはこっちだ!」

 ホッパーが噛み付くように怒鳴ると、バディは車をチラッと見て、面倒くさそうに「あーあー」と言った。

 そして、おもむろに手を上げると、ホッパーが見ている目の前に、勢いよく振り下ろした。

 大きく開かれた掌は硬いボンネットを打ち、ボコンと大きな音がして、車がさらに凹んだ。


 とどめを刺されたかのように、フェラーリはサイレンを止めた。

 ホッパーは断末魔のごとき悲鳴を上げる。

 しかし、叩き付けた掌が持ち上げられるとき――ボンネットも一緒に引き上げられて、今度はベコンと音を立てた。

 そこには、艶々の曲線美を誇る、元通りのボンネットがあった。

 ただし、バディの油っぽい手形が、くっきりと白く残ってはいたが。


「ほら、これでいいんだろ」

「……」

 ホッパーは悲鳴を上げたままの表情で、滑らかなボンネットを見つめていた。

 ああ、戻ればいい、いいとも。

 でも、もう少しやり方ってもんがあるじゃないか。

 どこか上の空のまま、ポケットからハンカチを引っ張り出すと、ホッパーはバディの手形を丁寧にふき取った。

 ボンネットには傷一つ残っていない。

 まったく、驚きのあまり一瞬肉体が死んでしまった。


「まったく、いちいち大騒ぎしやがって、忙しないヤツだな」

 ホッパーの様子を冷やかに見ながら、バディはやれやれというように立ち上がり、くたびれたスーツをはたいている。

 その仕草も顔つきも、さきほど助けを求めて飛び込んできたときとは別人のように落ち着き払っていた。

「それで、いい加減俺の話を聞けよ」

 ホッパーはボンネットに屈み込んだまま、「ああ」と、どうにか我に返った。

「大変だって、何がだ?」


 恋仲を演じるアンジェラを別とすれば、低級悪魔が低級悪魔をわざわざ訪ねてくるなど、よほどの事情が無ければありえない。

 低級悪魔同士というのは、どうしようもなく同種だが、お互いを仲間だと思ったことなど一度もないのだ。

 上級悪魔にはなれなくとも、少なくとも隣にいる奴よりは恵まれている――彼らは常にそう思いたいのである。


 すると途端に、バディの表情はくしゃくしゃになり、半ベソ状態の彼に戻った。

「そうなんだよ、聞いてくれマイケル――」

「おい待て、俺はマイケルじゃない」

「ああもう、わかった、気をつけるよミック。いい加減聞いてくれ。俺の身に起きた非常事態を」

 うんざりしたようにバディが言う。


「聞くとも、兄弟」

 わかればいいんだ、とばかりに、ホッパーはわざと馴れ馴れしく言い、立ち上がって哀れみのこもったまなざしでバディを見た。

 他人の不幸話を聞くのは悪くない、とりわけ、自分の立場に不安を感じているときは。

 それに蜜の味をつけたのは、ほかならぬ悪魔の所業なのだ。

「何があった?」

「まいったよ、ここだけの話だが、」

 バディはとっさに周囲を見回すと、滑稽なほど真剣な顔をして――この男の顔は、何をしても滑稽に見える――ホッパーに顔を寄せた。

「実は、何者かに狙っていた魂を奪われてしまったんだ」


 ホッパーは驚きのあまり、「本当か?」とたずね返した。

 まさか、お前まで?


