第15話 翳り
タイトルは、”かげり”と読みます、よろしくお願いします!
そんなこんなでイルカショーが終わり、俺たちはゆったりとした人の流れに溶け込んで、イルカスタジアムを去ろうとしていた。
「すごかったね!イルカとトレーナーさんの息ぴったりだった」
「だね、すごいジャンプしてたし」
「大迫力だったね~、私ちっちゃい頃はイルカトレーナー目指してたんだ」
「え、そうだったんだ!」
柚希から意外なことを告げられ、驚いてしまう。
(まぁ動物とか好きそうな雰囲気あるもんなぁ)
「でもプールでおぼれるの怖くて諦めちゃったんだ、今も水泳苦手だし」
と言って、少し恥ずかしそうにはにかむ彼女の顔には、過去を懐かしむような、そんな表情があった。
(俺小さい頃、何目指してたっけな)
柚希が、今の夢は看護師と獣医で迷ってるとかなんとか言っている隣で、俺はそんなことを考える。
サッカーを3歳の頃からやってたから、もしかしたら幼き南條広哉は、真剣にサッカー選手を目指していたのかもしれない。
でも、俺にもそんな途方もない夢を抱いていた時期があったのだろうとは思う。
(やべ、昔のこと考えると余計なことまで思い出されるな、やめよ)
吹っ切れたはずの過去の出来事がよみがえってきそうだったので、俺は考えるのをやめた。隣に柚希もいるから、変に心配かけたくなかったし。
続いて俺たちは、館内で随一の絶景スポットと名高い場所にやってきた。
足元には水槽、まっすぐ前を見れば、広い日本海を一望できるその場所は、1階で見たふれあい水槽とは対照的に、子供達にはあまり人気がないようで、静かな場所だなと感じさせる。
「すごい広いね~」
「ほんとだね。この海の先にどんな世界が待っているのやら」
「なんか壮大なこと言ってない?」
「そう?」
果てしなく広い海を見ながら、俺たちは笑い合う。
こんなに大きなものを見せられれば、自分たちが抱える悩みなんて小さいものだなと感じさせられる。
「ねね、2階にトンネル型の水槽あるらしいよ、行ってみない?」
「いいね、行こうか」
最後に日本海を一瞥し、一抹の名残惜しさを抱えつつも、俺たちはその場を後にした。
あのあとは、トンネルの形をした水槽を見に行って、360度に魚がいるという環境を楽しんだ。
場所をまた変えて、クラゲがゆらゆら泳ぐ様子をひたすら眺めたあと、1階のレストランで昼食をとった。
柚希の口の端の方にご飯粒が付いていて可愛かったのは俺だけの秘密にしておこう。
そして俺たちは、最後の締めとして、水族館で最も大きな水槽を訪れていた。
「うおっ、イワシすごいな」
「ほんとだ、立派な群れだね」
水槽の前に置かれた丸いソファーに座る俺たちの目の前をイワシの大群が通過する様子は迫力があり、俺たちは声を上げる。
時刻は14時過ぎ。来場した子供たちが、昼食後の眠気に包まれる時間帯だ。
そのせいか、館内はとても静かだった。
ちょうどいい静けさと、暗さ。ここまでの環境がそろえば、15歳の俺でも眠くなってしまうのは当然で。
「ふあ、ふぁ~」
「くぁ、ふぁ~」
あくびが被ってまた2人で笑いあう。
もしかしたら、この場所だけが、世界よりもゆっくりと時間が流れているのかもしれない。
そう思えるほどに、俺たちは穏やかな時の流れを共有していた。
「ねぇ、私たちってさ、水槽の中にいるみたいだと思わない?」
「どしたの急に」
ふいに、柚希が思いがけないことを言う。
「変な意味じゃなくてね。学校とかに縛られて、閉じ込められて。魚たちと同じだよね」
何を言い出すんだ、と俺は思った。
柚希は楽しそうに見えた。そんな楽しい時間に、いきなりシリアスなことを言い出すなんて。
いつも笑顔でいる柚希からは想像もできなかったので、俺は動揺してしまう。
「そうかな、でも俺は学校、嫌いじゃないよ。テストは憂鬱だけど」
冗談めかして俺が言っても、柚希の表情は作ったような薄い笑みを浮かべるだけ。
そして無言で立ち上がったと思うと、
「帰ろっか。今日はありがとね、気分転換に付き合ってくれて」
と言う。
柚希はエスカレーターへ歩き出すとき、水槽の方を見ていた。
その時の彼女の横顔は、ひどく寂しそうで、今にも壊れてしまいそうなはかなさを孕んでいた。
来た道を歩いて、駅まで行く。
その間、交わした言葉は
「車来てる、気を付けて」「うん、ありがと」「人通り少ないね」「まぁ、田舎だし」
だけ。
行くときは、どんな魚が見たいとか、お昼ご飯は何を食べるとか、たくさん話したというのに。
明らかに様子が変だ、というのはわかった。
でも、なんて声をかければいいのかが、俺にはわからなかった。
電車を待つホームで、俺は何度も彼女の横顔に目をやった。
得も言われぬ寂しさを示していた。
それだけのことが分かっていたのに、俺は、何もできなかった。
──いや、しなかった。
朝とは逆方向の電車に乗る。
俺たちのテンションも、朝とは真逆のように感じた。
同じ窓から景色を眺める。
(窓は同じでも、見えている景色は違うのかもしれない)
なんてことを思った。
保健室登校をしている生徒が、俺たちが教室で授業を受けている間何をしているのか、俺は知らないし、柚希にも聞いたことがなかった。
退屈な日々を過ごして、水槽という閉鎖空間で生活する魚たちと自らを照らし合わせたのかもしれない。
でも、勝手に柚希の生活を退屈なものと決めつけるのは、柚希自身を否定することになってしまう。
だから、俺は軽々しくそんなことは言えなかった。
言いたくなかった。
何か言っても、全部が軽薄なものになってしまうような気がしたから。
「じゃ、私こっちだから。今日はほんとにありがとね。また学校で」
「うん、じゃあね」
いつの間にか最寄り駅に着いて、改札で柚希を見送る。
今日はまだ明るいから、家まで送らなくても大丈夫という彼女の言葉を信じ、俺は駅で別れることにしたのだ。
去り際に彼女が見せた笑顔は、紛れもなく社交辞令。心からの笑みではない。
柚希のことがとても気になったが、俺は自分の家路に着いた。