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嫌われた魔法使いのバラード  作者:
小さな小屋の魔法使い
6/11

告別

 面会の日は、想定よりも早く訪れた。


 たった数十分とはいえ、公爵家の主人にとってはひねり出した貴重な数十分である。

 誤算だったのは公爵家のエントランスで会うことになったことだ。

 別れの挨拶となるなら、謝罪の一つもできるように個室で会いたかった。使用人たちしか見ていないとは言え、家の玄関先で頭を下げるなど威厳を損ねるようなことは躊躇われる。もちろん自身に罪があることは公爵も重々承知の上で、簡単に頭を下げるわけにはいかない立場だ。


 一瞬、娘が全てを承知でエントランスを指定したのではないかと考えた。謝罪を受け取らないのは自らの意志だと、全員に示す為に……。

 あり得ない話ではないと思えるのは、伝え聞いているミューリの情報が神童か何かかと思えるほどに完璧であるからだ。そんな子なら、ある日突然に、黙って消えてしまうこともあり得ただろう。挨拶がしたいのだと面会を望まれただけでも嬉しいことである。


「(一目会えるなら、それはとても幸運なことだ。その上に謝罪などと、今更虫の良すぎる話だな)」


 自身の心は軽くなるだろうが、ミューリはどうか。

 それが分からない以上、公爵から何も言えることはない。


 ……ひっそりと、引き留めようとした使用人は何人かいたらしい。「まだ子供じゃありませんか」と引き留めたが「子供を閉じ込めるのは良いのですか?」と問われ、「街にある自分の家に来るのはどうか」と提案したが「あなたの人生の立場が悪くなります」と返されたそうだ。

 ちなみに後者は筆頭秘書だ。父親を前に惜しむ気持ちを隠そうともせず報告する態度は、最早尊敬すら覚えた。


 もう全てが遅いのだ。公爵はここ最近になってまた報告されるようになったミューリの情報に、どうして会いに行ってやらなかったのかと後悔している。情が無いわけではなかったはずなのに、存在を口に出すことすらしなくなった。自分が可愛かったのだろう。

 そのうちに罪悪感も薄れて、それが日常になり、平気になった。平気になってしまった。

 大切なものは、失う時に気付くとはよく言ったものだ。


 ……最後くらいは。

 一目見て「魔法使い」の存在に足がすくんだとしても、せめて最後くらいは父親らしく正面から見送ることができたら良い。



 そう思っていた。



 約束の時間にその場所へ向かっていた公爵の足は、ビタリと凍ったように止まる。魔法使いに対して足がすくんだのでは無い。

 姿を見せた魔法使いの娘に対して、公爵は恐れではなく、何故か畏れを感じて足を止めたのだ。


 あれは一体誰だ、と呟く。



「貴重なお時間を頂戴してしまい、申し訳ございません」



 ゆるりと伏せられた金色の目と、静かに下げられた頭から滑るように落ちる水色の髪。



「一応は、お伝えした方が良いかと思いまして、このような場を設けて頂きました」



 広いエントランスホールの左右に通常よりも多い衛兵が何人も並び立ち、その背後には何人もメイドが並んでいる。野次馬の気持ちがありありと分かる。本来ならば仕事をしろと諌める場面ではあるが、それを言う前に視界に飛び込んできた光景に掛ける言葉がまっさらに消え去った。


 エントランスホール真ん中、ぽつんと佇む小さな女の子。


 最後に見たのは三歳になる前だったか。

 あの髪と瞳の色には確かに見覚えがある。

 それでも目を疑う。


 上の階層から降りてきた公爵は、階段の踊り場で勝手に止まった自分の足へ視線を落とした。

 長く王族に仕えてきた公爵の家柄だからこそ、本能的に足が止まったのかもしれない。公爵はその時確かに、近付き過ぎてはならない王族と同じか、それ以上の尊さを、たった七つの小さな娘から感じ取った。


 その身を隠され、何の教育も受けられず、ただ息をしているだけしかできないはずの場所で、一体何を学んだらそうなるのか。

 背筋を伸ばし清廉な空気を身に纏い、緩やかな所作は悠然と余裕を感じさせる。表情一つとっても上位者の佇まいではないか。

 雄大な天のような色合いのせいか、公爵には娘が遠い存在のものに思えた。


 返事も無く黙った父親に、発言を続けて良いと受け取ったミューリは笑みを浮かべたまま話し始める。



「本日、私は旅に出ます」



 誰も、何も、一言も発することはない。

 しかしどこかザワリと泡立ったような空気が、ホールにいるすべての人間の気持ちを現していた。



「意図せず、私が小成人と呼ばれる年齢になった今日にお会いすることとなりました。しかし何も持たない私には、恩を返せるものがありません。ですからせめて、これ以上の世話になる前に出ていくことをお許しください」



