<24・襲来。>
御影千夜と霧生凛。彼等が“本物”であるのは濱田にもすぐに分かった。ただの調査だけで、自分達のところに辿りつくのは相当困難であるからだ。チギル村のことも知っていたようだし、霊能力者として本物かどうかは見るだけである程度わかるものである。ゆえに、一般人だとしても協力体制を築くべきだ、と濱田は判断したのだった。
遠田には、とりあえず千夜と凛については伝えてある。ただ、ある程度の予知能力を持っている遠田にはある程度予想がついていたのか、「彼等にはまた追ってこちらから連絡します」というメールの返事が来ていた。遠田のことだ、濱田にも見えていない何かが既に見えているのかもしれない。――自分も魔術師、なんて呼ばれて幹部の一人に数えられているが。正直、自分達と比較しても遠田の力は別格と言わざるを得ないのだ。
だからこそ、遠田にも完全に浄化できない怪物の力が異常だと言わざるをえないのだが。
――お前は、何をするつもりなんだ……秋風。
思い浮かべるのは、秋風英の姿だ。
組織への在籍期間を鑑みるなら、どう少なく見積もっても既に四十代であるはずの彼。しかし、まるで時が止まったかのように老いない男だった。彼を見て、中年の領域に至る人物だと思う者はそうそういないだろう。もういい年なのに、未だにお酒を買う時に免許証の提示を要求されるんですよねえ、なんて笑っていたのはいつのことであったか。
若々しく、活気があり、誰よりも遠田に忠実だった。教団に在籍することにしたのも、彼もまた遠田に力を見出された恩があるからだと聞いたことがある。
そもそも、教団で魔術師として在籍することになった幹部たちは、殆ど皆似たような境遇だった。人あらざる力を持つがゆえ、社会に迎合できずにあぶれていた者達。あるいは、その力を思う存分発揮できる職場を求めていた者達。幼い頃からポルターガイストを起こしてしまう常習犯だったという秋風も、まさにそういう一人であったと聞いている。彼は珍しく、サイコメトリとサイコキネシスの両方の力を持ち合わせた能力者だった。霊能力というのも、どちらかというと霊をサイコメトリで察知しているような能力だったと聞いている。
『多分、私と皆さんでは霊を見るためのチャンネルが違うんでしょうね。だから同じ霊を見ても違うものが見えたりするし……生きた人間もそうなんです』
彼はからからと笑ってそう言った。
『私は、人の美醜には興味がありません。それよりも、魂の美しさに感心が強い。例えば、私は教祖様のことを深く敬愛していますが……それは彼がとても美しい魂をお持ちだからというのもあるのです。ベールで覆い隠された肉体の美醜は関係がありません』
『生きた人間の魂か。それは、私にはよく見えんものだな……』
『そうでしょうとも。多分、私がそういう方法で人を見るのが得意というだけでしょうから、そこはあまり気になさらなくて良いかと。……この教団で崇めている神様に関しても同じことを思っているのです。あの御神体には、まったく同じ姿の神が宿っている。そうですよね?』
『ああ、そうだな。実際に直視したことはないが』
『私もその肉の器を見たことはありません。でも、魂は見える。……それが、どれほど美しいかたちをしているのかも』
彼はまるで、恋する乙女にでもなったかのようだった。耐性があるがある濱田でさえ、御神体のあの姿は醜悪で恐ろしいものだと感じるのに。秋風は、そんな人が本能的に抱くような恐怖など一切持ち合わせていないとでもいうような顔をして微笑んでいたのである。
『あの神が何を望んでいるのか、私にはわかります。あれは、まだ幼い子供のような存在なのです。本当は、母にただただ愛されたかった……ニンゲンの子供のように。しかし、母は自分の命と引き換えに命を落としてしまい、生まれて早々抱かれることもなく孤独になってしまった。ゆえに、母から受け継いだ憎悪を晴らすことしかできなかったのです。あまりにも純粋無垢で美しい魂ではありませんか。彼はただ、愛されるために母の望みを叶え続けているだけ。村人たちを殺しても止まらなかったのは、他に愛する方法を知らなかっただけのことなのですよ……』
なんとも悲しいですね、と言いながら。彼は憐れむわけではなく、ただただ慈しみの眼を向けていた。あの醜悪な姿の御神体に対して、ひたすら親にも近い愛情を向けていたのである。
一人の男性として見るならば、秋風は充分に整った容姿をしているだろう。それこそ、二十代の俳優だと言っても通りそうなほどに。そんな彼が、恋する乙女のようにあの御神体を見ている。その光景を、濱田は少しばかり恐ろしく思っていたのだった。
あの事件で命を落とした幹部たちを含めて、元々教団にいた幹部=魔術師は七人だった。その七人の中で、最も強い力と忠誠心を持っていたのが秋風である。彼はその力の強さもさることながら、忠誠心の方向性という意味でも異質だったと言えよう。何故なら、多くの幹部や信者達が遠田に忠誠を誓っていたのに対し、秋風は遠田のみならず神そのものに深く忠義心を抱いていたからである。
勿論、それは間違ったことではない。ただ、そもそも遠田は神を鎮め、自分の望む方向へと浄化するためにこの地へ持ち帰ってきた霊能者である。万が一、神が遠田の手に負えなくなった場合秋風はどうするのか――今思えば、この状況は必然であったのかもしれない。
