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嫌われた魔法使いのバラード  作者:
旅路に並ぶ出会い
9/11

植物の魔法使い

 朝早く、ミューリは宿屋の廊下を弾んだ足取りで歩く。



「おや、おはよう。良い朝だね」

「おはようございます。とても良い朝です」

「うんうん、朝食は食べていかないのかい?」

「はい。約束があるので」



 宿屋の主人は口髭を撫でながら頷き、行ってらっしゃいと手を振った。ミューリは行ってきますと晴れやかに返す。


 朝日が昇ったばかりの空は、マゼンタの色が広がって綺麗だ。少し冷えた空気の匂いは水の匂いと似ている。小高い丘には畑が並んで、風に乗って土の匂いが漂う。


 風車は今日も回っている。


 進んだ先の秘密基地のような家。その庭先の木陰に座り、じっと風に耳を澄ませている人が見える。外套を被って眼鏡を掛けているため、顔はほとんど見えない。


「(毎朝風車を回しているの、フェルエスさんなのかも)」


 風車は水を引き上げる役目がある。毎朝風を起こして、農園横の溝に水を巡らせているのでは。

 ミューリは水が流れを追って畑へ振り返り、微笑みながらその光景をしばらく眺めた。



「何してるんだ?」

「風が気持ちいいですね」

「あぁ……ここは森も近いからな。排煙も粉塵もない、澄んだ風が通るんだ」



 風の魔法使いは、風を感じ取る。

 綺麗な空気であればあるほど魔法が扱いやすい。音を拾って集めるのに、汚い空気だとノイズが混じる。音は空気の振動だ。その振動に塵が混ざれば、その振動も乱れてしまう。

 昨日そうした風の特性を聞いたミューリは、原理さえ分かれば水でも同じことが可能なのでは無いかと試したが、そもそも水が音を吸収してしまうので難しいと分かった。フェルエスも水の魔法使いの特性は詳しく無い。研究は大いに楽しんだが、まったく同じことはできないという結果を出した。


 また目を閉じてじっとしているフェルエスに、ミューリも隣にしゃがんで同じように目を閉じてみる。しかしやはり、風が木の葉や草を掠る音しか聞こえない。

 音は聞こえないが、目を開けて鼻をひくりと動かした。



「パンが焼けた匂いがします」

「……鼻は良いんだな」

「男の人より女の人の方が嗅覚が鋭いと聞いたことがあります」

「遺伝子の匂いを感じ取っているらしいな。浮気に気付きやすいのもそのお陰だと……いや、お前はまだ早い。まだ知らなくていい。今のは忘れろ」



 彼も大概寝起きらしい。ぼんやりとした心地で会話をしたが、到底七歳に聞かせられる話ではなかった。絶対忘れろと両手でミューリの頭を掴み、ギュッギュッと縮めるように抑える。

 女性は相手の遺伝子の匂いを感じ取っているらしい。その為、不貞を犯して別の人間の匂いを付けてくると分かってしまう。中身が成人なので隠されたところで大体は理解しているし、ミューリ的には何ら問題ないのだが、一応「忘れました」と宣言して頭から手を離して貰った。


 朝早くからフェルエスの元へ来たのは、「りんごのジャムは好きか?」と朝食に招待されたこともあるが、一番の目的はフェルエスを育てた人間が独自に集めた『魔法使いについての情報』を見せてもらうためだ。


 フェルエスを拾ってから本格的に集め始めた資料は、たった数年分だというのに膨大な量が保管されている。読み切るには丸一日でも足りないかもしれないと、ミューリは目を瞬かせた。

 そしてその間、ミューリの持つ魔法図書を貸し出すという交換条件となっている。


 魔法図書は、その文字のせいでほぼ魔法使いにしか読めないくせに高額だ。それが研究費になるので仕方ないが、それを買うということは魔法使いだとバレる可能性があるので、購入者は少ない。むしろ趣味で一般人が買う方が珍しいので、購入者の八割くらいは魔法使いと言われているらしい。

