第18話 水清ければ月宿る
2人で出かけた翌日、俺はいつも通り登校する。
昇降口で上履きに履き替えて階段を上る。
月曜日ということもあり、俺の周りで階段を上っている生徒たちはみなそろって気だるげだ。
そんな空気の流れに逆らうように、そして本当に人の流れに逆らって階段を下りてくるのは、おせっかい養護教諭、指田理子。
彼女は俺の姿を認めると、
「あ、広哉。日曜日どうだった?」
と気さくに話しかけてくる。
俺としては気恥ずかしいのでやめてほしいのだが、無視したり鼻であしらったりすると、ちゃんと受け答えするまで追ってくるので、嫌々ながら、理子に校内で話しかけられれば一応まともに話す、ということにしている。一応。
「どうって…楽しかったですけど、まぁ普通です」
帰り際に柚希が見せた変わった様子が頭にちらついて、理子にそのことを話そうか一瞬迷ったが、俺はやめておいた。
俺の嫌な予感は外れで、今日からまた普段通りの元気な様子を見せてほしいという願いも込めてのことだった。
「ふーん、そっか」
理子はちょっと残念そうに言った。だが直後、声色を明るくして、
「まぁ楽しかったんならよかった。そんじゃ、また昼休みにでも顔出してよ。柚希ちゃんと二人で待ってるから」
と言い残し、去っていった。その方向を見るに、彼女のホームグラウンドである保健室へ向かったのだろう。
正直に言うと、保健室に行きづらく感じていた。
昨日のことで、別に柚希から明確な拒絶をくらったというわけではなかったが、なんとなく顔を合わせにくいなと思っていたのが原因だ。
そのせいで、理子に言葉を返すことができなかった。
「おはよ、なんか久しぶりだな!土日あんま連絡返してくれなかったじゃんか、どうした?」
教室に着くと、泰正が俺の机へやってきて、心配そうに、でも明るく尋ねてきた。
憂鬱なはずの月曜日になぜそこまで元気なのか知りたい。
「あー、寝てた。ごめん」
「なんだよそれ!まぁ、寝る子は育つって言うからな。よく寝るのはいいことだ」
俺が苦し紛れに冗談めかして言うと、泰正も乗ってくれる。
ほんと、いい友達だ。
こういう時に神妙な面持ちで話を聞いてくれるのがいい友達、と考えている人もいるようだけど、俺は泰正のように、無駄に(?)明るい友達も必要だと思っている。
(まぁ泰正だって、真面目に聞いてくれる時もあるしなぁ)
「土日しっかり寝た広哉には、今日の授業張り切っていってもらわなきゃな!」
「え、勘弁してくれ…」
俺たちは軽口をたたき合って、担任が来るのを待った。
昼休み。泰正は野球部のミーティングがないらしく、久しぶりに弁当を一緒に食べることにした。
俺たちはクラスの女子のように、机をくっくけて楽しく食べるなんてことはせず、俺の机に泰正の椅子を持ってきて、一つの机を2人で使うという形で昼食をとっている。
だから多少狭く感じることもあるのだが、それはそれで楽しいからよしとする。
そんなことを考えている時だ。スマホの通知がポロンっと鳴ったのは。
画面を確認すると、そこには理子からメッセージが届いた旨の通知が。
連絡先を交換して以来、なんだかんだでメッセージは来ていなかったので、今回が初めてということになるわけだが、いったいどんな内容だろうか。
気になってアプリを開くと、その上の方に、理子からの言葉が短く記されていた。
それでも、彼女が伝えたいことを表すのには十分なもの。
『今日、柚希ちゃん休みだから。昼休みは好きに過ごしてね❤️』
最後のハートマークなんて気にならないほど、柚希のことが気になった。
(休みがちとかの話も聞いてないし、やっぱり昨日のことが原因だよな。やっぱ俺がなんかしちゃったかな…いずれにしても心配。何かできることを考えないと…)
日曜日の午後に柚希から感じたあの違和感は、やはり本物だったようだ。
俺が真剣かつ動揺した表情を浮かべて百面相をしていると、
「おいおいどうした広哉、そんな難しい顔して」
「あぁ、いやちょっとね。古賀さん、今日休んでるらしくて」
「前話してたあの美少女か。会ったことないけどそれは心配だ」
俺が打ち明けると、泰正も心配そうな表情を浮かべる。
ほんと、どうしたものか。
彼女に何をしてあげるのが正解かわからないもどかしさを誤魔化すように、俺は冷凍食品のミニハンバーグに箸を伸ばした。
午後の授業は、上の空だった。
