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嫌われた魔法使いのバラード  作者:
小さな小屋の魔法使い
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本能が選ぶ主

 まだ陽も昇らない早朝。

 公爵家筆頭秘書は、栗色の髪をガシガシとかき混ぜながら、屋敷の外れへと歩いていた。朝の仕込みを始めている厨房の横を通り過ぎて、使用人しか使わない裏口の扉を開く。

 手入れもそこそこな裏庭を二十歩も歩かない場所にある、数年前までは庭の掃除用具の倉庫として使われていた小屋。その扉の前に立って、さてどうしようかと首を傾げる。



 それは使用人にだけ広められた噂話。


 曰く、本を読むか寝るだけだったお嬢様が、何年か振りに給仕と会話をした。

 曰く、自分の年齢を聞いて、公爵家に不要かを確認し、大陸の地図を所望された。



 公爵秘書となれば、ミューリとは給仕ほど近しい立ち位置では無いし、定期的に報告は受けていても進んで関わることは無かった。

 しかし今回、変わられたお嬢様の噂に興味だけは誰よりも湧いた。公爵家に隠されていた存在が、「大陸の地図を見たがった」のだ。

  癇癪を起こした、我儘を言った、人を傷付けた、そんな噂の方がまだ信じられる。

 ただ息をして生きているだけだった植物のような娘が、枯れて死ぬではなく鳥にでも変わったかのような驚きだった。


 そして報告を伝え聞いた誰もが、その結論に辿り着いた。


「(家を、出て行こうとしておられる)」


 鳥になったなら飛び立つことは当たり前だが……。

 あと数日で七歳になる。まだ、七歳だ。小さな女の子が家を出ようと決意するなんて、一体どれだけの思いか。


 公爵夫妻には絶対に漏らしてはいけない、と暗黙の了解で広まった話は、昨日のうちに屋敷の上から下にまで伝わっている。それでも全員が公爵家に仕える優秀な者として、表情には何ひとつ出さず、素知らぬ顔で顔で仕事をしている。

 一種の謀反ではないかとも思うが、公爵夫妻の心労を考えると「黙る」一択となる。


 人のことを責められない。自分もその一人だと苦笑しながら、秘書は扉をノックしようと片手を上げた。



「はぁあぁっ、まって……! 待って下さい……!」



 声を潜めるあまり、息だけで静止を繰り返す声が後ろから聞こえる。振り向けば、最近新しく入ってきた給仕が慌てたように両手を前に出していた。



「ミューリ様は遅くまで、本と地図をご覧になっておりました……まだ起こすには早いかと……!」



 秘書に近付いた給仕は、手振り身振りで扉から離れるように指示する。

 位の高い筆頭秘書にそのように指示するなど本来は失礼にあたるものの、筆頭秘書は子どもを無理に起こすのもどうかと納得して素直に従う。彼は柔軟な男である。


 給仕は口に手を当てて、扉のひび割れから中を覗いた。



「いや、その行動もどうだろうか?」

「シッ!!」



 人差し指を口に当てて秘書へ向ける。遠回しに「黙れ」と表しているそれは勿論失礼にあたる行為ではあるが、お嬢様をよく知らない自分より、知っている給仕に任せた方がいいだろうと納得して素直に黙る。

 更に少し考えた末に、筆頭秘書は給仕に習って別のひび割れから中を覗いた。彼は柔軟な男である。





 静かな寝息を立てていたミューリは、窓から差し込む光に眉を寄せながら目を覚ましたところだった。

 高い位置にある窓からの光が水色の髪を照らして、いっそ白にすら見える。天からの光に包まれた薄色の生き物は、暖かさをめいっぱいその身に浴びて揺蕩う。


 自分が陥った状況はまだ分からないものの、文字の解析に頭を使った分よく眠れた。

 分かったことと言えば、「鏡の持ち手と本」「地図」この二つに書かれた文字はそれぞれ別の言語だということだ。二つに共通しているピオスフィラの文字は同じであるはずなのに、地図のどこにもその文字を見つけることはできなかった。


 寝ぼけ眼で体を伸ばすと、太陽に近くなった分だけ眩しくなった気がして目を細めた。

 この世界の太陽は同じく東から登るのだろうかと考えて、そもそも「東」という概念があるのかと芋蔓式に考え始めてしまう。キリがないと苦笑した。


 そして、思う。


「(外の二人は何をしているんだろう?)」


 一連の姿を覗き見ていた二人は、「太陽の眩しさに微笑むお嬢様」の図に魅入っていた。髪も瞳も光に照らし出され、白いワンピース型の寝巻きしか纏っていない少女は天使か何かに見えていた。

