第10話 いろいろあった月曜日
いろいろあった日曜が過ぎ去り、全人類の敵と言ってもいい、月曜日がやってきてしまった。
俺は眠い目をこすりながら、1階へと降りる。
「おはよう」
「ふぁふぁよー」
「なんて言ってんのかわかんないわ。お母さん仕事行くからね、遅刻しないようにしなさいよ」
母さんにそう言われ、俺は時計を見た。
「げっ、もうこんな時間か。行ってらっしゃい」
母さんを見送り、俺はダイニングテーブルに置かれた朝食をかき込んだ。
自室で制服を着て、洗面所に行って寝癖をチェックする。
鞄を背負ったら、靴を履いて家を出て、鍵を閉める。
いつも通りのルーティンをこなし、俺は今日も学校に向かう。
「ふわぁ~」
昨日よりもかなり涼しくなっていた。しかし、ちょうど眠くなるような暖かさで、俺は路上で大きなあくびをしてしまう。
あまりのんびり歩いていると遅刻しかねない。俺は少し歩くスピードを速めた。
小さな十字路に差し掛かったところで、俺は思わず足を止めた。
猫がいた。子猫ではないが、それほど年老いていないような、白と薄い茶色が混ざった猫。
今日はいいことがありそうだ。
チャイムが鳴る2分前に教室に飛び込んだ俺だったが、俺のすぐ後に教室に入ってきた、クラスのお調子者キャラの生徒のおかげで、そこまで注目を浴びずに済んだ。
昼休みまでは、いつも通りに授業を受けて過ごす。
授業中に指名されても、それっぽいことを言って乗り切る。俺の常とう手段だ。
昼休みになり、けだるい授業のことなんかは忘れ、俺は一緒に昼食を食べようと泰正の席へ向かった。
「泰正、飯食おうぜ」
「あー、悪い、今日野球部のミーティングあって、そこで飯食べることになってるんだわ」
「そっか…あれか、3年が引退した後の話するのか」
「多分な、じゃ、行ってくるわ」
ごめんなーと言い残して、泰正は去って行ってしまった。
今日は久しぶりに1人で食べることとなった。
月に1,2回は泰正が昼休みにいないことがあるので、今日がたまたまその日だったというだけだ。
だがやはりさみしいものはある。
俺は自分の席に戻って弁当箱を開き、箸で卵焼きをつまんだ。
1人で食べると、誰かと食べるよりも早く食べ終わる気がする。まぁ、黙って食べるわけだし、実際このほうが早いんだろうけど。
ミーティングが長引いているのか、なかなか泰正は戻ってこない。
泰正が戻ってくるまで時間をつぶすため、俺は文庫本を取り出そうと鞄をあさり始めた。
その時、ポケットに入れたスマホが振動した。
メッセージアプリの公式アカウントから通知でも来たのかな、とか思いながら画面をチェックすると、そこには公式アカウントからのものではなく、母さんからのメッセージが表示されていた。
珍しいなと思いつつ、俺はアプリを開く。
その文面を見て、俺は思わず、うげぇ、と言ってしまった。
母さんからのメッセージ、それは、
「理子ちゃんから連絡、放課後なるはやで保健室に来てほしい、だってさ」
というものだった。
ただでさえ今日は早く帰ろうと思っていたのに、よりにもよって理子からの呼び出し。あの人のことだ、どうせろくなことではない。だが呼ばれたからには行かなくてはならないので、俺は脳内にリマインダーをセットしておいた。
午後の授業もやり過ごし、俺はいつも通りと言うべき放課後を迎えていた。
ただ一点、理子に呼び出されているということを除いて。
そして扉の前に立つ。
最近は毎日保健室に来ている気がする。いや、気のせいではないのだろうけど。
俺はよからぬ気配をムンムンに感じつつ、その扉を開けた。
「失礼しまーす。来ましたよ、南條です」
「おぉー来たか少年。早かったな」
