<11・愚痴。>
どうやら、事の緊急性は高校生二人にも充分伝わっていたらしい。比較的すぐに調査に動いてくれたことは、神主というより、霊能者としてそれなりに忙しい典子にとって僥倖だったと言って良かった。おかげでこちらが調べなければいけないことが大きく絞られたのだから。
特に、徳永建設という名前がわかったことは大きかった。ネットに疎い自分一人では、そこまで辿りつくのにも相当時間がかかったことだろう。
「あんた達は知らなかったでしょうけどね。私のところにオカルト絡みで相談に来る人って少なくないの。建設業界や不動産業界って特に多いのよ……変なもの掘り起こしちゃったとか、社壊しちゃったとか、それで憑りつかれたかもしれないっていうのはね」
既に時刻は八時を回っていたが、典子はまだ店じまいできない状態だった。この後、相談の予約が入っていたからである。今は隙間時間に、千夜に折り返し電話を入れている最中だった。
時期が時期なだけに社務所の中はそれなりに寒い。暖房の温度を少しだけ上げることにする。
「徳永建設の人からも相談入ってたことがあるのを思い出したわ。相談者のリストに名前残ってたから、さっき連絡とってみたんだけど」
『え!?徳永建設の人って、全員亡くなったんじゃないんですか!?』
「殆どの人が亡くなってたけど、徳永建設の人が“何か”を掘り起こしてから火事の日まで、その社員さんは育休で休んでたから無事だったのよ。多分、呪いの本体を見なかったし、触ってもいないからだと思う。……そう考えると、少し呪いの範囲は限定的に考えても良さそうかしらね。呪物に直接関わらなければ、同じ組織に所属していても祟りの対象にならないんだわ」
育休を取っていた男性社員だったが、休みの間に同僚と電話で話をすることは何度かあったという。その殆どが会社の取り留めない愚痴のようなものだったが、その会話の中で“社長の両親の家”についても触れられることがあったそうだ。
住所は、東京都××区●●町の六番地。旧徳永邸。老夫婦が住んでいたとは思えない、かなり立派な日本家屋が建っていたという。残念ながら今はすっかり取り壊されて更地になっており、そこにマンションが建つだの建たないだのという話になっていたようだが。
『流石典子さん!住所まで調べてくださるなんて、流石です。とりあえず、その近辺には土日にでも憐と一緒に行ってみることにしますね』
「頼んだわ」
本来ならば、一介の高校生をあまり危険な場所に送り込みたくはない。それでも典子が彼等の調査を止めなかった理由は、紛れもなく“猫の手も借りたい”状態だったからに他ならなかった。
日本に自称霊能者、は多くても、実際に何かを見たり祓ったりできる本物は極めて少ないときている。“鬼殺し”の新倉焔あたりは有名だが、現在彼は日本にいるのかいないのかもわからない状況。昔と比べて、神職でさえ実際に霊感を持つ人間は少なくなってきている始末だ。
勉学として、退魔法を習うくらいのことは誰にでもできる。しかし、九字切ったからって誰でも悪霊にダメージを与えられるというわけではないし、残念ながら素質に頼るところは大きい。そして素質があったとしても、ちゃんとした訓練を積まなければまともな戦力にならないことは少なくないのだ。
ゆえに。
彼等に助力を頼ったのは、他でもなく彼等が“本物”と認識しているからに他ならないのである。きちんと訓練していないので荒削りだが、素質だけ見ればピカイチだろう。二人合わせれば、それなりの力を持つ悪霊であってもある程度対抗できるに違いない。千夜はともかく、まさかぶん殴って本当に除霊できる憐のような能力者がいるなんて思ってもみなかったことだが。
――一応、ウチと繋がりのある神社には一通り連絡回しておいたけど。それでも、あの子達が情報見つけてくる方が早いかもしれないし。
彼等がこんなに早く重要な情報を手に入れられたのも本人達の第六感が無自覚に働いているせいだと思っている。彼等ならば、目の前に突然降臨しない限りそうそうネットの海でも“知ってはいけない言葉”をキャッチしてしまうことはないだろう。
「それで、その旧徳永邸のことなんだけど」
受話器のコードに指を絡めながら、典子は話を続けた。
「育休中だった社員の……増岡幸助さんは、同僚から例の土地について結構愚痴られていたらしいわ。社長が引き継いだ土地だって理由で、他の案件後回しにして最優先で着手させられてる、仕事をめちゃくちゃ急かされてるって。元々、借金も会社絡みじゃなくて、本人のギャンブル癖で作っちゃったものだったみたい」
『ってことは、徳永建設の社長さんってあんま評判良くなかったんですかね』
「んー、人徳がなかったわけじゃないみたいよ?近所では、気立ての良いオジさんだって評判だったみたいだし。ただ、お金の使い方が壊滅的に下手だったのと、あんま冷静に物事を判断できる人じゃなかったから……あんまり社長としては才能がある人じゃなかった、みたいなこと言ってたわね。優秀な専務や常務がついてたから、今まで会社が回ってたって」
しかも、社長命令で慌てて取り壊した家の地面から変なものが出てきたとあっては、社員たちもそりゃげんなりするというものだろう。
「何が出てきたのか、詳しいことは増岡さんも聞いてないんですって。というか、電話をしてきた時点では同僚さんも本体を見てはいなかったみたい。ただ……それを見た社長と専務が二人同時に慌ててて、口をそろえて『やばいものに違いない』って言ってきたのが印象に残ってたんだそうよ。いつも冷静な専務が相当焦ってる様子で、本来ならばやってはいけない『見なかったことにしよう』作戦にめちゃくちゃ積極的だったっていうから」
