第6話 広哉の休日
かくして迎えた土日、俺は午前10時ごろに目を覚まして、遅めの朝ごはんを食べていた。
「今日の予定は?」
食パンをもぐもぐしていると、コーヒーを片手に母さんがそう尋ねてきた。
「写真撮りに出かけようかな、そろそろ木も青々としてくる頃だし」
「いいじゃん、行ってらっしゃい」
「母さんは?出かける?」
「うーん、夕方に夕飯の買い出しに行くけど、それまでは家にいるよ」
「わかった、夕飯までには帰るね」
ごちそうさま、と小さくつぶやいて、俺は席を立った。
自室のクローゼットから適当に服を引っ張り出し、カメラバッグを提げ、スマホを手に取る。
天気アプリを開いて、今日の天気を確認するが、雨の心配はなく、雲も少ないようだ。
いい写真が撮れそうだ、と俺は1人嬉しくなるのだった。
「お昼は?適当に済ませる?」
「うん、そこら辺で買うよ。行ってきます」
そう母さんに言って、俺は玄関のドアを押し開けた。
外はちょうどよい陽気に包まれ、少しずつ葉を茂らせた木が、こちらを向いていた。
それらを一つ一つ横目に見ながら、俺は目的地に向かって歩いていた。
暖かな日差し、多すぎないが、確かに俺の頭の上にある雲たち、その全てが、俺にいい写真を撮らせてくれるように感じた。
家を出て20分ほど歩くと、目的地に着いた。
そこには、悠然と流れる川、何年も前から同じ場所にかかる橋、そして泰然と佇む山の3つが共存する場所だった。
この場所は俺のお気に入りで、月に2回くらいはここに来る。
ここに来れば気分が晴れて、明日からも頑張ろう、という気にさせてくれる。
俺は鼻から大きく息を吸い込み、口からゆっくりと吐き出す。
新緑の優しい香りが、鼻腔を通り抜ける。
いつの日か見た海外の映画で、アルプス山脈を背に、主人公が散歩をするシーンがあった。俺はまさにその主人公になったような気分で、橋の周りを歩きながら撮影スポットを探す。
この時間が、俺にとっては最高に楽しい時間だった。
少し歩き回ったのちに、俺は自分が納得できる場所を見つけた。
カメラバッグからカメラを取り出し、ストラップと呼ばれる肩紐を首にかけ、その本体を俺は構えた。
俺が使うのは、カメラ屋で買った中古のミラーレス一眼カメラだった。中学の頃お小遣いを貯め、3万円ほどのカメラをなんとか買ったのだった。
買った時からこのカメラは俺の宝物で、かれこれ2年以上、大切に使っている。
同じ撮影スポットで何回か撮ったのちに、場所を変えたり、アングルを変えたりして、何枚も撮った。
ふと時計に目をやれば、もう13時すぎだった。
本当に、好きなことをしている時は、時間なんて忘れてしまう。
一抹の名残惜しさを憶えつつ、俺はその場を後にした。
「ただいまー」
満足できる写真を撮って、俺はウキウキしながら自宅の玄関を開けた。
「おかえり」
母さんの穏やかな声がリビングの方から返ってくる。
リビングへ続くドアを開けると、母さんが椅子の上で体を反転させ、
「これから買い物行ってくるね」
と言ってきた。
「うん、行ってらっしゃい」
俺はソファに荷物を置いて、母さんを見送った。
ソファに腰掛け、長距離かつ長時間の歩行で疲れた足を労る。
そしてカメラを手に取り、今日の写真を一枚一枚丁寧に確認していく。
撮っている時には気がつかなかった、その写真の改善点に気づいたり、逆に魅力的なポイントを新たに発見したりできる、俺にとって大切な時間だ。
特にお気に入りの写真を数枚決めて、俺はカメラのSDカードを抜き取った。
2階の父さんの部屋には、プリンターがある。そこにSDカードを差し込んで、写真を印刷できるのだ。
階段を登り、左に曲がる。
その突き当たりに、父さんの部屋がある。
月に数回のペースでこの部屋は訪れるが、何度来ても、俺は緊張と複雑な気持ちに襲われる。
「ふぅ」
一つ息を吐き、俺はその部屋の扉を開けた。
その空間は、一言で言えば、洗練された空間だと言える。
黒に統一された家具、整然と並ぶたくさんの本、そして大きなプリンターだ。
