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公式企画

勇気の代償

作者: 夏月七葉

 ――勇気なんて、出さなければ良かった。


 冷たい床に膝をついたマサトは、手にした剣を力なく下げ、恐怖に染まった双眸で正面を凝視した。

 そこにあるのは、何処までも黒一色の巨大な闇の塊。ゆっくりと渦巻くそれは輪郭も曖昧に、しかし確実に存在している。


 少しでも触れたら丸ごと吞み込まれてしまいそうな、そして吞み込まれたら最後、生も死もない、想像すらできない何かが待っているような、漠然とした、それでいて強い恐怖が見る者の胸に迫る。


 それが一体何なのか、果たしてこの世に判る者がいるのだろうか。

 ただ一つ知っていることとすれば――


 それはつい先刻まで〝魔王だったもの〟ということだけだ。


   *


 日本の極一般的な家庭に生まれたマサトは、極普通に育ち、極普通の高校生活を送っていた。

 友人はそれなりにいて、成績も平均値。普通に遊んで、普通に勉強して、高校生活を謳歌し、手の届く範囲の大学に進学するつもりだった。その先もきっと、何処にでもあるような会社に就職して、平均的なサラリーマンになると思っていた。

 これまでも、そしてこれからも。特別高位でもなく、底辺でもなく、普通の日本人として一生を終えるのだと信じて疑わなかった。


 高望みはしない。落ちぶれもしたくない。

 平々凡々で良いのだ。いや、平々凡々が良い。

 ずっと、そう思っていたのに。


 ある日の放課後、児童公園の前を通りがかった時に出合ってしまった。


 公園から転がり出てくる青いボール。

 それを追って駆け出す少年。

 そこに迫る、公園の前だというのにスピードを落とさないトラック。


 その光景を目にして、一瞬でも思ってしまった。

 あの少年を救うことができれば、自分はヒーローになれるのではないか、と。


 直後、マサトの身体は自然と動いていた。


   *


 気がつくと、マサトは見知らぬ場所にいた。

 大きなベッドから身を起こしてみると、そこは広い部屋だった。落ち着いた雰囲気だが、調度品などはどれも高級品のように見える。


 どうしてこんなところにいるのだろう。寝起きのぼんやりとした頭で考えるが、靄のように思考が散って纏まらない。

 掌に違和感を覚えて開いてみると、見慣れた赤い石のペンダントがあった。昨年亡くなった祖母に貰ったものだ。お守り代わりにいつも持ち歩いている。

 その石の食い込んだ跡が掌についているから、ずっと握り締めていたのだろう。傷はついていないようだが、少し痛い。


 そうこうしている内に、入り口の扉が開いてメイド姿の女性が部屋に入ってきた。彼女はマサトを見るなり一瞬目を見開いて、すぐに頭を下げる。


「お目覚めになられましたか。では、お支度をお手伝いさせていただきます」

「……はあ」


 訳も解らずとりあえず返答したのを了承と受け取られたらしい。

 彼女の後ろから数人のメイドや執事らしき男女が続いて、あれよあれよという間に身形を整えられる。


 タオルで顔や身体を拭かれ、髪を整髪料で固められる。着せられた服は装飾が多く、若干重い。それに、ファンタジー映画の衣装のようなデザインだ。こんなもの、当然着たことがないから動き難い。


 と、されるがままになっている内に、脳が覚醒してきた。

 意識を失う前、トラックに轢かれそうになっていた子どもを助けたのではなかったか。迫ってくるトラックに気づいた少年が恐怖で固まっているのを、横から押し退けて道路の端に突き飛ばしたのだ。その直後、身体に大きな衝撃を受けて気を失った。


