崇高なる
国を滅ぼした爆発の魔法使い(0XXX年)について。
(00XX年 記)
現在確認されている魔法使いの分類については、
爆発、火、水、風、土、石、植物。
予知、闇については調査中。定かでは無いが、不自然な雷鳴(約八十年前)があったことから雷もいると推定。土と石は同列と考察されているが、こちらも調査中。
以上のことから、「爆発」「予知」は、「魔法使いは自然物を操る」という定義から外れる為、別の魔法使いである説を提唱する。(火の魔法使いとも言い切れない為、以下は分類上『爆発』と記す)
大爆発によって消し飛んだのは、海岸沿いの小国、タセオ。五つの街と一つの城のある国は、現在では跡形も無くなり、海が広がっている。
爆発の魔法使いは首都から一番遠い村に住んでいたとされる。隣国の村人からの不確定情報の為、真偽不明。
まだ五歳にも満たないような、幼い子供だったという話もある。こちらも真偽不明。
…………
金色の瞳を伏せて、情報を整理する。
静謐な空気を纏うミューリに誰も声を掛けられない。瞳が揺れる様に文字を追って、時折指先が気になる文字を無意識になぞる。水色の髪が時々滑る様に一束、顔の横に落ちる。それをまた無意識のような手付きで耳へ掛ける。
遠目から静かに観察するフェルエスとシードは、この集中しきったミューリを止めることを躊躇われた。傍目から見ても膨大な量の思考を繰り返していることが見て分かり、初めは言葉を掛けていたシードですら、もうミューリの思考を遮ることはしない。
この数日間で何百枚目かの資料を読み終えて、山に積み上げる。それが最後の一枚だったと気付いたミューリは、長らく息を止めていたような心地で深呼吸をした。
「読み終えました」
「お疲れ様」
「見ものだった」
一体何が見ものだったというのか。
満足げなシードは拍手してミューリを讃え、ミューリはきょとんと頭を傾げ、フェルエスはシードの後頭部を軽く叩いた。
「途中で資料を読み返したりしてたら、予定より日数がかかってしまいました」
「ある意味手の掛かる生徒だったな」
「それはすみませんでした」
読み始めたら寝食忘れて没頭してしまうので、集中から引き剥がすことに苦労した。夜は宿に戻るので、限られた時間の中で読まなければならないと思うと尚更集中してしまう。申し訳ないと思いながらも、集中してしまえば周りの音が全て聞こえなくなってしまうのだから仕方ない。
ちなみに集中を切らす為に一番効果的だったのは、読んでいる資料の上にドングリを落とすこと。シードが考案した作戦には、流石のミューリも集中が一気にドングリに向いてしまって読めなくなった。
「そろそろ夕日も落ちる頃だ。今日は帰りなさい。街に戻れば、宿の夕食に間に合うだろう。昼は疎かにした分、ちゃんと食べなさい」
「はい。頑張ります」
「頑張ることじゃない」
長時間同じ格好だった分、体が固まっている気がする。まだ子供のうちに無茶をさせたら可哀想だと、大人の心を持ったミューリは他人事のように苦笑した。
背中を伸ばしながら立ち上がる。シードが「大丈夫か?」と言いながらミューリの手首を掴んで上へと伸ばした。足が浮いたところで、ミューリはアトラクションか何かに乗っているような気分になる。
……テーマパークに行ったことの無いミューリは、アトラクションとはこういうものだろうかと想像しているだけだが。
「遊んでないで早く行け、子供。最近日が短くなってるから、すぐに暗くなるぞ」
「そうでしたね」
下ろしてもらったミューリは、フェルエスから魔法図書を受け取って肩から下げる。
行くぞ、と迷わず窓へ向かうシードと、無視して良いぞ、と扉へ向かうフェルエス。ミューリは微笑みながらフェルエスの後について行く。