 なので魔法使いが魔法図書を持っているのは、かなり珍しいことなのだ。


 フェルエスに言わせれば、「魔法図書を買う魔法使いの方がよほど趣味全開だぞ。一般人が懸命に魔法使いのあることないことを妄想込みで書く文章を、底意地悪く楽しんでるだけだからな。もしくは、酔狂なヤツだけだ」ということらしい。

 ミューリのように、純粋に魔法使いのことを知りたくて読むのは本当に極少数派だ。



「そういえば、一つ頼みがある」



 丸いパンが二つ、ミューリの前に差し出された。

 湯気を上げているそれに鼻を近付けると、少しだけミルクの香りがする。側にはハチミツの壺と、自家製のりんごのジャムが置かれた。

 なんて素晴らしい朝食だろうと目を輝かせているミューリに、フェルエスは言いずらいことのように組んだ両手に額を付けて項垂れる。



「森に居る魔法使いが、君に会いたいらしい」



 面倒くさそうな声だ。

 その反応からミューリは少し悩んだが、魔法使いの話はできるだけ多く聞いておきたい。他の魔法使いに興味もある。会えるならぜひ会ってみたい。

 ただでさえ隠れて静かに生きている魔法使いに、これから先、うまく会えるか分からないのだから。



「森にも魔法使いがいるんですね?」

「あぁ……植物の魔法使いが、いる」



 やけに歯切れの悪い様子に頭を小さく傾けた。

 パンを千切ってりんごジャムを付ける。それを一口食べて顔をほころばせながら、フェルエスが先を話してくれることを待った。



「……悪いやつでは無い。僕の家に木を貫通させたこと以外は、ギリギリ許せるようなことしかしてこない」



 木を貫通させたのはその植物の魔法使いなのか。

 やんちゃな人なのだろうか、とミューリは苦笑する。



「アレは訳あって俺より人嫌いだからな。魔法使い以外と関わろうとしない」

「植物の魔法使いも気難しいですか?」

「いや、基本人懐こいし大らかだ。大らか過ぎて小憎たらしいくらいだ。気難しいというよりは……。君を気高いと言うなら、彼は誇り高いのだろうな」



 なるほど、と頷く。

 気品は磨き上げて会得できるものだが、誇りは人から得るものではない。人の言葉がきっかけであっても、己の中に生まれるものだ。ミューリはそう考える。



「断ってもいいぞ」

「……苦手なんですね」

「面倒臭いだけだ」



 微笑んで首を振る。会える魔法使いなら会っておきたい。まだまだ知らないことがたくさんある。検索機能があれば全て閲覧できてしまう世界ではないのだから、自分の足で歩いて聞いて見て知らなければならない。


「(思い返せば便利な世界でした……)」


 とはいえ、魔法や術式陣が扱えるミューリは、普通に生きる人間よりも楽をしている自覚はある。

 体も服も水で丸洗いできるし、紙一枚を大容量のポケットにすることもできる。子供が一人で旅をするのだから、持てる技術を使って便利に生きるのは許して欲しい。



「あぁそれと、言っていた爆発の魔法使いについてだが、資料はたったの一枚しか見つからなかった。それも紙半分しか書かれていない。読んだ限り、期待するような内容じゃないぞ」

「そうですか……不思議ですね」

「……なにが?」

「国を消してしまった魔法使いなら、もっと調査するべきでしょう」



 爆発の魔法使いと言われているが、本当に爆発の魔法使いなのか。魔法の特性は生まれた環境に左右されるなら、「爆発」のある環境など普通ではない。本当は別の魔法使いじゃないのか。

