第37話 夏の思い出
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晴れて柚希も退院し、彼女自身にも、そして俺にも日常が戻ってきた。
そして季節は夏となり、非日常の夏休み期間に入る。
これは俺たちにとって日常なのか、それともやっぱり非日常なのか…
いずれにせよ、俺にとってはかけがえのない日々であることに変わりはないのであって。
「暑いね~。もう外出たくない…」
「そうだね~、よく歩いてきたよここまで」
「ほんとほんと」
8月の頭、俺たちは市内の図書館に来て勉強していた。
夏本番の暑さに耐えて歩き、涼しい館内の、利用者向けに終日解放されているエリアで、俺たちは向かい合っていた。
ここは別に静粛を保たなくてはいけないエリアではなかったが、仮にも図書館の中ということで、俺たちは不要な会話は最小限にとどめ、各々の作業に集中していた。
今俺たちが闘っているのは夏休みの課題。
(まぁ、全国の学生にとっての永遠の敵だよね…)
去年までは8月の半ばになってようやく取り組み始め、ギリギリ夏休み中に終わらせる、というザ・普通な学生だった俺にとって、この時期に課題と向き合うなど、初めてと言ってもいい経験だった。
朝10時ころに集合し、早2時間が経とうとしていた。
「おなかすかない?」
「あー確かに、俺はコンビニで買ってきたご飯あるけど、柚希は?」
すっかり慣れてしまった、「柚希」という名前呼び。
呼ぶ方の俺も、呼ばれる方の柚希も、今になって照れることはない。
「私はお弁当あるからそれ食べる~」
「まさか、自分で作ったの?」
「まぁ作ったと言っても、ご飯炊いたのと卵焼きくらいだけどね、あとは全部冷凍食品だから、そんな大したことじゃ…」
「すご…」
謙遜する柚希に、俺は純粋に感嘆の声を漏らす。
すると彼女は、少しだけ嬉しそうな様子を見せ、
「そっ、そうかな…ん-じゃ、じゃあ、ちょっと食べてみる…?」
と言ってきた。
(なんですかちょっと食べてみるって、ちょっと食べるってなんですか)
俺は何とも言えない表情のまま固まってしまった。
どれもこれも突拍子のないことを言い出す柚希が悪いのだ、そう、俺は柚希のせいにして、うなずいてしまった。
「あっ、えっと、それじゃあ、いただこうかな?」
声の調子までもがぎこちなくなってしまったが、致し方ない。
俺のその返事を受け、柚希は「ウンワカッタ」と返事をし、こちらもぎこちない動きでカバンから弁当箱を取り出した。
そして開封、からの箸の準備、その間俺は心の準備。
そして時は来た。
「はい、あーん」
(え?)
全世界の時が止まった。
あーんである。
箸で器用に卵焼きをつまみ、俺の方へ差し出してくる彼女。
少しだけほおを赤らめているが、俺の方に目線をよこしている。
明らかに俺に食べさせようとしている。
まぁ、そういうものだからな、あーんは。
ん?いやしかしあーんというのは友達同士でやるものなのか、異性の友達同士で。
俺はてっきり、自分でつまんで食べるものと思っていた。
緊張していたのも、どんな味かというドキドキから来ていたもの。
いや、だからと言って「自分で食べるんで。」と、コンビニでもらった割り箸を取り出して、弁当箱に入っているほかの卵焼きをつまんで食べるというのも、人のするような行為ではないように思う。
なので。
「あ、あーん」
うん食べちゃった。
しっかりがっつりあーんされちゃった。
「ど、どう?おいしい?」
「うん、めっちゃおいしいよ、最高」
あーんのインパクトが強すぎて味など感じなかったが、そう答えておいた。
きっと世界で一番おいしい卵焼きだったから。
卵焼きあーんイベントを消化し、俺も自分で買ってきた昼食を食べ終え、勉強会─もとい、課題討伐会は午後の部へ突入。
黙々と数学の問題集を解き続け、俺は既に佳境に入っていた。
今日この場に持ってきていたのは。数学の問題集と英語のワークブックのみだったので、ちょうどタスクの半分くらいが片付いた状況だった。
向かいに座る柚希の手元に目をやれば、俺と同じく数学の問題集を解いているものの、まだ道半ばといった調子だった。
1学期の総復習という位置づけで出されたこの課題であったが、それぞれの章の難易度自体は高くないので、時間はかかりつつも、正確に解き進められているようだった。
ほどなくして俺は数学の討伐を完了させ、カバンから英語のワークを取り出した。
こちらも数学と同様、夏休み前に習ったことの復習に役立てるためのもので、様々な単元のまとめとなっているページが課題として指定されている。
(まぁこのくらいの分量と難易度なら1,2時間あれば終わるな)
そう踏んでいた俺だったが、記憶から抜け落ちている単語や熟語が意外とあり、想定よりも手こずっていた。
「よし!数学おしまーい」
「お疲れ様」
「今広哉君英語やってるの?」
「うん、意外と忘れてることが多くて困惑してます…」
花火って英語でなんて言うんだっけな、とスマホを出して調べようとすると、
「花火はfireworkだよ」
と、翻訳アプリより早く答えが飛んできた。
「あっそうだった。ありがとう」
「んーん全然。なんか普段教えられてる側なのに、新鮮」
「そうだね~、よく勉強してる証拠だと思いますよ、先生」
「あっはは、たまたま昨日勉強したんだ~」
花火のように笑顔を咲かせた柚希は、そう得意げに話す。
(花火、か…)
昔長岡の花火大会に、家族3人で行った記憶がある。
当時はまだ背の小さかった俺は、父さんに肩車してもらって花火を見た。
今年はもう、長岡の花火大会は終わってしまったけれど、夏休みのうちに見に行きたいな、なんて思った。
「花火、行きたいなぁ~」
「え?」
提出日まで用がなくなった数学の問題集を片付けながら、柚希がこぼした。
「まだ今年見に行けてなくって。お盆の時期にはだいたい毎年親戚の家で手持ち花火するんだけど、やっぱりおっきな打ち上げ花火見たいじゃん?」
「まぁ、確かに。でももう長岡の花火大会終わっちゃったしなぁ…」
「もしかして、一緒に行ってくれるの?」
「なっ…」
からかうような、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべた柚希が、俺の顔を覗き込んでくる。
思わず俺はのけぞってしまった。
「いや、まぁ、ね」
「はっきりしないな~」
柚希はけらけら笑いながら続けた。
「まぁでも、行ってみない?夏の思い出に、さ」
そんなに瞳を真っ直ぐに向けられてしまったら。
そんなにさわやかに言い切られてしまったら。
涼しい図書館の中、涼しげな装いの柚希が、恥ずかしげもなく、ただ純粋に、俺を花火大会に誘ってくれている。
彼女の中に俺への恋情なんてものはなくて、彼女からすれば、ただ友達を花火大会に誘っているだけなのかもしれない。
でも、俺は違うんだ。
そのことにまた気が付いて。
俺は俺の中に、小さくて、熱い炎が灯ったのを感じた。




