どうか心穏やかに
「おかえりなさい。お疲れ様でした」
「おかえり。意外と早かったな」
フェルエスは聞こえた声の方へ向くことが出来なかった。
「……ただいま」
この挨拶は何十年ぶりかと、フェルエスは少々気恥ずかしい気持ちで返す。思わず家の扉を開けて固まってしまったことを知られるのも何となく嫌で、急いで扉を閉めた。
事情聴取の為に呼ばれた魔法使い三人は、そのうち二人が子供で、更にその片方は人嫌いだということでフェルエスのみ招集となった。
正直に言えばミューリにも状況の説明くらいなら出来たのだが、家に来た憲兵の説明を聞き、睨み付けながら「嫌だ」とだけ答えたシードを一人で家に置いて行くのも、色々な意味で不安だった。かと言って二人で行こうとすると着いてくると言いそうだし、それで連れて行くのも不安である。
ミューリはフェルエスの葛藤を察して、「子供らしくお留守番してますね」と微笑んだ。変わらない穏やかな笑みに心底安心して手を振った。
しかし留守番していた二人の方を見た瞬間、「子供らしく」というところをもっと気にするべきだったとフェルエスは今とても後悔している。
「…………は!?」
姿勢悪く愛想も悪く堂々と座るシードの横に、姿勢良く愛想も良くちょこんと座るミューリ。
全く違うはずの二人を、フェルエスは何度も見比べる。その反応に二人は満足そうに笑った。
ミューリの美しい水色の髪は、何故か黒く染められている。
「ミューリ、嫌なことは嫌と言え」
「問題ありませんよ?」
「…………そうか……」
言いたい事を全て飲み込んで、それだけを苦しげに漏らす。
驚かせようという意図はあったが、何かショックを与えたらしい。ミューリは困ったように笑った。
「フェルエス、もっと見ろ。兄妹みたいだろ」
「だから嫌なんだ」
「は? なんでだ」
ジトっとした目のシードは、頭を抱えるフェルエスに染料になった青い実を一粒ずつぶつける。鬱陶しいと手を振って風で飛ばすと、ミューリをまじまじと見つめながら長い長い溜息を吐いた。
ミューリは黒くなった髪を自分の前に持ってくると、懐かしむように眺めた。
「嬉しそうだな?」
「黒も綺麗ですから」
「……落ちるのか?」
「魔法で動かした水なら落ちました」
「魔法で?」
パッと準備よく一枚の紙と小瓶を取り出す。
ペン先に小瓶の中のインクを付けて、紙に「染料」と書く。乾いた文字に水差しから水を掛けるが、滲むこともなく、擦っても無駄に紙が削れるだけだ。
しかしミューリが水球を作って文字に当てると、当てたそばから消えて行く。
「凄いな。……洗浄、……浄化か?」
「水の魔法使いが扱う水について、何か知りませんか?」
「いや、聞いたことはないな」
「ちなみに私の水の魔法で、術式陣も消せるみたいなんですけど……風の魔法はどうですか?」
「……無理だ」
フェルエスが簡単な術式陣を書いていく。保存を目的とするものらしく、ジャムの瓶の裏に書かれていたものと同じだった。
本型の物入れの底にも、壁に掛かったいくつかの花にも、保存の術式陣が書かれている。
目の前に差し出された紙に、ミューリは宙に作った水球をペタリと押し付けた。ジワ、と火を消すように文字が消えて、真っさらな紙がそこにあるだけだ。
「……」
「面白いでしょう?」
「…………瓶を持ってくる」
「はい、どうぞ」
研究者気質なフェルエスが、面白そうなものを見逃すはずがない。風の魔法使いに出来ることと、自分にできることはかなり詳しいが、他の魔法使いについては大まかだ。それでも性格や特性など教えてもらえる程には詳しいのだが、関わってきた魔法使いに関してだけと言えばそうなのだろう。
「凄いことなのか? 流石ミューリだな」
シードはミューリの頭を撫でながら、黒く染まった髪を満足そうに梳く。
