第16話 高鳴る胸と冷たい背中
その日、私はいつもより2時間も早く起きた。
中学の頃は、いつもこのくらいの時間に起きていたが、朝のチャイムに合わせて登校する習慣がなくなってしまった今日では、私は8時くらいに起きている。
昨日は少しだけ早く寝た。それでも高鳴る胸がなかなか寝させてくれず、私は眠い目をこすりながら、洗面所へ向かった。
顔を洗った後は朝食を食べて、いつものように支度を進めていく。
だが、今日は着る服が違う。いつもは制服で、今日は私服。
私は土曜日にスマホと30分くらいにらめっこして、やっとコーディネートを決めた。
割と物持ちのいい方な私は、クローゼットの中に広がる洋服の森から、目当ての服を続々と引っ張り出して、ベッドの上に置いていく。
着替えて姿見の前に立ち、くるっと回ってみた。
スカートがしわになってないかとか、毛玉は大丈夫かとかをチェックして、私は一息ついた。
ここまでノンストップで準備してきたので、少し疲れてしまった。
机に置いた小さな丸っこい時計に目をやれば、まだ8時前だった。
楽しみな気持ちが、私の身支度を早く終わらせてくれた。
今だって、ついでに時計の針も早くしてくれないかなぁなんて考えている。
私は、前日のうちに準備しておいたカバンの中身を念のため確認することにした。
コート掛けにその紐をひっかけられている私のカバンは、中学生の時に友達と買いに行ったもの。
中に入れることのできる物の量はそこまで多くないが、思い出はたくさん詰まっている。
美和やせつなといろんなところに出かけた思い出や、家族で海に行った思い出。
今でも休日には頻繁に活躍してもらっていて、今日もハンカチとかお財布とか飲み物が入っている。
今日はよろしくね、と心の中で唱えて、私はカバンを手に取った。
まだ家を出る時間ではなかったが、私はいつでも家を出られるように準備し、リビングへ向かった。
「気合入ってるじゃない、青春だね~」
「やめてよもう」
お母さんににんまりと言われて、私は照れてしまう。
「楽しそうでよかった。最近はどうなの、保健室」
ふと、お母さんに尋ねられた。少し予想外で、返事をするまでに間をおいてしまった。
「まぁまぁだよ。私なりに楽しくやらせてもらってる」
「そっかそっか、よかった」
きっとお母さんなりの、娘への気遣いの言葉なんだろうな、とは思う。
でもねお母さん、私はやっぱり、普通に教室へ登校してる生徒たちと同じように接してほしい。
保健室登校だから~みたいに特別扱いするのは、やめてほしいんだ。
ほかの子と同じように、進路のことは考えるし、悩む。
今日だって、みんなそうするように、友達と遊んでくる。
授業は受けてないけど、ちゃんと勉強だってしてるし。
他の子と違っているのは自分でも理解してるけど、そのせいで周りと違った扱いを受けるのは、今も、これからも嫌だ。
そんなことを考えていると、気が付けば家を出る時間が迫ってきていた。
「それじゃ、そろそろ行ってこようかな。暗くなるまでには帰るね」
「うん、行ってらっしゃい」
お母さんに見送られて、私は新緑で彩られた世界へ足を踏み出した。
駅までの道を歩く。
今日はよく晴れて、心地よい風が吹く、絵に描いたようないい天気だった。
そんな天気の中、私は見慣れた住宅に囲まれながら歩く。
角を曲がって、前方に目をやると、見覚えのあるシルエットが目に入ってきた。
同時に、私は背筋が凍るのを感じた。
渡辺風香だった。
彼女の派手な見た目とよく釣り合う、派手な見た目の友達を2人連れて、私の前を歩いていた。
前と言っても、40メートルくらい距離は開いているので、向こうがこちらに気づくことはまずないだろう。
そのことを理解してもなお、私は彼女を目撃してしまったことへの嫌悪感、不快感をぬぐえずにいた。
だって彼女は、私が保健室登校をすることになるおおもとの原因なのだから。
思い出すだけでも心がきゅっとなって、立っていられないのではないかと思えてくる。
彼女たちから少しでも離れようと、予定していた道を変更し、2つ手前の角で曲がった。
入学してすぐのホームルームでやった自己紹介が、今でも私の記憶に刻まれている。
風香は確か、私の最寄り駅から3つ行った駅が最寄りだと話していた。
とすると、あの2人の友達のうち、どちらかが私と最寄り駅が同じなのだろうか。
そうとしか考えられないが、風香と近しい関係の人間が、私の家の近くに住んでいる。それだけで少し怖いなと感じてしまう、それほどに、私は風香を恐れ、警戒し、そして恨んでいた。
私から、楽しくなるはずだった高校生活を奪った
その事実は、彼女がどうあがこうと消えない。
私は胸の中に黒いものを抱えながら、駅までの道を急いだ。
急に道を変更したせいで気が付けば時間ギリギリだ。