 その時、ホッパーは知りたくもない現実を垣間見た気がして、口をつぐんだ。

 魂を取り返して犯人を捕まえろ、というのが、グランド・ブラックからの命令だった。

 一方で、バディもまた自分と同じく魂を奪われたという。

 そして、彼はホッパーを訪ねてきた。

 ということは、つまり――


「お前、もしかして……」

 ホッパーが尋ねるように眉を上げると、バディは硬い表情から一転、ぐっと邪悪な笑みを浮かべ、低い声で言った。

「お前もなんだろう?」


 脳裏で、グランド・ブラックの意地悪な高笑いが聞こえた気がした――「有能な協力者を用意してやったぞ」

 ホッパーは、賭博師が惨敗の現実から目をそらそうとするときのように、かたく目を閉じた。

 今ここに猫の手が差し出されていたら、迷いなくそちらを握りしめるだろう。

 なぜよりにもよってお前なんだ。

 油じみてて、汗っかきで、所有物の素晴らしさが微塵も分からないお前なんだ。


 ホッパーが口の中で現実を呪っている間に、バディは立ち上がって、フェラーリの助手席に手をかけていた。

「それにしても、お前はこんなものに乗ってるのか? 地獄じゃ、馬もろくに扱えなかったくせに」

 ドアの開かれる音を聞いて、ホッパーは慌てて目を開く。

「おいおい、何してる。車に触るな!」

「触るなだって? 何言ってるんだ、魂を取り返しに行くんだろう?」

 ドアの向こうで両手を挙げたバディが、すっと車内に消える。

 いても立ってもいられずに、ホッパーは運転席へ滑り込んだ。


「ふうん、座り心地は悪くないな。火は噴くのか?」

 バディは赤いシートに何度も座りなおしながら言い、シガーライターに取り付けられている消臭・芳香剤を、興味深げに手に取った。

 ホッパーはそれを取り上げ、次いでエアコンやカーステレオをいじろうとする手をことごとく阻止した。

「噴くか! 頼むからべたべた触らないでくれ」

「なんだ。火を噴かないんじゃ大したことないな。今、地獄じゃ火を噴く馬が人気なんだぜ。鼻息だけでそこら一帯を焼け野原にできるような」

 眉を下げて鼻で笑うバディにますます苛立ちを募らせながら、ホッパーは牙をむいた。

「へえ、そう、すごい。その馬、草をウェルダンで食うわけだな」頭の悪い連中だ、と小さく付け加える。「だから、触るなって! そうだバディ、別行動にしよう。手分けして犯人を探すんだ」

