第13話 超展開キタァ!
火曜日からは、普通の日が続いた。
本当に普通。何の変哲もないごくありふれた日常を、俺は過ごしていた。
昼休みに保健室へ行って柚希に勉強を教えることも、俺の中ではもう普通のことになっていた。
金曜日、俺は生物の教科書を持って、保健室に向かって歩いていた。
すると、向こうから久しぶりに見る顔がやってきた。
渡辺風香だ。
隣には、彼氏なのかただの男友達なのかは知らないが、イケメンを連れている。
俺とすれ違う時、こちらに気づいて微笑んできた。
俺も一応、軽く会釈しておく。
背後から、「友達?」「うん、ちょっとねー」といった会話が聞こえてくる。
そういえば、風香がなくしたというキーホルダーは見つかったのだろうか。
まぁ、忘れてるのかもしれないな。
そんなこともありながら、俺は保健室の前に着いて、扉を開けた。
消毒液の匂いはもうずいぶん嗅ぎ慣れて、以前のように顔を顰めるといったことはなくなった。
「やっほー、遅かったね」
俺が中に入ると、椅子に腰かけた柚希がそう語りかけてくる。
「ごめん、二者面談してた。今日は生物だよね」
「そうだったんだ、生物でいいよー」
俺も丸椅子に腰かけ、いつものように勉強会を始めた。
勉強を教え始めて一週間くらい経つが、いくつか柚希について分かったことがある。
まず一つ目。柚希は完全に文系だ。
数学や理科系の科目は苦手としているが、国語や英語に関しては、基礎が大体完成されていて、ひょっとすると俺よりできている。
文系科目を教えているときは、俺も知らないような知識、思いつかなかった視点をズバッと言ってくることがたまにあり、こっちまで勉強になるくらいだ。
(まぁ、別に俺が天才なわけじゃないってのもあるけどな)
二つ目は、高校受験時の知識が、ほとんど柚希の頭からは抜け落ちているということだ。
よく高校入れたなって思うことがままある。
単に忘れているだけなのか、それとも入試当日は奇跡的に勘が冴えて合格できたとかいう本番にめちゃくちゃ強いタイプなのか。
だとしたらめちゃくちゃ羨ましい。
だって俺、いざという時に弱いんだもん。
でもなんだかんだ言って、柚希は一生懸命だ。
わからない問題も粘り強く考えるし、自分が納得できるまで、俺の下手くそな説明を最後まで聞いてくれる。
だから今日も頑張ろうと思っていたのだが…
「何この化学式、意味不明なんですけど。これ生物の教科書だよね?」
「なんで水素イオンがここで登場すんねん!」
この有様だ。
学んでいる内容が難しいというのもあるが、やはり集中できていないように見える。
見えるというか集中できていない。
「まぁまぁ落ち着いて。ゆっくり理解していけばいいんだし」
そんな言葉で宥めるが、効果は薄いようだ。
最近はずっと勉強していたし、そろそろ飽きてくるのもわかる。
どうしたものかと俺が悩んでいると、見かねた理子が口をはさんでくる。
「もう静かにしいや。集中できてないなら、気分転換でもしたらええがいね」
どこのものかわからない方言で言ってきた理子だが、言っていることの内容は至極まともであった。
(まぁ、飴と鞭って言葉もあるしなぁ)
「じゃあ、週末、また中学のお友達でも誘って…」
「2人で遊んで来たら?」
(!?!?!?!?!?!?!?!?)
何を言っているのか。この独身アラフォー養護教諭。
完全に口から出まかせなんだろう。でもでもだとしても、言っていいことと悪いことがある。
いや別に、嫌ってわけじゃないけども…
「ん?どうした2人とも。すごく困惑している様子だが」
『そりゃ困惑しますって!!』
平然と言う理子に対する抗議の声が、保健室に響いた。
「何勝手なこと言ってるんですか!」
「ほんとですよ!べ、別に嫌とかそういうわけじゃないですけど、私の気分転換に南條君を巻き込むわけにはいきません!!」
俺たちが必死に理子へ抗議するが、相変わらずひょうひょうとした様子でいる。
「何よ、嫌なら行かなければいいじゃん。行きたいなら行ってくる。行きたくないなら行かない。それだけの話じゃない。でも、たまには気分転換した方がいいと先生は思うけどなぁ」
「だから別に嫌ってわけじゃないですけど…」
もう何度目かわからない応答をしたところで、予鈴が鳴った。
「ほれ、広哉は教室戻りな。まぁ、いつでも連絡取れるようになったんだからさ、そこは2人でうまくやりな。ね?」
にししという表現が最もよく似合う笑顔を浮かべた理子をギロッという表現が最もよく似合う視線で見ながら、俺は保健室を後にした。
午後の授業の始業時間が迫っていたので、俺は教室までの道を急いだ。
そう、スマホの通知に気づかないくらいに。
5時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