「送ってくれるんでしょうか?」
「そうみたいだな」
窓から出たお陰で数歩先に待っているシードに、ミューリは早足で駆け寄った。
後ろに小さく手を振って、ドアに寄りかかってちゃんと手を振り返す姿を見てから背を向ける。シードの横に辿り着いて隣に並べば、その行動が正解だと言うように頷かれた。
歩き出したそれに合わせて歩き出せば、シードはポツリと漏らす。
「次はどこへ行くんだ」
畑に水を撒く人たちを横目に警戒しながら言う姿がどこか寂しそうに見えて、ミューリは少し考えてから地図を取り出した。
一日目にパン屋に教えてもらった、門番たちが使う地図。そこには、ミューリによっていくつか赤いインクで印がつけられている。
「次はプルウィスの街です」
「いつ」
「急いだ旅ではないので、ここに満足したら進みます」
「じゃあ明日は森に遊びに来い。面白いものがある」
それは楽しみだとミューリは頷く。しかしやや不安を覚えるのは、シードという人間を分かってきたからだろう。迷惑では無い範囲で突拍子も無いことをするので、その度に驚いてしまう。
面白いは面白いが、今日も堂々とした立ち姿で熊の頭を小脇に抱え、見せびらかしにきた。間近で見る熊の顔が普通に顔が怖くて驚いた。
……一応面白いものの内容を聞いてみたが「ふふん」と、笑って教えてはもらえない。心の準備はしておこうと心に決めた。
「そういえばシードさん、髪は目立たない黒色ですよね」
「染めてる」
「あぁ、そうだったんですね」
足を止めたシードはミューリを見下ろすと、目を瞬かせてハッとしたような顔付きでしゃがんだ。ミューリに向けて頭のてっぺんを見せる。
突然の行動に見ていいと解釈して、ミューリは髪をサラサラと掻き分けた。
髪の根本に、ところどころ赤に近い色が覗いている。
「桃色ですか?」
「もっと美味そうな、杏みたいな色だ」
「美味しそうなのに染めてしまったんですか?」
「色が明るい。森に馴染まない。狩りに向いてない」
思ったより実用性を重視していた。
魔法使いと知られるのが嫌で染めているかと思えば、森で暮らすシードは野生動物に見つからない為に染めたようだ。考えてみれば人間の意見を重視するように人でもない。人間の言葉で、自分を変えるようなシードではない。
髪を染める技術はこの世界にもあるのかと感心しながら、ミューリは何度か髪を撫でて元に戻す。「もういいのか」という言葉に頷くと、少し名残惜しそうに離れる手を見ながら帰り道を再び歩き出した。
「染めたいのか?」
「いえ、ただの興味です」
「……ミューリはそれでいい。冬を明けた春の空みたいだ。見ていて気分が良い」
言われてから、自分の髪を前に持ってくる。
一本だと白にも見える。束になれば薄い青色と分かる髪は、確かに遠く薄らいだ空の色である。そんな詩的な例えをされると思わなかったので、嬉しいとも思うが少し面白く思う。文字が読めないシードが日々を過ごして、自然の変化を毎日見ているからこその感想だった。
「あぁでも、お揃いにしてフェルエスに見せるのもいいな」
「驚くでしょうね。あと怒られそうです」
「あいつは年中暇なんだ、たまに怒るくらいいいだろ」
「たまには必要かもしれませんね」
暇よりはいいかもしれないと考える程度にはシードに毒されて来たミューリだが、もし染めるならすぐ落とせるものが良いと思う。冬を明けた春の空色が気に入ったので、できるだけ色は変えたくない。
しかし想像するのは楽しいので、その後も何色が良いかと二人で話しながら歩く。頑張れば虹色もできると知って、意外と文化が進んでいるのかシードの染め物の技術と知識が凄いのかと別の思考に切り替わった。