 新人の給仕は頬を高揚させながら大きく深呼吸をして、筆頭秘書は目を見開いて固まる。


「(……誰が教えた?)」


 煌びやかな服も、豪華な装飾も必要ない。所作と存在感から気品を感じ取れる。

 それは最早子供のものではなく、成人した女性に思えて秘書は目を擦った。


 正直、外の世界を何一つ知らないからこそ「出て行く」などと簡単に言えるのだと。お金のアレコレも知らない子供が外に出れば、いくら魔法使いであってもすぐに死んでしまう、と。

 止める、と言うよりは、世間を教える為に足を運んだつもりだった。存在を知っておきながら何もしないことへの贖罪でもあったのかもしれない。その結果、行かない判断になったとしても、それはお嬢様の判断だ。


 ……だが今、どうだろう。世間を知らないハズのお嬢様が、達観した眼差しと穏やかさを持った娘にしか見えない。


 おもむろに本を開いたミューリに、筆頭秘書はハッとして凝視する。

 まともに教育を受けていない少女が、大陸の文字どころか「魔法図書」を読んでいる。魔法使いの文字で書かれているそれは、世界有数の学者によって研究され、現在では扱える人間はたった数人である。未だに解明されていない事が多いが魔法使い自体が見つからない為、ここ数十年間は研究が進まない。



「お嬢様は……魔法使いだから読めるのか……?」



 小さく呟いた筆頭秘書は、自然と背筋を伸ばしていた。慌てる給仕を他所に、迷うことなく扉をノックする。

 中から小さな返事が聞こえて、秘書は更に気を引き締めた。公爵家筆頭秘書と名乗ると、驚いた様子もなく淡々とした柔らかい声で「どうぞ」と許される。



「おはようございます、ミューリ様」

「はい、おはようございます。良い朝ですね」



 ミューリは開いた本をそのままに、ベッドの上に座ったまま当たり障りない挨拶をする。読み途中の本の紙面を名残惜しく撫でてみれば、気付いた筆頭秘書は「お邪魔して申し訳ございません」と少しだけ慌てて頭を下げた。

 小さく笑いながら冗談だと本を閉じれば、秘書の目が気付かれない程度に見開かれる。給仕はまだ仕事の時間ではないからか、扉の向こうから入ってくる様子はない。気配だけ感じ取っているミューリは、放っておいて良さそうだと扉を一瞥してから、目の前で片膝をついて目線を合わせた秘書へと向き直る。



「何か、私に御用ですか?」



 筆頭秘書は、公爵家イチと言って良いほど柔軟な男だった。常識的には間違いだとしても、法に触れない限りは非常識な行いにも対応する。

 目の前の子どもが只者ではないと感じ取って、子どもではなく大人扱いをするくらいには柔軟である。



「お嬢様は、魔法図書が読めるのですね?」



 ミューリは、その言葉から色々と納得した。


 鏡の持ち手の「ミューリ・ピオスフィラ」の文字から、ほとんど想像ではあるが本の中身を訳すことが可能である。しかし給仕から受け取った地図は、鏡や本と同じ文字が一つも無く、全く読むことができずにいた。


 大陸のどこにピオスフィラ公爵領があるか分からないので、自分の場所を把握しようにもできない。文字が読めなければ、考える材料も足りないので後回しにしていた。文字の横に家紋であろう印が押された場所を見つけて、そこが公爵家だろうとは考えたものの……書かれていた「ピオスフィラ」の文字は鏡や本の文字とは違っていていまいち確信が持てなかった。そもそも家紋の印かどうかも分からないのだから仕方ない。


 そんな中で「魔法図書」というものがあるらしいと納得したミューリは、秘書へと柔らかく笑いかけた。



「魔法図書とは、この本のことですか?」

「……そうです」



 少し苦い顔で頷く秘書は、目の前の微笑む少女が「魔法文字」と「大陸文字」の違いも知らないまま読んでいるのだと察した。そして少しだけ目を伏せると、仕舞われている地図を見つけてミューリの前に広げる。



「ここが、大陸文字で書かれた『ピオスフィラ領』です」

「ああ、やっぱりそうだったんですね」



 印が押されたそれを指でなぞって、一つ一つの文字を呟いた。

 覚えた文字を繰り返し呟いたミューリは、そのまま他の文字へと指を滑らせる。頼んだ訳ではないが、秘書は指のたどり着いた先の文字を次々と読んでいく。いくつか読んだ後、ミューリは満足したように頷いた。