「別行動? お前、当てがあるのか?」

「まあ、その」ホッパーは、バディがシートベルトを探るのをハラハラしながら見つめた。「見当くらいは――」


 すると、突然目の前に鈍く光る影が揺らめいて、ホッパーのサングラスを覆った。

 それはバディの手によって鼻先に突きつけられた、一枚の大きな灰色の羽根だった。

 眼を見開いてピントを合わせると、灰色だと思ったのは、白い羽毛がキラキラと光を反射して輝いているからだとわかった。

「見たことあるか?」

 バディが言う。

「いや。何の羽根だ?」

 ホッパーは羽根を指先に摘まんだ。

 しっとりとして柔らかいが、羽条は指を切りそうなほどに整然としている。

 これで羽根ペンを作ったら売れるだろうな。


 バディは羽根を指先に弄ぶと、「悪魔じゃない奴の羽さ。魂が奪われた現場で拾ったんだ」と言い、確信を得たような力強い笑みを浮かべてみせた。

「天使だろ? お前のいう見当ってのは。あの病院にいたヤツじゃないのか?」

 ずばり言い当てられて、ホッパーはただ頷くことしかできなかった。

 バディは、やっぱりな、というように鼻を鳴らすと、羽をひらひら躍らせた。

「どうやら、犯人はあいつで間違いないらしい。軽く調べてみたところ、魂が消えた現場では、必ずヤツが目撃されてるっていうんだ」

「調べた? お前が?」

 ホッパーは目を瞬いた。

 目の前にいるのが別人であると信じるほうが容易いが、どうやら本人であるらしい。

――驚いた、バディってのは二言目には「面倒くさい」しか言わないようなヤツかと思っていたが。


「ま、俺は盗られたものをそのままにしておけるほど、お人よしじゃないんでね」

 そんな台詞じみた言葉を吐くと、バディは羽を座席の後ろへ放った。

「それに、悪魔の獲物を横取りするなんてやつは野放しにしておけないだろう?」

 悪魔としてのプライドが許さない。

 そういわんばかりに、彼は眉をひそめ、挑戦的な微笑を浮かべている。


 ホッパーは眩しいものを見るように目を細めた。

 なんだ、格好付けたことを言いやがって。

 本当の低級悪魔の生き様とは、長いものに巻かれろ、触らぬ悪魔に祟りなし。

 ぶれのない卑屈精神こそ低級悪魔の鑑ってもんだ――俺みたいな。


「野放しにしておきたいところだがな」小さく呟いてから、ホッパーは言った。「とにかく早いとこ、ミスター・グランド・ブラックの機嫌を取っておいたほうがいいってことは確かだ」

 不正を働く輩は捨て置けないかもしれないが、なにより自分の身が一番。

 すると、バディは悪い出来事でも思い出したのか、みるみる顔を曇らせた。

「ミスター・ブラックか……」

「どうせ、お前のところにも皮肉の電話があったんだろう?」

「まあな。とにかくだ、なんとしても俺たちで捕まえようぜ。早急に」

「同感だ」

 利害関係が一致しているときに限り、悪魔同志は仲良くなれる。

 二人はゆっくりと頷き合った。

 共闘契約成立だ。


「ところで、俺とお前以外にも、魂を横取りされた悪魔はいるのかな?」

 ホッパーが尋ねると、優秀なパートナーはすぐに「いや」と答えた。

「行方不明になっている魂は全部で五つだが、他の魂は悪魔とは無関係ないところで狩られている。通り魔みたいな感じだな」

「性質の悪い野郎だ。それ、天国では許されるのかな?」

「俺が天国の事情を知るかよ。まあ結局、どの世界も事なかれ主義さ」


 そう言うと、バディは意味ありげな眼差しで、車のフロントガラスとホッパーを交互に見た。

「……なんだ?」

 阿吽の呼吸とはいかずにホッパーが尋ねると、バディは呆れて言った。

「なんだ、じゃない。早く出せよ」

「出すってどこへ?」

「いいから出せ。俺には当てがあるんだ」

 命令されるのは相手が誰であれ良い気分ではないが、この男だとなぜかことさら癪に障る。

 ホッパーは不満そうに眉を寄せながらキーを回した。

 漆黒の跳ね馬は待ちわびていたように身体を震わせて、鋭い眼光を放つと、地下空間に低い嘶きをとどろかせた。

「魂が狩られているのは全部この州内だからな。まずは情報収集だ」エンジン音に負けないよう、バディが声を張った。「天使のことは、天使に聞くのが一番。だろ?」


 バディのナビゲーションで、車は走り出した。

 ホッパーはバディに指揮を取られるのがなんとなく解せない気持ちだったが、少なくとも自分よりは情報を掴んでいる以上、従うより他ない。

 自分の損になっていなけりゃ、それでいいか。

 セキュリティーゲートを抜け、夜の街に躍り出る。


「そこ、右っ!」

 走り出してすぐ、スピードに乗り始めたところでの急な右折指示に、ホッパーは急ブレーキを踏んだ。

 甲高い悲鳴とともに、鼻先をこすりそうな勢いで、フェラーリは角を曲がる。

 さすがは俺の愛車、機動性は抜群だ――じゃなくて。

「バカ、もうちょっと早く言えよ」

「お前がスピードを出すからだろ。左」

「なに?」

「左だ! 今の道を左!」

 スキール音が夜の街に響く。


「だから早く言えって言ってんだ! 車は急に止まれないんだよ!」

「お前が余計な話をするからだろ!」

「とにかく行き先を言え、行き先を。カーナビのほうがよっぽど――!」

「あ、さっきのところを右だった」

「!?」

 ――。


 凸凹コンビの、騒々しいドライブが始まった。

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