人間と関わらないシードはおそらく後者だと分かるので、ミューリは何事も研究なのだと実感する。
街の入り口から少し離れた場所で、シードは足を止めてミューリの背中を押す。人の多い場所は近付かないのだと、ミューリは微笑みながら頷いた。
「明日の朝、フェルエスの家に集合だ」
「分かりました」
よし、と満足気に言うと片手を上げて背を向ける。潔い、彼らしい態度に小さく笑いながら、ミューリも門番へ軽く頭を下げて街の門を潜った。
勝手に集合場所にするなと、ため息交じりの声が聞こえた気がした。
…………
朝、人の声で目を覚ました。
宿の朝は静かでいつも心地良いものだ。街の端にある宿で、お年寄りが一人とお手伝いの女の子が一人働いている。始めはお貴族様かと恐縮されていたが、数日して慣れたのか、ベッドの寝心地はどうか、枕は高くないか、食事は満足か、対応に失礼はないか、と細かく尋ねてきた。特に問題も無いし快適だと答えると、頬を染めて喜ばれる。
子供が一人で旅をしているというのに何も聞かず対応してくれるだけで、ミューリにとっては最高の空間だ。
しかし今日、その空間は壊れてしまった。
身支度をして部屋を出ると、その声は更に大きくなる。宿の入り口で騒ぐ女の人の声に、ミューリは近付いていく。
「ここに魔法使いがいるって聞いたのよ! 早く出てきなさいよッ!」
「奥さん落ち着いて……」
「早く、早くしてよ!」
「だから、うちの客に魔法使いは……」
何か事件があったらしいと、ミューリは少しだけ目を細めた。
「わたしの息子を返して!!」
宿の入り口へたどり着くと、他の宿泊客も出てきて様子を見ているところで、ミューリはその人の間から叫ぶ女性を見つける。必死の形相で宿の主人へ縋っている。
この街に来てすぐに、ミューリも人攫いに会った。未遂だが。長閑な農園が広がる豊かな街だと思っていたが、意外と物騒な場所だったのか。それともあの二人組が暴れ回っているのだろうか。
ミューリは金色の瞳を女性へと向けながら考える。
ハッと顔を上げた女性は、人々の間からミューリの姿に目を留めた。
「あ、あぁぁ……あなた……そうよっ、あなたよ!!」
指を立ててミューリを指す女性に、宿泊客がミューリの存在に気付いて前を開ける。
静かな瞳で女性を見るミューリは、空間に置いて異常なほど落ち着いていた。
「金色の瞳なんて普通じゃないってみんな言ってるわ! 門番が、風車の丘の魔法使いの家に出入りしているって話もしていたもの!! あなた、魔法使いなんでしょう!?」
ミューリはただ相手を見つめて黙る。
子ども相手に怒鳴り散らす女性を周りは咎めようとするが、「魔法使い」という単語に空気が変わる。一歩後退りするような人も視界の端に映った。
しかし周囲は、凛と立って微笑むだけのミューリが、魔法使い以上の何かに思えて目を瞠る。喚き散らすだけの女性の方が余程狂った恐ろし人間に思えてくる。何故このような気持ちになるのかと考えている間にも、ミューリの仕草から瞬き一つにも、目を離せなくなる。
「(―――魔法使いが人の法を犯して捕らえられた例は、過去一度も無い。爆発の魔法使いによる国の消滅事件以降、死傷者を伴う大きな事件は起きていない)」
数日間読み続けた資料の一文を頭の中で繰り返し、爪先で軽く唇に触れた。
それを合図のように唇を薄く開いたミューリは……静かに、問いかけるだけ。
「魔法使いが、何かしましたか?」
ほんの少し、首を傾げただけ。
ほんの少し水色の髪を揺らして、ほんの少し金色の瞳を憐れむように伏せただけ。
「だ、だか、だから……、っ!?」
責め立てようと開く口に、ゆっくり瞬きをして微笑むだけ。
「魔法使いが、何をしましたか?」
ただその空間に滲みるように。