 一体何が原因で消してしまったのか。知らなければ、次に何かが起きた時、未然に防ぐことができない。防ぐことが出来るものなのかも、分からない。

 いくら消えてしまった国に関心が無かったとしても、周辺国が「魔法使いを恐れるだけで解決する」と考えたなら、それは何故か。


 止まらない思考にグッと頭を振って、ミューリはパンを千切った。



「探してくれてありがとうございます。私の知らない情報があるかもしれません。大事に読みます」

「……あぁ。そうしてくれ」



 今度はりんごジャムとハチミツをどちらも塗って、贅沢な味を作る。



「フェルエスさんは、本当に……良くしてくれますね」

「言葉選んだな」



 微笑んで小さく首を傾げる。

 優しいと言っても、お節介だ世話焼きだと言っても、きっと顔を顰めるのだろうと、ミューリはそう思う。彼は気難しい。


 ミルクを飲んで一息つけば、目の前からシナモンの香りが漂ってきた。目を瞬かせれば、温かいミルクにシナモンを入れているフェルエスがいる。



「……欲しいのか? 子供はあまり好まないのだろう?」

「人それぞれですよ。どこの情報ですか?」

「……植物の魔法使いだな」

「子供、なんですか?」

「確か今、十三だったな」



 十三なら、ミューリより六歳も上である。

 年齢だけ見るなら、大人とも子供とも言える。子供が大人に変わる過程を過ごす歳だ。一概に「子供」と決めつけて言えないような年齢の気もする。

 しかしフェルエスは、子供だと言う。そもそもミューリが七歳にして大人過ぎるため、植物の魔法使いがどうしても子供のように見えてしまうというのもある。



「……君を見ていると普通の子供がブレる」

「あっ、私のせいですか?」

「そうだな。子供だと思っていたアイツが……今はクソガキに思える」



 取り繕うか取り繕わないかの違いだけで、言葉の意味自体は同じものを込めている。気兼ねない関係なのだろうかと思いながら、ミューリは微笑んで「シナモンください」とお願いした。


 シナモンの入った入れ物をそっと差し出してきたフェルエスに、ミューリが両手で受け取ろうとした……その瞬間。



「「っ!」」



 ミューリとフェルエスは、互いにザワリと全身を泡立たせる。空気の変化を感じ取った二人は、何事かと身構えた。

 ……が、フェルエスはすぐに「あのクソガキ……」と小さく洩らす。


 すると突然、バタンと音を立てて、窓が開いた。



「クソガキじゃない」



 窓枠に足を掛けたその人は、首の襟巻きを引っ張って顔を見せる。チラ、とミューリへ向けられた瞳は綺麗な若葉色だ。髪は真っ黒で目立った色はしていない。


 いそいそと窓から入ってくる男に一瞬沈黙が室内を巡ったが、フェルエスは嫌そうな顔をしながらもう一度ミューリへとシナモンを差し出す。

 落ち着いたフェルエスの様子に、その人が植物の魔法使いであることと、こういった状況はいつものことらしいと察して、ミューリはシナモンを受け取った。



「オイ、会わせてくれって言っただろ」

「窓から入るな。扉はそっちだ」

「呑気に朝食を食べてる場合か」

「食べてる場合だ。お前との約束より、ミューリとの朝食の方が先約だ」



 文句を言い合っていた声がぴたりと止まる。



「先約か。それなら仕方ない」



 フェルエスの口から長い長い溜息が吐き出される。

 会いたくなさそうだったのはこれか、とミューリはニコニコと眺めた。同時に、「もっとわがままを言って良い」と何度も言われた理由もこの人にあるのだろうと察した。

 パンを頬張りながら、金色の目が若葉色の目と見合う。そしてミューリがパンを飲み込んだタイミングで挨拶をされた。



「シード。植物の魔法使い。十三歳」

「ミューリ・エウルスです。水の魔法使いの、七歳です」



 シードと名乗った少年の目が、みるみるうちに見開かれていく。

 そしてフェルエスへと振り返った。



「いつ産んだ」

「ゴッ、フ……ッ」



 昨日と同じく、口元に手を当てたお陰でなんとか防ぎ、なんとか「産んでない」とだけ口にして、咳き込む。飛んできたタオルを手に取ったフェルエスに、ミューリはまた水を飛ばして洗ってやった。