「そりゃ早く来いって言われたらこうなりますよ」
「はっはっは、悪かったね、呼び出したりなんかして。ま、座りなよ」
存外にも、理子の雰囲気は普段通り、むしろ普段より柔らかい雰囲気で、どこかご機嫌に見える。
「どうも、古賀さん」
「やっほー」
俺はベッドに腰掛ける柚希にも挨拶をして、カバンを下ろして丸椅子に腰かけてから改めて理子に向きなおった。
「で、何の用です?」
「本題に入る前にさ、連絡先交換しておこうよ。これから呼び出すこともあるだろうしね」
突然の誘いに俺は驚き、1,2歩後ずさりしてしまった。
(椅子に座ってるから、気持ちだけ後ずさり…)
「え、そういうのってご時世的に大丈夫なんですか?ほら、仮にも教師と生徒なのに連絡先つなぐなんて」
「んー?大丈夫だろ、そんなお堅い関係以前に、広哉がこーんなちっちゃいころから、何なら君のお母さんとは大学からの付き合いなんだし。ほれ」
そう言って理子は自分のスマホを差し出し、メッセージアプリのQRコードを出していた。
「ほんとに大丈夫なんですかね?ばれたらまずいんじゃ…」
「広哉って変なところ真面目というか心配症だよね、大丈夫だって、幼馴染なんだし、ね?1回だけだよ、すぐにやめればいいじゃん」
保健の教科書で、薬物の誘いの断り方、みたいなコラムに載っていそうな例文を、よりにもよって保健室の先生が使っている。世も末だな…
あと、理子には大変失礼な話だが、こんな幼馴染は嫌だランキングがあれば、ある程度上のほうの順位に入ってきそうなキャラをしている彼女に幼馴染認定されているのはちょっと…
そんなことを考えていたが、理子が無言の圧力を強めてきたので、俺もスマホを取り出し、ちゃっかり連絡先を交換してしまった。
「よし、やっとその気になったか。まぁいいよ、柚希ちゃんと私はもう交換してるから、3人のグループ作っとくね。グループ名は”内緒の勉強会”でいっか」
俺は理子が言ったこと、そしてやろうとしていることに目が点になった。
「ええええぇぇぇぇぇ!?!?!?!?」
保健室に、俺の絶叫が響き渡る。
その声に、理子と柚希は耳をふさいで顔をしかめた。
「うるさいなぁ、そんなに騒ぎ立てるようなことじゃないでしょ?」
平然と言う理子に俺は全力でツッコんだ。
「いや、騒ぎ立てることですよ!教師と生徒が連絡先交換してるだけですでに十分ヤバイってのに…そもそも古賀さんの許可得てないじゃないですか!」
そう言って柚希のほうを指さし、確認する。
「わ、私は別に…嫌ではないけど」
「ほらぁ!私ファインプレーじゃん!」
今度は理子の喜びの声が部屋に響き渡る。
柚希はなぜか顔を少しだけ赤らめていたが、そんなことは気にしちゃいられない。
「まったくもう勝手に話を進めて…まぁ済んだことは仕方ないですけど、けど!僕から連絡することは特にないですからね!グループとか、個人のほうでも、あんまりしつこく連絡してこないでくださいよ、指田先生」
「えー、ひどいー、君たちのあま~いお話、お姉さんにた~くさん聞かせてよー。ていうか、柚希ちゃんにはそんなこと言わないのに私だけぇ?ひどーい」
本気でうざくなってきて、お姉さんじゃなくておばさんだろ、とか思えてしまったが、そんなことを言ってしまえば、女性陣二人からの糾弾を受けるに違いない。俺はぐっととどまった。
「それじゃ、俺はもう帰ります。なんか疲れたんで」
「あー待って待って。さすがにこれだけで帰せないよ。もうちょっとだけさ、ね?」
そういって理子は両手を合わせてきた。
「はぁ、それ聞いたら帰りますからね」
俺は仕方なく聞き入れることにした。
