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<3・苺子。>

 彼女が住んでるアパートは、千夜が呼び出されたレストランからほど近い距離にある。

 都内の地価は高い。ものすごく高い。ましてや、通勤に便利な駅チカともなると半端でなく高いことになる。雛子と姉の苺子はどちらもまだ二十代の女性だ。社会人となり、一人で住むにはお金がきつい、となった雛子に手を差し伸べてくれたのが姉の苺子であったという。


「お姉ちゃんは、以前は年上の彼氏さんの家に転がり込んでたみたい。でも、うまく行かなくなって別れることになって……その後はなんとか、自分のお給料で払えるレベルの、駅からちょっと遠いアパートに住んでたみたいですけど。それも結構タイヘンだったみたいで。通勤に毎日一時間半は厳しいって」

「そりゃねー……って、お二人共ご両親は埼玉じゃなかったっけ?」

「埼玉は埼玉でも、大宮や浦和ならそのまま実家通いすればよかったんだけど。その、秩父の方だから……」

「あー……」


 そりゃ、東京まで仕事で通うのはキツかろうな。千夜も苦笑いするしかなかった。埼玉県は見た目よりも広くて、東西南北の差が大きい。便利度が雲泥の差だと聞いたことがある。埼玉の南東部の方は“東京に住むと土地が高いけど、でも通勤に便利なところに住みたい”人が住む傾向にある。

 反面、北西部は良くも悪くものどかな町が多い。東京に行くのは簡単なのに、同じ県内の北部に行くのはめちゃくちゃ不便――というアレな交通事情もある。単純な距離以上に、通勤で通うのは手間と時間がかかるのだろう。


「お姉ちゃんとルームシェアは、ほんと……気楽で良かったんだよね。私達、顔はよく似てるって言われるけど性格は正反対だから」


 雛子は姉のことを語るとき、とても眩しそうな目をする。心から尊敬してるんだろうな、というのがわかる目だった。


「私にできないことはお姉ちゃんがやってくれる。お姉ちゃんにできないことは私ができる。私達、双子じゃないけど双子みたいな姉妹って言うか。二人で一つみたいなところがあったんです。お姉ちゃんの方が全体的にはスペックが上なんだけど」

「お姉さんのことが大好きなんだ、雛子さんは」

「うん。だから……早く明るくて元気な、いつものお姉ちゃんに戻ってほしいなって。正直、今でも信じられないんだけどね。お姉ちゃんみたいないつもポジティブなタイプって取り憑かれにくいって聞いたことがあるし」

「あー、それは間違いないです」


 うじうじしてると霊が寄ってきますよ、は本当なのだ。人のネガティブオーラはそれだけで悪い運気を引き寄せるし、霊の類も同様である。

 そもそも、この世の中は目に見えないだけで幽霊だらけなのである。霊感があるという自負がある千夜でさえ、あまりにも弱すぎる浮遊霊は見えないことがあるほどだ。どんな土地であれ、人が過去に一人も死んでない場所などあるはずがない。浮遊霊やちょっとした地縛霊くらいなどは、明るいショッピングモールだろうが遊園地だろうが関係なく至るところにいるものなのだ。

 それでも、普通の人がそうそう取り憑かれない理由は単純明快。生きている人の意志の力、生命力は人が思っているよりもずっと強いから。それこそ、無意識にATフィールドでも張っているようなもの。それに阻まれて、弱い霊は簡単に取り憑いたり呪ったりなんぞできないのだ。やれたところで精々、ちょっと風邪を引かせられるかどうか程度である。

 だから大抵の人は一生幽霊を見ないで終わるし、取り憑かれたり祟られたことがあってもそれを自覚しないで終わる。大半の幽霊は、人間たちが思っているよりずっと儚い存在なのである。

 その中でも一際取り憑かれにくいのが、本人の生命力が溢れているタイプ。健康で、いつも明るく元気な人間はそうそう取り憑かれることなどない。それこそちょっとしたホラースポットに行っても、その人だけうっかり無事なんてこともあるほどなのだ。


