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第26話 未来を生きる

その日から俺は、柚希という存在が俺の意識を占める割合を日に日に大きくしていくような毎日を過ごした。

毎週2日ある休日のうち、どちらか一方は病院を訪れて柚希のお見舞いをする。

そのたびに医師に柚希の容体や経過について聞くので、院内ではだんだんと名前と顔を覚えられてきてしまっている様子だった。

柚希は良くも悪くも変わりはないと聞いていたので、病院の人に顔を覚えられようと、俺は気にならなかった。


そして迎えた2回目の手術の日。

その日は学校で授業があったので、俺、そして日菜と理子は学校から念を送り、無事に手術が終わることを願った。


2回目の手術は、10時間にも及ぶとても難しい手術だったと理子から聞かされた。だが、大きなトラブルもなく成功したという。

この知らせを受けた時、俺は自宅で叫びそうになったのを我慢するのに苦労した。

その時時刻は夜の8時を回っていたし、我慢せずに叫んでいれば、近所迷惑も甚だしかっただろう。


翌朝目覚めた俺は、心が少しだけ軽くなっていることに気が付いた。

それまでの気が気でない状態からひとまず解放され、自覚のないうちに、肩の力が抜けたのだろう。

その日は少しだけ軽い足取りで学校まで向かった。


「おはよう、泰正」

「おー、おはよう。今日は何か調子よさそうだな」

「え?俺今までなんか変だった?」

教室でスマホをいじっていた泰正にあいさつすると、少しの驚きと嬉しさが混じったような声でそう返された。


「変って…そりゃ放課後はすぐどっか行く日が増えたし、休日だってなんか忙しいみたいだったし。何よりなんか切羽詰まったような雰囲気醸し出してたぞ」

「まじか…心配かけてごめん。でも、ひとまずなんとかなりそうだから…ってうおっ!なんだよ…」

俺の様子は、俺が思っている以上に変だったようだ。

泰正に心配をかけてしまったことへの謝意を伝えると、泰正は急に俺の肩に手を回してきた。

「へいへい、訳を説明しないで謝罪だけするつもりかい?ん?一段落したんなら、少しばかり事情聴取と行こうじゃないか」

「えぇ…」

泰正のやさしさゆえの行動にうっとうしそうに振舞いつつも、俺は内心、この最高の友人に感謝していた。


(放課後事情話すついでにジュースでもおごってやるかな…)

それくらいしてあげないと、俺の気が済まないのだ。



その日の放課後、俺は泰正と約束を取り付け、駅前のファストフード店へ向かった。

「いやぁ嬉しいねぇ、まさかおごってもらえるとは」

「いいんだよ、ほんの気持ちというか、感謝というか…」

「ふーん?」

ニマーッとした笑みを浮かべながら、彼はLサイズのコーラを口に含んだ。

今日は俺がおごると聞いた瞬間に、彼はドリンクのサイズをLサイズに決めたのだ。

(最初はSでいいやとか言ってたくせに…まったく小賢しい奴め…)


そういえば、前にもこんなことがあったような気がする。

あの時は確か、柚希に勉強を教えることになったのを相談して、俺のおごりでハンバーガーのセットを食べてたような…

まぁ、それに比べれば安い出費だ。

それにしても当時は、まさかこんなことを泰正に話すなんて微塵も考えつかなかっただろう。


「で、最近あったことをかいつまんで話すけど」

「おう」

泰正は手に持った紙のカップをトレーに置き、俺の話を真剣に聞く姿勢を見せた。


カップから、結露した雫が一粒落ちた。


俺は腹を決め、泰正に今までに起こったことを話し始めた。

「時系列に沿って話すね。まず、2週間くらい前に古賀さんが自宅で自殺を図ったんだ。飛び降りで…」

「ふんふん…ってちょっと待て、なんだそれ。そんなの、平然としてられないだろ」

初手から衝撃の事実を伝えた俺に、泰正はとても動揺した様子だった。

「大事なことなんだし、早く言ってくれればよかったのに。確かに最近、保健室行ってないなとは思ってたけど、まさかそんな理由で…」

はぁ、と一つ大きなため息をついた泰正は、どこか怒っているようにも見受けられて。


「ごめん」

俺は気が付けば、謝罪の言葉を口からこぼしていた。

「ん-、まぁでもわかる。目の前のこと、お前にとったら古賀さんのことでいっぱいいっぱいになって、俺に話す余裕がなかったんだろ?そのことを責めるつもりはないよ」

俺は、泰正から辛辣であっても、俺には言い返せないような言葉が飛んでくることも覚悟していた。

だが、それは杞憂に終わった。


「まぁ、強いて言うとすれば、もっと早く相談してほしかった。一人で抱え込むより、力になれたこともあっただろうし」

「そうだよなぁ…でも、泰正が寛大でよかったよ。本当に」

「なんだよそれ。でも、今日こうして相談してくれたのはうれしかったよ。こっちからも、ありがとう」


なぜか泰正から感謝を伝えられ、俺は少しばかりの困惑と照れくささに包まれた。


「このこと、ほかに誰か知ってる?」

話はまだ終わっていないといった口調で、泰正は尋ねてきた。

「あぁ。保健室の指田先生と、あと俺たちと同じクラスの白本さん、ほら、俺の隣の席の女の子。白本さんが古賀さんと同じ中学で、今も仲いいからこの話は伝わってるよ。何度か一緒にお見舞いも行ってるんだ」

「それならよかった…って…いつの間に交友関係広げてんだよ!」

「いや、なんか話すタイミングなかったし…それに、わざわざ言うほどのことでもないかなぁって…」

「言うほどのことだろ!中学時代まともに友達もできずに、片手で数えられるくらいの人数で構成された狭いコミュニティでしか生きてこなかったお前を心配するのは自然なことだろ!」

