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第36話 会えてよかったです

「…」

「…」


と、いうことで…

かなり久しぶりの勉強会が始まったわけだが、今のところ何もない。

別に何かあることを期待しているわけではないが、何もない。


柚希の希望で数学をやることになったのだが、目の前に座るその可憐な少女は、手元に視線を落とし、カリカリとペンを走らせているだけ。

時折俺に解説を求めてくるも、単元が「集合と命題」であるということも相まって、特に質問するようなことも柚希の中では湧いてこないのだろう、俺たちの間には静寂が流れていた。


勉強を始めて少ししたタイミングで、俺が手持ち無沙汰に感じていることを察してくれたのか、柚希は俺に本棚から好きな本を引っ張り出して読んでいい、と勧めてくれた。


その程度しかおもてなしできないけど、と申し訳なさそうにしていた柚希だったが、俺としてはありがたい言葉だった。

本は好きだし、他人の本棚を見るなんてめったにない機会だ。ありがたく読ませてもらおう。


俺は少しばかり緊張しながら、2段にわたって並んでいる本棚の方に向かった。

ベッドの隣、柚希が寝るときには足元に来る位置に設置されたそれには、文庫本がそこそこの数並べられていた。


(なんて言うか…ちょっと想像と違ったかも)


別に悪い意味は一切込めていないが、柚希の本棚は、俺の想像の中での女子の本棚とは違っていた。

俺としてはなんかこう、表紙に可愛い感じの女の子ととんでもないほどイケメンな男の子が描かれた漫画や、いわゆるラブコメというか、読んでいる時に胸がキュンキュンしちゃうような小説が置かれているものだと思っていたのだが、やはり現実というのは俺の想像力では計り知れないようで。

実際に目の前に並んでいるのは、どれも堅いタイトルで、言ってしまえば大人が読んでいそうな文庫本ばかり。

背表紙の色だって、ピンクとはほど遠い暗めの色が多い。


(こんな趣味あったんだなぁ…)


意外にも、と言っては失礼だが、読書は好きなようで、それも難しい内容のものも読むらしい。


(おっ、これ前に読んだけど内容あんまり覚えてないな…読ませてもらうか)


「これ、読ませてもらうね」

「うん、いいよ~」

本棚の方に振り返ってきた柚希に了承を得たのち、俺は手に取った本を開いた。

本文が始まるページまでたどり着くと、俺は以前読んだ時の記憶を呼び起こすようにしながら、文字を目で追っていく。

あぁ、こんな設定だったなとか、このキャラが後半いい動きをするんだっけとか、読み進めるうちに内容が鮮明に思い出されるのが面白くて、俺はページをめくる手を止められなくなっていく。


「ベッド座ってもいいよ、立ちっぱなしだとつらいでしょ」

「ん?あぁ、ありがと」

30回ほどページをめくったところで柚希に声を掛けられ、現実の世界に戻される。

確かに少し足への負担はあるようだったので、お言葉に甘えさせてもらい、ベッドに腰かける。

別に意識しているわけではないが、端っこに座った。

意識をしているわけではないが。


ふわっと座り、体重の7割くらいをベッドに預け、残りは自分の足で支える。

大事なことなのでもう一度言うが、意識しているわけでは(以下略)


何も意識していない俺は、変わらずにページをめくっていく。


ペラペラと紙をめくる音と、カリカリとシャーペンが走る音だけが、狭い空間に響いていた。


互いの集中を共有しているような気がして、とても心地よかった。


物語も中盤に差し掛かり、起承転結の「転」に入ろうか、というタイミングで、俺は再び柚希に声をかけられた。


「せんせー、終わりましたー」

「おっ、じゃあ見せてー」

俺は一度本を閉じてベッドに置き、腰を上げて柚希の隣へ向かう。


はい、と赤いペンでたくさんの丸が付けられたノートを差し出す柚希に、俺は感嘆の声を上げた。

「すごいじゃん、よくできてる。一人で結構理解できた感じ?」

「うん、なんかベン図みたいなの書いたり、問題文自分で読み替えたりしたら楽に解けたよー」

「おぉ、それはよかった」

やっていく中で、柚希なりに工夫して進めてもらえたようだ。


「まぁ休憩にしよっか。めっちゃ頑張ったし」

「そだねー、さすがに集中しすぎて疲れたよ~」

そう言って柚希は大きく伸びをする。


「あ、広哉君は本の続き読んでていいからね」

「えっ、いやそれだと柚希退屈しない?」

「ん-?全然?」

「そう…じゃあ、お言葉に甘えて」


かくして俺は、再びベッドに腰を預け、本を手に取った。

続きから読み進めていくが、やはり内容がなかなかに面白い。

以前読んだ時とはまた別の視点からストーリーをとらえることができて、それも新鮮だった。


少しして、俺はふと視線を感じ、ちょうど本の延長線上にあった柚希の方に目をやった。

見れば、柚希は俺の方を見つめていた。


「ん?どした?」

「いや、別に。隣行ってもいい?」

「え?あ、あぁ、いいよ」


ここベッドなんだよなぁとかいう一瞬浮かんだ邪な感想は即座に振り払う。

俺は少しだけ左にずれて柚希のためのスペースを確保する。


何か話したいことでもあるのかと思い、俺は本は開いたままにしつつも、視線と意識は隣に腰かけた柚希の方に向けていた。


「で、どうしたの」

「いや、なんか、隣に居たくて」

「ぐっ…」

(いやいやいやいやいやああああ!!!!心臓に悪いです柚希さん…!!!変な声出ちゃったよ、なんだよ「ぐっ」って。苦しみ悶えてる時にしか出ないよそんな声)