「ありがとうございます」



 筆頭秘書は緩やかに頭を傾げて感謝するミューリに、自然と姿勢を正し、片膝を付いて軽く頭を下げた。静かに目を閉じて、そして急激に頭を回す。

 自分に出来ることは何か、と。


 筆頭秘書としての頭が、この娘を囲わないことが公爵家の利益にならないと考え始めていた。危険とされている「魔法使い」だからという理由だけで人柄に何の問題も無い。むしろ子供にしては落ち着きすぎている思考と頭脳、所作、高度な教育を受けたような痕跡があるお嬢様を放置するのは無益ではないか。

 使用人の中に教育の心得があるものがいたのだろうか、誰かがひっそりと教えていたのだろうか。秘書は眉を寄せる。


「(勉学に興味があるなら自分が教えて……いや公爵家の仕事があるから無理か。ならちゃんとした人間を送り込むのはどうか……)」


 知り合いの教職を数人思い浮かべながら、地図に目を戻してしまった娘へと静かに声を掛けた。



「ミューリお嬢様、よろしければ言語や政治を学ぶための教師を紹介しましょう。貴女は賢くていらっしゃいますから、ちゃんとした教育を受ければ……」



 顔の横に落ちる髪を静かに耳に掛けたミューリは、地図の文字を追って伏せていた目をそっと上げて、秘書へと向ける。

 金色の瞳が何か言いたげに向けられた。それだけで意図を察した優秀な秘書は口を閉じる。小さな体から発せられるほんの少しの意思を、主人に支える秘書としての本能が感じ取った。



「引き受けてくださる先生がいるでしょうか?」



 困ったように小さく笑ったミューリに、筆頭秘書はどうしてか頭から抜けていた「魔法使い」の存在を思い出す。あまりにも無害で優秀な少女を前に、成長だけを願ってしまっていた。むしろ自分が教育者になる算段も立てようとした。毎日忙しさに殺されてそんな時間無いはずなのに。

 提案自体は願っても無いもので、ミューリは褒めるような色を滲ませて嬉しそうに笑う。



「教育を受けても、魔法使いである時点で公爵家のお力にはなれませんから、お金の無駄かと思います。そもそも、私の存在は隠匿されたもののようですし、このことが公爵夫妻にも伝わらない方が良いでしょう? だから、気持ちだけ」



 ありがとうございます、と軽く笑って流すミューリは再び地図へと目を落とした。秘書が読んでくれた文字を復習するように唇が動き、それから今度はまた魔法図書を開いて文章を指で辿っていく。


 集中し始めた様子に、秘書は自然と開いていた口を閉じた。公爵家を考えなければならない立場で、自然と目の前の子供を優先して考えていた。

 現実的に考えたら放置することが最良だと理解はしている。理解はしているはずが、何故か納得は出来ていない。

 筆頭秘書は何度も自分に言い聞かせるが、どうしても目の前の人へ尽くそうと頭が動く。こんなに融通の効かない自分の頭は初めてだと口元に手を当てて、一度深呼吸する。


「(……もどかしい。私にしか出来ないことは無いのか)」


 何かないかと、失礼にならない程度に部屋を見回してみれば、使い古した机にペンとインク、「真っ白のままの紙」が数枚散らばっている。



「……お嬢様。せめて、筆記する為の紙とインクだけでも、追加でお持ちしてよろしいでしょうか?」

「あ、それは助かります」



 パッと目を上げたミューリに、秘書が安心したように小さく笑う。

 宝石や服ではなく、美味しいお菓子でもなく、紙とペンインク。たったそれだけの品物で嬉しそうな笑顔を見られたことに、複雑に思いながらも安心して頭を下げた。

 誇らしい気持ちに顔を引き締めて、読書の邪魔にならないよう、出来るだけ音を立てないように部屋を後にする。

 公爵からの褒賞よりも何故か満たされてしまっている心は、絶対に隠さなければならないと背筋を伸ばした。

 使用人たちもこうして普通の顔をして、日常の業務をこなしている。筆頭秘書はそれに倣うことにした。

 彼は本当に柔軟な男である。



 ……ミューリは、机の上の「魔術の陣が所狭しと書かれていて真っ黒になっている紙」を見て、勉強しようにも書く場所が無かったので助かった、とにこにこ笑ってまた静かに本を読み始めた。


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