俺はいつも、他人からお願いされると断れないところがある。それを知って理子は頼んできたのだろう。ずるがしこい人だ、まったく。
「それで本題ね、えーっと今日ね、柚希ちゃんが学校に来た時間予想して。何時くらいに来たと思う?」
突然出された問いに、俺は困惑してしまう。
「え、わかんないけど…9時半とか?」
「なんと、12時半です」
「は、はぁ」
俺は保健室登校をしている生徒が平均して何時頃に学校に来ているのか知識を持ち合わせていなかったので、適当に返してしまった。
そんな俺の様子を察知してか、柚希が情報を付け加えてくれた。
「普段私は10時くらいに来てるんだけどね、今日はお恥ずかしながら寝坊してしまって…」
「あ、そうだったんですね」
「そうなのよ!おかげで私お昼ごはん食べるの遅くなったんだから!」
よくわからない不満を交えつつ、理子は続ける。
「それで、まだ学校来てそんな時間経ってないし、ちょっと勉強してから帰ってもらおうと思ってね」
そこまで聞いて、俺は理子が自分に頼もうとしていることをやっと理解した。
「で、勉強教えてあげてってことですか」
「そういうこと。お願いできる?」
「いやまぁ、いいですけど…」
俺があいまいに返事をすると、理子が真面目な顔をして言ってきた。
「それにほら、今柚希ちゃん家に帰しちゃうと、ほかの生徒と下校が被って、いろいろ不都合なのよ。それは保健室の先生からの真剣なお願い」
「まぁ、そういうことなら。いいですよ」
なんだかんだ言って、理子の話は筋が通っていることがほとんどだ。
かくして、初めての放課後勉強会が始まった。
「それじゃ、始めようか」
「はーい」
「今日は何の科目やる?前回は数学やったけど」
俺はカバンから筆記用具を取り出しながら柚希に尋ねた。
「うーん、英語にしようかな」
「わかった。英語好きなの?」
自ら進んで英語を選択した理由が気になり、俺はまた尋ねた。
「好きと言えば好きかな、私得意なんだよ」
「ほう?帰国子女的な?」
「いや、外国に住んでたことはないんだけど、小さいころ英会話習ってたの。あと最近ね、近所にハーフの女の子が引っ越してきてさ。ちょっとだけ英語で話したんだ」
「へぇ、そんなことがあったんだ」
数学は不得手だったが、英語は得意としているということで、少し意外だった俺は大きめにリアクションする。
「じゃ、さっそくやろう。教科書とかある?」
「うん」
「あ、そうだ私これから職員会議行ってこなきゃだから、あとは若いお二人でごゆっくりー」
「え、あ、ちょっと」
そう言って、理子はノートパソコンを抱えてさっさと保健室から出て行ってしまった。
そしてまぁ、高校生の男女二人が密室(鍵はかかっていないのだが。)に残された。
俺はしばらく理子が去っていった方を見ていたが、ゆっくりと柚希の方に視線を向け、動揺を完璧に隠して優しく言った。
「まぁ、気にせず始めよう」
すると、柚希も気にしたそぶりを見せず、
「そうしよー」
と返してくる。
まぁ、当然の反応だよな。
その後は何も起こらないはずもなく…といった展開にはならず、普通に勉強した。
驚きだったのは、柚希の英語力だ。正直、クラスに2,3人いる、ちょっと英語が得意な生徒くらいかと思っていたが、比にならないレベルだということが分かった。
もっとも、英語で会話したわけではなく、単語の発音を一緒に確認したり、英文を読んでもらったりしただけだが。
先週の授業で俺が学んだ教科書のページをさらっと教えた後に、俺は感嘆の声を上げる。
「すげぇな、思ったよりぺらぺらじゃん。教えることないかも」
「そんなことないよー、発音は自信あるけど文法とか訳わかんないし」
