第11話 初夏の夜空
「じゃあ、帰りますか…」
「そうしよっか」
かくして俺たちは、昇降口へと歩き始めたが…
(いやマジで!?最寄り駅が!?一緒!?)
さらっと衝撃の事実を告げられた俺は、とても平静を保っているとは言えない状況だった。だがしかし、今は柚希と二人きり。絶対に粗相のないようにしなければいけない。
俺は意識を他へ向けるべく、周りへと目をやった。
この時間になると、校舎の中にはほとんど生徒の姿は見られなくなる。
校内に残っているのは、文化部だけであり、そんな彼ら彼女らも、たいていは2階から4階に位置する教室内での活動となっているため、俺たちがいる1階は本当に静かだった。
加えて、日が傾いていたので校舎内は少し暗かった。
静寂と闇に包まれた廊下を、俺たちは歩いた。
廊下を歩いている間は、この静寂を崩したくないような気がして、一言も話さなかった。
だが、靴を履き替え、外に出ると、一気に緊張の糸がほどけた。
俺が小さく息を吐きだすと、柚希はふふっと笑った。
グラウンドから聞こえてくる野球部か、サッカー部かの声を背に、俺たちは校門をくぐる。
こんな中途半端な時間に下校をする生徒はほぼいないというか、俺たちだけだったので、理子がほかの生徒と柚希の下校時間をずらしたい、と言っていたのを思い出した俺は安堵した。
柚希も落ち着いた気持ちでいるのか、柔和な表情を浮かべて、俺に話しかけてきた。
「校舎の中、暗いし静かでなんか緊張しちゃったね。息も詰まるとはこのことかって思ったよ」
「だよね、俺普段学校にはあんまり遅くまで残らないから、新鮮だったな」
「私も。でもなんか、ワクワクしたね」
「え?そう?」
子供のようなことを言う柚希に、俺は笑いを含んだ声で返事をした。
変な緊張が解けた俺たちは、駅までいろいろ話しながら帰った。
兄弟や姉妹はいるのかとか、東京でやってみたいこととか。
柚希は俺と同じ一人っ子で、東京では食べ歩きがしたいらしい。
話してみてわかったが、柚希は前向きだ。
保健室登校をしているとなれば、メンタルも下を向きがちなんじゃないかとか、勝手に思い込んでいた自分が恥ずかしくなるくらいに、彼女は前向きだった。
将来のこともちゃんと考えているし、家族も大切に思っている。
自分のことで精いっぱいなんて思わず、周りにも気を配れている。
そんな彼女を、俺はまぶしくて、うらやましいと思った。
でも、少し脆いようにも感じた。
話していると、あっという間に駅に着いた。
カバンをまさぐって、定期券を探す。
改札を通って、やってきた電車に乗る。
その時、俺は本当に柚希が同じ方向の電車に乗るのに驚いた。
それは彼女も同じだったようで、
「ほんとに一緒なんだ!」
と、声を上げて驚いていた。
田舎の電車は空いている。
だから、車内ではいろいろな話をしながら流れる景色を見ていた。
ふと、柚希がぽろりと口から言葉をこぼした。
「私この町好きだな」
「どうしたの、急に」
「ん-、優しい人多いし、ごはんおいしいし」
「ごはんって…絶対田んぼ見たから言ったでしょそれ…」
そんなことを言って、また2人で笑い合った。
電車内に吊り下げられた水族館の広告が、風に揺れていた。
その後は、ひたすらに続く田んぼを電車から眺め、時々言葉を交わし、俺たちの最寄り駅に着くのを待った。
柚希と同じ駅で降りると、俺は柚希とは改札の方向が違うことに気が付いた。
だが、もう外がかなり暗くなってきていたので、俺は送っていくことにした。
とはいえ、柚希も女子高生だ。知り合って間もない俺に家の所在を知られるのはいい気がしないだろう。ということで、俺は自宅の近くまで送ることにした。
柚希は気にしなくていいと言ったが、俺の良心が許さなかったのだ。うん。
柚希の家の方向、言ってしまえば海の方に歩いていると、柚希が、あっと声を上げた。
「あれ見て」
指をさす方を見れば、そこには満天とは言えないが、星が確かに存在していた。
「うわぁ、きれいだ」
「きれいだね…」