瓶の中に溜まる水を眺めながら、フェルエスはじっとりと黒髪を見ては眉間に皴を増やしていく。小さく「早く落とせ」と腹の底から出た呟きも聞こえた。
驚かせるという目的を達成したのでミューリとしてはもう色を戻しても良い。しかしシードが気に入ったらしく何度も頭を撫でる。いつもより三割増しで接触が激しい。ここまで気に入ったものをすぐ落としてしまうのは申し訳ない気持ちがある。
もう少し自由にさせようとニコニコ笑うミューリに、フェルエスは重い溜息を吐くしかない。
そしてフェルエスには、先ほどからもう一つ気になっているものがある。
「あの紙の山はなんだ?」
「あぁすみません。私です」
「……手紙か?」
「はい。片付けようとしたところで染色が始まったので、そのままでした」
紙の山を片付けに向かうミューリに、フェルエスは近付いた。
公爵家にいる頃にやり取りした手紙を持ってきたのだろうと思っていたフェルエスは、『秘書より』『給仕より』と書かれた文字に目を止める。そして『今はどこの街におられるのですか?!』と見えた手紙の内容に「は?」と声が出てしまった。
「どうしました?」
「この手紙、いつ来たものだ?」
「それは……おそらく今日ですね」
「どうやって」
ミューリは首を傾げながらも、手紙の下に埋まっていた木箱を救い出す。見せた方が早いだろうとフェルエスに渡せば、木箱の中に書かれた術式陣をじっと読みだした。
ピオスフィラ公爵家筆頭秘書、アレクト・エディは実に柔軟な男である。
公爵家を去る準備を始めた頃、ミューリが恩返しした相手は騎士ジェイン・フォルクスだけではない。シェフには保温と保存の箱を、新人の給仕には汚れないエプロンを……。
そして筆頭秘書には、大陸文字の教習の本を貰ったお返しは何が良いかと直接相談していた。
その際に彼が望んだのは「縁」である。
魔法使いの便利な商品について知識のあったアレクトは、どうにかしてミューリとコンタクトを取る為の品を望んだ。ミューリは魔法使いとの縁は危険ではないかと話したが、利益を十も二十も並べて納得させるのがアレクトである。「ミューリ様含め魔法使いという人種についての情報」「国内外の特産品」「市民や街の状況」「世間の声」など……。
つまり、旅をするならちょっとしたスパイにならないかという話だ。
正直ミューリとしては自分はスパイに向かないと思っているが、日記のようなもので良いと言われてしまえば軽い気持ちで引き受けられる。元々、ミューリとの縁が目的であるので、実は内容はなんでもいい。ミューリへの利益として「公爵家の情報網の利用」「大陸文字の練習」「一般常識や貴族の知識」などを挙げられて、秘書としての領分を超えている気がする権利の行使に苦笑しながらも了承した。ミューリが利用しなければいいだけの話だ。
そもそも「遠距離での対話」も、ミューリにとっては術式陣研究の延長にあるものなのでやる気になった。全てを報告する義務がないこともしっかりと確認して、逆にそんなに緩くていいのかという気持ちになった。本人がそれで良いというなら良いのだろう。
ちなみに、その際にできた副産物をアレクトが喜々として買い取り、ミューリは資金を作っている。
……そうして出来上がったのが、「手紙を対の箱へ移す箱」である。
「紙という物質を飛ばすなら簡単でしたが、それでは文字が付いてこなくて……ちょっと大変でした」
「いや……よくこんな複雑なものを……。インクの成分一つ一つを名称として書き出して『水』として固定、形状保存、定着、維持……。時間経過の単純化で文字数を減らして、転移の短縮もしてあるな?」
「速達は可能か、と言われまして」
「与えられた課題に挑戦して研究するのが楽しかっただろう」
「ふふっ……実はそうです」
「……君は新しい知識を吸収することが好きだな」
秘書とのやり取りを簡単にまとめて事情を話せば、フェルエスは静かな瞳で箱を見つめ……一瞬だけ口元を緩めた。
