第28話 周り
ガララッ
俺は白い引き戸を開け、中へ入る。
そこには中年の養護教諭が座っている。もちろん理子である。
「おはよう広哉、どうしたの」
俺がこの時間に自らここを訪問することの異常さを嗅ぎ取った理子が、すかさず尋ねてくる。
「すごい、悔しくて、許せないことがありました」
「何があったの、とりあえず座って」
そう言うと理子は、机の側に置かれた丸椅子に腰かけるように促した。
普段は柚希が座っている場所。でも今日は空席だ。
俺が腰を落ち着けると、理子はおもむろにデスクの上にある固定電話を手にし、どこかへ電話をかけ始めた。
「あ、保健室の指田です。黒田先生いらっしゃいますか?」
黒田先生とは、俺のクラスの担任だ。
俺が朝のホームルームに遅刻しても不審に思わないように、理子は電話をしてくれたのだろう。
「あ、おはようございます。えっと先生のクラスの南條君なんですが、通学中に体調を崩したということで、保健室で休んでいます。様子を見てから授業には出席したいとのことなので、よろしくお願いします」
「…黒田先生に電話してくれたんですか?」
「うん、一応ね。時間は作ったつもりだからさ、何があったか話してよ」
理子は俺と向き合って、話を聞く姿勢をとる。
そうして俺は、ほんの10分前のことを話し始めた。
話していて、俺は自分の中で再び燃え始めた怒りという炎の存在を、確かに感じていた。
思い返しても、絶対に許せないし、許すつもりもない。
「そうか…なるほどね」
俺がやっとの思いで話し終えると、理子はなるほどといった様子でうなずいた。
「柚希ちゃんに何があったかっていうのは、スクールカウンセラーさん経由でちょっとだけ聞いてたんだけど、そんなことがあったなんてね…しかも、広哉にありもしない柚希ちゃんの悪評を吹き込んで、完全にあの子を孤立させようとする。よくもまぁそんな悪いことを思いつくな、っていうのが私の感想」
「ほんとに、悔しくて、むかついて…先生、俺にできることってなんですか?何をしたら古賀さんを救えるんですか?」
「うーん、そばにいてあげることだよ。それしかない。渡辺さんとかほかの人に何を言われてもさ、絶対にあんたは柚希ちゃんの手を放しちゃだめだよ。確かに、1か月ちょっと前まで赤の他人だった人に、そこまでしてあげる義理はないかもしれない。でもさ、もう柚希ちゃんは支えるべき人なんでしょ、広哉にとって」
「っ…」
理子は、俺の胸の内をある程度察したうえで話している様子だった。少しだけ恥ずかしそうにする俺を見て、理子はかすかに笑った。
「だったらやるべきことはただ一つ!そばにいてあげな。手を引いて前に進んでやれなんてことは言わない。後ろから背中を押してやれなんて言わない。立ち止まったままでもいいから、ずっとそばにいてあげなさい。それが、広哉にできること。ううん、広哉にしかできないこと」
「…はいっ」
「うん。じゃ、教室行っておいで。今日は放課後お見舞いでしょ。それまでちゃんと授業受けるんだよ」
「わかりました。ありがとうございます」
理子はいつでも、背中を押してくれる。
俺は晴れ晴れとした気持ちで保健室のドアを開け、廊下へ踏み出した。
その日は、朝以来風香に絡まれるということもなく、教室に戻ってからは平穏に過ごせた。
泰正に遅刻の理由を聞かれたので、かいつまんで話した。
泰正は憤慨している様子で、今にも風香の教室へ突撃しそうな雰囲気だったので俺は必死になだめた。
対して俺は、冷静に話切ることができ、内心ほっとした。
(あとで白本さんにも伝えなきゃかな…)
そんなことを思うが、気分のいい話ではないので、聞かれたら伝えればいいか、ということに落ち着いた。
(放課後古賀さんと会うの楽しみにしてたら、気分害しちゃうかもしれないしな)
「南條君、今日柚希のところ行く?」
その日の放課後、カバンに荷物を詰めていると、俺の左側から声がした。
「うん、行くよ。白本さんは?」
「私今日は早く帰らなきゃいけなくて。だから、お願い」
「うん、わかった」
『お願い』この言葉に含まれる意味は、はっきりと言葉にできなかった。でも、自分の中で想像することはできた。
目を覚ました柚希に、俺がしてあげられる、最大限のことを。
いつもの道順で、病院へ向かう。
バスの中にはマダムがちらほら。
車窓から見える景色も、いつもと変わらず、緑色。
でも今日は、夕日の黄金色がいつもより際立って見えた。
病院の中へ入る。
昨日までは、ICUのある2階へ直接上がっていた。
だが、今日は違う。
柚希の病室番号を聞くために、総合案内のカウンターへ向かう。
いつもの女性が、613号室だと教えてくれた。
「回復されてよかったですね」というあたたかい言葉を添えて。
なんだかんだ初めて使う、一般患者用のエレベーターで、俺は6階まで上がる。
ピンポーン、という機械音がして、扉が開く。
銀色の箱の中に空気とともに入ってくるのは、消毒液のにおい。
案内板を確認し、柚希の部屋へ向かって歩き出した。
(タイミング悪くないかな)
(まだ気分がすぐれない、とかだったらどうしよう)
(迷惑じゃ、ないかな)
そんなに距離はないはずの廊下が、果てしなく長く感じた。
その間にいろんなことが頭をよぎった。
でも、最後に脳内にこだましたのは、
『ずっとそばにいてあげなさい。』
という、理子からの言葉。
力強く背中を押された俺は、柚希の部屋の前のドアと正対する。
「ふぅ…」
少し息をついてから、忘れずにノックをする。
「どうぞー」と、ギリギリ聞こえる声量で返事があり、俺はドアを引くべく銀の手すりに手をかけた。




