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<30・神降。>

 痛い、なんてものではなかった。内臓を火で炙られているようとはまさにこのことだ。

 憑代にされる――そのためにどのようなことをするのか、千夜はまったくわかっていなかった。まさか魔術武器で刺されるなんて、と思いながら――自分の腹からずるずると引き抜かれていく“魔女の短剣(アセイミ)”を見つめる。


「もう少しばかり、我慢してくださいね」


 千夜の体を魔法陣の上に寝かせると、遠田は何かを取り出した。一見するとそれはビー玉のようにも見えるもの。拳大よりも一回り小さいくらいのサイズの水晶玉だった。太陽の光を浴びて、キラキラと光っている。


「一つ、誤解を解いて頂きたい。私は何も、自分が犠牲になるのが嫌であるわけではありません。世界の為に、自分を捨てる覚悟はいつでもできているのですよ。ですが……私の体では神の母上にはなれない。そして、神を新たな器に導くことができるのは……元々祭祀の筆頭であり、教祖である私でしかないのです。その役目さえ果たせるのならば、私自身いつ死んでも構わないのですよ。それが、私の天命だったのであれば」


 嫌な予感しかしない。痛みで身動きとれない千夜の元にしゃがみこむと、彼は水晶玉を千夜の傷口に近付けた。まさか、と思った瞬間。


「神は、英雄にならんとした清らかな心の持ち主……その身を供物として産まれた。その土地の神と魂で交わった少年は、さながら処女でありながらキリストを孕んだマリアのように……男性の身でありながら神を宿すことに成功したのです」


 ぐりゅ、と。肉が潰れるような嫌な音が、体の中から。


「あ、ああああああああああああああああっ!」

「神にとって不幸だったのは、産まれ落ちたその理由。英雄は、神を産むことによって憎い者達に復讐することさえできればあとはどうでも良かった。そのあと神がどうなろうが、世界がどうなろうが。神を産み落とせば己が死ぬとわかっていたからこそ」

「が、がぁぁぁっ!ああああああああああああああああああああ!」

「ああ、暴れないでください、うまく入っていかないじゃないですか。もう少し奥まで押し込まないといけないのです。丁度、女性でいうところの子宮があるあたりまで」

「ぐうっ、うううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!」


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!さっきまでの刺された痛みなんて大したことがなかったと思うほどに痛い。なんせ、短剣で刺された腹の傷に、子供の拳大もある水晶玉を捩じ込まれているのだから。

 血が吹き出し、肉が捩れるような感触。意識を飛ばせないことを呪った。死んだほうがマシとはこのことである。

 しかも、遠田が水晶玉を押し込むと同時に、その玉が腹の中でどくどくと熱を持ち始めたからたまらない。まるで、生きたまま臓物を焼かれて拷問されているようだ。


「あ、が、ぁ……っ」


 あまりの苦痛に、視界が明滅する。何で自分はこんな目に遭っているのだろう、とぼんやり思った。そんなに悪いことしてきたっけ、とも。


「あともう少しだけ頑張ってくださいね。……ふむ、しかし秋風よ、てっきり邪魔しにくるかと思っていたが……来ないな?果たして儀式後に我々を消すつもりでいるのか、いやはや」


 遠田の声が、どんどん遠ざかっている。自分の命の火が消えかけているのを、千夜は感じ取っていた。


「まあ、それならば好都合というもの。……さあ、仕上げをしましょうか、御影千夜さん。あとはここに、神を呼ぶだけです」


 彼は千夜から少しばかり離れると、何やら呪文のようなものを唱え始めた。


「アセヨ、ライナ、クトル。オイシエヤ、シャンマクマ、ソリシエリ。エデコンゴソリシエリカエ、カエ、カエ。ライダガンダ、アグリエード、ソシリ、メリシャート、マリンソワ、アキルゴエスエシエ。ジェヘド、ジェヘド、ジェヘド、ジェヘド……」


 一体どこの言語なのか。あるいは、遠田にしか理解できない言葉なのか。


「アセヨ、ライナ、クトル。オイシエヤ、シャンマクマ、ソリシエリ。エデコンゴソリシエリカエ、カエ、カエ。ライダガンダ、アグリエード、ソシリ、メリシャート、マリンソワ、アキルゴエスエシエ。ジェヘド、ジェヘド、ジェヘド、ジェヘド……」


 その言葉が繰り返されるたび、どんどん周囲の空気が重たく、つめたくなっていく。冷気が巨大な氷となって体の上からのしかかってくるような錯覚を受けた。

 寒い。その寒さが、出血によるものか術によるものがもわからない。全身が震えるほど寒いのに、腹の中だけは焼けるように熱いのだ。


「アセヨ、ライナ、クトル。オイシエヤ、シャンマクマ、ソリシエリ。エデコンゴソリシエリカエ、カエ、カエ。ライダガンダ、アグリエード、ソシリ、メリシャート、マリンソワ、アキルゴエスエシエ。ジェヘド、ジェヘド、ジェヘド、ジェヘド……」


