悪ガキ三人と偏屈な老人
ピオスフィラ領は公爵領というだけあって広大な土地を持っている。気候と立地のお陰でどこもかしこも緑豊かで、貧しい村であっても畑を耕せばその日の食い扶持に困ることはないと言われている。
公爵家のある中心街は王都と変わらないほどに栄えて、その賑やかさは観光地としても有名である。
ミューリは、ブックホルダーを肩に掛け直した。
ショルダーバッグのようにも見えるそれは、バッグの部分がブックホルダーになっている。本を一冊だけ持ち運べるそれに、魔法図書が揺れている。ボタンひとつで開閉可能で、そのまま本を開くこともできる優れ物。
水色の髪を靡かせて金色の瞳を周囲へ巡らせるミューリは、一言で言えば「目立っていた」。多くの人が行き交う中でも目を引く美しい色合いに、それ以上にやはり振る舞いに気品を感じる。
そんな子供が一人で歩いている、という部分も目立つ要因である。
「(ヨーロッパのどこかにありそうな造りの建物……レンガと、木材。お金の単位は秘書さんから教わったけど……物の相場は手探りですね)」
目を向けられる店の店主は、どこか緊張した面持ちで居住まいを正すが、ミューリが軽く頭を下げて手を振れば感動したように手を振り返す。目立っている自覚はあるがどこがどう目立っているかはよく分かっていない。
自分の見た目が貴族すぎるのだろうかと、ミューリは自分を分析しながら街道を散策する。
「(んー……教えてくれる人が欲しいですね)」
魔法図書と、公爵家の使用人たちと父親、そして母親……それだけでは世間を知らなすぎる。やはり家を出て良かったと思うのは、初めて自分を見る目が多くの感情を持ってこちらを見てくることだ。魔法使いは特徴的な色の髪と瞳を持つらしい。しかし、その色だけで魔法使いと気付く人がどれだけいるだろう。
人の視線は、情報だ。
ただ、まず魔法使いとしてではなく人としての振る舞いは正解なのか。見ている限りではミューリ自身は普通に歩いているだけだ。しかし視線を集めている。何故。
困ったように首を傾げ、だからこそ教えてくれる人が欲しいと漠然と思う。
しかし一番厄介な条件がある限り、それも望めないのだろうとも思う。
「(魔法使いを怖がらない人って、いるのかな……?)」
公爵家の使用人たちの対応が親切だったのは、ミューリ・ピオスフィラの約五年間の努力にある。ミューリは疑うことなくそれを確信している。人に甘えたい子供が孤独を選ぶ、ということがどういうことか、公爵家の人間たちは理解していた。だからこそ家を出るとしても、自分の望みの為に行動し始めたことが嬉しかったのだ。
やっぱり時間を掛けなければ和解は難しいのだろうか。
ミューリはそう考えて、仕方なさそうに息を吐き出した。
すれ違い様に目が合った人に笑いかけては恐縮されながら歩いていると、大通りを少し過ぎたところで細い路地が多くなった。住宅が増えて、ベランダに洗濯物や植物を育てている民家が並ぶ。
多彩な文化が入り混じるような街並みを楽しく歩いていると、視界の端に何かが見えてミューリは足を止めた。
「あ……」
思わず声が出てしまって口を押さえる。
子供が三人ほどしゃがんで、何かを触ってはああでもないこうでもないと言い合っている。
ミューリのある一つのものに関しての嗅覚が、子供が囲んでいるものが何か一瞬で理解した。理解したからには、近付かずにはいられない。
「こんにちは。それ、ヴァイオリンですよね?」
市井のこんな奥まった場所にもあるならば、音楽は身近なものかもしれない。うずうずと落ち着かない指先で挨拶すれば、ミューリの声に振り返った三人が三人とも固まった。
「うぎゃあああぁぁぁっ!! お貴族さまだーー!!」
「ごめんなさい! ゴミ捨て場に捨てられてたけどダメだった!?」
「オレたち盗んだとかそういうんじゃ……!!」
じりじりと距離を取られてしまったが、ミューリは変わらずにこにこ微笑んで頷いた。
「大丈夫、あなたたちを叱ろうなんて思っていません。ただ、それは誰かが弾くのかなって思っただけです」
「へ……?」
三人は顔を見合わせてから、ミューリがゆっくりと示したヴァイオリンへと目を落とす。
近くで見ればかなり煤けて、弦は擦り切れて今にも切れそうだ。今のままでは音が出るか怪しいものの、弦を張り替えれば何とかなる、と思う。