眼鏡を上げてミューリを見る頃には消えていたが、それでも目は誤魔化せず優しいものである。
「賢い人間の周りには、賢い人間が集まるものだな」
ただ、賢い人間がいてもやはり貴族のままではいられなかったのだと、フェルエスは寂しく思いながらミューリの頭に手を置いた。ソファに寛いでいるシードから「俺の話か」と声が上がり、「違う」と即座に否定する。
ミューリは頭にある手をペタペタと叩きながらクスクス笑った。
「私が家を出てきてからずっと開けなかったので、開けた瞬間に溢れ出てきてしまって……」
「あぁ、それでか。慌てたような文字で『ご無事ですか』の一言しか書かれていない手紙もあるぞ。早く返してやれ」
「一応、スピラの街で人攫いが出た報告はしました。火の魔法使いと名乗る偽物だったことも、それを撃退したのが本物の魔法使いであることもお知らせしましたよ」
「そこは別に要らなかっ、た……」
フェルエスは片付け途中の手紙の一枚に目を止めて、続く言葉が消える。ミューリは手元の紙を束ねながら、なんの手紙を見たのかと覗き込んで、苦笑する。
『奥様が、お嬢様が過ごされた小屋を取り壊すよう命じられました』
帰る場所はない。お前は元からいないものだと示されたのだろう。ミューリはいつものように微笑みを浮かべながら、そっとその手から手紙を抜き取った。
「僕は……少しだけ期待していた。ミューリなら……家に帰れるんじゃないかと」
眼鏡を上げて、フェルエスは取り上げられた手紙を目で追う。ミューリは手紙に目を落として、文字を撫でた。
「元々帰る気はありませんよ。それに……悪い事ばかり書いてある訳じゃなかったでしょう?」
「……あぁ、そうだな……」
手紙は続いている。
『取り壊しは勝手な行動だったようで、公爵が奥様を離れの宮へ送られました。
今だから言えますが、お嬢様にはあのような小屋は全く似合っておりませんでした。公爵家には無駄に多くの部屋がありまして、偶然、最近給仕たちが全室掃除したようです。おそらくどの部屋も、小屋よりも快適かと。
公爵は時折、窓の外の空を眺めております。執務の手が止まるのは秘書として困りますが、どうにも咎める気にはなれないのです。
貴方様がいなくなった城内は、まだどこか、寂しい空気が漂っています。
弟であられるヴァレイ様は、今後公爵直々に教育なさるそうです。それと、あの日から弟君にミューリ様の事をよく聞かれるようになりました。公爵も少しずつではありますが、お話されるそうです』
ミューリが公爵家を出てから三枚目くらいの手紙だろう。箱を開いた瞬間に爆発するように手紙が溢れ出したので、どれがいつ来たのかは分からない。
ミューリは手紙の内容を読み返して、大事そうに畳む。
薄紫の瞳は寂しそうに伏せられ、未だに何かを想いながら床に散らばる手紙を見ている。それをガサガサと適当に避けると、ミューリはフェルエスの首に腕を回した。
「なっ、おいっ!?」
「帰る家が無くても、私は気にしません。進む道はあるままです」
狼狽えるような声に、言い聞かせるようにして背中を叩くようにして撫でる。
悲観も楽観も無い、ただ目的があるだけだ。
「私や、家の人たちの寂しい気持ちまで感じ取ることはありませんよ」
シードに聞こえないよう耳元近くで言えば、ピクリと肩が跳ねる。
フェルエスは大切な人と暮らす幸せを知っている。心地良い時間は長くは続かないということも、その後に一人で生きていく時間も知っている。
人と生きた時間を幸せに思っていなければ、もう少し寂しさに鈍感に居られただろうか。自分であれ他人であれ、寂しいという感情に目を背ける判断が出来ない人。
その寂しい気持ちを埋めるような言葉が出てこない。寂しい気持ちにさせてしまったミューリには、残念ながら相手の背中を撫でてやることしかできない。