 シードは首を傾げながらミューリの隣に座る。



「じゃあ妹か」

「昨日、小成人の贈り物として『エウルス』を頂きました。フェルエスさんと血は繋がっていません」

「そういうこともあるのか」



 それだけで納得したシードは、ミューリの皿からパンを一つ取った。ミューリは特に何も思わず、変わらずにこにことしている。それどころか、りんごジャムとハチミツを取りやすい場所に寄せている。

 フェルエスはジトっとした目でシードを見るが、シードは興味深そうにミューリを観察している。



「良い子だ。血縁のはず無かったな」

「それはミューリの朝食だぞ」

「許してもらった」

「私はもうたくさん頂きましたから、どうぞ」



 ほら見ろ、と言いたげな新緑の黄緑色がフェルエスへ向けられた。完全に事後承諾のようなやり取りだったことは目の前で見ていたので、得意げな顔をされても憎たらしく思うだけである。

 一応、常識的な行動は事前承諾であることをくどくど説明するフェルエスに、パンを頬張りながらも一応聞いているシード。二人の仲は悪くないのだろうと、ミューリはお茶を一口飲んで眺めた。

 あ、と声を上げてフェルエスとの会話を切ったシードは、腰に下げていた袋から小さな包みを取り出した。



「お近づきの……アレだ」

「わぁ、ご丁寧にありがとうございます」



 それで良いのかとフェルエスは思うが、嬉しそうにお礼を言うミューリに黙るしかない。

 薄い木の皮を曲げて作られた手作りの箱が、ミューリの両手に収まった。受け取ったことで満足したシードは、パンにりんごジャムを盛る。

 他に何の説明も無い様子に、ミューリは箱とシードを見比べてから、そっと蓋を開けた。



「あ、ふふっ……これは素敵なものを頂きました」



 何を貰った、と疑って聞くフェルエスに箱を傾けて見せる。


 そこには見覚えのある小さな白い花が無数に入っている。ところどころに赤茶色の実も入っていて、良い香りがする。

 フェルエスがお茶やりんごに掛けてくれた白い花は、シードからの贈り物だったらしい。薄紫の目がまともな贈り物に安心したのか逸らされる。



「木の実はお茶になる。白い花は甘くて美味い」

「これ、お茶になるんですね。とっても嬉しいです」

「ふふん」



 ぐっと胸を張る相手に、ミューリは柔らかく微笑む。丁寧に箱を閉じて、本を開いてそこへ仕舞い込んだ。

 本を閉じる前に、ふと思い出したミューリはもう一度本に手を入れた。


 そして包みを一つ。



「私はついさっき貴方の事を聞いたばかりで、何も用意出来ていないんです。なので、これをあげます」

「なんだ」



 他人から見たら何の変哲もないもの。



「大事な思い出です」



 大きな葉で包まれた、たくさんの木の実や、綺麗な色の葉っぱ。



「人間の子供たちと一緒に作ったんです。五つも作ったので、一つあげます」



 その言葉にピクリと反応して、フェルエスはミューリを見る。「人が嫌い」だと説明したはずの相手が、「人が作ったもの」を渡すのだから訝しむのも仕方ない。