霊感がない人間であっても、本能的にヤバさを感じる物体は世の中に存在するものである。あるいは、その物体そのものが生きた人間に己の存在をアピールしてくることもある。
彼等が揃って「これはまずい」と思ったということは、よほど面倒なものだったのは間違いなさそうだ。
「昔の土地の所有者を調べろと言われたり、かつて一般に売りに出される前に土地を所有していた『浄罪の箱』について調べろと言われたりと、余計な仕事が増えて散々だと言っていたそうよ」
『浄罪の箱っていうのが、ひょっとして……』
「そう、かつて土地を所有していた宗教団体の名前ね。私もちょっと聞いたことがないんだけど……二人でそっちも調べてくれると嬉しいわ」
本当に、増岡氏が同僚の愚痴の内容を詳細に覚えてくれていて助かった。というか、実は増岡氏も典子にもう一度相談しようか迷っていたところであったという。今のところ自分には何の異変もないが、小さな子供もいるし、万が一祟りを受けてしまっては困ると。転職先を急いで探さなければいけないだけでも大変なのに、オカルト的な悩みまで抱えたくないから助けて欲しいと。
そのおかげで、こちらの調査も非常にはかどってしまったわけだが。一応、明後日にこちらに来てくれることにはなっている。電話の様子からして今のところ本人は大丈夫だろうが、やはり不安というのもはあるのだろう。
「そもそも、旧徳永邸については良くない噂もあったってわかってから、あんまり関わり合いになりたくないってみんな思ってたみたいね」
増岡氏は直接の担当ではなかったので、同僚が愚痴ってくれた範囲でしか知らないが。
それでもその同僚によると、徳永邸では昔から怪奇現象が少なからず起きていたという。夜中に物の位置が動いているくらいなことは当たり雨、ラップ音がするくらいのことはしょっちゅう起きる。トドメが、徳永氏の父親の認知症が急激に悪化したことだという。元々穏やかな人物だったのに、末期頃には「我が家には神様がいる、生贄を捧げなければ祟られてしまう」とよくわからないことを喚くようになっていたのだとか。近所の野良猫を捕まえて足を切り落とそうとするのを、どうにか家族や知人で止めたといったこともあったそうで。
その言葉の内容的に、父親がなんらかの怪異の影響を受けていたのは間違いないだろう。とはいえ、彼の父親も母親も亡くなったのはそれぞれ九十歳と八十八歳である。祟りで死んだ、というには少々年が行っているのが難しいところだ。
『ってことは、徳永家から露骨におかしい死人が出たわけではなかったんですね』
電話の向こうで、千夜が少し困ったような声を出した。
『とすると、土地そのものが祟られているというのにはちょっと根拠が弱い、ような。ラップ音とかポルターガイストって、必ずしも悪霊の仕業とは限らないからなあ。人が無意識に超能力でやってるケースとか、地盤沈下でそれっぽい現象が起きるってこともあるし』
「ええ、そうね。ただ、亡くなる直前のおじいさんの言葉と様子は……ちょっと今回の事件と無関係とは思えないでしょ?神様、らしきものが土地に埋まっていたのは事実だから、影響が出ていたのは確かだと思う。恐らく、土地に埋まっていた呪物の封印が少しずつ解けてしまっていて、近くの人間に影響が出たのではないかしら」
『まあ、そうですよね……』
徳永家の前に住んでいたのは、鹿島家という家族だった。格安で売りに出されていた家を買い、家族六人で暮らしていたという。
が、この鹿島家はせっかく買った家をたった二年で手放してしまっている。理由は、その家の中学生の一人娘が心の病になってしまったこと。引っ越してきてからすぐに娘の様子がおかしくなり、リストカットならぬ“フットカット”を繰り返すようになったそうだ。つまり、カッターナイフで自分の足を傷つけるという自傷行為をするようになったのである。それまでは明るく元気な普通の少女であったにも関わらず。
その娘のことを心配してか、鹿島の家は早々に引っ越してしまっている。噂によれば有名な霊能者に“娘さんが病んだのは土地のせいだから引っ越した方がいい”と助言を受けたからではないかということだ。
「何で土地が格安になっていたのかといえば、その鹿島家の前に住んでいたご老人がおかしな死に方をしているからなのよね。中島さん、というおじいさんだったみたいなんだけど……ゴミ屋敷を作った挙句、部屋を儀式場みたいにしてしまっていたとかで。オカルト趣味満載の部屋で変死していたから、土地そのものが気味悪がられたって」
『うへえ……』
「残念ながら、私が増岡さんから聞けたのはここまで。これ以上のことは、貴方達の方で実際に足を運ぶなり、宗教団体について検索をかけるなりして調べてくれると助かるわ」
とりあえず、自分が知れた情報についてはひとしきり伝えた。他にも何か出てこないか探ってみるつもりだが、これ以上の調査は彼等の方が得意だろう。
「とりあえず、今日は時間も時間だし、どこかに行くなら明日以降にしなさいね、あんま夜遅くまで出歩いちゃ駄目よ」
『はい、おやすみなさーい』
良い子の返事をする千夜に満足げに頷いて、典子は受話器を置いた。さて、もうすぐ八時半――ここからが大一番である。
典子は椅子に座り直した。恐らく今日相談に来る人物は、相当せっぱつまっているだろうとわかっていたがゆえに。