……そこへ、実にサラッとした声が割り込んだ。
「ミューリ、帰る家が無いのか? ならここでいいだろ」
実にサラッとした提案だった。
あまりにもサラッとしているので、フェルエスがイラッとした程である。
「なるほど、名案です」
「どうして僕の家のことをお前が決めるんだ」
ソファの背にもたれ掛かりながら、シードはミューリを見る。
「いいだろ? ミューリ。フェルエスはいつ来ても怒らないぞ。きっと住んだところで何も言われない。パンとジャムも出てくる」
「魅力的ですね」
「言葉の勉強もできるし、魔法使いについての情報だって集めてくれる」
「心強いです」
会話の合間にフェルエスが文句を付けようと、シードはミューリの金色から目を離さない。
じっ……とその瞳を覗き込む。
「誤魔化さないで、ちゃんと言え」
「何をですか?」
「この家に帰ってくるって、言え」
「……」
確約は出来ない。国を超える以上、何が起こるかわからない。志半ばで死ぬこともあるだろう。
ミューリはチラリと薄紫の瞳を横目で見てから、シードへと向き直る。
「絶対とは言えませんが、良いのでしょうか?」
「大丈夫だ。俺も『明日絶対行く』と言って、猪を追っていて来なかったときがある。同じようなものだろう」
「おそらくそうです」
「いや……ミューリはもっと重い理由だから、お前と一緒にするな」
同じらしいぞ、信じるな、文句を言い合う二人の真ん中で、ミューリは口元に手を当てて考える。それからにっこりと微笑んで、小さく手を上げた。
フェルエスはミューリのその態度に、身構えるようにして目を細める。
「絶対、この家に帰ってきます」
「よしっ」
「よしじゃない」
絶対は、偽りではない。ただ理由があってすぐには帰れないだけだ。
ミューリは両手をパチンと合わせて、楽し気に微笑む。
「帰りたいと思ったときに思い出す家を、ここに決めました。よろしくお願いします」
覆ることの無い意志を金色の瞳に見たフェルエスは、口元に手を当ててそっぽを向いてしまった。
満足そうなシードは深く頷いて、「いつでも帰ってきていいぞ」と拍手する。ミューリはそれに応えるように一緒に拍手して「ありがとうございます」と深く頷いた。
盛大な二人の拍手の中で「勝手に決めるな」と呟き、フェルエスは溜息を吐き出す。
眼鏡を上げるフリをして上がった口角を隠すフェルエスに、この家に住む相談まで始めた二人を止めることはできなかった。
……
窓から吹き込む風に髪を揺らしたフェルエスが、ゆっくりと瞬きする。
「ミューリ、街の様子が落ち着いてきたらしい。これから街に行こう」
突然の話に目を丸めている間に、フェルエスは支度を済ませてしまう。よく分からないが必要な事なのだろうとミューリも支度を済ませた。
シードは「俺が先約だ」と棍棒でフェルエスの背中を突いたが、苛立ちながらも「ミューリに外套を買う」と言うと大人しくなった。むしろ機嫌が良くなった。
外套を買うことはそんなに素敵なことなのかとシードへ首を傾げるが、黒い髪に指を通して二度ほど撫でられただけだった。
街へ行く途中、フェルエスはポツポツと事情を話し出す。
一つは、宿にミューリを置いておくのは不安なので、宿屋に退室の手続きをして、フェルエスの家かシードの森に寝泊まりして欲しい事。正直シードの森はオススメしないと言われたが、ミューリは森暮らしに興味がある。
もう一つは、助けた子供たちがミューリに会いたがってぐずっていると、門番たちに泣きつかれた事。親元を離れて信用できる人間がいない今、少しのでも安心させたいので一緒にいて欲しいらしい。
そしてもう一つは、ミューリ用にフード付きの外套を買いに行こうという事。フェルエスとシードのお古でも良いのだが、二人の間で、なんか違う、という話になった。お古をミューリに着せるのは、なんか違うのだ。
そういうわけで街に来たのだが……。