 自分が出ていくことが利益になるでしょう?と。

 公爵も言葉の意味を正しく理解して何か言わなければと口を開いたが、やはり言葉を紡げない。何か否定しなければいけないのに、何も否定できない。

 「魔法使い」という不安定な存在を抱えたままでは、公爵家としてはいつ足元を掬われるか分からない。

 間違った発言ではない。間違った発言ではないはずなのに、間違いだと否定したくて堪らない。今更、父親として何が言えるのか。そもそも父親だと思ってもらえているのか。

 複雑な心境をそのまま顔に滲ませるのは、貴族として間違っている。

 これでは隙だらけの、ただの父親だ。



 眉間に皴を寄せて何かを耐えるその様子に、笑みを浮かべたままそっと瞬きをして、ミューリはヴァイオリンを構えた。



「―――生かして貰えたことに、多大なる感謝を」



 弓を引く動作をした途端に、ホールに隠す気の無い高い音が響き渡る。


 これまで感情を表に出さなかった周囲が一斉に驚愕に目やら口やらを開き、初めてミューリの魔法を見る者は反射的に武器に手をやった。手にしていた掃除用具の布を落とす者や、衛兵を押しのけて前へ出てくる新人の給仕など、様々反応を見せる中でただただ演奏は続けられている。


 ミューリは困惑の人々の中で音楽を奏で続ける。

 言葉の通り公爵家への大きな感謝を、そして躍進を祈って、華やかなヴァイオリンの音がホールいっぱいに広がった。

 公爵家には何の恨みも無い。ミューリとしてはその気持ち一点だ。『ミューリ』としても、顔も覚えていない親だと言っていたので同じような感情だろう。


 ミューリは楽しげに音を鳴らし続ける。まるで今までの人生に何の不幸もなかったような笑みを浮かべて、今後も幸せであるかのような振る舞いで。

 金色の瞳は公爵を一瞥して、ただ柔らかく微笑むだけだ。


 見ていることしかできなかった使用人たちが、何故ちゃんと仕えることができなかったのかと、会うことも許されなかった衛兵たちが、どうして側にいられなかったのかと。

 何故このような子供を恐れて、こんなにも惜しんでいるのか。



 誰かの「美しい」と呟いた声に、ピオスフィラ公爵は同意するように小さく頷いた。



 そのまま演奏は熱を上げて、大輪の花が開くような表現で終わりを迎える。それと同時に、ホールのあちこちに透明な水で作られた大輪の花がいつくも開いた。感嘆の声がそこかしこから聞こえてくる。

 ミューリは少しだけ乱れた息を静かに整えて、ヴァイオリンを消した。


 公爵に向けて深く頭を下げたミューリに、当然のように拍手が送られる。初めは一人の赤毛が、そして涙を拭う使用人たちが、そこから二人三人と増えていく。

 ミューリは周りを見回して、右に左にと丁寧にお辞儀をした。


 その姿に、遅れて我に帰った公爵が喝采に参加しようと手を叩こうとした……その瞬間、荒々しくドアを開ける音に歓声は遮られる。



「ッ、何故ここにいるの?!」



 ドレスに身を包んだ一人の女性が、二階部分から絶叫する。

 恐ろしいものを見るようにミューリを見て、綺麗に結われた自身の髪を掴んで、浅い息を繰り返している。

 悲鳴のような声に、ミューリは耳が少し痛くなった。



「どうして小屋から出てきたのですか!! 早く戻りなさい!! 誰かに見られたらどうするの?!」

「落ち着け、大丈夫だ。……もう、やめてくれ。もう、大丈夫だから」

「ッ、どうして!? 何故止めるのですか!! 早く……早く……、アレを隠して……っ!!」



 あれが母親らしいと目を瞬かせたミューリは、挨拶するには邪魔になると足元に置いてあった本を持ち上げて肩から提げる。唯一の持ち物であるそれを、大切そうに、撫でるように埃を払った。


