<26・決意。>
新興宗教団体の教祖というから、もう少し横柄に対応してくるかと思いきや。メールの文章だけ見れば紳士的な人物であるようだった。少なくとも、千夜や憐といった素人の高校生であっても礼儀を尽くすことを忘れるつもりではないらしい。
それによれば。秋風を止めつつ、神様を長期的に封じ込める方向を見つけたので協力してほしい――とのことだった。
『その方法については、明日にでもご説明させていただきます。お二人とも学校があると思われますので恐縮ですが、明日は休んで指定の場所まできていただきたい。教団が持っているとある土地を儀式場として準備しておきます』
ただし、と彼は続けた。
『秋風は私ほどではないにせよ、ある程度予知能力を持ち合わせた男。ほぼ確実に妨害が入ることが予想されます。できうるかぎりの防衛策を取ってお越しくださればと思います。よろしくお願いいたします』
明日の十一時。N駅の東口で待っていてほしい、そこから迎えの車をよこすというのだ。それを見た憐は、少しだけ渋い顔をしていた。
『どうするの、千夜クン。そりゃ、神様と秋風は止めないといけないけどさ。俺としては……この遠田って人をどこまで信用していいものかとは正直思うんだよ。儀式の方法もちゃんと教えてくれてないんだよ?ひょっとしたら、とんでもないやり方を押しつけてくる可能性もあるよ。そうなったら……車でで行くような辺境の土地なわけでしょ。俺達、拒否って逃げることもできないかもよ』
それは、千夜も少しだけ思っていた。協力者というからには、その方法を先んじて教えてくれてもいいものを、何故当日まで伏せておこうというのだろう。それに、そんな方法があっさり見つかるのなら、今日まで秋風を野放しにしていた理由がわからない。嫌な予感がしないと言ったら、少々嘘になる。それこそ、自分達を生贄に捧げるくらいのことを言いだすことは充分考えられる。
だが、それでも。
『……今の状況じゃ、俺達にできることなんか何もないんです』
千夜は、覚悟を決めることにしたのだった。
『霧生先輩、すみません。最後まで付き合っていただけませんか』
誰かが、代わりに世界を救ってくれるかもしれない――そんな期待なんてできない。知ってしまった以上、そして完全に無力な人間でもない以上、自分達にはそれをどうにかする義務があると思うのだ。
『いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!お姉ちゃん、お姉ちゃんー!!』
血まみれで、最悪の苦痛の中で死んだであろう苺子と。それを見て泣き叫ぶ雛子の姿が、今でも目に焼き付いて離れないのだ。
終わりにしなければいけない。全ての悲しい事を、悪い夢を。知った自分達が、やらなければいけないのだ。
――そういえば、雛子さんは大丈夫、なのかな。なんだかんだで連絡取れてない……。
帰宅した後。ごろんとベッドに転がって、千夜はスマホを見ていた。
姉が亡くなったあと、呆然自失状態だった雛子もまた一時病院に担ぎ込まれたのは知っている。一日入院したあとで退院して家に帰されたらしいのだが、その後どうなったのか完全に音沙汰ない状態だった。一応メールは送ったのだが、返信がないのである。本人が落ち着いて誰かと話せるような状態でない可能性は充分考えられた。
――電話、してもいいかな。心配だし。
遠い親戚で、どちらともものすごく親しくしていたわけではない。それでも、ニュースや液晶の向こうでしか知らない人と、実際に顔を合わせた事がある人が被害に遭ったのとでは大きく意味が違うのだ。
何かが違っていたら、そうなっていたのは自分だったかもしれない。
それこそあの時押入れが開いてしまっていたら、怪異の姿を見てしまったら。きっと自分と雛子も同じ状況に陥っていたはずなのだ。そうなったら、事件解決に動くことさえできなかった。完全に、今自分達が生きているのは幸運に幸運が重なった結果でしかないのである。
だからだろう。憐以上に、自分がなんとかしなければいけないと思うのは。自分や、自分の大切な人がまた被害に遭うかもしれないという危機感が強いのは。
『こんばんは、雛子さん。電話してもいいですか?』
LINEを送る。たまたまスマホを見ていたのか、すぐに既読がついた。しかし、返信が打たれる様子はない。まだ連絡をしてくる元気はないのかな、とそう思った時。
ぶるるるるる、とマナーモードのままにしていたスマホが震えた。画面に、電話の受話器マークが表示される。着信は、岡崎雛子。まさか向こうからかけてくるとは思わなかった。
「も、もしもし雛子さん!?」
慌てて電話マークをタップして、話しかける。電話をする時は、できればイヤホンを使いたい人間だった。慌ててベッド脇に転がっていたウォークマンからイヤホンを引っこ抜いた時、向こうから雛子の声が聞こえ始める。