神を手放し、地中不覚に埋める。そんな行為に、秋風が共感するはずもなかったのだから。
――秋風。……神を本気で救い、浄化したいと願うお前の気持ちはわかる。多少の犠牲を払うことで、民衆のことをも救えるから何も問題ないと本気で思っているのだろうということも。
だが、と濱田は拳を握りしめる。執務室へ進む足を速めた。教団の幹部として、やるべき仕事は山のようにある。のんびりとヒマを潰している時間は自分にはない。
――だが、お前がしようとしていることは他人に犠牲を強いる。神を救えれば命を捧げてもいい、人様の平和のためなら死んでもいいなんて多くの民衆は思わない。それは、生贄羊の群れに己が紛れないと知っている人間の考え方なのだから。
元より、濱田は彼と違って神への忠義心はほとんどない。ただ、敬愛する遠田が祀る神様だから自分達も信仰しておこう、くらいの気持ちである。幹部の殆どは自分と同じだろう。あるいは、その神様になんらかの願いを叶えてもらいたいという欲望を胸に抱く者もいなかったわけではないだろうが。
――仮にお前一人、清らかな心で神を祀ることができたとて。……恐らく、神の完全な浄化よりも前にお前の寿命が尽きる。そのあとどうするつもりだったというのだ?……お前が思うよりずっと、普通の人間は強くもなければ清らかなものでもないというのに。
とりあえず、神をどう封じるかについては一端遠田に任せることにしよう。自分がするべきことは、一刻も早く秋風の居場所を突き止めてコンタクトを取ることだ。
彼はアルマの鳥の教祖でありながら、教団本部にいることがほとんどないとわかっている。世界中を回って何かをしているらしい。布教活動に勤しんでいるのか、あるいは別の“探し物”でもあるのかはわからないが。おかげで、本部に行っても大概蛻もぬけの殻、本人と接触できる機会が殆どないのが実情だった。
秋風の儀式を止めると決めた以上、本人を拘束するか、少なくとも説得を試みるべきだろう。かつては濱田のことを教団の先輩として慕ってくれていた秋風だ。自分の話なら、多少は耳にを傾けてくれる可能性がある。せめて少しでも、被害を軽減できるように話を付けなければ。
そう思って廊下を歩いていた、その時だ。
「は、濱田様!」
向こうから、慌てたように女性が走ってきた。カウンターの受付嬢だとすぐにわかった。
「じ、実は濱田様に、お客様が……」
「ん?さっきの彼等が戻ってきたのか?」
「い、いえ。別の方です、実は……」
続く言葉を聞いて、濱田は慌てて廊下を引き返していた。さっきとは別の応接室へと急ぐ。まさかのまさかだ。探していた人物が向こうから出向いてくるなど、どうして想像ができただろう。
「秋風!」
勢いよく扉を開く。黒い革張りのソファーに、ゆったりと座る男の姿が見えた。やや襟足の長い黒髪、細身の体躯。後姿だろうと見間違えるはずがない、自分がずっと探していた彼だ。
「ああ、お久しぶりです濱田さん」
彼はドアの開閉音に気づいて、すぐに立ち上がった。そして相変わらずの笑みを貼りつけて、紳士的に一礼してみせる。
「先客がいらっしゃるという話だったので、少しばかり寛がせて頂いておりました。これは失敬」
「お、お前……!何故自分から……」
「おっとその様子だと……私に避けられていたことには気づいてらっしゃったようで。ええ、私もあなたや遠田様の前に姿を現すつもりはなかったのです。のらりくらりと逃げていればそれで充分でしたから。私としても、いくら袂を分かったとはいえ古巣の皆様と争いたいとは思っていませんでしたからね」
彼の能面のように整った顔に、僅かばかり残念そうな色が浮かぶ。
「ですが、少しばかり状況が変わってしまったようです。……あの少年達は、いただけませんね。神様の母親とも年が近いですし。いくら皆様が私の考えに賛同してくださらなくても、決定的に邪魔する方法がないのでしたらほっとけばいいと思ってたんですが」
あの少年達?濱田は困惑する。心当たりはあの二人しかない。千夜と憐の存在を、秋風が把握していたというのか。確かにこの男の力ならば、強い霊能者の存在をいち早く察知していてもおかしくはない。しかし、神様の母親と年が近い、というのは?それが何か関係があるというのか?
頭の中で、ガンガンと警鐘が鳴っている。何かとてつもなく、嫌なことが起きようとしているような予感。
「彼等の存在は、少々困るのです。我らが神に、まやかしの安らぎなど与えられては……本来の姿や力を取り戻せなくなってしまうではないですか」
「ど、どういう、意味」
「おや、貴方は気づいてらっしゃらない?ならば好都合。気づかないうちに……終わりにして差し上げることができそうです」
何を言っているのだろう、彼は。混乱する濱田に、秋風はつかつかと歩み寄ってくる。
そして、耳元に口を近づけて、囁いた。
「――――」
一気に、全身から力が抜けた。がくがくと体が震えるのが止められない。背中から冷たい汗が噴出するのがわかった。
今の声。
今の言葉。
理解してしまった。今の言葉は、今の言葉は!
「かつての神ならば、この言葉を聞いても貴方は耐えられたのでしょうけれど……今はもう、私だけが祭祀ですから」
秋風の笑みが、ぐにゃりと歪んだ。
「さようなら、濱田さん」
次の瞬間。濱田の足を、見えない手ががしりと掴んだのである。