セルフでツッコみを入れつつ、何とか平静を装う。


「そっか、うん。いや、いいです、ヨ?」

無理です、平静装えません。


「ごっ、ごめんね、私隣居るけど、気にせず本読んでていいから!」

「うん、わかった」


意識を別のところへ向けるべく、俺は本に視線を戻した。


「その本、面白い?」

「ん、え?読んでないの?」

「あ、いや、その、広哉君の感想を聞いておこうと思って、ね?」

「なるほどね。この本前に読んだことあったんだけど、2回目読むとまた違った物語読んでるみたいで楽しいよ」

「へぇ~、そっか」

「うん…」

「…」


まぁおそらく、柚希はこの本を読んでいないんだろうなぁというのは分かったが、今はそれどころではないのだ。

2人の間に今流れているこの微妙な空気をどうにかせねばならない!

(いやでも隣に来たのは柚希の方だし?ここは向こうがなんとかするべきじゃん?)

我ながらセコすぎる考えだ。

だがしかし、この状況での最適解を見つけ出せずにいるのも事実。

第一、付き合ってすらいない状況で、”そういう展開”になるのではとか考えを巡らせるほうがおかしいのであって…


ごにょごにょ脳内で考えていると、また柚希の視線を感じた。

その時の彼女の顔は、どこか切なく、悲しそうで、泣きそうで──


(やばい、もっと好きになっちゃうやつだこれ)


俺がそう思ったと同時に

コンコンッ


部屋のドアをノックする音がした。

その時、俺はドアの方に首を向けて硬直してしまったが、柚希は恐るべき反応速度で床に座り込み、テーブルの上の勉強道具を手に取った。


「順調?」

「うん!やっぱ広哉君は教えるの上手くて助かる~」

「そっかそっか、よかった」

「柚希さんも理解速くてすごいです」

「ふふ、頑張ってね」


様子を見に来たのだろう、天音さんは満足そうに部屋を後にした。


(危なかったぁああ)


何もやましいことはしていなかったが、突然の母親訪問を凌いで安堵した俺たち。


柚希が勉強場所に戻ったことをきっかけとして、勉強会を再開することになった。

続いては英語のお時間。

柚希も割と得意としている教科であり、スムーズに勉強は進んだ。

さっきの数学をやっていた時間よりかは、俺が隣で説明する時間が長かったが、それでも主人公はあくまで柚希。

俺は問題に取り組む彼女を横から見ているのがメインだった。


少しずつ文法事項も定着してきているようで、サクサク進んでいった。


そして…


「ふー!疲れたぁ!」

「お疲れ様、結構進んだね」

「ありがと~。あ、広哉君時間はまだいいの?」

「ん?あぁそろそろ帰るよ、古賀家の夕飯の時間までお邪魔してたらまずいし」

ふとスマホの時計を見れば、時刻はすでに18時手前。

窓の外から見える空は、まだ白群と黄色のグラデーションを呈していたが、良識的にそろそろおいとまするのが吉だろう。


「わかった、お母さん呼んでくるね」

「あ、うん」

柚希が部屋を出ていくと同時、俺は帰る支度を始めた。少しばかりの名残惜しさを感じながら。


そして、カバンの中に入った写真に目が留まった。

昨日撮って、プリントアウトした写真のうち、俺が独断で2枚選んで持ってきたのだ。

もちろん、柚希にプレゼントするために。


「今日はありがとう、南條君」

「また来てね広哉君」

「いえこちらこそ、会えてよかったです。あぁそうだ、これ、あげる。俺が昨日撮ったやつなんだけど…」

「えっ、いいの…?」

「うん、あんまり出来は良くないかもしれないけど、気に入った2枚を持ってきたんだ。受け取ってくれると、嬉しい、です…」

照れくさいながらも、自分の言葉で、思っていることをきっちり伝えられた。

そしてそれは柚希にも届いたようで。


「ありがとう…!大切にするね」

彼女は2枚の写真を大事そうに抱え、こちらに満面の笑みを向けてくれた。


柚希の後ろで幸せそうに微笑んでいる天音さんにも軽く挨拶をしてから、俺は古賀家を後にした。


外に出ると、まだ少しだけムッとする空気が俺をなでた。

家の中に向きなおって玄関のドアを閉め、俺はいよいよ歩き出す。


去り際俺が残した、「会えてよかったです」という言葉は、自然と出てきたが、紛うことなき本物。


なぜか言った本人の俺が気に入ってしまっていた。

軽い足取りで階段を降り、来る時とは逆の道順で自宅まで向かう。


うっとうしい暑さも、この瞬間だけは許してやりたくなった。


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