三人のうちの女の子が靴底を地面に擦りながらミューリに近付き、そっと小声で聞いてくる。
「お貴族さまですか?」
ここには四人しかいないのに、何故か小声で聞いてくる。おかしく思って笑いながら、ミューリも三人と同じ視線になるようにしゃがんでみた。
そして同じく内緒話をするように、声を潜めて、しかし全員に聞こえるように言う。
「違います。家出してきた一般人です」
えぇーっ、と三人分の驚く声が辺りに響いた。
三人はハッとしたようにすぐに口を抑えて、慌てて立ち上がり前後左右を確認し合っている。「異常なし!」と言い合って、所定の位置まで戻ってくる。茶髪の男の子を真ん中に、左側に大人しそうな黒髪の男の子、右側に溌剌とした女の子という陣形も完璧だ。
普段から訓練しているのだろう、動きの良い彼らにミューリは感心して手を叩く。誇らしげに胸を張る三人は、しかしすぐに心配そうな顔つきになった。
「お前、何歳?」
「七歳になりました」
「えっ、僕より年下だよ!」
「アタシよりも下!」
ヴァイオリンを中心にしゃがんだまま話し出す。どうやら同じくらいの年齢の子供らしい。
ミューリが丁寧に挨拶すると、やっぱり貴族じゃないのかと詰め寄られて五回も否定した。最後の一回は肯定してみたが「どっちだよ!」と結局怒られてしまったので、やっぱり否定しておいた。要は聞きたいだけなのだろう。
年が近いと仲良くなるのも早いらしく、一人は最近奥歯が抜けてまた泣いたと、眉を下げて頬を押さえながらそんなことまで教えてくれる。
女の子はやはり髪の色が気になるらしく、ミューリの頭に手を伸ばして髪を一束手に乗せて目を輝かせていた。
「ミューリはなんで家出なんてしちゃったんだ? お父さんがクサいから?」
「ばっか、おまえんちと一緒にするなよなー!」
「そうだよー。だってこの子、こんなに可愛いんだよ? きっとお父さんもいい匂いがするかっこいい人だよ」
匂いは分からないが、確かに美しいかかっこいいかと言われたら、かっこいい部類の父親だったのだろう。
「家出したのは、私が旅に出たかったからです。小さい頃からずっと同じ狭い場所で同じ景色を見てきて……人生に飽きてしまったのです」
だから飛び出して来ました。
手紙に書かれた『ミューリ』の言葉を思い出してにこにこしながら言うと、三者三様の顔で驚きを表している。ミューリはヴァイオリンの弦に指を滑らせて、やはり擦り切れていると確認した。綺麗に使われていたように見えるが、捨てられてしまったのだろうかと眉を下げる。
ヴァイオリンを撫でていると、ガッシリと肩を掴まれた。一つではなく、三つの手が両肩に乗っている。
「大丈夫だ! オレたちはまだ子供だから、楽しいことは一日に十回はおきるんだぞ!!」
ばあちゃんが言ってた、自信満々に言う姿にミューリは笑って頷いた。
大人になってなくなる感動が、子供の時分では一日に何度も訪れる。初めて見る物、感じる物、それらをギュッと一日一日に凝縮されている。
世界丸ごと違うミューリも大体同じ気持ちを感じているので、子供同然と言っても過言では無い。
「アタシも力になるから! お金は……ちょっと無いからあげられないけど……」
「僕ら、街の案内ならきっとできるよ! 色んなところ知ってるんだー」
迫る三人にミューリは少し悩んでから、指を一本立てる。
「では、案内して欲しい場所があるんですけど……」
きょとんとした顔でミューリを見る三人を他所に、いそいそとヴァイオリンを抱え上げた。
街の路地を右へ左へ、四人は列になって進んで行く。
班長は一番前、副班長は一番後ろと決まっているそうで、ミューリは二番目に挟まれた。汽車ごっこのようなものだろうかと、子供の頃ですらこんな遊びをしたことがないミューリは心の底から楽しんでいた。
「班長! そこ左!」
「おっと!」
「わぷっ」
時折道を間違えていきなり止まっては、ミューリが班長に顔から突っ込むことを繰り返す。鼻が無くなりそうだと笑いながら、細い道を進んでいく。
目指すは、楽器屋である。
小さな街なら無かったかもしれないが、ここは公爵領で一番大きな街。
貴族の来訪も多いのか、ブティックや専門店なんかも貴族用の高価な店舗が何軒かあった。そんな街ならあるだろう。
