第14話 天使とペンギンとイルカ
日曜日。待ち合わせ時間の10分前。俺は駅で待っていた。
あんまり早く着いて、
「ごめん待った~?」
「ううん、今来たところ」
「嘘だ、その顔は15分前に駅に着いてたね」
とかいう、二次元の世界で主人公たちがデートするときのテンプレとなっていることを言われたり、気を使われたくはなかったので若干家を遅く出たのだが、やはり早く着いてしまった。
スマホを見ても、通知はない。
俺は手持無沙汰なのをごまかすべく、駅舎のガラス窓を使って、身だしなみの最終チェックをする。
寝癖はいつもの5倍くらいの時間をかけて直して、服もネットで調べたコーディネートを、今自分が持っている服で可能な限り再現した。
人から見える部分の毛は髪の毛と眉毛を除いて剃ってきたし、歯も磨いたから大丈夫だろう。
まぁ、剃ったと言っても、濃くなり始めたばかりのひげと鼻毛くらいだが。
今日は柚希の家に近い方の改札で待ち合わせているから、柚希が来ればすぐにわかるのだが、一向に来る気配はない。
途中で事故にあったりしていないだろうか。
そんなことを心配する。
きっと、親ってこんな感じの心持ちなんだろうなぁなんて思ったりもした。
考えてみれば、よく柚希は知り合って間もない男子と休日に出かけることを決意したな。
男子からすれば、休日に女子と出かけるなんてこの上ない幸せ案件だが、女子はやはりそうはいかないだろう。
それこそ、好きでもない限り…
そこまで考えてハッとした。
(いや、さすがにないだろ。あんな美少女がこんな平凡でどこの馬の骨とも知れない男のことを好きになるはずがない。きっとあれだ、気分転換がしたくて、でも一人で出かけるのは気が進まないから、手ごろな相手を探していただけだ。うん。そう、期待するのはやめたんだ。)
そんな風に、自分に都合のいいように(?)解釈したところで、こちらに向かってくる天使が見えた。
(あ、俺、もう死んでいいかも…)
真面目にそんなことを思った。
だって、羽を生やした天使がこっちに走ってくるんだよ?ちょっとはにかんでるし。
それってもうさ、お迎え来たよね。あの世から。
でも天使が迎えに来たってことは天国行きか。
地獄じゃなくてよかった…
お母さん、いままでありがとう…
「南條君!電車、発車しちゃうから早くいこ?」
「うぉ、ごめん、ぼーっとしてた」
天使こと柚希に現実世界に引き戻され、俺は乗る予定の電車の発車時刻まであと3分であることに気づいた。
俺たちは少し急いで改札を通り、予定通りの電車に乗ることができた。
急いでいることもあって、電車に乗って席に着くまでは、言葉を交わすことはなかった。
「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃって」
「ううん、全然。俺も寝癖直すの手こずったし」
「そうだったんだ、あ、ここ寝癖残ってる」
くすっと笑って、柚希が俺の頭に手を伸ばしてくる。
そして、少し残った寝癖を直してくれた。
(今日が始まって9時間くらいしか経ってないけど、俺すでに2回死んでるわ。)
俺たちのおでかけは、俺の死亡を以ってスタートした。
いやしかし、本当に今日の柚希は可愛い。
そう言うと普段が可愛くないみたいに聞こえるが、今日が特段に可愛いということだ。
淡いピンクのニットのトップスに、エメラルドグリーンのプリーツスカートがよく似合う。
あんまりじろじろ見てると不審に思われてしまうだろうから、俺は向かいの車窓から見える景色とにらめっこしていた。
自宅の最寄り駅から1時間ほど電車に揺られ、そこから10分ちょっと歩いたところに、水族館がある。
海で動物たちが紡ぐ物語をテーマとして営業されるその水族館は、日曜日ということもあって、大勢の客であふれていた。
「お客さんいっぱいだね~」
「まぁ日曜日だしね。親子連れがほとんどだ」
「だね~」
俺たちはネットで事前にチケットを買っていたので、チケット購入の列には並ばず、そのまま入場することができた。
入場ゲートでパンフレットを受け取り、少し進むと目に入ったのは、魚たちに餌やりができる体験型の水槽。
そこは子どもたちに大人気なようで、きゃっきゃっとはしゃぐ声が聞こえてくる。