海上の空気は人が住む場所より空気が澄んでいて、星がよく見えるのかもしれない。だが、家の近くでこんなに星がきれいに見えるなんて、知らなかった。
柚希も初めて見たようで、目を輝かせていた。
この世界は、俺たちの知らないことであふれている。
そしてその知らないことは、身近にこそ多く潜んでいるのかもしれない。
「ただいまー」
「お帰り、遅かったね。」
柚希を無事に家まで送り届けた俺は、駅までの道を戻って、そこから自宅まで歩いた。
家に着くころには、19時になろうとしていた。普段は俺より帰りが遅いことが多い母さんがそう言うのも無理はない。
荷物を自室に置き、着替えてリビングに入るなり、キッチンに立つ母さんが言ってきた。
「例の女の子、家まで送って行ってあげたんだって?理子ちゃんから聞いたよ」
「うげっ、もう情報出回ってんのか…」
情報伝達のスピード感に驚きを覚え、俺はリビングにつながる扉を開けた状態でしばし硬直してしまった。
「別にいいじゃないの、ほら、夕飯食べちゃって」
母親にそう促されて、俺はうなずき、やっとハンバーグが置かれた食卓へと動き始めた。
「いやー、それにしても何よ、結構イイ感じなの?その子とは」
腹をすかした俺が黙々と夕飯をむさぼっていると、母さんがソファの上で体をこちらに向け、にんまりとして話しかけてきた。
「いや?別に。互いに恋愛感情はないからね」
「ほんと~?」
「ほんとだって。少なくとも俺は。まぁ向こうからしても、俺を好きになる要素はないでしょ」
俺が自虐気味に、そしてあきれた様子で言うと、母さんは少し真面目な顔、でも優しさのこもった顔で言ってきた。
「そんなことないわ。広哉は優しくて、人に寄り添える力がある。そんなあなたを、好きになってくれる人はきっといるから」
「そんなこと言われても…」
母さんに面と向かってそんなことを言われてしまうと、照れてしまう。
恋愛感情なんていう、複雑で不明瞭なものは、自分にはよくわからない。
自分の気持ちなんて、自分が一番わかってない。
いつの日か、何かの小説で読んだ言葉だ。
本当にそうだと思う。たとえ誰かのことを好きになったとしても、俺は気づかないのかもしれない。
もうすでに、俺が気づいていないだけで俺は柚希のことが気になっているのかもしれない。
期待はしない方がいい。その期待が外れた時に悲しくなるから。
これも、どこかで聞いた言葉。
俺はなるべく他人に期待をしないようにしている。
だから今も、柚希が自分を特別に思ってくれているなんて期待はしちゃいない。
ごちゃごちゃ考えているとごはんが不味くなりそうだったので、俺は残りのおかずと白米を、急いでかき込んだ。
夕飯を食べると、俺は気分を落ち着けたくなって、自室に戻り、読書をすることにした。
カバンから今読み進めている文庫本を取りだす。
それを持ってベッドに腰掛け、記憶しておいたページを開いた。
俺は、本のにおいが好きだ。
自分を別世界に連れて行って、物語を見せてくれるような気がするから。
今も、本のにおいを感じながら、文字を目で追っている。
作者がいて、紙という媒体があって、俺がいる。
間接的だけど、確かに俺と作者はつながっているんだ。
ひとしきり本を読むと、なんだか外の空気を吸いたくなった。
俺は自室の窓を開けた。
横幅が30センチくらいの窓だが、十分に外気を取り入れることができる。
風に乗ってここまで運ばれてきた名前も知らない植物のにおいが、俺の鼻腔を満たす。
かすかに隣の家の夕飯のにおいも。今日はカレーかな。
ふと空を見上げれば、紺碧のキャンバスにぱらぱらと星が散りばめられて、それぞれが光っていた。
柚希と一緒に見た時よりも空は暗いのに、そこまで星は多くない。
やっぱり、人の住む場所は空気が澄んでいないのだろうか。
でも、このおんなじ空の下に、俺と柚希は確かに存在している。
そんなことを考えると、どこかくすぐったい気持ちになった。
俺は、風呂に入って、らしくないことしか考えつかない自分も一緒に洗い流してしまおうと、1階へと降りた。