「(楽器は貴族の嗜み……ということかな)」
隊列を組む三人と出会った時、「お貴族様」「捨てられていたものでもダメか」「盗んでいません」と叫ばれた。ということは、楽器は主に貴族か、相応の金持ちでなければ持たないもの。
ミューリはそう考えた。
家を出てすぐ、この公爵領の街で良かったのかもしれない。人が多いというのは、単純に情報が多いということだ。人の流れを見ているだけでも勉強になる。
「あっ」
「わぶっ」
実に十二回目の急停止に、ミューリは鼻がなくなっていないか後ろを振り向いて確認してもらう。大丈夫だと何度も頷かれて安心していると、班長は「あったぞ!」とまるで冒険の先で秘宝を見つけたような声を上げた。
細い道から出て、広い通りを横切った先に、楽器店の看板が下がっている。店舗としては大きくも小さくも無いような気がしているが、比較対象が無いので判断が付かない。
「ここ、ヘンクツなジジイがやってる店なんだけど、技術はあるんだって母さんが言ってた」
「アタシらヘンクツの意味はよく分からないけどな! でもジジイは悪いやつではないんだ」
「良い意味ではないと思う。だからたぶん、ミューリは使っちゃダメだよ?」
ケラケラ笑う三人にミューリも一緒になって笑いながら、壊れ掛けのヴァイオリンを持ってドアを開ける。
カラコロンと音を立てて扉が開き、カウンターに座る老人が新聞を閉じる。
「誰だ……あ? なんだ、南の悪ガキ三人組か」
「悪ガキじゃねぇし!」
ぞろぞろと揃って入店すると、老人が眉間に皴を寄せて睨んだ。確かに偏屈そうだとミューリは微笑みながら思う。
偏屈な老人は悪ガキ三人を見てから、その後ろに隠れていたミューリに目を留めて、固まった。明らかな異質、どんなに町娘のような服を着ていようと街に馴染むことはない、どう見ても庶民ではない子供。金色の目が合って微かに小首を傾げるような動作で応えられてしまえば、何故か自分の態度がとんでもなく失礼な気さえしてくる。実際に態度は悪いのだが……。
「ジジイ、アタシらお客連れて来た! 綺麗だろ? お姫様みたいでさー!」
「この子ね、ミューリって言ってね、おうちに居る人生がいやになってね、それでね……」
「ヴァイオリン拾ったの許してくれたんだぜ! 良いやつなんだ!」
「一人ずつ喋らんか馬鹿者ども」
カウンターを苛立たし気にコツコツと叩く中で、ミューリが手に持っていたヴァイオリンを持ち上げてみせる。
「ミューリと言います。このヴァイオリン、弦だけ変えたら音が出ると思うんですけど……見て貰えますか?」
「…………お前さん、どこから来た? 街の子供じゃねぇな」
ヴァイオリンを受け取りながら老人がそう言うと、「だから家出してきたんだってー」と別の方向から声が飛ぶ。老人は五月蠅そうに顔を歪ませながら、そのままカウンター内で何か工具箱のようなものを取り出した。
作業しているその間にも、子供三人はミューリについての話を口々に説明する。「家出した」「人生に飽きた」「ずっと同じ場所で生きてきた」、ところどころで老人はミューリへと視線をやった。子供たちの話を否定しないミューリの真偽を見る為だったが、ずっと微笑んだままで表情も読めない。
否定しないのなら本当なのだろうと、半ば諦めの気持ちで肯定することにした。
偏屈な老人はヴァイオリンを目線の高さまで掲げて、裏表と何度かひっくり返して確認する。
「ほらよ、できたぞ」
カウンターから戻されたそのヴァイオリンは、綺麗に拭かれて、しっかりと新しい弦が張られていた。
まるで宝物でも探し当てたように全員でそれを囲む。綺麗だね、と言う言葉にミューリを始め他の二人も頷いた。弦を二、三本弾いて音を出せば、それだけでライブ会場のような盛り上がりを見せる。
老人は鬱陶し気にしながらも、弓の修復に掛かっているらしく、手元がずっと動いている。
「なぁ、ミューリはこれ弾けんのか?」
「ヴァイオリンは弾けますけど……これは、私にはちょっと大きくて」
「自分のは持ってないの?」
「ばかっ! ミューリは家出して来たんだぞ! この知らない文字の本しか持ってないだろ!」