「あの、最初は外套を買いに行きませんか?」
「同感だな」
「視線が鬱陶しいな。散らしてやろうか?」
「同感だ。でもやめろ」
フェルエスはミューリの背中を押して、そっと進路を変える。その間も遠目から三人へ視線は集められる。
髪を目の前に持ってきたミューリは、「黒でも目立つんですね」と残念そうに頬に手を当てた。
両脇にいた二人は足を止めて、ミューリの姿勢の良い後ろ姿を見る。振り返ったミューリの金色の目が「どうしたんですか?」と微笑むのを見る。僅かに傾げた頭と、柔らかい髪を耳に掛ける指先を見る。
「……いや、なんでもない」
「いつも通り、お前は可愛い生き物だ」
言い方が獣か何かの部類だ。
それでもミューリはお礼を言いながら、再び歩き出した二人についていく。何かを誤魔化されたことには気付いたが、気になくていいことか、もしくは気にしないで欲しいことなのだろう。
外套、と考えながら、ミューリは二人を交互に見上げた。
フェルエスの肩に掛かっている黒いフード付きのマントを見てから、シードの肩に掛かっている苔色を見る。髪の色も目の色も、それだけで分かりにくくなるものだ。
確かに、魔法使いには必要なものなのかもしれない。
しばらく歩いて足を止めると、フェルエスが一件の店の前で止まり、躊躇なく扉を開ける。
「いらっしゃぁい……あらっ、まぁ! 魔法使いさんじゃない!」
弾んだ声の女性がフェルエスを見るなり近付いて肩を叩く。結構な力で叩くそれ見ながら、シードとミューリが顔を覗かせた。
「あらあら、貴方も来たのね? ほらっ、見なさい。ちゃんと育ってるわっ」
「あぁ、綺麗な葉の色だ」
店の窓際に置かれた植物は人の背丈ほどに成長して、その天辺にみずみずしい大きな花を咲かせている。会話からしてシードが贈ったものなのだろう。
シードが植物を贈るとは、きっといい店なのだろうとにこにこしていると、ついにその女性と目が合った。そして大きく息を吸って、感激したように膝をつく。
「まぁ……貴女ね、噂の妖精さんは!」
「妖精さん?」
「えぇそうよ! 金色の瞳に水色の髪をした妖精さんって聞いたけど……、どこが水色なのかしら?」
今は髪色が黒のハズなのに、「噂の妖精さん」とミューリに言う。どうしてわかったのか、やはり瞳の色だろうかと首を傾げて二人へ目を向けたが、早々にマントが並んでいる棚で布を手に取って見ている。
「髪は染めてみたんです。元は水色です。戻しますか?」
「そうねぇ……服やら装飾品やらを見るなら、髪の色と合っていた方がいいと思うわ」
「それもそうですね」
少し考えた末に口元に手を当てたミューリは、軽く音階を口ずさむ。
ぶくぶくと現れた気泡混じりの水が、ミューリの頭から足元までを通り抜けた。それだけですっかり頭の先から足元まで綺麗に洗われる。
宿で入浴を逃した際に、ヴァイオリンだと音が大きすぎて迷惑になると考えて編み出したものだ。フェルエスとシードに披露したときはかなり羨ましがられた。やはり生活に便利な魔法は人気だ。
綺麗な薄空の色が現れた髪を、女性は両手を口元に当てて目を輝かせる。
「まあぁ!! なんて綺麗な色かしらぁ!!」
その声に気付いたシードは振り返り、小さく「あ」と声を上げた。お揃いを気に入っていたので申し訳なく思うが、服を合わせる為には仕方ない。
三六〇度から舐めるようにミューリを見ては、時折感嘆の息を吐く。
「すみませんが、この子に合うフード付きの外套が欲しいんですが……これ以外の色もありますか?」
「あるわよ! 今すぐ持ってくるわっ!」
弾んだ声で裏へ向かった様子に、元気な方だとミューリは微笑む。
魔法使いを一ミリも恐れない様子から、フェルエスやシードと長い付き合いなのだろう。魔法使いを理解して、ただのお客として、人として扱っている。
「(普通の景色です)」