「話聞いてる限りだと、苺子さんは取り憑かれにくいタイプだとは思います。特に持病とかあったわけじゃないなら尚更」


 それは弱い霊の話だけどね、とは心の中だけで。

 雛子の体に纏わりついている残り香だけで、千夜には充分ヤバさがわかってしまっているわけだが。


「ただ、そういう人でも積極的にホラースポットに行ったり、怖い話を集めたりすると取り憑かれたりする確率は高くなるわけで。……お姉さん、そういうの好きだったんですよね?」

「はい。なんか、おかしくなる前の晩もそういうかんじの大型掲示板を見てたみたいで」

「それってえぶりちゃんねる?」

「はい……」


 あそこなぁ、と千夜は遠い目をしたくなる。経験上知っているのだ、ああいう場所には良くないものが集まりやすいということを。匿名ゆえに、みんなが自分の本性をさらけ出してしまいやすい。そして、嘘かホントかわからないようなヤバイ話がどんどん集まってくる傾向にある。

 それこそ、かの“きさらぎ駅”やら“猿夢”やらがいい例だろう。あれらの話が、仮に誰かの作り話であっても関係ないのだ。誰かがそれを“面白い”“現実になってほしい”と願って広めてしまうと、それそのものが力を持ってしまうことはままあるのである。それこそ、どこかの悪霊が都市伝説を利用して悪さをすることもなくはないのだ。


「知ってはいけない言葉、ですっけ。ちらっと聞いたことはあるけど」


 郵便局の角を曲がり、中学校の裏手の道を進んでいく。


「なんかもう、それだけでヤバさMAXですよね……」

「そう、なの?」

「だって、触ってはいけないものなら“触らなければいい”けど、“知ってはいけない”って防ぎようがないじゃないですか。知った時点で、怪異の条件を満たしてしまう。誰かの作り話だろうが本物だろうがタチが悪すぎますって。対抗神話がないなら尚更に」


 とりあえず、なんとか苺子に話を聞けないだろうか、と思う。知ってはいけない話とやらを見てしまった掲示板のアドレスだけでも知っておきたい。自分がそれを実際に見るかどうかは別問題として、怪異の発生源がわからなければ対処のしようもないからだ。


――冬の大会終わった後でほんと良かったな。おかげで、部活も忙しくないし。


 千夜の高校のバスケ部は全国区であり、ウィンターカップにも出場している。大会前だったら、忙しすぎてとてもじゃないが雛子の呼び出しに応じることなどできなかっただろう。俳優としての仕事の方は、本当に稀にしかお誘いもないしオーディションも積極的に受ける気ないのでどうにでもなるが。


「そこのコインパーキングの角を右に曲がると、アパートが見えてくるはずです」


 雛子が駐車場を指さして言う。どうしよう、と千夜は困っていた。実はさっきから、寒気がしてたまらないのである。やばいものに近づいている感が、ひしひしとしているのだ。


――うわぁぁ、嫌な予感しかしない!こ、このレベルの悪寒なら、アパートに本体がいるってことはなさそうだけど。


 行きたくない。絶対嫌なものを見る。が、姉を本気で心配している雛子の手前自分だけ逃げたいですとは言えない。そういうところがお人好し馬鹿なんだよ、と友人にはまた詰られそうではあるが。

 角を曲がり、アパートが目に入った途端。思わず千夜は、足を止めていた。


「ぐっ……」

「?……どうしたの、千夜君」

「あ、あの、雛子さん」


 全身から冷たい汗が噴き出る。思わず、彼女に尋ねていた。


「お、お二人が住んでる部屋……まさかの303号室、ですか」

「え、そう……ですけど、なんで」

「やっぱり!ああもうっ!」


 まずいまずいまずいまずい。千夜は地面を蹴って走り出していた。雛子は一瞬唖然としていたようだが、ただならぬ千夜の様子を見て慌てて追いかけてくる。身長179cmでバスケ部員の千夜と、165cmないであろう一般女性の雛子ではどうしても走る速度に違いが出るが。

 千夜には、聞こえていた。

 303号室から、凄まじい――女性の、絶叫が。




『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!』




 同時に、ブチブチと筋が千切れ、骨が砕けるような音まで。経験上知っている。これは雛子には聞こえていない声と音だと。千夜にだけ、電波が届くように聞こえてしまっているものだと。


――くそっ……何だよこの妙な気配!!