俺はちらりと目をやって素通りしようとしたが、柚希が立ち止まった。
「やりたいの?」
そう声をかけると、柚希は少し顔を赤らめ、
「べ、別に?子どもじゃあるまいし」
と言って、スタスタと歩いて行ってしまった。
(別にやってもいいのに…)
俺たちは近くのエスカレーターから2階へ上がり、柚希が見たいと言っていたペンギンの水槽を目指した。
「可愛い~!てかめっちゃいるじゃん!すご~い!」
到着するなり大興奮の様子の柚希。この場で一番テンションが高いまである。
「飼育数は日本一らしいよ。ほんとにたくさんいるね」
「日本一!?知らなかったな…」
俺がパンフレットを見ながらそう話すと、驚きと喜びが混じったリアクションが返ってくる。
柚希は、すいすい泳ぐペンギンを歩いて追いかけてみたり、家族で岩場にいるペンギンをじっと眺めたりしていた。
ちなみに俺は、そんな柚希を眺めていたのだった。
(見てて飽きないなぁ)
「あ、イルカショーそろそろじゃない?確か10時半からだったような」
ペンギンたちから目を離し、パンフレットを見ながら俺に話しかけてくる柚希。
俺も腕時計とパンフレットを見比べる。
「ほんとだ、3階だったよね。行ってみよっか」
「うん!」
開演まで5分余りとなっていたが、ここからならすぐに着けるだろうということで、俺たちはそろってエスカレーターへ向かった。
エスカレーターはイルカショーを見たい人でごった返していた。
「すげぇ人だ、はぐれないようにしないとだね」
「うん」
「行こうぜ行こうぜ!!」
「待ってよ〜」
「あ、ちょっと純ちゃん!」
男の子2人組が、エスカレーターに乗る俺たちの横を駆け上がっていく。後ろからはお母さんらしき人が呼びかける声も聞こえるが、彼らには届いていないようだ。
(転ばないでよ…)
俺が心の中で念じたのも束の間、
「あっ!」
と声を上げて、後ろをついていった男の子が段差を上ろうとしてこけた。
(言わんこっちゃない…)
「ほれ、大丈夫?」
俺がそう声をかけて手を差し出すも、
「大丈夫!」
と言って立ち上がり、また元気に駆けて行ってしまった。
なんだか優しさが空回りした気がする…
「優しいんだね」
「え、いや、まぁ」
柚希にそう言われ、照れてしまう。
本日3回目の死亡です。
エスカレーターを上り切った先にも人が多くいて、なかなか進まない。
(前は進まないけど、なんか後ろから押されてない!?)
後ろの方から、押す力を感じる。
イルカショーを見たい気持ちはわかるが、暴れないでほしい。
さすがに危ないかなと判断した俺は、
「ちょっとつかまってた方がいいかも」
と言って柚希に手を差し出した。
「あ、ありがと」
少しして、女子特有の柔らかさをもった手が俺の手を握り返してきた。
まぁいろいろ感想はあるが、ここで言うと地上波で放送できないのでやめておく。
俺たちの間に、妙な空気が流れる。
周囲の喧騒が、俺の高鳴る鼓動でかき消される。
(やべ、手汗…緊張してるのバレちゃうな)
そんな風に1人で焦りながら、俺たちはイルカショーの会場を目指した。
人の波に押され揉まれながらも、俺たちは何とかイルカショーの会場であるイルカスタジアムにたどり着いた。
予想はしていたが、そこも多くの人であふれ、立ち見の回避は不可能だろうなという様相を呈していた。
俺たちは手はつないだままに、人の邪魔にならないところまで歩き、立ったまま見ることにした。
「もうちょい早めに来ておくべきだったかな…痛恨の極み…」
「だね…」
俺たちのどんよりとした空気を打ち消すかのように、イルカショーの始まりを告げるアップテンポの音楽が流れてきた。
続いて、3人のイルカトレーナーと、イルカたちが颯爽と登場し、トレーナーの合図に合わせ、イルカたちも俺たちに挨拶をしてくれる。
そんな様子は、立ち見かつ遠くからとはいえ、見ていると和んでくる。
それは柚希も同じなようで、目を輝かせてプールの方を見ていた。
いつの間にか離れた手で時折拍手する様子も見られた。
(楽しんでくれてるようでよかった…)
そもそも今日は勉強の気分転換にやってきたのだ。それなのに変にどんよりしていては本末転倒。
俺は今日の残された時間を大切にしようと心に誓った。