ハッとして口元に手を当てた一人が、半泣きになりながら謝ってくる。気にしていないと肩を撫でながら宥めていると、老人がカタンッと何かを落とした。それがやけに大きく聞こえて、子供たちとそちらを見れば……目を見開いた老人が一段と難しそうに顔を歪める。
「ミューリ、と言ったな。お前さん、自分で家を出て来たのか」
「はい」
「……追い出されたんじゃないのか?」
その問いに、ミューリは一度瞬きをしてから、嬉しそうに微笑んだ。
「いいえ。自分から出てきました」
老人は魔法使いであることを感付いた。
それでもすぐに追い出したりしないことにミューリはありがたく思いながら、視線だけで頷く。
子供三人は一体何の質問かと顔をきょとんとさせている。
「……あの棚の下段に子供用がある。ここにあるもんは、まぁお前さんなら触って良い」
長い長い溜息を吐き出した老人はそれだけ言うと、またとっつきずらい顔つきで今度は弓の修復を始める。
思わぬ許可が出たところで子供三人は歓声を上げるが、「ミューリにしか許可しとらん」と水を掛けられて一気に鎮静化した。実は入店してからそわそわと周りの楽器の種類は気になっていたので、ミューリは遠慮なく見せてもらうことにする。
ほとんどが弦楽器で、金管楽器はトランペットくらいしか無い。笛やオカリナは存在しているがほぼ木製楽器だ。打楽器も種類が少ない。
これはこの店主の趣向によるものか、それともこの世界の常識か。
「(でも、知ってる楽器が並んでいるのはちょっと楽しいですね)」
他の三人は触ることができないので、「これはどんな音がでるか」と楽器を指さしてはミューリに頼んで音を鳴らす。悪ガキと言われているのにちゃんという事を守るのだな、と笑いながらギロギロと音を発するギロを鳴らした。こんなのも楽器かよ、と子供には好評だ。
「ミューリ、ヴァイオリン弾けるんでしょ?」
「あっ、そうだった。ジジイの気が変わる前に聞かせてくれ。アタシ、ヴァイオリンって初めて聞くかもしんない」
「オレは建国祭でラッパしか聞いたことないなー」
ワクワクしてる三人を余所に、ミューリは通常より小さなヴァイオリンを手にする。
手にしっくり馴染む感覚が嬉しい。ふと、店の窓がすべて開いていることが少し気になった。今日は気候がちょうどいいから風を通して湿気ないようにしているのだろうが……これでは音が漏れてしまう。
いいのだろうかとミューリはチラリと老人を見れば、パチリと目が合った老人は片眉を上げて立ち上がった。
「ギーギーうるさい音を鳴らされたら敵わん。店先に出て遊んどけ」
窓でも閉めるのかと思えば、真逆のことを言われてしまった。
うるさいと言うなら、店先で鳴らされる方が営業妨害だろう。もちろんその意図が分からない子供三人は口を揃えて「クッッソジジイ」と罵ったが、ミューリが大人しく外へ行こうと出口へ向かう様子に大人しく着いて行く。
「おい、それは邪魔だろうに。ここへ置いてけ」
ミューリが肩に下げる本を視線で示す。
一秒、金色の目が老人の目と見合ったが、一瞬の緊張感はミューリが瞬きした瞬間に霧散した。それもそうだと頷いて、本をカウンターに預ける。
ほんの少しの疑心暗鬼を柔らかい微笑みで覆い隠して、ミューリは何事も無かったように店の外へ向かった。
店の前の通りは、大通り程ではないものの人がまばらに歩いている。この中で演奏させるとは、子供たちではないがなかなか良い性格をした老人だとミューリは苦笑する。その実力が水の一滴も見えないような子供に、楽器の宣伝まがいなことをさせるのだから。
目をキラキラさせた三人が、ミューリの前の石造りの地面に座る。三人は汚れることなど気にしない。子供だから。
何度かチューニングをして音を確かめてから、ミューリはヴァイオリンを構え直した。
「(華やかな街に、華やかな音を)」
響かせた一音は、広くも狭くも無い街並みを反射して遠くへ響いた。ミューリも想像以上に響いた音に驚きながら、街の建物の配列や建材のせいだろうと目を閉じる。空に吸われるだけだと思っていた音は、思った以上に波紋のように横へ広がっていった。
待ちゆく人は音色に耳を掴まれ足を止めて、次いで音に合わせて楽し気に揺れる水色に目を奪われる。子供たちは惚けたように赤い顔をしてミューリを見るだけで、一言も言葉を発することなく黙っている。