「いや、そんな事細かに説明されても。そ、それに!友達なら両手で数えるくらいいるし!」

「両手に収まっちゃうのか…」

「うぐっ…」

俺は中学時代のことを話され、何も言い返せなくなっていた。


「しかしやはり、クラスになじめてるようで嬉しいことは嬉しいな。それに何度かお見舞いに行ってるってことは、容体についても把握してるんだよな?どんな感じなんだ?」

「えっと、俺もあんまり詳しい話は聞いてないんだけど…」

上手く伝えられるか自信はなかったが、俺は可能な限り、病院で聞いた話をもとに、柚希の容体について話した。


搬送された直後に手術を受け、昨日2回目の手術が終わったこと。

今も集中治療室で日々を過ごし、意識は戻っていないこと。

俺は滔々と話すよう努めた。

時折言葉に詰まりそうになることもあったが、泰正は俺の話に静かに、そして誠実に耳を傾けてくれていた。


話し終えた俺は、野菜ジュースを飲む。

泰正も少し息をついて、コーラを喉に流し込んだ。


一つ間を置いた泰正は、その固く閉ざされた口を開け、慎重に、言葉を選びながら話し始めた。


「しかしまぁ、よくもそんな重大なことを抱え込んでたよな…」

「ほんと、今日吐き出せてよかったよ」

しみじみと語りかけてくる泰正に、俺も疲れ切った調子で同意を示す。


「古賀さんの手術は成功したんだろ?なら一安心じゃねぇか」

「うん、そのことは本当によかったよ。でもやっぱり、こんなことになる前にできることがあったんじゃないかって…」

「あーもう、起きちまったことは取り返せないんだからさ、未来に向けてできることってのを探すしかねぇだろ?で、手術が無事に終わって、あとは目覚めるのを待つだけ。そこからだよ、古賀さんが目覚めてから広哉がどういう行動するのかにかかってる。そこのところ、考えてるのか?」


俺はハッとした。

既に起こってしまったことを悔やんだり、自分を責めたり。

今の今まで、柚希のため、もっと言えば未来を、これからを生きる柚希のためになるようなことは1つもできていなかったのだ。

病院にお見舞いに行けば、天音が毎回感謝の意を伝えてくる。

それでいいのだと勝手に思っていた。


でも違うんだ。

そんなことは、自責の念や、取り戻せない過去の出来事への無駄な執着心をなんとか解消させようとするための、かりそめのものだったのかもしれない。


泰正の言うとおりだ。

ひとまず柚希の命が助けられた今となっては、未来に目を向けなければならない。

柚希の目が覚めて、俺と会話ができるようになったら、なんて声をかける?

ICUから退院して、一般の患者と同じ病棟に移るのか、それとも別の対応が取られるのかはわからないが、治療の次のステップで俺にできることとは何なのか。

そういったことに、俺は全く考えが及んでいなかった。


「ありがとう、そうだよな。足元とか、後ろばっかり見てても、前には進めないよな。うん、俺、これからのこと考えてみるよ」

「そ、そんなかっこいいこと言ったつもりはなかったんだがな…」

俺が率直にお礼を言うと、泰正は照れくさそうに笑った。


「でもまぁ、大切なことに気が付けたならよかった。広哉は広哉にできることを、精いっぱいやりな。古賀さんだって、頑張ってるんだから。お前のことだ、今も身を削ってるんだとは思うけどな。おとなしいように見えて、中学の頃から後先考えずに突っ走っちゃうところあるからさ、今回も、古賀さんを心配する気持ちが先走っちゃったってところだろ」

「そうだな」

泰正の穏やかな笑みに、俺は背中のこわばりがすうっとほどけていくのを感じた。


さて、ここからだ。

やるべきことを、やるまでだ。


泰正とともにハンバーガー屋を後にし、最寄り駅までは同じ道をたどった。

「古賀さん、目覚ますのはいつごろかな」

「わかんない。でも、それほど遠くないんじゃないかな。そんな予感がしてる」

泰正が投げかけてきた問いに、俺は根拠のない自信をもって答えた。


泰正は、俺の返答の不確実性について言及するなんていう無粋な真似はせず、何度も、確実にうなずいてくれた。

その反応が、俺の予感をさらに強くさせるのであった。


そしてその夜。

俺は、人間の予感というものは本当に不思議なものだということを実感させられていた。

そう、理子から、柚希が目を覚ましたという旨の連絡があったのだ。

今回は、感情を表に出して喜ぶわけでもなく、静かに自室で涙を流した。


これまでの、異常なまでの緊張状態から解放された安堵と、ここ数日で膨れ上がった柚希への思いが、堰を切ったようにあふれ出してきたのだ。


話によると、今晩は念のためICUで様子を見るが、明日の昼間に一般病棟に移るそうだ。

既に人工呼吸器は外されていて、会話も軽いものであれば可能だという。

明日は俺がもともとお見舞いに行く予定だったので、一般病棟の病室で話すこともできるかもしれない。


一時はどうなることかと、今まで生きてきた中でトップレベルに焦り、心配したものだが、やっと落ち着ける段階までやってこれた。

それでも、泰正の言う通り、ここからの俺の行動もカギになってくる。


柚希がスムーズに復帰できるようにサポートし、二度とこのような事態に陥らないような策を練る必要もあるだろう。


ひとまず、ここからは気持ちを新たに入れ替えていく必要がある。

俺は一度自らの頬を叩き、気合を入れた。


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