長い息を吐いて、俺は心身の疲労をリセットする。
別に体はそこまで疲れていないのだが。
次の6時間目は体育だ。早いとこ着替えてグラウンドに向かおう。
そんなことを思っていた矢先、俺は授業には持っていかないスマホをカバンにしまおうとして、ポケットから取り出した。
そして、メッセージが来ているのに気付いた俺は、送り主を確認する。
「っ…」
思わず息を吞んでしまった。
その様子を見た泰正が話しかけてくる。
「どうしたぁ?なんかいいことでもあったか?」
俺は自分の顔がめちゃくちゃ引き攣っていることを自覚しつつ、答えた。
「いや、ない」
まぁ本当に何もないはずはなく…
アプリからの通知は2つ。
一つ目は、柚希が俺を連絡先に追加した、というもの。まぁこれに関しては、理子経由(本当にあの人は俺たち3人のグループを作った…)で追加したのかな、とひとまず納得できる。
そして二つ目は、柚希からのメッセージ。
「明日か明後日、出かけます?」
というもの。
ちなみに、俺はまだ返信していない。
理由は単純。なんて返せばいいのかわからないからだ。
とはいえ、俺も立派な(?)男子高校生。
女子からのこういう連絡に浮足立ってしまうのは、もはや必然。
そう、宿命なのだ。
俺は6時間目の授業を、超ウキウキで過ごした。
だが、調子に乗った奴が体育でサッカーをするとどうなるか。
そう、ケガをします。
案の定俺はボールが頭にぶつかって、今月2回目の保健室送りとなった。
(まぁ、保健室に行くだけなら何回もやってるんだけどな)
そんなことを考えながら、俺は呆れ顔を浮かべる理子の処置を受けた。
柚希から衝撃の(?)メッセージを受け取った日の放課後、俺は学校に残らなくてはいけない用事もなかったので、速攻で帰宅して、いつものようにゲームをしながら母さんの帰りを待っていた。
17時過ぎ、目を休めようと俺は本棚から文庫本を引っ張り出して、ベッドに寝転がった。
一日中スマホの通知が鳴らなかった。
そこで僕は気づいた。彼女はもう、帰ってこないのだと。
本の中でこんな表現があった。
そこで俺はハッとした。
(やばい、古賀さんからの連絡、返事してない…)
さすがに時間を空けすぎた、と我ながら反省する。
そして俺は目を休めることも忘れてスマホを手に取り、メッセージアプリを開く。
当然履歴の一番上には柚希がいて。
俺は柚希とのトークルームへ入り、なんて返事をしようか思案する。
迷った末に、俺は
「ぜひ!行きましょう!」
と返信した。
いかにもコミュ障な返信だなぁと我ながら思う。
(きっとモテる男ならもっとうまく返信するんだろうなぁ…って、何考えてるんだ俺は!)
自分でもよくわからない事を考えながら、俺は柚希の返信を待つ。
ものの5分ほどで既読が付き、またメッセージが送られてきた。
「おっけー、どこ行くとか時間とか決めたいんだけど、なんか文字打つのめんどくさいから電話してもいい?」
「いや…えっ??」
はい、本日n回目の困惑。もう俺としては意味が分からなかった。
女子とメッセージを送り合うということですら、俺にとっては新鮮で緊張することなのに、通話!?電話!?
とかなんとか俺があたふたしていると、柚希から追加でメッセージ。
「やっぱ電話はだめ…?」
俺は速攻で返信した。
「やりましょう、ぜひやりましょう」
自分でもかなり気持ちの悪い返信をしたなという自覚はあった。
だが、そんな風に頼まれてしまっては断れないというのが男の性。
そのあとは返信がなく、やはり気持ち悪いと思われたかなどと心配していたが、携帯が振動し、着信音が鳴った。
電話が来てしまったのだ。
俺は何の意味があるのかは知らないが、少し間を開けてから応答ボタンをタップする。
「はいもしもし、南條です」
『お、出た。やっほー、なんか固くない?敬語だし』
「いやなんか緊張しちゃって」
『わかる、直接話すのとはなんか違うよね。じゃ、さっそく本題なんだけど』
若干の、いやかなりの緊張を覚えつつ、俺は本題であるいつどこに出かけるのかについて話し合うため、脳を切り替えた。
『どっか行きたいところとかある?私は何でもいいんだけど』
「俺も何でも…」
と言いかけたところで止まった。
先週くらいに、テレビでやっていたのだ。何でもいいとか言って女の人に任せる男は嫌われるのだと。
そこで俺は何かないかと必死に考えをめぐらして…
「うーん…あ、水族館とk」
『じゃあ、水族館とかは?』
「あ」
綺麗に被った。
『ご、ごめんね。なんか、たまたま昨日電車で見た広告を思い出して…』
「お、俺も。まぁ、決定でいいすか?」
『うん、そうしよっか』
まさかの理由まで同じとかいう奇跡。
その後はそれはそれはスムーズに話し合いというか打ち合わせ(?)は進み、駅で日曜日の朝9時に待ち合わせることが決まった。
ほんと、嘘みたいだ。