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第25話 ガラスの向こうで

入ってすぐのところに消毒用のアルコールが設置されていたので、俺たちはそれを使った。

手全体に広がるひんやりとした感触。

マスクをしているのでにおいはしなかったが、その香りが容易に想像できるのは、保健室に通い詰めてすっかり嗅ぎ慣れてしまったせいか。


内部は整然としていた。

壁と大きなガラスの窓を隔てた向こう側では、個室内のベッドに患者が横たわっている。

患者のケアに必要とされる医療機器類も整頓されており、緊急時の動線確保のために、通路上にはほとんど置かれていなかった。


「柚希さんは奥のお部屋になります。ご案内します」

男性の案内で俺たちはさらに奥へと進む。

途中、心電図モニターのアラーム音が鳴って驚いたが、近くにいた看護師がすぐさま対応し、事なきを得たようだった。

(なんて場所だ…)


患者、医師、看護師のそれぞれが、命の危機と真正面から向き合い、戦っているこの場所で、柚希は眠っているわけで。

そのことを考えて、俺はまた心が痛くなるのを感じた。


「こちらです。ガラス越しにはなりますが、声をかけたり、見守ったりしてあげてください。それでは失礼します」

「ありがとうございます」

そこはICUの最奥部、通路が突き当たりに差し掛かったところに位置する病室だった。

乱暴な言葉だが、病室というよりも、独房とかの表現の方が正しいかもしれない。厚いガラスを隔てた、教室の4分の1くらいの部屋で、いろいろなチューブにつながれた状態で、柚希は眠っていた。


顔をしっかりと見ることは角度的に不可能だったが、それでも確かに柚希だとわかる。


「柚希…日菜ちゃんと南條君、来てくれたよ。一人じゃないから、頑張るのよ…」

祈るような、寄り添うような、そんな声かけだった。


「なんでこんなこと…絶対元気になって…お願い…お願いだから…」

日菜も、何とか願いを届けようとしている。


俺も声をかける。意識して声をかけたというより、気が付けば口からこぼれていた、という方が正しいかもしれない。

「古賀さん。また、一緒に勉強しよう。勉強じゃなくてもいい。水族館でも、遊園地でも、公園でも、長岡の花火大会でもなんでもいい。なんだっていいんだ…だから、だから…ねぇ、目を覚まして」


清潔に保たれたICUの床に、俺の大粒の涙が落ちた。


俺は気が付けば、柚希を前にして泣いていた。

そして、天音さんと日菜も例外ではなかった。だが、天音さんに関していえば、優しい穏やかな笑みを浮かべながら、涙をこぼしていた。

学校でトラブルに見舞われ、思い描いていたであろう学校生活とはかけ離れた日常を過ごしている自らの娘が、学校の友人にも見守られている。

そのことが、母親をどれだけ安心させるのだろうか。


「2人ともありがとう。確実に声は届いてるわ。本当に…ありがとう…」

深々と頭を下げ、天音さんは俺と日菜に感謝を伝えてくる。

内心、感謝するのはこっちの方だと思っていた。

柚希に出会えたことから、今日のお見舞いに同行させてもらったことまで。

感謝してもしきれないのはこっちの方だ。


その後、少しの間眠っている柚希の様子を眺め、俺と日菜はその場を後にした。

天音さんはまだその場にとどまり、我が子を見守るとのことだった。


手指消毒をして、ICUを後にする。

閉鎖された空間から外に出ると、どうしても気が抜けてしまうもの。

「ふぅー」

俺が長めの息を吐くと、日菜もそれに同調する。

「なんか緊張しちゃったね。寝てたけど、顔見られてちょっとだけ安心したかも」

「俺も。なんか、気づいたら泣いてた」

念のため俺は頬を手でこすって、泣いた跡がついていないか確認する。

その様子を見ていた日菜がくすっと小さく笑う。


なんだかんだで、彼女が笑ったところを見たのは初めてな気がする。

元より、席が隣とはいえ関りはなかったし、初めて話したのは柚希に過去に何があったのかというもので。

今回だって、決して明るい内容で声をかけられているわけではなかったのだ。当然と言えば当然か。


「ひとまず、今日はもう帰ろうか。」

「うん」

用事が済んで、このまま病院に居座るのも何か違うなと感じた俺は、帰宅することにした。


正面玄関から外に出たところで、俺は大きく伸びをして、深呼吸をした。

「白本さんの家って、ここから近い?」

「そうだね、10分くらい歩けば着くよ」

「そっか、なら送らなくても平気?」

「うん、大丈夫だよ。今日はありがと」

穏やかに話す彼女はもう、すっかりいつもの様子だった。


その後、俺たちは別々に帰路についた。


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