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人鳥温泉街の家出人/後編

 1月23日の朝は、前日までの大雪が嘘のような素晴らしい天気となった。


 小型のリュックを背負った春香は、「なつみ旅館」の前の道路に立って思い切り両腕を伸ばし、背伸びをした。寒いけど、澄んだ空気が気持ちいい。


 さすが、私の21歳の誕生日。


 昨夜はあのまま炬燵で寝てしまったので、体が少しばかりぎしぎし固い。軽い運動も兼ねてたっぷり歩こうと、雪の消えた道を中央広場に向けて元気に歩き出す。春香は元々長い散歩やハイキングが好きなので、歩くのはどうって事はない。


 周囲を観察しつつ、無事に中央広場に到着した。今朝は少しだが人通りがある。でもペンギンの大福と海田はいない。

 広場の隅に立って、携帯端末で温泉街の店舗を調べると、やはりここは観光地なので、引っ越してすぐの日用品や家具の買い物は駅から電車に乗って市内に出た方が良さそうだ。春香は車の免許を持ってない。とりあえず駅まではすぐに行けるように自転車を購入しようかなと考えながら、春香は再び中央通りを歩き出した。


 しばらくして、春香はあれ? と思った。

 黒い防寒着を着た海田が道に立って、道端に残る雪の吹き溜まりの上に立つペンギンの大福を眺めている。大福が雪が大好きだと言ってたから、今朝も海田が付き合ってやっているのだろう。


 その時、大福が春香に気づき、羽をパタパタさせながら吹き溜まりを駆け下りテトテトと近づいてきた。海田も春香の方を振り向いた。

「おはようございます!」

「おはようございます。外出ですか?」

 春香の元気な挨拶に、海田が穏やかに答えてくれたのが嬉しかった。


「はい、これから電車で市内に出て、家具とかを買うつもりです」

「……ああ、なるほど」

「古い建物の和室なんで、しっかり選ばないとです。大福君、昨日はありがとうね。お礼のお魚はちょっと待ってね」


 腰をかがめてペンギンの大福の頭をそっと撫でる春香に、海田は言った。

「夏見さんがここに来た事をお姉さんが怒っているそうですが、大丈夫ですか?」

 春香は一瞬言葉に詰まり顔を上げたが、彼は空を見上げている。

「別に……大丈夫です。昔から、いつもの事ですから」

 海田はしばらく黙ってから春香の方を見た。

「兄や姉というのは、どうしてもあれこれ心配してしまうものですよ」

「そうなんでしょうけど、姉はとにかく人の話を聞かない融通のきかない性格で……海田さんのところも、うるさいんですか?」


 海田はまた空を見上げ、少しぼんやりと言った。

「……そうだっかもしれませんね。覚えていませんが」


 その口調に何か引っかかりつつ返事をしようとした時、海田が続けて言った。

「昨日、空を漂っていた雪クラゲはいなくなりました。だからもう雪の心配はありませんよ」

 春香は目をぱちぱちさせて、空を見上げた。雲一つない青空で太陽の光がまぶしい。

「雪クラゲですか。あの大きな銀色のクラゲ、どこからやって来るんですか?」

「ずっと遠くの海からです。海中で生まれて普段は海上を漂っていて、時々人鳥温泉街の地域の上空に姿を見せます。生態はまだ謎が多いそうですが」

「へえ、そうなんですか」

 春香は、広い海の上を漂う何匹もの大きなクラゲを想像してみた。不思議な眺めだろうなあ……。


 海田が手元を見てから、口調を変えて言った。

「少し急いだ方がいいですよ。駅から出る電車は、午前中は本数が少ないですから」

 言われて春香は少し慌てた。確かに少しゆっくりしすぎたかもしれない。

「そういえばそうですね。じゃあ、行ってきます」

「気を付けて」


 羽を振る大福に手を振り返し、海田に頭を下げて春香は急ぎ足で駅に向かった。歩きながら春香は、海田さんはちょっとぼんやりとしていたな、と思った。ペンギンに朝早くに起こされたのかもしれない。


 駅の建物が見えた時、春香は向こうから歩いてくる男性の姿に目をとめた。明るい灰色のコートを着込み、チェックのマフラーをゆったり巻いてしっかりとした足取りで歩いている。ロマンスグレーのハンサムでお洒落なおじ様だなあと、すれ違いながら春香はこっそり感心した。観光客には見えないし旅館の経営者の人かもしれない。



 春香の後姿を見送り、海田はしばらく散歩をしながら雪でご機嫌な大福を遊ばせ、ゆっくりと土産物屋に戻った。ふと見ると、まだシャッターが下りている店の前に誰かが立って建物を見上げている。全宇宙征服連盟日本支部のエーテル所長だ。


 エーテル所長が大好きな大福が急いでテトテトと近寄り、所長はペンギンを見下ろして笑顔になった。だが顔を上げて海田を見た時はむっつりとした表情で、思わず苦笑してしまう。