 音が聞こえる。まるで火災現場からもくもくと黒煙が噴出すように、ドアから窓から黒い霧が吐き出されていくのが見える。それはあくまで、千夜の能力が“千夜自身にわかるように”そう見せているビジョンだと知っていた。霊能力とか超能力と言われるものは基本的にそうなのだ。同じものを見ていても、同じように見えないのは当たり前のことなのである。


――ドアには鍵がかかってる……!


 303号室のドアノブを回すも当然開かない。万に一つ、人間に襲われている可能性もなくはなかったがこれで完全に消えた。後ろから、慌てて階段を駆け上がってくる雛子。彼女は息を切らしながら“一体どうしたの!?”と尋ねてくる。

 何も見えてないし聞こえていないが、それでも千夜の尋常ではない様子は伝わってきたからだろう。


「襲われてます、お姉さんが!」

「ええっ!?」

「何も聞こえないんでしょうけど、俺には聞こえてるんです、お姉さんの悲鳴が!」

「そ、そんな!」


 雛子が慌てて持っていた鍵で開けてくれる。千夜は靴を脱ぎ捨てると、転がるようにして家の中に飛び込んだ。

 音も悲鳴も、未だに聞こえている。どったんばったんと苦しむように藻掻く音。痛い、痛いと嘆く声が延々と。それがどんどん弱くなっている。


――場所は……っ!


 苺子は、押し入れに閉じこもっていると言っていた。ならば今もそこにいると考えるのが妥当である。声が聞こえる方、黒い霧が漏れ出す方にそれはあった。リビングの奥の押し入れ。その茶色の引き戸が、不自然に赤黒く汚れているように見える。


「苺子さんっ!」


 ひょっとしたら、ここで引き戸を開けると自分もその怪異とご対面!になってしまうかもしれない。そうなったら己も呪われる対象の仲間入りでは、なんてことを一瞬思った。たが、躊躇ったのはほんの僅かな間である。目の前で苦しんでいる人がいるのに、ほっておくことなんて出来るはずがない。

 引き戸に飛びつき、強引にスライドさせようとした。しかし、バスケで鍛えているはずの千夜の力でもぴくりとも動かない。まるで、ドアがピタリと空間に張り付いてしまっているようだった。


「あ、開かない……!」

「そ、そんなはずは……!押し入れに鍵なんてかからないのに!」


 絶句する雛子。彼女も引き戸を叩いて、中にいるはずの姉に呼びかけ始める。


「お姉ちゃん!お姉ちゃんそこにいるの!?ねえ!!」


 何も見えない、何も聞こえない彼女であっても、引き戸が開かないことは充分異常に映るはずだ。千夜と共に、一緒になって押し入れを開けようと奮闘する雛子。二人がかりでも、ぴくりとも動かない戸――これは駄目だ、と千夜は絶望的な気持ちで思った。

 これは完全に、人あらざるものの力が働いている。とすれば、その相手が立ち去らない限り開くことはないだろう。少なくとも、霊を見ることは得意でも祓う力はさほど強くない自分では――!


「わっ」

「きゃあっ!!」


 その瞬間は唐突に訪れた。黒い霧がしゅるしゅると引っ込んでいったと思った次の瞬間、バリバリバリ!という音と共に押し入れが開いていったのである。勢い余って、千夜と雛子は尻もちをつくことになった。

 見えたのは――押し入れの内側から、べったりと貼られた大量のガムテープ。先程のバリバリバリという音はそれが自分達の力で剥がされた音であったのだ。

 そして、ごろん、と中から転がり出てきたものは。


「いっ」


 鼻孔をつく、凄まじい血と排泄物の臭い。

 白目を剥き、苦悶の表情で固まった女性の顔。転がり出てきた彼女は――両足の足首から先が、引き千切られたようになくなっており。押し入れの中が、血で真っ赤に染まっていたのである。


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!お姉ちゃん、お姉ちゃんー!!」


 声も出せない千夜の隣で。雛子の悲痛な叫びが上がったのだった。

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