途中、一人がどこか行ったかと思えば、楽器店の中から帽子を持って出て来た。少し離れた場所に帽子と一緒に座れば、近付いた街の人はチリチリとお金を入れていく。
ふ、と短く息を吐いて笑ったミューリは、更に音を増やしてその場を盛り上げた。
次から次へと足を止めていく人々に、ミューリは心から感謝しながら弓を引く。この中の何人が、ミューリを魔法使いと疑うのか。不安が無かったわけではない。演奏の途中で声を荒げて指をさされるのではないかと考えなかったわけではないのだ。
それでも老人は店先で弾けと言った。
そして観客からは、ただのヴァイオリニストとしてのミューリしか見えていない。
「(……終わるのがもったいないくらいです)」
名残惜しそうに、しかし最後まで楽しさを失わない音が高く遠くに響いた。
……雲を突き抜け、晴れた空が、町の一角に姿を現したような光景だった。
「す、すっげぇ!!」
「ミューリすごいよ! とってもキレイ!」
「なんっ、なんでそんな音がでるんだ!?」
ふぅ、と息を吐いたミューリに、三人が声を掛ける。二人はミューリに詰め寄って質問攻めにするが、もう一人は次々に帽子へとお金を投げ込まれ、駆け寄りたくとも駆け寄れずにあたふた慌てている。
観客は拍手をしたままミューリへと声を掛け始めた。大勢の大人の圧に子供では到底敵わない。とりあえず中に逃げよう、とアイコンタクトを交わした三人によって腕を取られ、大人たちに返事を返していたミューリはずるずると楽器店の中へと攫われてしまった。おや?と首を傾げるミューリに、三人はミューリを救い出したと得意気だ。
「ジジイ! おい、ジジイ! 聞いてたか!?」
「ねぇ、お金いっぱい貰っちゃったよ? どうしたらいいのこれ!」
「あんな音がする楽器なんて聞いたことないぞ!」
「一人ずつ喋れっつってんだろ馬鹿ども」
偏屈な顔のままで、毛替えをしたらしい弓に松脂を滑らせている。
その後も興奮冷めやらぬ様子の子供たちに聞こえるようにバカでかい溜息を吐き出せば、今度はその態度にぎゃあぎゃあと文句を言い出した。
うるさいうるさいと言いながら子供たちに店中の窓を閉めさせると、自分は入り口の扉の鍵を閉める。
何故扉の鍵を閉めるのかと、三人は急に不安そうな顔をする。そちらへ目をやることなく、ミューリは老人から目を逸らさない。
偏屈な老人は、老人らしからぬ鋭い目付きでミューリの前にしゃがんだ。
「さて……、これだけサービスしてやったんだ。教えてくれるな?」
カウンターの上から預かっていた本を、魔法文字の題名が見えるようにミューリへ向ける。
「お前さん、貴族だろ」
ミューリは変わらない微笑みを浮かべたまま、何も言わない。
「家出してきたって、この辺に家があんのは公爵家くらいだが……そこか?」
ミューリは綺麗に微笑んだまま、何も言わない。
「何者かくらいは言えるじゃろ」
神妙な面持ちの老人と笑顔を浮かべるだけのミューリに、子供三人も黙ったまま何も言えないでいる。
口を閉ざしたままの態度に後ろ髪をガシガシと掻いて、老人はミューリの手からヴァイオリンを取り上げた。後ろで小さく「あっ」と声が上がったが、すぐにまた静寂が空間を支配する。
「なら……お前さんのヴァイオリンを見せてくれるか」
ミューリは一つ瞬きして、ゆっくりとした動作で、いつものようにその場に構えた。
そして弓を引く動作をする。
……何もないはずの空間で、音が鳴った。
同時に姿を現したヴァイオリンに、目の前の老人は目を見開いて……そして頭を抱える。老人はミューリが答えなかった質問と、見せられた目の前のものに、予想していたいろいろを理解してしまった。
「自分で言ったんですよ、見せてくれって」
「っ、分かっとるわ……馬鹿が……っ」
その言葉はミューリに向けたものではなく、行き場の無い怒りを吐き捨てるような響きがある。
後ろでずっと静かでいる三人を振り返ると、ビクリと肩を跳ねさせて三人で肩を寄せ合っていた。目を白黒させて混乱している様子に、ミューリは眉を下げて苦笑する。
「驚かせてしまってすみません」
数歩離れた場所で警戒心一杯にミューリを見る目は、酷く戸惑っている。
美しいヴァイオリンを弾いていた楽し気な姿と、どこか清廉な空気を纏って大人のような振る舞いをしている姿がどうにも合致しないでいる。