これが世界の日常だと錯覚してしまうほどに自然で、穏やかな景色。一歩出たら遠巻きにされるなんて信じられない。
二人の間に入ると、ミューリは並べてある二つを見比べて、片方を被ってみる。
白地に青い花の刺繍の入ったものを鏡で見ながら、ミューリはもう一つの白も手に取った。
「……どうして白ばかり選んでいるんですか? 目立たないなら暗い色の方がいいのでは?」
「逆に目立つ気がして選べない」
「そう……なんですか?」
似合わなくて目立つ。とは、二人とも言わない。
そもそも子供が一人であんなにも堂々と歩いているというだけで目立つのだ。それならいっそ似合うものを選んでやりたい。
なんとなく白地を横へ置いて、藍色や緑色を被って見せたが、シードとフェルエスの両方に首を振られてしまった。実用性ならこちらだと分かっているのに、どうしても白をお勧めされてしまう。
しばらくあれこれ言い合っていると、「あったわ!」と女性が大きな籠を持って戻ってきた。
「アタシはこれが良いと思うのよ!!」
ドンッと自信満々に差し出されたのは、薄布に白い花を散らしたヴェールだった。
被れば人に紛れるアイテムではなく、ただの、ヴェールである。
「似合うな」
「絶対似合うだろ」
「かろうじてあった実用性が無くなりました。却下で」
白のフード付きの外套にすらあった隠蔽の効果が、綺麗な薄布のヴェールには全くない。髪の色も目の色も隠れない。目立たないという目的すら達成されないのでは、旅には不要なものだ。
「一番自信あったのに……ダメなのね。じゃあこっちかしら。水色の髪なら青とか、緑、臙脂も…………何かしら、違うわね」
「色が濃いと、君は……ちょっとおかしく見える」
「失礼な話ですね」
服屋の店員にまで言われてしまった。彼女は「似合わないわけじゃないけど」と言葉を濁す。
青色も濃すぎると不思議そうな顔で首を振られ、鮮やか過ぎると頭を傾げられてしまう。いくつか確かめて、やっとミューリに合いそうな青色を見つけた。青色だけで何十色もあるので全部は試すことが出来なかったが、「冬空のような澄み切った空気がその先の宇宙の色を透かしている空の色」がシードの手によって選ばれた。
「これが一番、ミューリの目を邪魔しない」
「目ですか?」
「人を見る賢い金の目が、これ以外の青だと紛れない」
感覚的に話すシードに、ミューリは手元の青を撫でる。
つまり髪色よりも強すぎる瞳の色が難しいのか、と。そして結局は「やっぱり白だな」と言う話になってしまった。
ミューリは青い外套が気に入ったので、それも購入することにした。綿のような花が刺繍されていて、静かなのに華やかな印象がある。
「ほとんどの魔法使いは、髪や目が隠れるようなマント型やケープ型を着ているんだ。子供の時に、逃げる為だとか身を隠す為だとかでその辺の捨てられた布を被って、そのまま習慣化して……大人になっても手放せずに生きている。そういう理由だった」
言いながらフェルエスは、真っ白なそれをミューリに被せる。
同じ布で作られたリボンを緩く首に巻く。
「だが今は、魔法使いが魔法使いへ、贈り物として渡すことが多い」
―――どうか心穏やかな人生を、って意味でな。
そう言いながらミューリの身なりを整えて、真っ白な頭をポンと一度叩くように撫でた。
ピクリとも動かなくなったミューリに不思議に思ったシードが、外套の中を覗き込む。そこには目をまんまるにして俯くミューリがいる。薄く唇を開けて静かに深く息をして、睫毛が微かに揺れていた。
「……どうした?」
「…………ん、なんでもありません。ちょっと考え事を……思考が止まらなくて……」
ミューリの顔を覗き込む二人は互いに顔を見合わせた。
もう大丈夫です、と微笑むミューリは首元のリボンを嬉しそうに撫でる。大丈夫と言うならそうなのだろう。二人はついでだからと小物も手に取って見せてくる。