 それでもミューリは、思い出だと言って包みを渡す。

 縛っている蔓を解いて中を見たシードは、黙ったまま一つ一つをつまみ上げて確認する。まだ熟していないような黄緑の実を目の前に掲げて、同じ色の瞳でじっと見ている。

 そして若葉色は、隣りで反応を待つ金色を見下ろした。



「お前は……良い出会いをしたんだな」



 お世辞ではない。真面目で、率直な意見だった。

 金色の瞳は、嬉しさに溶ける様に微笑んだ。



「そんなに良いものなのか?」

「フェルエス、よく見ろ。分かるだろ」

「……それを見ただけじゃ分からないな」

「はぁ? 何で分からないんだ。どこを見てる」

「は? 中身を見るしかないだろう」

「じゃあ分かるだろ」



 フェルエスは助けを求めるようにミューリを見るが、嬉しそうにふわふわと微笑んでいるだけだ。



「これは宝石箱だ」



 何の疑いもせず言い切ったシードに、ミューリは深く頷いた。フェルエスはズレた眼鏡を上げて、もう一度包みを眺める。



「シードさん、分かってくれますか」

「分かるに決まってる。綺麗だな」

「ふふっ、そうなんです。とても綺麗です」

「…………子供の目線は分からん」



 赤、橙、茶色、黄色、緑……色とりどりの植物。

 お金にもならず、実用性も無い無駄なもの。しかし、色鮮やかなそれを贈る意味。大事にする意味。

 大人になってゴミだと捨てられてしまうそれが美しいと思えるのは、きっと子供である今だけだ。

 中身が大人であるミューリは、その木の実や葉っぱにも、綺麗だと思うが魅力はそれほど感じていない。シードも実用性のないものに魅力は感じない。

 しかし、これを作るまでの過程がありありと見える。鮮やかになるよう様々な色を散らして、大きな葉を硬い蔓で大切に結ばれている。


 なんて魅力的な思い出か、とシードは思う。

 それこそ宝石箱に見えるくらいには、素晴らしい出会いをしたとミューリは笑う。



「良かった。人が嫌いだと聞いたので、人と一緒に作ったものも断られると思ってました」

「まぁそうだな。人間たちは嫌いだ」



 宝石箱を大事にしまうように、シードが包みの紐を上手に結ぶ。

 木の箱といい、指先が器用なのだろう。元々包んでいたよりもよほど上手に、宝石たちは包まれた。

 「喉が渇いた」と一言漏らしたシードに、フェルエスは口端をひくつかせながらもコップを用意する。



「人はたくさんいるだろ。魔法使いはいつも一人だ。それでも、魔法使いは怖いだのと言って、人はたくさんでやってくる。一対たくさんだぞ。卑怯だ」

「人の社会はいつでも多数決です」

「それだ。魔法使いは始めから負けが決まっている」



 ミューリは穏やかに、その話を真剣に聞く。



「力では勝てる。魔法があるからな。それでも言葉の強さでは負ける。一人の意見はたくさんの意見に潰されて、同じ意見を持ったたくさんの人間が勝つだろ。それは違うと全員に言われてみろ……自分が弱者にでもなった気分になる」