すると隠れたようにしていた大人しい子が少しだけ前に出て、ミューリへ向けて口元に手を添える。
「……ミューリ、ミューリは、魔法使いなの……?」
会った時と同じく声を潜めて内緒話をするように、しかし周りに丸聞こえの内緒にならない声で。ミューリはそれに、同じく内緒話をするように声を潜めて応える。
「はい、魔法使いです」
口元に両手を添えて、少し離れた場所に居る三人に届くように声を飛ばす。
何やっとんじゃ、と呆れた声が聞こえるが、子供にとっては大事なことなのだ。それからミューリは透き通るヴァイオリンを老人の手に持たせる。見せてくれと言った手前、それを拒否するのもどうかと思い、老人は恐る恐る受け取った。
「魔法使いは、恐ろしいですか?」
ヴァイオリンを細部まで確認している老人に、ミューリは尋ねる。
コンコンと色んな場所を叩いて確かめたり、表面を触っては難しそうな顔付きで何かを考える老人は、一通り見終えると溜息を吐き出した。
「恐ろしい……が、この歳になると見えてくるもんもあんだ」
「それは?」
気が済んだのだろう、返されようとした透明なヴァイオリンを、ミューリは瞬き一つでサラサラと消して見せる。
クク、と面白そうに笑って、老人は指先を擦り合わせた。
「……不自然に『恐ろしい』とだけ広まった印象、とかだな」
瞬きを一つ返す。それはミューリも気になっていたことである。
「国を一つ吹き飛ばした魔法使いがいる。だから魔法使いは全員恐ろしい」というなら、「人を殺した人間がいる。だから人間は全員恐ろしい」と言うのもあり得るのではないだろうか。これは極端な話ではあると承知しているので口には出さないし、ミューリ自身が魔法使いである以上、非魔法使いである人たちの恐怖は理解しきれない部分がある。
過分な力を制御できないとでも伝わっているなら、いつ爆発するか分からない魔法使いは恐ろしいだろうが、しかし現状コントロールは可能だ。
そしてここ百年間は、暴走した魔法使いによる大きな事件の話は出ていない。
「魔法使いは、人と同じではないと考えられているのでしょうか。人から生まれるのに?」
「さぁな……魔法使いが人から生まれること自体、知らねぇやつもいる」
「おじいさんは、知っているんですね」
「あぁ……。俺くらいの老人は主に二種類でな。昔っからの『魔法使いは恐ろしい』という言葉に囚われて殺す程に恐怖するやつか、俺みたいに疑問を持っていて何もしない奴だ」
それでも誰もが、魔法使いは恐ろしい、という漠然としたものを信じて怖がっている。
本当に不思議だとミューリは少しだけ目を伏せた。
老人は子供たちに目を向けて、宥めるように静かに問い掛ける。
「お前たちはどう思うんだ。魔法使いは怖いか?」
怖がらせまいとミューリが後ろを振り返ることはない。それでも自分に視線が集まっていることを感じて、少しでも自分は何もしないことを知らせるためにそっと両手を組んだ。
「わ、わかんねぇけど……『悪いことすると魔法使いに消されちゃうぞ』って母ちゃんはよく言うんだ。だから魔法使いは簡単に人を消せる力があるんだって、怖いなって……」
「ボクは魔法も魔法使いも絵本でしか知らないし……絵本では怖い化け物みたいな見た目でかかれてるんだよ。人間だって、知らなかったよ……」
「アタシだって魔法なんてよく分かんないけど、大人たちは怖いって言うから……」
知らないものは怖い。自分と違うものは怖い。
見たことも考えたことも無い、それでも大人たちは「魔法使いは恐ろしい」と伝えるのだ。だから恐ろしい。
「子供の世界はとても狭くて、ほとんどが親に与えられたものを受けて、親と同じ目線で生きていきます。だから、仕方ないと思います」
振り返らないまま言えば、子供のお前が言うのかと呆れたような視線を真正面から貰った。小さく笑えば、老人は大きく息を吸って吐き出す。
そして放っていた本を持ち上げて、そっと頭を通してミューリの肩にかけてやった。
「どこ目指してんだ?」
「この本の作者が、オールリという街の研究所に居たそうです。今はどうしているか分かりませんが、行ってみようかと」
「オールリ……隣国まで行くのか」
「どうせ国から離れようと思っていたのでちょうどいいです」
