<19・因習。>
浄罪の箱を作った遠田寿について、濱田が知っていることはそう多くはない。
日頃から目に入る霊現象に悩まされていた濱田の才能を買って、この教団に誘ってくれたのが遠田であった。自分の力を生かせる職場を用意してくれたという意味では、間違いなく遠田は恩人である。いかんせん、今までは嫌でも目に入る浮遊霊や地縛霊が気になってしまい、ちっとも一般企業での仕事に集中できずに転職を繰り返してきたものだから。
その遠田の素顔を、濱田は見たことがない。
何故なら彼はいつもローブを着こみ、仮面のようなものを身に付けていたのだから。声からして、自分と同じ中高年の男性なのだろうということ、大体濱田と同じくらいの身長なので背丈が175cmくらいだろうということだけはわかっているがそれだけだ。出逢った時から遠田はそういう格好で、儀式の時と一部の人事の時だけ自分達の目の前に姿を現す存在であったのである。
遠田寿のことを、教祖様と呼んで崇める者は少なくない。
彼は霊能力者としても超能力者としても本物だった。信者の体に霊を下ろして会話することも、千里眼の力で遠くを見通すことも、手を触れずに物体を動かすこともできた。これは、超心理学の観点からすると非常に珍しいことだと言われている。大抵、“人が知らないものを知ることのできる力=ESP”と、“手を振れずに物体に影響を与える力=PK”を両方持ち合わせている人間は極めて稀であるからだ。
『私自身には、何も特別なことはない。……否、私はずっと自分を特別なものと思い込んできたが、それが間違いだったと気づかされたのだ……神と出逢うことによって』
かつて、遠田は濱田にそのように語った。
『神の力の偉大さ、その恐ろしさを知れば君もわかるであろうよ。あれらの存在を比べれば、自分などなんと矮小なものであるか。人間は、所詮人間なのだ。どれほど精神が逸脱したところで、完全にその枠組を外れることなどできないのだとも。私はそれを思い知ることができた……そういう意味では、選ばれた存在と言えるのかもしれぬな』
現在の彼がどうであるかはともかく――元々の遠田が、正義感に満ち溢れた存在であっただろうことは想像に難くない。というのも、彼がチギル村と呼ばれたその村に赴いたのは、その村に祟りを齎したという悪霊を浄霊するためであったのだから。
あの村で起きた事件の全容は、当時の警察組織の圧力によって殆ど揉み消されてしまったと聞いている。というのも、村の淫習を利用して甘い汁を吸っていた人間は、警察や政治家などにも数多く及んでいたからだ。今、情報として残っているのはそれら潜り抜けた一部のゴシップ記事にとどまるという話である。
確かに、その土地には昔から伝わる土地の神様がいたという。名前もないような、けして力の強い神様ではなかったようだ。そして邪神というわけでもなかった。それこそ、村にお地蔵様や小さな社のようなものがあって、時々村人が思い出したようにお参りをしたりお供え物をしたりする程度の土地神であったという。
だが、その神様に名前をつけ、悪用した愚か者たちがいたのだ。濱田は教団設立に関わったメンバーではないので当時のことは遠田や古参の者達から伝え聞いたばかりではあるが――いやはや、なんとも吐き気がする話だと思ったものである。
『恋が先か、欲が先か。人間の本能を考えるなら、どちらが先とは言い切れぬが』
遠田は、苦い感情をくっきりとにじませた声で言ったのだった。
『元々は村の有力者の息子が、村で一番美しい女にフラレたことから始まったそうだ。なんともありがちな昔話と言えるな』
『色恋沙汰が、淫習に繋がってしまったと?』
『その通り。横暴で高慢な性格の男を、娘は良しとはしなかった。そもそも女は既に結婚していて子供もいたのだから、仮に男が人格者だったところで結果は同じであっただろうがな。……男は、夫と別れようとしなかった女に激怒した。そして、逆恨みの結果とんでもない罰を下したのだ。祟りに見せかけて、女の夫を虐殺したのである』
