第17話 ごめんなさい
なんとか時間通りに駅に着くと、そこには私服姿、でも先週会った時とは違った装いの広哉がいた。
(ほうほう、白のシャツに寒色のカーディガンを合わせて、下は黒でシックにまとめてきたか…)
広哉の細身のシルエットとよくマッチした服装だった。まぁ言ってしまえば、似合っている、ということになる。
「お待たせー、ごめんね、時間ギリギリになっちゃって」
私がそう呼び掛けても、反応らしい反応は返ってこない。
どこか焦点が合っておらず、上の空だ。
(どうしたんだろ、寝不足?)
何回か呼び掛けてやっと反応してくれたので、私たちは駅舎の中へと入っていった。
いつもと同じ見た目の電車に乗る。
今日は休日だが、田舎の電車なので混み具合などたかが知れている。
二人並んで座れる席はすぐに見つかったので、私たちはそこに腰を落ち着けた。
「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃって」
「ううん、全然。俺も寝癖直すの手こずったし」
私が申し訳なさそうに言うと、彼はちょっと緊張した様子で返してくれる。
「そうだったんだ、あ、ここ寝癖残ってる」
ふと、広哉の頭から小枝のように髪が跳ねているのを見つけた私は、くすっと笑って広哉の頭に手を伸ばす。そして、少し残った寝癖を直してあげた。
(さすがに恥ずかしいな…)
自分からやっておきながら恥ずかしくなってしまった私は、顔を背けて窓の外に目をやった。
やわらかな日差しが目に入ってくる。
今日はいい1日になりそうだ。
電車の中で、たくさん話した。
ほんとに何気ない会話だったけど、同じ学校の人とのかかわりはほとんど広哉に限られていたから、貴重な機会だったように思う。
1時間くらい電車に乗っていたらしいが、私にはずっと短く感じられた。
水族館にはたくさんの人がいた。many、いや、a lot ofの人々。
幸い、私たちはネットでチケットを購入していたので、スムーズに中に入ることができた。
チケット売り場の長い列に並ぶ子どもたちが「まだー?」と嘆く声を背にして、私たちは中へ入った。
(ごめんね、ちびっこたち)
中に入って、すぐに目についたのは、魚たちに餌やりができる体験型の水槽。
そこは子どもたちに大人気なようで、きゃっきゃっとはしゃぐ声が聞こえてくる。
(やりたい…)
もともと動物好きの私は、意図せず立ち止まって楽しそうな子どもたちの様子を眺めてしまった。
そんな私を見かねて、
「やりたいの?」
と広哉が声をかけてきた。でも、私は表面上はクールで、大人っぽくて、イマドキって感じの女子高生を演じていたい。だから、
「べ、別に?子どもじゃあるまいし」
と、きっぱりと言い放ってさっそうと歩き始めた。
(決まった…今のは我ながら大人っぽかった)
1人で満足していた私であったが、現実はそううまく行ってはくれない。
「可愛い~!てかめっちゃいるじゃん!すご~い!」
水族館に行くと決まってから、ずっと見たいと思っていた、念願のペンギンの水槽へ到着するなり、私は興奮のあまり歓声を上げてしまった。
周りに何組か親子連れがいるが、この場にいるどのちびっこよりも私がはしゃいでいた。おそらく。いや、確実に。
少しして、イルカショーの時間が迫っていることに気づいた私は、広哉に声をかけて一緒に会場まで向かった。途中、転んでしまった少年に向けて、そして人混みではぐれないように私に向けて彼がくれた優しさが、私の胸を経験がないほどに温かくさせたのは、私だけの秘密だ。
そのあとは、いろんな水槽を見たり、レストランで昼食をとったりして過ごした。
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
「うん。そこで待ってる」
昼食をとった後に、私はトイレへ向かった。
手を洗いながら、鏡を見てみた。
一応身だしなみが崩れていないかのチェックをして、ハンカチを取り出し、手を拭く。
鏡に映った私は、楽しそうだった。
(この瞬間はいつまでも続いてはくれない…)
無性にさみしくなってしまった私は、早く広哉のところへ戻り、気持ちを前向きにしようと、トイレを後にした。
「お待たせー」
「よし、じゃあ次どこ見よっか」
そう温かく尋ねる広哉のおかげで、私の心は少し軽くなったのだった。
私たちは最後に、この水族館で一番大きい水槽の前を訪れていた。
「うおっ、イワシすごいな」
「ほんとだ、立派な群れだね」
広哉が目の前のイワシを前に歓声を上げ、私も答える。
悠々と泳ぐ魚たちを前にすると、なんだか、私が狭い世界で決められたレールの上を走るように生きている、という現実を突きつけられているように感じる。
今までにも何度か、保健室という狭い空間でしか過ごせていない高校生活にやりがいを見いだせなくなってしまったことはあった。
でも、目の前の大きな水槽を見ると、やっぱり私はちっぽけなんだと実感させられてしまう。
難しいことを考えていると、眠くなってきた。
「ふあ、ふぁ~」
「くぁ、ふぁ~」
あくびが被って2人で笑いあう。
楽しい時間の終わりを、私は強く、強く感じていた。
「ねぇ、私たちってさ、水槽の中にいるみたいだと思わない?」
寂寥感に包まれた私は、自分でも予期していなかったことを口走ってしまった。
「どしたの急に」
広哉が怪訝そうに尋ねてくる。
「変な意味じゃなくてね。学校とかに縛られて、閉じ込められて。魚たちと同じだよね」
自分でもうまく言葉にできなくて、うやむやにしてしまった。
私がうつむいていると、広哉は冗談めかしたことを言って、空気を和ませようとしてくれた。
でも、その時の私は、右耳で聞いたことをそのまま左耳から垂れ流すだけ。
ほとんど、いやまったく内容が入ってこなかった。
私たちはそのまま、帰路に就いた。
最寄りが一緒だと知った時はうれしかったはずなのに、今はもう、同じ電車に乗ることすらためらわれるほど、憂いていた。
(南條君は何も悪くないのに…)
ひたすらに自己嫌悪。
風香と出会うことがなくて、みんなと同じように教室に毎日登校するような高校生活を送っていたら、何か違っていただろうか。
広哉とは出会っていなかったかもしれない。
でも今の私には、広哉と出会わない方が、彼に迷惑をかけないで済むから、その方がよかった。なんて思えてしまう。
現に、車窓に反射する彼の横顔は、日中の楽しそうなそれとはほど遠い。
(ごめんなさい、本当に…)
心の中で謝罪する。
それが彼に届かないことを知っていながら。
いつの間にか最寄り駅に着いて、改札で広哉と別れた。
今日はまだ明るいから、家まで送らなくても大丈夫と言って、駅で別れることにしたのだ。
本当は、罪滅ぼしのため、これ以上迷惑をかけないため。
去り際に彼が見せた笑顔は、紛れもなく社交辞令。
もう、今までのように優しくしてはくれないのかもしれない…
なんで私はいつもこうなるのだろう…
自分に失望しながら、私は斜陽に照らされた家路をたどった。