第39話 結実(けつじつ)
浜辺に集まった人たちの喧騒を一気に打ち消すような、大きな花火の音が俺の耳に響いた。
それまで全く異なる話題を話し、意識を別々の方向に向けていた集団が、瞬時に注目点を1つに集約した。
「わぁ…」
「始まったね」
周りでぽつぽつと歓声が上がる中、俺と柚希も感動を共有する。
色とりどりの花が、瑠璃紺の空に次々と花を咲かせ、散っていく。
儚いなと思わせるが、それをも美しいと感じさせてしまう花火の魅力というものは、なんとも形容し難いものがある。
(一言で言えば綺麗ってことです、はい)
そして、隣の柚希も、綺麗だった。
そんなことを真正面から言えるはずもない…
はずだった。
「浴衣、似合ってる…」
気づけば、そう言ってしまっていた。
完全に恥ずかしさをなくすことはできなかったが、俺にしてはなかなかいい感じだった、と思うが…
「あ、ありがと」
柚希はどこか照れた様子でそう言った。
花火のせいでどんな表情かは見えなかった。
だが、それをわざわざ確かめるのも野暮と思ったので。
「もうちょっと奥の方行ってみようか」
「うん」
俺たちの後ろには出店が並び、お祭りや野外イベントでよく見る発電機がせっせと動いていた。
屋台に並ぶ人に加えて、花火に見とれた人たちがゆっくりと歩くため、この場所はどうにも居心地が悪い。
花火を落ち着いてみるためにも、俺たちは移動することに決めた。
会場の入り口から奥に進んでいき、浜辺の比較的開けた、そして人もまばらな場所まで歩いてきた。
「ふー、やっと一息つけるね」
「うん。ごめんね、結構歩かせちゃって」
「全然大丈夫!」
ふと柚希が下駄をはいていることに気が付いて、俺は少し申し訳なくなってしまった。
相変わらず、花火は大きな音を立てながら咲いて、散っている。
そして、俺の心臓だって、絶えず鼓動し、そのスピードはそれなりに早い。
「きれいだね~」
「だね」
心なしか俺は、柚希への返答も簡素なものとなり、意識が、花火ではない別の何かへ移ろっていくのを肌で感じていた。
「私もあんな風にきれいに咲きたいなぁ」
「柚希になら、できるよ」
「ほんと?嬉しいな。でもたぶん、広哉君のおかげだよ。今の前向きな私がいるのはさ」
「っ…」
そんなことを言われてしまったら。
そんな目でまっすぐに見つめられて。そんな美しく。
俺は自分の胸の中から、あたたかく、でも芯はすごく熱いものがあふれ出てくるのを感じて──
「好きだ、柚希」
息を吐き出すように言った。
聞こえなかったかもしれない。
言った直後、急に怖くなって、柚希の顔を見ようとした。
けれど、できない。
直視できない。
どんな表情をしているのか、それが、怖かった。
だから──
「私も」
「私も、好き。広哉君のこと」
そう言ってもらえたのが、嬉しくて。
嬉しくて。
「嬉しい。ありがとう。そう、言ってくれて…」
夏のムっとするような気温の夜に、俺は泣いた。
生暖かい風が頬を撫でて、涙でぬれた頬を冷やす。
「泣かないでよ…私まで泣いちゃうから…」
浜辺で2人、嗚咽を漏らした。
周りなど見えない。
気にしない。
「これから先、いつもうまく行くなんて、思ってない。でもさ、いろいろあっても、俺支えるから。柚希のこと。絶対」
「うん…」
「どんな時も、支える。それと、さ」
俺は少し照れくさくなってはにかんで言った。
「俺弱いからさ。たまに情けない姿見せるかもしれない。そんな時は、柚希。君にそばにいてほしい。隣に居てくれるだけでいいんだ。お願い」
「うん、もちろん。一緒にいるよ、約束」
そして数度うなずいて、互いの気持ちを確かめて。
「俺と、付き合ってください」
「はい、喜んで」
こうして、夏のよく晴れ渡った夜。
花火の下で、俺たちは。
告白されてしまった…
そして、OKしてしまった…
まだドキドキしてる。
気温が高いのもそうだけど、体のいたるところから汗がにじむのを感じ、においとか、シミとか、そういうことを考えてまた冷や汗が出てきてしまう。
「以上を持ちまして、本日の柿崎納涼花火大会を終了とさせていただきます。たくさんのご来場、誠にありがとうございました。どうぞお気を付けてお帰りくださいませ」
花火の打ち上げが終わったことを告げる合図を聞き、私たちは駅の方へ歩き出す。
浜辺の出口に近づくにつれて、人の量も増えていく。
左手には、売れ残りを回避しようと、必死に声を張り上げる出店のスタッフが並んでいる。
「人多いね~」
「うん…念のため、手。繋いでおこ」
「あっ、うん」
(たぶん、こういうところなんだろうなぁ…)
出店を流し目に見つつ、私たちは人流に乗ってのろのろと出口に向かっていく。
その間、私と彼の間に会話はなかった。
ちらりと横目に彼の顔を伺うと、少しだけ恥ずかしそうにしているのがわかった。
その様子をからかいたい欲望にもかられたが、私はその気持ちを胸にそっとしまって、ほんの少し、彼の手を握る右手の力を強くした。
「ふぃー。すごい人だったね」
「うん。でも大抵は新潟市内に帰っていく人っぽかったね」
「そだね~」
駅までの混雑はすさまじかったが、糸魚川方面の電車内は空いていた。
なので、ここまで来てしまえば2人で落ち着いて話せる、というわけだ。
私たちの最寄り駅に着くまで、二人で今日の感想やら、夏の思い出やらを話した。
広哉は今月下旬に写真部の部旅行があるとのこと。
行先は天橋立らしい。
(羨ましい…)
2人とも一通り夏休みの課題は終えていたから、この先は夏休みを十分に満喫できそうだ。
プシュー。
「ご乗車ありがとうございました。糸魚川駅に到着です。お忘れ物なさいませんようお気を付けください」
糸魚川駅に着いた電車のドアが開き、私たちはそろってホームに降り立った。
他の号車のドアからは、私のように浴衣を身にまとった人たちが数人降りている。
「今日はありがと、また遊びいこーね」
「あ、送ってくよ」
「いいの?ありがとう」
不意に彼が見せたやさしさに、私は胸が温かくなるのを感じた。
8月の、日が長くなった頃とは言えど、時刻はかなり遅い。
私たちは暗い夜道を並んで歩いた。
いつの日か、この空に浮かんでいる星の下を一人で歩いている時──
広哉のことを考えたことがあった。
おんなじ星の下に暮らしているんだ、なんてことを。
その彼は今、私の隣を歩いている。
それって、すっごく素敵なことなんじゃないか。
その”素敵”が、いつまでも続いてほしい。
ロマンチックな星空に、思いがけず感化された私は、車道側を歩く、大好きな彼の手を握った。
星に願いが届くことを願って。