 そこまで思い出したマサトはさっと顔を蒼くして、自身の身体を両手で弄った。

 服の上からではあるが、怪我はしていないようだ。軽く手足を動かしてみても、痛い部分もない。


 ほっとする反面、同時に疑念が別の恐怖を生む。

 あの衝撃では、トラックにぶつかったのは間違いない。だというのに、怪我一つなくこうして無事でいるのはどういうことなのだろうか。

 怪我が治るくらい長い間意識がなかったか、奇跡が重なったのか。


 そして、疑問がもう一つ。


「――ここ、何処?」


 見るからに病院ではないし、メイドや執事の恰好をしている彼等が看護師だとも思えない。

 マサトの声が聞こえたのか、聞こえなかったのか。彼等はマサトの疑問に答えることなく支度を進め、終わるなりマサトを外へと促した。


 廊下も広く、床や壁は大理石だろうか。

 そこを進み、角を何度か曲がった先に大きな扉があった。見上げるほど高い天井のスレスレまであるその扉の両脇には、立派な鎧を身につけた男が一人ずつ立っている。

 彼等にギロリと睨まれた気がして肩を聳やかすマサトを余所に、メイドが右側に立つ男に近づいていって何事かを伝える。すると、男達はそれぞれ扉の取っ手を握り、全身を使って引き開けた。


 中は広い空間だった。学校の体育館ほどもあり、最奥が数段高くなって、そこに置かれた豪奢な椅子に誰かが腰かけている。

 メイドに促されるまま、彼女に続いてマサトもその空間に足を踏み入れる。他のメイド達は外で待つらしく、二人が入るとすぐに扉は閉められた。

 最奥に座る彼の前まで歩み寄ったメイドが跪くので、マサトもつられて膝を折る。


「良い。面を上げよ」


 威厳のある重低音に恐る恐る顔を上げると、白髭を伸ばした男がマサト達を見下ろしていた。


「そなたが――」

「はい。先ほど召喚されました、勇者様でございます」

「へっ?」


 思いも寄らないメイドの返答に、自分でもびっくりするほど間抜けな声が漏れた。そのせいで二人の視線に晒され、思わず赤面して顔を俯ける。


「申し訳ない。其方が目覚めたらすぐに連れてくるよう伝えておいたが故、説明もまだであるようだな」


 白髭の男は笑いもせず鷹揚にそう言って、マサトを真っ直ぐに見遣る。


「私は、この国の国王である。そして、勇者殿――そなたにこの国を守ってもらいたいのだ」


   *


 国王の話によると、この国は数年前から魔王軍の侵略を受けているという。現在、国の総力を挙げて対抗しているが、それも限界に近い。

 そこで、国中から優秀な魔法使い達を集め、異世界から国を救ってくれる勇者を召喚しようということになった。


(――その勇者が、俺なんかで良いんですか!?)


 心の叫びをギリギリ喉元に押し留める。優秀な魔法使いならば、もっと勇敢な人を召喚して欲しい。

 頭も身体もほぼ平均値のマサトに何ができるというのだろう。


 因みに、マサトがトラックにぶつかる寸前に召喚された為、無傷でいられたのだろうということである。

 あの時の果敢な行動が、マサトに勇者としての素質があると魔法が認識したのかもしれないと言われた。


「勇者殿にはここから北へ向かい、魔王軍を指揮する魔王を倒してもらいたい」


〝魔王〟なんて言葉は、ゲームかアニメでしか聞いたことがなく、正直現実味がない。

 それに、魔王というからには相当恐ろしい存在なのだろう。そんなモノを相手に、一般的な日本人であるマサトが敵うはずがない。


「あの……その……でも、俺……」

「其方しか頼れる者がいないのだ。どうか、引き受けてはもらえないだろうか」


 国王の真摯な眼差し。隣からは、メイドの視線も感じる。

 二人の圧に耐えられなくなったマサトは、項垂れるように首肯するしかなかった。


「…………はい」


   *


 それから一ヶ月、マサトは王城で剣術を叩き込まれた。

 剣なんて扱うどころか持ったことすらないと言ったら、王立騎士団直々に稽古をつけてもらうことになったのだ。


 当然のことながら稽古は厳しくて、毎日ヘトヘトになっていた。運動など体育の授業でしかしてこなかったものだから、筋肉痛も酷いものである。

 とはいえ、短い期間ではあるものの、それなりに戦えるようにはなった。毎日付き合ってくれた第三騎士団騎士団長には感謝である。

 彼にはきつく扱かれたが、筋が良いと褒められることも度々あった。もしかしたら、一応勇者補正のようなものがあるのかもしれない。


 ある程度剣術が身につくと、マサトは国王が用意してくれた二人の仲間と共に王都を出発した。

 マサトを召喚したという魔法使いの一人と、剣の稽古をつけてくれた第三騎士団騎士団長だ。

 本当なら騎士達を引き連れて大所帯で攻めた方がマサトとしては心強いのだが、魔王に勇者の存在を悟られないようにする為、少人数で向かってもらいたいとのことだった。不安ではあるが、仕方がない。