「(……小屋へ追いやったのは、父親でなく……)」


 おそらく小屋に入れたのは父親の本意ではなく、母親があの状態だからだ。他の理由もあるだろうが、そうするしかなかったのだろう。他に手段が無かったのなら仕方ない。

 ミューリは納得しながら服装を整える。


 公爵は旅立つ準備をするミューリを横目で何度も気にしながら、妻に向けて宥めるように声を掛け続けている。言い合う様子に変わらぬ微笑みを浮かべながら、ミューリは何も言わず、二人に背を向けて出口に向けて歩き出す。



「っ、もぉ……もう嫌……っ」



 嗚咽混じりに搾り出された悲観の声にも、ミューリの足は止まらない。



「お前なんて……っ」



 小さな足で堂々と歩く姿に、微塵も迷いはない。




「お前なんて……っ、私の子じゃないわッ!!」




 迷うことなく進んでいた足が、食いつく様な声にピタリと止まった。

 それと同時に、公爵が妻の名前を叱責するように呼ぶ。


 広いエントランスホールには、公爵夫人の嗚咽だけが悲しく響き渡る。


 ミューリは自分の手を懐かしむように眺めてみる。その手は日本人特有の肌色ではない。金色の瞳も水色の髪も、どちらも父親と母親の色を継いではいない。

 そして何より、元々のミューリ・ピオスフィラの意識ではない。

 例え血が繋がっていようと、あの母親の娘では、ない。



 ミューリは振り返った。

 なんの憂いも無く、迷いも無く。ただいつものように背筋を伸ばして、凛として。


 階段の踊り場から、手摺を支えにこちらを怯えるような目で睨むピオスフィラ夫人に、ミューリは柔らかく微笑んだ。




「―――そうだと思います」




 本心からの言葉は、その場にいる全員の心を凍らせた。

 悲しい魔法でも使ったのではと思う程、冷たく寂しい響きだった。


 この世界で目を覚まして、ミューリ・ピオスフィラ意思を知って、数十日。

 ミューリは、『愛してくれない親』というものがこうも悲しいものかと理解した。元の世界の親への気持ちが希薄である今、それでもその気持ちの方が愛された記憶として強いのは、ミューリとしての今が愛されていないからだ。


 それならばミューリとして生きる今も、前世の厳しくも自分を見守ってくれていた父を親としよう。幸せな思い出を少しずつ持って、楽しいものを楽しんで生きて行こう。

 ミューリ・ピオスフィラがそうだったように、魔法使いには窮屈な広い世界を生きて行こう。


「(私の親は、真実、この人たちではない)」


 ミューリはもう一度二人へ向けて頭を下げる。

 どこまでも淑やかに、穏やかに、幼い子がまるで何十年も積み重ねたような、指先まで洗練された動きで美しい姿勢。


 広いエントランスの真ん中で、子供から親へ決別を言い渡したような。

 捨てられたのは一体どちらか。混乱してしまう光景だった。



 ……頭を上げたところで、ミューリは二階の手すりから小さく顔を出す男の子に気付く。



 ミューリは金色の目を見開いた。

 前世での心配事が、一つだけあった。それが後継者問題だ。後継者として育てられていた自分がいなくなった後、唯一の肉親である父親は、ちゃんと養子でもとって育て直しているのだろうか。やるからには完璧にしたい人だから、後継と決めた人に無茶をさせていなければいい、と。


 しかしピオスフィラ公爵家にはちゃんと後継がいるらしい、と少し安心した。

 元の世界の父親には苦労をさせてしまっただろうから、この家にはちゃんと次に続く子がいることにミューリは自然と微笑む。小さく手を振って、目を逸らす。


 そして、今度こそ全てに背を向けて出口へと歩き出した。

 向けられる心配の視線は全て杞憂なのではないかと思えるほど、金色の瞳はしっかりと前を見て輝いている。


 後ろから叫ぶように自分を呼ぶ母親の声にも、「おねえさま?」と呟くような小さな声にも、ミューリはもう振り返る事はない。

 前を向いて、七歳には重い両開きの扉に向けて、ヴァイオリンの音色をぶつけるように響かせる。


 水を操って開いた扉を軽い足取りで通り抜け、閉まる扉を背にフィナーレの一音を鳴らして弓の頭を空へ向けた。



「……人生の続きの始まりですよ、『ミューリ』」



 晴れた薄青の広い広い空が、世界を知らない少女の旅立ちを祝福しているようだった。


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