この場所には妙な圧迫感のようなものがあるので、俺は早めに用を済ませようとプリンターに急いだ。
我ながら慣れた手つきでプリンターを操作し、3枚ほど写真を印刷する。
俺しかいない部屋に、プリンターが印刷を進める音が響く。
その無機質な音に、俺は父親の姿を重ねてしまった。
何か大きなきっかけがあった訳ではないはずなのに、急に冷たくなってしまった父親が、また俺と母さんの前に顔を見せる日はくるのだろうか。
今の俺には答えの出せない問いを胸に抱えながら、俺は仕事を終えたプリンターの電源を切り、父さんの部屋を後にした。
その後は、母さんが帰ってくるまで、昼ごはんを食べていないことも忘れ、今まで撮ってきた写真を見返して過ごした。
翌朝、俺はまた10時頃に目覚め、朝ごはんを食べていた。
「今日は?家にいる?」
「ん、午後に泰正とご飯食べてくる」
前日と似たような会話を母さんとしながら、俺は朝ごはんを食べ進めるのであった。
朝ごはんの後は、スマホでゲームをしたり、テレビを見たりしてのんびり過ごした。
ニュースによれば、今日は季節外れの暑さらしい。窓の外に目をやれば、太陽が過重労働しているかのような日差しで、夏の様相を呈していた。
12時半を過ぎた頃、俺は自室で着替え、出かける支度を進めていた。
「んー、半袖でいいな」
外の気温も考慮し、服装を適当に決めていく。
洗面所で寝癖がないか一応確認し、財布とスマホをカバンに突っ込んで、俺は玄関のドアを開けた。
外に出ると、本当に5月なのかカレンダーを確かめたくなるくらいの熱気に俺は包まれた。
「あちぃ…」
体が暑さに慣れていないこともあり、自然とそんな声が漏れる。
泰正とは、駅前のビルにあるファミレスで待ち合わせていた。
ここから駅まで、歩いて10分は最低でもかかる。この暑さの中を俺は歩き切れるのか、真剣に不安になっていた。
日陰を選んで歩くなど工夫しながら駅前までの道をたどった。
ファミレスに着くと、エアコンという人類の発明をありがたく感じた。文明の利器様様である。
店員に案内された席につき、泰正に先に着いたと連絡しておく。
俺はドリンクバーを注文して、ジンジャーエールをカップに入れ、泰正を待っていた。
13時過ぎの店内は、まだまだランチタイムの混雑が残っていた。
俺はたまたま店の入り口に近い席に案内されたため、客の出入りがよくわかる。
そこまで多くの客が入ってくるわけではないものの、出ていく客も少ないので、店内に空席は見当たらない。
アルバイトと思しき店員たちが、忙しなく店内を駆け回る。
チリンチリン
ドアベルが鳴り、また1組客が入ってきた。
高校生くらいの女子3人組だった。一瞬ドアの方に目をやり、また手元のスマホに視線を戻そうとした時、咄嗟に脳が反応した。
そして俺は、お手本のような二度見をしてしまった。
柚希がいたのだ。
紛れもなく柚希だ。
今日はもちろん制服ではなく私服で、柚希の細身の体に白のワンピースがよく似合っていた。
向こうはこちらに気づいていないようで、友達2人と楽しそうに笑い合っている。
「混んでるねー」
「どうする?並ぶ?」
「とりあえず座って並んでようよ、涼しいし」
そんな会話が聞こえてきた。どうやら彼女たちも外を歩き回って、暑さにやられてしまったらしい。
気温のせいではないであろう体温の上昇を感じていると、泰正が入り口から入ってきた。
運動部らしく汗をかいて、息も少し上がっていた。
「悪い、遅くなった、最後のミーティングが長引いてさ。お?どした、広哉」
「あ、あぁ、なんでもない。部活お疲れ様」
「まぁ試合見てただけだけどな、早速注文しようぜ〜」
ぼーっとしてしまっていた俺をそこまで気にするでもなく、泰正はメニューに目をやり始めた。
と、思ったが。
「なあなあ、入り口のところに並んでる子たち、可愛くない?」
泰正が小声で言ってきた。
俺は口に含んでいたジンジャーエールを、思いっきり吹き出した。