青いリボンを気に入ったミューリは、それも会計台に乗せた。
「まいどありがとうさん! ちなみにヴェールは……」
「実用性がありませんから」
「そうかい? 残念だねぇ……」
諦めてなかったらしい。ミューリは自然と財布を出そうとしたが、シードの手によって止められてしまう。「贈り物」と一言言われて思い出したミューリは、両手を上げてフェルエスを見上げた。
それでいい、と言いたげな薄紫の目が一度だけ瞬く。
「あ、そうだわ! 名前を聞いてなかったわね」
にこにこと自己紹介をしてくる女性に、ミューリは少しだけ気合いを入れて返した。
「ミューリ・エウルスです」
「あらっ……あらあらあら、まあぁー……!」
生暖かい眼差しがミューリとフェルエスを行き来する。しまった、と顔を歪ませるフェルエスと、嬉しげに微笑むミューリ。
耐えられず「行くぞ」とミューリの背中を押すフェルエスに、「お嫁さん!? それとも娘さん!?」と輝かくような声が掛かった。嫁だとしたら幼すぎるだろうと思うが、真面目に返したら相手の思うがままになってしまう気がして黙る。
急いで店を出て、フェルエスはやや乱暴に扉を閉めた。
……閉まる直前に、シードが「娘だ」と誇らしげに答えたそれが、女性に聞こえたかどうかは定かではない。
着せてもらった白の外套をそのままに、ミューリは辺りを見回す。
それに続いて、フェルエスとシードも何かあるのかと周りを見たが、いつもの雑然とした街の姿しかない。緩やかに周囲を見ているミューリに「どうした?」とフェルエスが声を掛ける。
「もっと視界が狭くなると思ってました」
「あぁ……まぁ狭くなっても、僕ら風も水も周囲の気配を辿れるからな」
「植物の魔法使いにはできませんか?」
「整備された道は鈍くなる。植物が石畳の下敷きになっているから、感じ取りにくい」
石畳の下でも、根一つ、種一粒あれば、そこから何かしらの情報が得られる。振動だったり音だったりを感じ取った植物と、感覚を共有するような感覚らしい。もちろん草原や森の中の方がハッキリと分かるが、集中すれば石畳の広場でも人攫いのようなおかしな空気を纏って歩いてくる足取りも分別が付く。
ミューリは人の悪意を感じ取っているのではないかと推察したが、それが植物の魔法使いだからか、森での狩猟生活のお蔭かは分からない。
「順路的には宿屋ですね」
剥がれた石畳から芽を出している植物を見ながら微笑む。歩く道々で逞しく芽を出している草花に目をやりながら、自然な目線で周囲を確認した。
フード付きの外套を被った三人組の図は浮いているのではないかと思ったが、意外とフード付きの服を着ている人は多い。これなら暗い色でなくとも大丈夫そうだと、ミューリは視界の端に見える白い布を満足気に軽く撫でた。
しかしミューリは知らない。散々コンサートで人の視線を浴びていたミューリは視線に敏感だが、疎くもあるのだ。
神聖さのある白い布地に金の刺繍をされた品の良い外套では、歩くたびに覗く水色の髪も、時折見える金色の瞳も、隠すどころか清廉さを強調するだけのものであることを。そしてそれは周囲からの見惚れるような視線を集めていることを。
そしてミューリは視線の内容を気にしない。
大勢の視線を集めていると分かっていても、ミューリは慣れた様子で、いつも通り微笑むだけだ。
「ふふん、白で正解だったな」
「なんでお前が誇らしげなんだ……」
「俺が最初に白が良いって言ったんだ」
「は? いや僕だろう」
「絶対俺だ」
後ろでどうでもいい言い争いが聞こえる。一人は大人なのに時々子供のような喧嘩をする。ミューリはフードの端を引っ張って顔を隠し、バレないように小さく笑った。
何やらすぐそばで言い争いをしているが、外套に阻まれて聞こえる声をどこか遠くに聞く。
これは便利なものを手に入れたと、ミューリは満足げに微笑んだ。