俺が柚希を褒める言葉に嘘はなかったが、柚希が自分を卑下する言葉にも嘘はなかった。そう、この美少女、英語は読めるけど文の構造を全く理解していないのだ!そう、いわばフィーリングで読んでいるまである。
今も、教科書に記されたS、V、O、Cといった文法の記号を難しい顔をして眺めている。
まぁ正直なところ、俺は英語の長文に関しては単語さえわかれば文章構造が多少あやふやでも、内容はつかめると思っている。だが、英作文や、自分の考えを書きなさいといった問題が出た時には対応しきれないのが難点だ。
まぁそこはおいおいやっていくか…
そんなことを考えていると、休憩がてら柚希が話を振ってきた。
「そういえばさ、日曜日にファミレスで一緒だったお友達ってこの学校?」
「うん、中学から一緒でさ。今も同じクラスの北山泰正ってやつだよ。なかなかいいやつで、今もちょくちょく遊んでるし、昼休みもよくつるんでる」
「そうなんだぁ」
そう言う柚希の顔が少し曇ったような気がした。
柚希自身の高校生活と、俺の高校生活を比較して、気分が沈んでしまったのだろうか。
俺が何か声をかけようか迷っていると、声の調子を上げた柚希がまた話し出す。
「あれ、南條君って何組だっけ?」
「C組だよ」
「そうなんだ!私も中学からの友達がいてね、この学校で中学同じなのはその子だけなんだー」
「ほーん、そうなんだ〜」
俺にとっての泰正のような存在か、なんてことを考え、柚希の新たな一面を知ることができ、ちょっと嬉しいような気持ちに俺は包まれた。
「で、この主語をitで置き換えてあげると、文章全体がすっきりするでしょ」
「うわほんとだ、すごい」
(まぁこれ、中学範囲なんだけどな…)
なんてことを思いながらも、俺は保健室での勉強会を継続させていた。
時計に目をやれば、もう17時を回っていた。
雑談も交えながらのんびりとやっていたので、時間の割にはそこまで進んでいない。
次のページに移ろうか、といったところで、保健室のドアがガラッと開き、俺たちはそちらを向いた。
そこには、少し驚いたような表情を浮かべた理子が立っていた。
「あれ、まだやってたんだ。その様子だと、ムフフな展開は無かったみたいだね?」
ふざけた口調で言う理子を、俺はたしなめる。
「指田先生、出て行っちゃわないでくださいよ」
「しょうがないじゃない、ほんとに会議あったんだし。それに、君たちなら2人にしても大丈夫だろうと思っての行動だよ」
どこまでが本当なのかわからない理子の言葉に懐疑の視線を送りつつ、俺は柚希に話を振る。
「古賀さん、まぁまぁいい時間だけど、家に帰る時間は大丈夫?」
「うーん、門限とかはないんだけど、そろそろ帰ろっかな。いっぱい勉強して疲れたし」
「わかった、お疲れ様」
机に広げた教科書やら筆記用具やらを片付ける柚希を、俺は見守る。
すると、椅子に座って、自分で淹れたインスタントコーヒーをちびちび飲んでいた理子が俺に視線を向け、
「送って行ってやりなよ、ジェントルマン」
とか言ってきた。
うざい、と心の中では思ったが、相手はあくまで教師。俺は生徒。そんな口は間違っても聞けない。
俺は満面の笑みで答える。
「でも、家遠かったら、俺が帰るのも遅くなっちゃいます」
「そんなことはいいんだよ、第一、君たち同じ駅が最寄りだろう?」
突如として明かされた衝撃の事実に、俺は目を見開いて理子を見た。
視界の端には、柚希が荷物をまとめる手を止めたのが映る。
『ええぇぇぇぇぇぇ!?!?』
保健室に2人の叫び声が響いた。
理子から、あまりうるさくするなという注意を受けた俺たちは、早々に保健室から追い出されてしまった。
文字数が多くなってしまいました…
反省…