「……そうか」
穏やかな空気を纏うミューリに、老人はどこか残念そうに視線を下げる。すぐに視線を上げたと思えば、カウンターの中から修理を終えたヴァイオリンを持ってきてミューリに押し付けた。
元々は三人の拾ったものだと振り向けば、三人ともが先ほどよりだいぶ近い距離に来ている。むしろすぐ近くにまで迫ってミューリを凝視していた。
「どう、しました?」
「…………人間だ」
「ちゃんと人間語しゃべってんだから、そりゃそうだ!」
「困ってるよー、やめようよー……!」
言いながら、手だの頭だのを恐る恐ると言った様子で、それでも遠慮無しにペタペタと触る。ミューリはくすぐったさに笑いながらもそれを享受して、しばらく撫でまわされた。
ちゃんと人間だ、人間だ、と言われ撫でられたミューリは……―――何故か、涙が出た。
「うわぁぁ! ご、ごめんな!?」
「嫌だったよね! ごめんね、さわりすぎちゃってごめんね!」
「アタシか!? 髪ちょっと引っ張っちゃったからか!?」
「お前のせいじゃん!」
「わざとじゃねぇんだって! こう、指がさぁ……!」
ぽろぽろ、瞳に留めておけなくなった水分が溢れて零れるような泣き方で、今度は吹き出すように笑い出す。
小さく、はい、と声を絞り出す。
「はい……っ、はい……、人間です。ちゃんと、人間です」
別に。人間扱いされなかったわけではない。
ただ人間として接することが出来なかっただけだ。
ふふ、と泣き笑いのような声を漏らしたミューリは、二歩ほど下がって抱えていたヴァイオリンを構える。
ミューリの体には少し大きいが、音を鳴らす程度ならできるものだ。何度か音を鳴らして、水で自身を包み込むようにして涙ごと洗い流した。
俯けた顔を上げる頃には、口元には子供らしからぬ美しい微笑みを浮かべていた。
泣いた跡など、一つもない。
「ありがとうございます」
また、ふふっと跳ねるように小さく笑うと、ブックホルダーのボタンを開けて……ヴァイオリンをしまう。
それにまた息を飲むような空気を感じて周りを見回した。全員が同じように目をまん丸にして開いた本を見ている姿に、ミューリは口元に手を当てて笑い出す。
一連の出来事全てに対して興味津々に迫ってくる全員に、恐ろしいのではなかったのかとほんの少しの文句を言いながら術式陣について説明した。
魔法使いは恐ろしい。その常識に、三人の子供は疑問を持った。
目の前の大人びた親切な少女が、いつか恐ろしくなるのだろうか。
「皆さんのヴァイオリンを奪ってしまったので、三人にはこれをあげます。紙を開くと、なんと水でできた鳥が現れます」
「はー何だこれ! はー!」
「本物の魔法使いじゃん!!」
「すっごく可愛い……!」
何度も開いては閉じる様子に、興味の無い振りをしていた偏屈な老人は子供たちの上からじっと覗き見ている。なんて偏屈な老人か。
ヴァイオリンを弾いたのはミューリであるからと、帽子に入れられたお金は全てミューリの物となった。そこから修理代をカウンターに置いて、過剰な料金にちゃんと計算しろと怒られたが分からないふりをして店を出る。
「また来い。どんなヴァイオリンだろうと、ちゃんと修理してやる」
それだけ言うと、フン、と鼻を鳴らして扉を閉めた。
カラコロン、と音を立てて扉が閉まると、ミューリは静かに頭を下げる。
旅支度を手伝わなければならないと一人が叫んで、他の二人が深く頷きミューリの両側を固めた。そのまま引きずられるように、強制的に街中を案内される。
美味しいものを食べて、冒険用の服を吟味して、猫のたまり場を知り、やたら顔の怖い行商のおばさんを遠目で確認した。子供の視線から地面はとても近く、石造りの道が馬車の車輪でところどころ削れているのがよく見える。公園の木の下には素敵な木の実がたくさん落ちているのに、大人は気付かない。
「この葉っぱは大きいから、ふくろにするのにサイコーなんだ」
「おかあさんが、この葉っぱで包むと食べ物が長持ちするって言ってたよ」
「じゃあ食べ物はこれに包んだらいいな!」
為になる話もたまに教わる。子供は以外と物知りだと感心したが、食べれるか分からない木の実を片端から葉っぱに包んでいくのはどうだろう。途中からは、関係の無い赤い葉っぱを「綺麗だから」と一緒に包んでいく。