 それはきっと、シードが経験したことなのだろう。

 淡々と説明する割に、根っこの方で何か力強いものが煮えたぎっている。



「魔法使いは孤独だ。集団にはなれない。どんなに正しいことを言っても、たくさんの人の中では正しくはなれない」



 コップを持ち上げたシードは、片手でミューリの頭を撫でた。

 いつの間にか視線を下げて考え込んでいたミューリは顔を上げる。至近距離にある若葉色が、一度だけ瞬きして優しく細められた。



「だからって腐るな。優しいお前は、きっと正しい」



 足の裏から頭まで一本の芯が突き刺さったようで、ミューリは姿勢を正して微笑んだ。

 どんなに負けても膝をつかない。世界の不条理を理解した上で、「自分が正しい」と確固たる道義と信念を持って立っている。


 覚えておけ、とミューリの頭を二度程撫でると、シードはお茶のコップを傾ける。

 次の瞬間には「熱い」とフェルエスに文句を付けた。二人を見守っていたフェルエスは突然こちらへ向けられたそれに、一気に眉間に皴が寄る。これでもかという程、寄る。



「シード、お前それ飲んだら帰れ。ミューリには、これから大事な勉強会がある」

「なんだそれ。俺も混ぜろ」

「大陸文字も読めん奴はダメだ」

「ミューリ、俺も混ぜろ」

「そっちに頼んでも無駄だ。先生は僕だからな」



 口をへの字に曲げながらコップの中に息を吹きかけて冷ましているシードは、まだまだ帰りそうもない。一口飲んでは熱そうに舌を出している。

 それに笑いながら水の魔法で少しだけ冷ませば、「帰って欲しいのか」と言われてしまった。その後も「遊びに来い」「木の上に寝れるぞ」とミューリの頬をペタペタと触る。



「……よく軽々しく触れるな」

「なんで触れないんだ。触った方が良いぞ。なんか神々しいだろ」

「ミューリ、嫌なら嫌と言ってしまえ」

「いえ、何のご利益もなくてむしろ申し訳ない気持ちです」



 元が貴族ということを忘れたとしても、フェルエスはミューリの振る舞いに軽々しい行動はする気になれない。音を立てることなく食事をする姿も、いつも微笑みを絶やさない柔らかい表情も、会話で遊ぶだけの余裕も……一緒に過ごす程に、心が傅く様な気持ちが強くなる。

 ミューリがそれを望んでいないことが分かるので……フェルエスはそれを叶えたい。ただの風の魔法使いとして、対等な何かとして、あるいは人生の師として。


 ……しかしいくら対等を望んでいたとしても、ミューリの天頂に額を擦り付けるシードは止めておきたい。なれなれしい。



「やめろ馬鹿。早く飲め。森に帰れ」

「友情を深めただけだ」

「あ、おい、もう飲み終わってるじゃないか。帰れ」



 勉強したいのかとフェルエスが畳み掛けると、少し考えてからシードは首を振った。「お前を先生と呼ぶのが嫌だ」と付け足して。

 素直過ぎる言葉にミューリは声を堪えながら笑って、フェルエスは長く長く息を吐き出した。そして徐に立ち上がると、家のドアを開ける。さっさと出ていけと圧を掛ければ、シードが仕方なさそうに窓へ向かった。



「扉はこっち……」

「よかったな、フェルエス」

「は……何が」



 窓枠に足を掛けて、フェルエスをシードの若葉色が真っ直ぐ射抜くように見る。



「いつも一期一会だった。でも今回は、家族が出来た」



 よかったな、ともう一度言う。

 薄紫の瞳は、何も言わないままシードを静かに見るだけだった。

 結局そのまま窓から出て行った植物の魔法使いを見送って、フェルエスは頭を抱えながらわざわざ開けてやったドアを閉める。疲れたように椅子へ座ると、カクンと頭を後ろへ倒して天を見上げた。

 ミューリは額を擦り付けられてぼさぼさになってしまった髪を手で整える。



「…………何か感想はあるか?」



 生い茂る草の中をやっと通り抜けたような疲れを感じながら、フェルエスは絞り出すように言う。

 シードという植物の魔法使いに何を感じたか知りたい気持ちと、ミューリと話して少しでも清涼感を感じたい気持ちで聞いた。割合としては一対九くらいの気持ちで、どちらかといえば、とにかく穏やかな癒しを必要としている。


 ミューリは少しだけ思考を巡らせて、ふふっと小さく笑い声を上げた。

 地に根を張ったような意志を持って、しかし根無し草のようにフラフラとあちこちへ興味が移る。そんな印象を受けて、ミューリは一番簡単な答えを思い付いた。



「植物の魔法使いらしい人でした」



 もっとたくさん話せば、そう思えるところは増えるのだろう。

 そう考えると、自分にも水の魔法使いらしいところがあるのだろうかと気になってくる。少し考えただけでも楽しさに足先を揺らして、口元がゆるりと上がった。


 楽しそうで何よりだと、ずれた眼鏡を直す。天を向いていた顔を戻して、楽しそうなミューリを見たフェルエスは、つられるように口元を上げた。



「お勉強始めますか? お世話になります、お父さん」

「それやめろ」



 最悪な部分の影響を受けてしまったと、フェルエスはもう一度天を仰いだ。

最近食べられる花ってのをよく見るので、食べてみました。

シャクシャクしてました。

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