『もしもし、千夜君?ごめんね、こっちから電話かけちゃった。料金のこともあるし』
「い、いえ!そんなことは全然気にしなくて大丈夫なんですが!」
通話料金。なんだか、そんな当たり前の言葉が出てくることに少しだけ安堵した。雛子の声は落ち着いている。そういうことを考えられるくらいには心の余裕が出てきたということなのだろう。
『何度もLINE送ってくれたみたいなのに……返事してなくてごめんね。やっと、少しだけ落ち着いてきたから』
雛子は心底申し訳なさそうに言う。
『本当は、もっと早く連絡しなくちゃと思ってたの。そもそも、同じものを見たのは私だけじゃないし、私が巻き込んじゃったのに……自分のことばっかりで、千夜君のこと全然気に掛けることができなくて。本当にごめんね』
「そんなこと、全然いいんですって!仲良しのお姉さんがあんな死に方して、ショック受けない方がどうかしてますから」
『ありがとう。千夜君、優しいんだね。……お姉ちゃんが生きてる間に、もっとたくさん話しておけばよかったな。お姉ちゃん、ホラーの話も大好きだったし……千夜君のお話を聞いたら、すっごく喜んだと思うんだけど。結構、おばけに遭遇するとか、そういうことが多かったんでしょ?』
「まあ、そうですけどねえ……」
やっとイヤホンジャックの接続ができた。雛子の声が最後の方にちょこっと途切れる。慌てていると、こんな簡単な作業もなかなか終わらなくなるものなんだな、と実感する瞬間。
『実は、私からも電話しようと思ってたの。千夜君、今回の事件について調べるために無茶してるんじゃないかと思って』
ぎくっ、と体が強張った。やっぱりバレてるよな、と思う。否、現時点では調べものに奔走したり学校をちょろっとサボったりしているだけで、そんなに無茶というほどのこともしていないけれど。
ああ、でも怪しい宗教団体に真正面から乗り込んだのは無茶と言えば無茶なのかもしれないが。
『なんとなくだけど君、真面目で責任感強いタイプじゃないかなって。……確かに、私はなんでお姉ちゃんがあんな死に方をしなくちゃいけなかったのか、知りたい気持ちはあるよ。真実を突き止めて、こんなことがもう怒らないようにしてほしいとは思う。でも……だからって、親戚の年下の男の子が酷い目に遭ったり、怪我したり死んだりするなんて絶対嫌なの。それは……わかるでしょ』
「……はい」
『だから。……もし、もしもだけど。君が私とお姉ちゃんのために危ないことをしようとしてるなら……それは、やめてほしい。お姉ちゃんだって、きっとそんなこと望まないよ。私が、お姉ちゃん助けて欲しいって言ったこと、それができなかったことを後悔する必要なんてない。お姉ちゃんが危ないものを見てあんなことになったなら……それは、お姉ちゃんの自己責任であって、千夜君のせいじゃないんだから』
「雛子さん……」
雛子の声が、段々涙で滲んでいくのがわかった。本当は、言葉にするほど割り切れたわけではないのだろう。何で大好きな姉があんなことになったんだ、と理不尽に思う気持ちでいっぱいのはずだ。そして、姉の仇を取って欲しいと本音では思っているのではないだろうか。
それでも。年上の大人として、言うことは言おうと、理性で蓋をしてそこにいる。他でもない、同じように傷ついているかもしれない千夜のために。
「俺、は……」
実のところ。憐にはああ言ったが、まだ迷う気持ちもあったのである。本当に、遠田のところに二人で行っていいものか。自分はともかく、本当の本当に憐は完全に巻き込まれた立場だ。ここで彼に危険が及んだら、という不安もあったのは事実だ。
それに千夜だって。自分がヒーローなんてガラではないことは自分が一番よくわかっているのである。世界を救うために、たった一人の犠牲者になるために手を挙げられるような人間ではない。人並以上に恐怖もある。自己保身の気持ちも、虚栄心も、他力本願になりたい気持ちも。本当は、今からだって逃げ出せたらどんなにいいかと、ずっと思っていたのだ。
でも。
「俺は、大丈夫ですから」
雛子の言葉が、千夜の気持ちを固めた。
彼女のためにも、この事件を終わらせなければいけないと決意させるには充分だったのだ。
「雛子さんは心配しないでください。確かに、事件についてちょこちょこ調べてみてはいますけど、それだけです。何とかしてくれそうな人をやっと見つけて、明日会いに行くところなんです」
『そう、なの?』
「はい。危ないことなんか、何もしてないです。学校をこっそりサボちゃっただけで」
そう、少なくとも今はまだ危ない事なんて何もない。これから先がどうであったとしても。
「心配しないでください。また今度、一緒にご飯でも食べに行きましょーよ。高校生のお財布で払えるくらいのものなら奢りますから!」
自然と、笑みがこぼれていたのだ。
単なる虚栄心ではなく、心の底からの。