 魔王がいるとされる城へは、王都から北へ向かって三ヶ月ほどだという。長い旅になるが、道中は騎士団長の下、更に剣の腕を磨くことになっている。


 この一月毎日顔を合わせていた騎士団長とは仲を深められたが、魔法使いとはほぼ初対面だ。

 おまけに彼女は女性でマサトより年上ということもあって、中々話しかけ辛かった。最初は余所余所しさ全開だったが、意外にも数日一緒にいる内に打ち解けるようになった。

 魔法の話を聴いたり、立ち寄った町で共に名物を食べたり。そんな風に、まるで部活の先輩後輩のような関係になれたのは、喜ばしいことだった。


 剣の稽古を続けているので緊張感がないわけではないのだが、旅路は思ったよりも楽しかった。そのせいで、魔王討伐の旅だという意識が、何処かにいってしまっていたのかもしれない。


   *


 魔王の居城に辿り着いたマサト達は、迎え撃ってくる魔族達を相手にしながら魔王の許へと急いだ。

 仲間二人の実力は当然強く、マサトもここまでの稽古で自信がついていた。難なく――とはいかないが、そこそこ順調に駒を進められた。


 そして到頭対峙した魔王は、角の生えた青年の姿をしていた。見目麗しいその佇まいに一瞬見惚れてしまったが、それもすぐに掻き消えることになる。

 魔王の纏う空気が、何の能力もないマサトにも判るほど禍々しい色をしていたからだ。


 マサトは剣の自信も吹き飛んで、怖気づいた。

 相対するだけで判る。あんなモノに勝てるわけがない。あんなのと戦ったら、呆気なく殺されてしまうだろう。


 逃げ腰になるマサトとは裏腹に、仲間達は果敢に魔王に挑んでいった。攻撃を軽くいなされても、強力な魔法に傷つけられても、屈することなく立ち向かった。

 そんな彼等を見捨てて逃げることは、マサトにはできなかった。いっそのこと、そうできるくらい弱気になれていたら幸せだったのかもしれない。

 しかしマサトは剣を手に、半ば我武者羅に魔王と戦うしかなかった。


 何がどう作用したのかは、マサト自身にも解らない。けれど仲間の力を借りたマサトは、魔王に打ち勝つことに成功したのである。


 魔王の胸に突き立てた剣を引き抜くと、その身体は支えを失って床に倒れた。

 終わった。終わったのだ。自分の使命を果たすことができた。


 そう安心した時だった。

 魔王の身体が糸に吊られたように宙に浮き上がり、胸に空いた穴から黒い何かが広がった。それは瞬く間に魔王の全身を包み込み、魔王に感じていたものとは比にならないほどの禍々しさを放っていた。


 目の前に佇む闇の塊。

 それはただそこに在る。しかしこちらが僅かにでも動けば、即座に襲いかかってくるような恐怖を感じる。

 マサトと仲間達は、戦闘でボロボロになった身体を抱えてそれを見上げていた。


(勇気なんて、出さなければ良かった)


 最初の後悔は、公園で少年を救ったことだ。あれさえなければ、マサトが異世界に召喚されることもなかっただろう。

 次に、剣の稽古。成り行きで魔王討伐に向かうことになったが、騎士団長相手に剣を習うのは並大抵のことではなかった。短い期間とはいえ、マサトにしてみれば勇気の要ったことだったと思う。