しかも、その当時丁度たまたま続いた天災――恐らく、雨が少なかったがために起きた凶作と思われる――を祟りのせいということにした。村の神様が、自分を敬わない村人たちに怒って天罰を下したのだと。
有力者の息子は、村長たちと結託して祟りを捏造した。凶作に困り果てていた村人たちは、さらに村の若者の無惨な死を見て恐怖し、息子の言うことを信じてしまったのである。息子は言った――祟りを鎮めるには生贄が必要だと。そして、泣いて抵抗する女から子供を引きはがし、無理やり神様への生贄として捧げたのである。
正確には、その子供をこっそりと村の外に売り飛ばしたものと推察される。
精神的に追い詰められた女に、息子は囁いたという。祟りがこれで収まらなければ、それはお前のせいだと。収まるまで生贄を捧げなければいけない。そのためには、赤ん坊の命が必要だと。
『しかし、もう彼女の夫はいない、ですよね』
『その通り。つまり本来要求されたのは赤ん坊の命ではなく、女の体だったということ。……息子が女を手籠めにする理由をでっちあげたというわけだな。子供を産むために自分に抱かれろと言ったわけだ』
そのあと、女がどれほど無惨な人生を送ったかは想像するだけで恐ろしいことである。祟りを収めるために自分が働かなければ、村に居場所はない。皆が、自分のせいで祟りが起きたと信じてしまっているのだから。
女は毎晩のように抱かれ続け、やがて身ごもって赤ん坊を産んだ。雨が降るようになってからも、祟りがまた起きないようにという名目で産まれてすぐに赤ん坊は売り飛ばされた。そして、休む間もなくまた抱かれ、再び身ごもるということを繰り返した。当然、妊娠と出産を繰り返し続けて、女の心身がもつ筈がない。彼女は最終的にミイラのような有様となって死んでいったと言われている。
だが恐ろしいことに。その頃には、男達がでっちあげた“子供の命を要求する恐ろしい神様とその風習”はすっかり村に根付き始めてしまっていたのだ。子供を産む“担当”だった女が死んでしまった。となれば、次の生贄には別の子供を用意しなければいけない。――村の有力者たちは、悪魔となった。神様などいないことを知っていながら、女たちに子供を産むことを強要しはじめたのである。時には、レイプまがいの行為にさえ及びながら。
『神様に捧げるための生贄を産ませる。これは、村を護る為の行為。……そういう理由で、あらゆる性的な暴力が肯定されてしまったというわけだ。そのおこぼれに預かったのは村の男達ばかりではなかった。時には乱交パーティーのようなものに、近隣の警察官や議員たちまでもが参加していたという。それは、好きなだけ美しい女を抱いて欲望を発散できることと同時に、共犯者とすることによってこの村で起きていることを見て見ぬフリさせる目的もあったようだな』
小さな子供と女にとっては、地獄のような状況が何十年、ヘタすれば百年以上も続いたとされている。
そんなある日。一人の村の少年が立ち上がったという。
当時十四歳の彼は、名前を柏清蓮と言った。清蓮は、生まれつき人の心を見通し、千里先の出来事を知るという特別な力を持っていたという。さらに、村のどの女達と比較しても見目麗しい容姿を持っていた。多くの女性達に可愛がられると同時に、男達からは妬まれ恐れられる人物であったという。
彼は幼い妹が生贄にされ、母親が自殺したことを契機に動き始めた。元々違和感を覚えていた村のシステムに対して、自らの力を使うことで真実を突き止めたのである。
このようなおぞましい仕組みは壊されなければいけない。村の女たちと子供達の未来を守らなければなるまい。彼はそう考え、真実を村人たちに暴露すると同時に女達を村の外へひそかに逃がし始めたのだった。
だが、そんなことをすればすぐに露呈するというもの。村の女子供を全て逃がすよりも前に、彼は村の男達に捕えられてしまった。