「おはようございます。お話しするのは久しぶりですね」

 海田が嘱託身分とはいえ正式に諜報員に復帰し、土産物屋の2階に中央諜報局日本支部の人鳥事務所が開設されたという情報が界隈に流れてから、所長は海田をさりげなく避け続けていた。

「……おはよう。今朝になって妙な噂が耳に入ったので、君に確認に来た」

 海田は愛想良く笑って見せた。


「俺が、この土産物屋の土地と建物を買い取ろうとしている件ですか?」


 エーテル所長は呆れたように海田の顔を見た。

「では本当なのだな」

「本当です。まだあちこちに根回し中ですがね。近々自治会の皆さんに公表するつもりです」

「ふん。君を避けていたせいで、私に情報が入ってこなかった訳か」

「別に誰にも隠れて動いていませんよ。ただ即金で買うと申し出たので、自治会長は慎重になってるみたいですね」

 さすがの所長も驚いた。

「即金? かなりの高額だろう? 諜報局が購入するのではなく、あくまで君個人が購入すると聞いているが」

「蓄えはあります。面倒が少ないように、早く俺の所有物にしたいんです。2階が諜報局の事務所になりましたし、周囲には口出しをされたくないので」

 所長はちらりと2階を見上げた。要するに機密が必要とされる場所になったという事か……。


「……君が初めて私の組織の支部の受付に現れて、馬鹿丁寧に挨拶をされた日を思い出すよ。髪は巻き毛でコートを羽織ってひどく目立っていて、実に芝居がかった諜報員だと呆れたな。そしてとうとう、ここに我々を監視する本格的な拠点が出来るわけだな」


「所長や所長の組織を監視などしません。それに俺は、あくまでも人鳥土産物屋の店長で大福の世話係です」


 静かに言い切った海田の言葉を聞いて、エーテル所長は怪訝な顔になった。

「しかし、君は再び諜報員という存在になったのだろう?」

「人鳥土産物屋の店長で、大福の世話係でいるためですよ」


 黙り込んだ所長に海田は言った。

「俺は所長には嘘をつきません」


 所長は軽く海田を睨んだ。

「ほお、そうだったかな。しばらく前に君に直接色々聞かされたようだが」

 海田はにやりとした。

「あれは所長ではなく、所長の背後にいる誰かさん達に情報を投げただけですよ。所長には、実際は何も言っていません」

 エーテル所長は小さく頭を振った。

「……まったく物は言いようだな。おまけに君は、時々堂々と突飛な事をしでかす」

 

 諜報局が海田を手放さない訳だ。エーテル所長は、大きく息を吸った。彼は低温には弱いが、冷たい空気を呼吸すると頭ははっきりする。けれどそろそろ体が冷えてきたようだ。


「観念したよ。どちらにしろ、私も君も互いに根気よくやっていくしかなさそうだ」

 海田は少し笑った。

「同感です。これからもよろしくお願いします」


 ふん、と思いつつエーテル所長は思考を切り替えた。

「そういえば、駅の近くで元気に歩く若い女性とすれ違った。初めて見る顔だったが、彼女がなつみ旅館に引っ越してきた女性か?」

「そうです。ああ見えて頑固な家出人ですよ。諸々落ち着くまでは、俺が相談相手になります」

 所長はうなずいた。

「事情はどうあれ、この温泉街に若い人間が増えるのは歓迎だ……若いといえば、来月の14日はバレンタインのイベントだな。若い男性の君が人鳥神社の『愛の鐘』を鳴らせ」

 海田は思い切り顔をしかめた。

「あれですか。冗談じゃない、今年も所長にお願いしますよ。去年は大受けだったじゃないですか」

「だから絶対にお断りだ。秘書たちに揶揄われて大変だったからな。すぐに自治会に提案する事にしよう」


 海田に嫌な顔をさせたおかげでエーテル所長はかなり機嫌が直り、ペンギンの大福に声をかけた。

「さてそろそろ行くとしよう。大福、一緒に中央広場のケーキ屋まで来ないか? 私は店長に用事がある」

 大福は喜んで、羽をパタパタさせた。


 海田に別れを告げたエーテル所長と並んで、大福は中央通りを元気にテトテトと歩き出した。雪が消えて無くなったのは残念だけど、大好きな人間たちに挨拶できるから晴れた日は好きだ。


 大福は賢いペンギンだ。振り向かなくても、海田が見送ってくれているのがわかる。


 海田は、いつもあの店にいる。いつもあの店で自分を待ってくれている。自分が怖い目にあわないように守ってくれている。 いつかメスペンギンの杏がお嫁さんになっても、海田は必ず一緒に守ってくれる。大福はそれがとても嬉しかった。


 吹く風は冷たいけれど、青空の下、人鳥温泉街の新しい一日が始まろうとしている。



【第一部:完結】

「人鳥温泉街」シリーズ、第一部が完結しました。第二部以降もよろしくお願いいたします。

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