 そして最後は、魔王に立ち向かったことである。あれは、人生最大級の勇気だった。仲間と一緒だとはいえ、死ぬかもしれない――いや、死ぬだろうと思っていた。


 しかし今、マサトはまだ生きていて、更なる命の危機に面している。


 一瞬前までは、勇気を出すのも悪くはないと思った。平凡な自分でも、勇気を出して頑張ればヒーローになれるのだと希望を持った。

 が、マサトの胸に残っているのは〝後悔〟の二文字だ。


 今までの人生で出した勇気は、それほど大きなものではなかった。

 幼い頃の自分が成長をする為の小さな勇気や、授業で大勢の人の前で発表をしなければならない勇気など、今回のそれと比べたら可愛いものしかない。


 やはり、自分はヒーローにはなれないのだ。

 平々凡々の人生を歩んできた自分が出してはいけない勇気だったのかもしれない。

 勇者だなんて、烏滸がましい。自分には不似合い過ぎる称号だ。


 きっとここで死ぬのだろう。目の前の得体の知れないアレに勝てるわけがない。

 仲間達も戦意を喪失している。全員、ここで終わりだ。


「マサト!」


 不意に声が響いた。反射的にそちらを見てみると、目を丸くした騎士団長がマサトを見ている。

 その驚愕の表情に、マサトは一瞬現状を忘れて首を傾げた。あの闇の塊の存在以上に驚くものなど、ここにはないだろうに。

 そう思いながら、マサトは彼の視線の先――自身の胸元に目を向けて口を開けた。


 身につけた防具の隙間から、赤い光が漏れている。それも、今まで気づかなかったのが不思議なほど眩しく。

 その強い光に息を呑んだマサトは、そっと防具の隙間に手を差し入れた。そこに触れたものを握って取り出し、そっと指を開く。


 掌にコロンと転がったのは、祖母から貰ったペンダントだった。元の世界にいた時と同じく、お守りとしてずっと身につけていたのだ。

 しかし、これは変哲もないただの石だったはずだ。宝石でも何でもない、人工の模造品である。今まで一度たりとも、こんな風に輝いたことはない。


「――それ!」


 ペンダントに気を取られていたマサトは、いきなり響いた魔法使いの大声にびくりと肩を揺らした。彼女の方を見遣ると、つい先刻まで絶望に染まっていた瞳が希望の色に塗り替わっていた。


「マサト、そのペンダントを使って! それなら、きっと――」


 その声に押されるようにして、マサトはペンダントを持った手で今一度剣を握り締めた。

 もうあまり力の入らない足で、どうにか立ち上がる。その背中に、二人の視線が強く注がれるのが判った。

 仲間達の想いを感じ、黒い塊を見据える。


 視界の端でペンダントの光が増す。それと同時に、脳裏に祖母の笑顔が甦った。

 あれはマサトがまだ小学六年生の時、卒業式の前日に祖母からペンダントを渡されたのだ。


『良いかい、マサト。これはね、魔法のペンダントなのよ。持っている人の勇気をここに溜めて、ここぞっていう時にきっとマサトの助けになってくれるわ』


 マサトは息を吸い込み、気合いの声を発しながら黒い塊に突っ込んでいった。

 恐怖がないといえば嘘になる。寧ろ、怖くて仕方がない。それでも、仲間達の想いと祖母の記憶を味方にしたら、その恐怖よりもずっと大きな勇気がペンダントを通して湧いてくるようだった。


「うおおおおお!」


 最初の倍以上に光り輝くペンダントと共に、剣を思い切り振り下ろす。

 すると、ほとんど何の抵抗もなく、黒い塊は真っ二つに斬り裂かれた。そして端から形を崩し、空気中に溶けるように散り散りになって跡形もなく消えてしまう。


 それを見届けたマサトが息を吐いて手許に視線を落とすと、ペンダントは既に光を失って元の姿に戻っていた。

 祖母の言っていたことが本当だとするならば、このペンダントは今までのマサトの小さな勇気を蓄積していたのだろう。この世界に来る直前や勇者として行動してきた勇気をも吸収し、ようやくアレに打ち勝つだけの力を発揮してくれた。


 知らず、マサトの頬を涙が伝う。


(勇気も悪くないものなんだな)


 晴れ晴れとした気持ちで顔を上げると、崩れた天井の先に澄んだ青空が見えた。

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