柚希のことが頭の中でぐるぐるして、まともにノートも取れず。
6限の終わりを告げるチャイムが鳴って、よし帰るかと思い、カバンを背負う。
今日、泰正は部活があって足早に教室を後にしている。
自分の椅子を机の下に収納し、ドアから教室を出ようとしたその時、俺は声をかけられた。
「南條君。少し、いい?」
隣の席の白本さんだった。
授業中にペアワークやグループ活動で一緒になることはあったけれど、授業外で話すのはなんだかんだこれが初めてのこと。向こうから話しかけてきたことも相まって、緊張してしまう。
「いいよ、何か用?」
「うん、柚希のことなんだけど。あ、古賀柚希ね」
「あ、え?白本さんって、知り合いなの?古賀さんと」
彼女の口から出てきた人物の名前に、俺は少し驚いてしまう。
「知り合いっていうか、中学が一緒で」
「あー!同じ中学の知り合いがいるみたいな話してたけど、白本さんのことだったのか」
「うん。それでね、今日学校来てないって連絡あったから心配になったんだけど、昨日南條君、柚希と出かけたじゃん。それで、何か変わったところとかなかったかなって思って…それが聞きたかったの」
「そういうことね…」
俺は日菜に呼び止められた理由がやっとわかって安心すると同時に、昨日のことを思い出して胸がきゅっとなるのを感じた。
(どうしよう、ここで正直に話した方がいいのかな…それとも黙っておいた方が古賀さんのためになる?)
俺は少し迷ったのちに、俺は意を決して昨日会ったことを話すと決めた。
誰かにこのモヤモヤを吐き出さないと、押し潰されてしまいそうだったから。
俺は昨日のことをかいつまんで話した。
もちろん、ちょっと知られたくないなと思ったことは伏せて伝えたが、帰り際の柚希の様子についてだけは詳しく話した。
俺の話を聞き終わった日菜は、重々しい雰囲気をまとってこぼした。
「なるほどねぇ、やっぱりまだ立ち直ってなかったか…」
「立ち直ってない?何かあったの?」
聞き捨てならないフレーズが耳に残ったので、俺は尋ねる。
「あれ、知らなかった?柚希、高校入学してすぐにクラスでいじめみたいなことがあって、それで保健室登校になっちゃったんだよ。いじめる理由もすごい理不尽なものでさ。一方的な妬みだったんだよ?今も私は許してない」
「え…」
知らなかった。
もちろん、保健室登校をすることになったのには何らかの理由があって、おそらくクラスでなじめなかったとか、人間関係で上手く行かないことがあったといったものだろうとは想像していたのだが、まさかいじめられていただなんて。
教室に行くこともできなくなるなんて、相当辛い思いをしたのだろう。
そのことを考えると、心臓をわしづかみにされた気分になる。
日菜の言葉の端々からは、大切な友達である柚希を思う強い気持ちが感じられた。
そして今の彼女も俺と同じく、当時のことを想像し、いたたまれない気持ちになっているのだろう。眉間にしわが寄っていた。
「最近の柚希は、当時のことを考えないようにするってことが少しずつだけどできてきて、この調子なら、期末テストは教室で受けられそうって言ってたんだよ。それにね」
そこまで言うと、日菜はポケットからスマホを取り出し、メッセージアプリを開いて俺に見せてくる。柚希との会話がそこには残されていた。
「南條君に勉強教えてもらってて、難しいところもあるけど頑張ってることは柚希から聞いてたし、日曜日だって、すっごい楽しみにしてたんだよ。でもなんで…」
俺の存在が、柚希に多少なりとも影響を与えているということが、日菜とのやり取りからは垣間見えた。
少しだけむずがゆい気持ちに包まれると同時に、何とも言えない申し訳なさが込み上げてきて、気が付けば俺は謝っていた。
「ごめん、なさい…古賀さんにそんな辛い過去があるなんて知らなかった。ううん、それも言い訳だ。なんか変だなとは思ったんだよ。でも、何もしてあげられなかった…ほんと、ごめん」
「南條君は悪くないよ。とりあえず今はそっとしておいて、また学校来てくれるの待とう」
「そうだね」
「呼び止めちゃってごめんね、私水泳部行かなきゃ、じゃあね!」
そう言って彼女は教室を出ていく。
部活に精を出すべく、教室から出ていく者。
教室に残って、友人とおしゃべりをする者。
各々が思い思いに放課後を過ごしている中、俺だけが波の中に取り残されたように、その場に突っ立っていた。