 何かが、変質しようとしている。浅く息をしながら千夜はどうにか首を空の方へと傾けた。瞬間。


「アセヨ、ライナ、クトル。オイシエヤ、シャンマクマ、ソリシエリ。エデコンゴソリシエリカエ、カエ、カエ。ライダガンダ、アグリエード、ソシリ、メリシャート、マリンソワ、アキルゴエスエシエ。ジェヘド、ジェヘド、ジェヘド、ジェヘド……ラド!」


 千夜は、見た。

 自分を見下ろしている、少年の姿を。長い黒髪、日本人には珍しい青い目。そして――不思議なほど、千夜に似た顔立ちのその少年は。


――お前が、神様を作ったもの、か。


 神様の、ハハオヤ。もはや、怖いという感情さえ失われつつあった。次の瞬間。


「おいでませ……――――!」


 遠田が吠えるように叫んだ途端、全身の産毛が逆だった。あの言葉だ。あの名前を言ったのだと理解した。自分はたった今、それを聞いてしまったのだと。


「ああ、あ……!」


 地面が小刻みに揺れている。洋館の奥、森の方から何かが津波のように迫っているのを感じていた。忘れかけていた死の恐怖を思い出す。この言葉を聞いてしまった多くの犠牲者達が、一体何を悟らざるを得なかったかを一瞬にして理解させられていた。

 そう、この名前は。名前を聞いただけで、その神様の生まれを、正体を、一瞬にして知らしめるだけの力を持つもの。何故、神はこの名前を他の者に知られるのを嫌がったのか。知ったというだけで、その者たちを生贄に選んだのか。

 そもそも神は、その気になればそんな条件などなくても、誰のことをも生贄にできる存在だ。そして、殺し方も足を引き千切ることに限定せずに行える。それでもそのやり方を好むのは、足を失うことで人がどれほど痛みに苦しみ、歩けないことに絶望するかを知っていたからである。

 そう、母親がそれを知らしめたからこそ、憎い相手にそのまま返すことを選んだのだ。


「あ、あああ、あああああ……!」


 頭の中に飛び込んでくるビジョン。

 牢屋に繋がれ、鞭で打たれるもまったく女性達の行方を吐かない少年。

 その両足を、忌々しいとばかりに斧で切断する男たち。痛みに泣き叫ぶ彼に覆い被さり、さらに強姦する下衆ども。

 虫の息の中、少年は呪詛を吐く。そこに、降りてきた土地の神。その神と接吻をし、契りを交わした直後、死にかけている少年の腹が膨らみ始める。

 彼は死にそうになりながらも、ギリギリまで腹の子に訴え続けるのだ――あの腐った者共を殺せ、私の苦しみを奴らにも与えてやれ、と。それが私の最期の望みであると。

 腹の中の子は、少年に尋ねた。――そうすれば愛してくれる?と。

 少年は、残酷にもそれに応えないまま、意識を失った。そして、はちきれんばかりに膨らんだ腹が柘榴のように割れ、あの神が生まれ落ちたのだ。


 あの名前は。ハハオヤが、コドモに唯一与えてくれた特別なもの。


 それを、関係ない人に知られたくない。

 誰でも生贄にできるけれど、コロスのならば、知った人からでイイ――どうせ、人間は全てニクイのだから、と。


――お前の名前は、☓☓☓☓……。


 心の中で千夜が唱えるのと。洋館の向こうから現れた巨大で茶色の“それ”に、遠田の体が掴み上げられるのは同時だった。


「神よ!神よ!私は成し遂げたぞ。貴方の母を見つけたぞ!さあ、親子の再会を果たすが良い!そのために必要な最後の供物に……この体を持っていくがいい!!」


 ぐきり!ぶちぶちぶちぶち!

 “それ”は遠田の足をつかむと、凄まじい力で両足首を引っ張った。遠田の足首が脱臼する音と共に上がる、凄まじい苦痛の絶叫。それでも“それ”はとまらず、男の足を引きちぎりにかかる。

 あまりの力に、遠田の股関節までもが外れたのがわかった。なんという腕力か。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 ぶちぶちぶちぶち、ぶっちん!

 足首を引きちぎられた遠田の体が、ゴミのように森の方へと投げ捨てられる。そして、怪物は自分の名前を聞いたもう一人――千夜の方へと向き直った。

 細めた黒い瞳。歯茎をむき出しにした、唇のない巨大な口。背中に生えた指、人間の鼻のような瘤。

 奇妙なことに。千夜はもうその姿を、醜悪だとは思わなかった。気がつけばその方向へ、血まみれの両手を伸ばしていたのである。


「おいで、☓☓☓☓」


 無意識に、浮かべる笑み。


「これからは、ずっと一緒だよ」


 そして。怪物の体は――千夜の腹の傷に、吸い込まれるように消えていった。同時に千夜の意識も、ぷつんと音を立てて途絶えたのだった。

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