『村の男達はさぞかし焦っただろう。女たちがよその村や町に逃げてしまえば、自分達が口を封じている警察などの公共機関の手が及ばない可能性がある。そうすれば、自分達が今までやってきたことが外部の人間に漏れ、ヘタすれば国が動く事態にもなりかねない。そうなれば、自分達はみな破滅である、と』
とにかく、逃げた女たちの居場所を吐かせなければ。村の男達は清蓮を拷問した。美しい彼への嫉妬や憎悪もあったがゆえ、その内容は苛烈を極めたという。
終いには、彼を女のように強姦して辱め、さらには足を切り落とすという惨たらしい所業を行った。だが、それでも美しい少年はけして自らの正義を悔いることはなく、逃がした女達の行方を吐くこともしなかったという。そして。
『貴様らのような腐ったブタの仲間になるくらいなら、潔く私は死んでやる!だが、ただで死ぬと思うな。貴様らには今まで苦しめてきた女達の分まで、苦しんで苦しんで苦しみ抜いて死んで貰うぞ。ああ、そうとも、この命をもって呪い殺してやろうぞ!楽しみに待っているがいい!!』
恐らく。
この時彼は、ずっと見守ることしかできなかったこの村の土地神とちぎりを交わしたのではないかと言われている。少年の腹が、日に日に膨らみ始めた――まるで妊婦のように。そう、彼が身ごもったのは自分をレイプした男達の子供ではなく、文字通り神の子であったのだろうと。
だが、男の身であることを抜きにしても、神の子なんぞを孕んで人間が無事で済むはずがない。ただでさえ彼はたびかさなる拷問や暴力で死にかけていたのだから尚更に。
少年が事切れると同時に、はちきれんばかりに膨らんだ腹が割れた。そして、その中から現れた者こそ――彼の力と神の力を受け継いで産まれた、まったく新しく恐ろしい神であったのである。
その姿を実際に見たことがあるのは、教団でもただ一人、遠田寿のみ。自分でなければ、あの存在を直視しただけで肉体と精神が崩壊していただろう、と彼は嗤った。
『母親の意思を受け継ぎ、新たなる邪神は村の男達を虐殺して回った。正確には、全員の足を引きちぎって回ったのだ。あれは、足をちぎる=激痛の中で死ぬ、ことを目的としたもの。恐らく少年は、ただ殺すよりも長い苦痛に苦しませる方がよほど天罰になると考えていて、産まれた神もそれを受け継いでいたということなのであろうなあ……』
だが、強すぎる力は溢れ出し、標的の村人たちを全て殺した後も暴走しようとしていた。それを察知して村を訪れた人間こそ、遠田寿であったというわけである。
寿は、邪神の姿を象った御神体に神を封印した。だが、完全に鎮めることができたわけではない、と遠田は言う。
『私のような矮小な人間では、神に頼み込んで御神体の中で眠って貰うのが精々であったのだ。……頼み込むというのはつまり、契約を交わすということ。神の怒りを鎮めるための儀式を続け、正しくお祀りすることでこれ以上の被害を防ぐというものだ。できれば、私は可哀想な少年の霊がこれ以上地獄のような地上で苦しまないよう、そしてその落とし子もまた安らかに少年の元に行けるよう、浄化してやりたかったのだがな……』
その儀式とは。神を祀った像に、定期的に“足”を捧げること。
像からは、どうしたところで神の力が溢れ出ている。そして、神の姿を直視して平気なのは最初に契約を交わした遠田のみであり、神の像を見ても祟りを受けないのは神に供物を捧げる“祭祀”として登録された教団の幹部たちのみである。
遠田と、幹部たち。それぞれが交代で、定期的に動物や虫の足を捧げてお祀りし続けることで神の被害が現代社会に及ばないようにしていた。最初は、この教団はそういう組織であったのである。
だが。
――いつからだろう、歯車が狂ったのは。
教団が大きくなり、資金が必要となり、そして人々の欲が集まるようになったことで何かがおかしくなったのだ。
――そう、誰かが気づいてしまったからだ。……神は、供物を捧げることで願いを叶えてくれる存在であると。