しばらく葉っぱの包みを一緒に作って、五つほど包み終えた頃……それを抱えたミューリは立ち上がった。
「……そろそろ出発しようと思います」
次の街までは案外近いらしく、子供の足なら三時間ほどだと途中で会った憲兵に聞いた。陽が落ちるまでには街に着いておきたい。無理なら野宿でもいいかと思うが、外の世界は何があるかまだ分からない。魔法があるので大抵のことには対応できると言っても、ベッドで眠れるならそっちの方が良い。
諸々考えて、陽の高いうちに早めの出発である。
五つの包みを抱えたまま立つミューリを、三人が見上げた。
「……怖くないからな」
「はい」
一人がそう言ったきり、さわさわと風が木の葉を揺らして音を立てる。
ミューリは器用に片手でパチンとボタンを開けて、少しだけ開いたページに、ボトボトと包みを落として入れる。
「次はもう怖がらないからな」
「はい」
二人はチラチラとミューリを見るものの、何も言えないまま黙っている。
ミューリは微笑んだまま、服に付いた草を払ってブックホルターを抱え直した。
「それでは皆さん、ありがとうございました。……さようなら」
「……じゃあな」
「うん……」
「ばいばい」
そっけない挨拶。しかし小さく呟かれるような挨拶が、言わずとも名残惜しいと言われているようで、ミューリは柔らかく微笑んだ。名残惜しい気持ちを笑顔で隠して背を向けた。
戻ってくるかは分からない。公爵家に一番近い街。そんな街をミューリがうろついていたら良くないだろう。偏屈なあの老人も分かっていたはずだ。分かっていながら「また来い」と言う。この子供たちがどこまでミューリのことを理解しているかは分からないが、「次は怖がらない」と言う。
それだけで、広い世界を進むには十分だった。
公園に残された三人は、地べたに座ったまま草を弄ぶ。意味もなく短い草をぶちぶちと千切っては、意味もなく自分の靴に乗せてみる。そして何かが気に入らなくてすぐに手で払う。楽しいと思ってやってみたが、別にそうでもなかった。それでもまた、短い草を千切ってみる。
地べたに座ったままの他の二人も、どこか暇そうに草や木の実を弄ぶ。
……地べたに座らない少女は、もうそこには居ない。
教わったことを復習しながら、ミューリは街の外へ向けて歩いた。
剥がれた石作りの道、猫のたまり場、美味しいもの……。遠目で見ていた顔の怖い行商のおばさんは、近付いて挨拶をしたら案外優しい顔で笑う人だった。
街の出入り口の門で何かの手続きをしているところで声を掛ければ、隣の町へ行くというので荷台に乗せてもらうことにした。馬ではなくロバだが、子供の足よりは遥かに速い。
「小さいのに旅だなんて……」
「みんなそう言うんです」
「そりゃそうだろうね! あっはっはっ!」
不思議そうな顔をするミューリを、おばさんは豪快な笑い声で笑う。
カタコトカタコト、ゆっくり進む荷馬車の後ろで、ミューリは外側へ足を出しながら空を見上げる。青い空にゆったりと流れる雲を見ていると……どこかからおかしな音が聞こえてきた。
おかしな音と、声が聞こえた。
空を見ていた目を正面に戻すと、離れていく街の門に、おかしな集団が何かを叫んでいる。
「みゅーりー! きけー! みゅーりーッ!!」
「まーたーねー!! またきーてーねー!!」
「いってらっしゃあぁぁぁい!!」
言葉の合間にトランペットを吹いて、音がでなくて困惑している。
延々とギロを鳴らして、自分の声を掻き消している。
手で叩くであろう打楽器を脇に抱えて、バチで叩いている。
ものすごい形相でやってきた老人が頭を叩いて、おそらく「クソガキ」とでも言って叱っているのだろう。
その光景全てが、どこか大切な何かに思えて、ミューリは笑いながら手を振った。
「……広い世界を楽しんでいます。見えていますか」
小さく呟いて、手を振り返す四人の光景を目に焼き付ける。
小高い丘を越えて姿が見えなくなるまで、ミューリは手を振り続けた。
いつか、旅の途中にでも、あの街に行けたら良い。
そう思いながら、また空を見上げた。
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ゆっくりまったりの更新ですが、よろしくお願いします。