納得できる理由以外は受け付けないように。
一滴の言葉を落として思考の波紋を広げるように。
視野の狭い常識を穿つように。
熱くなってしまった頭に冷水を浴びせるように。
思考しろ、と正しく脳を使えるように。
ただ、聞くだけ。知りたいだけ。
「私が、何かしましたか?」
見上げなければ。
女性は訳も分からず膝を着き、その少女より低い位置に頭を下げる。
おおよそ子供が発する威圧感ではないそれは、柔らかく頭を撫でるような、心地の良い重さと束縛。周囲は自分の姿勢を正すように身じろぎ、丸まった背中を伸ばし、朝特有の微睡から現実へと引き上げられた。
「ぅあ……? あ、あぁぁ……っ!」
女性はぼろぼろと涙を流す。どうして自分が震えているのか分からない。口が震えて言葉が出ない。
目の前の子供を魔法使いと決め込んで責め立てた自分に気付き、同時に周囲の訝しげな目に気付き、自分が混乱していることを自覚した。自覚させられた。
ゆるり、ミューリは頬に手を当てて、崩れ落ちてしまった女性を見下ろす。
ミューリとしては、なかなか返答がないなと頬に手を当てて考えているだけだが、周りから見たら、まるで罪人に罪状を言い渡したような光景に見えていた。
それほどに清く正しく、社会の不正を犯すような存在に見えないことが原因だろう。
「どなたか、この状況を説明してくれる人はいますか?」
異様な空気の中で、ミューリは微笑みながらそう聞いてみた。しん、と静まった中で小さく手を上げた宿の店主が、どこか申し訳なさそうに話し出す。
「この女性の息子さんが、昨晩……どこかへ連れ去られてしまったみたいでして……」
「それで、どうして魔法使いが連れ去ったという話になるのですか?」
「それは……『俺たちは火の魔法使いだ』と騒ぎながら、辺り一面に火を出したらしく……」
火の魔法使い、という部分に引っ掛かったものの、ぽつぽつと話出されるそれをミューリは頷きながら聞いた。
言いずらい話だと顔に書いても話をしてくれる店主に、感謝を述べながら微笑んだ。たったそれだけの言動に満たされる心地に、店主は安心して息を吐いた。
ミューリは一歩、座り込む女性に近付く。
「火の魔法使いは、この街には居ません」
数日の間、昼間はフェルエスの家で資料を読み漁っていたが、朝と夜は街をぐるりと回りながら気配を察知する練習をした。
その際、他の魔法使いは見つからなかった。いたら相手から反応が返ってくるだろう、と珍しくフェルエスとシードが同意見で頷いたので、これについて疑うことは無い。かなり広範囲に意識を広げて練習したので、隠れていることも無さそうだ。
ミューリはまた一歩、女性に近付く。
「貴女のご子息を浚ったのは、残念ながら私ではありません」
目の前にまで来た神々しいほどの空気を纏った少女に、女性はやっと「間違えた」と理解した。昨晩襲ってきた男たちとこの子供は天と地ほど違う。どうしてこの子供を責め立てることが出来たのか、今はもう分からない。
震えは止まったものの何も喋らなくなってしまった相手に、ミューリは微笑んで「証拠になるかわかりませんが」と……。
淑やかな指先は、見えない弓を宙で掴む。
「私は、水の魔法使いです」
長く長く、低い音が一音だけ奏でられる。
身構えて体を固めていた周囲は、その長い音に次第に体を緩めていく。音階が変わってもそれは物悲しく響き、何故か喉が詰まるような気持ちにさせる。
誰かの驚く声につられて、何人かが目を見開いた。いつの間にか床には砂が敷かれ、水草が幾つか揺れている。
―――す、と大きな深海魚が人の間を縫って現れた。
普通の魚よりも長いその姿は蛇のようにも竜のようにも見られ、髭を揺らし背びれを揺らしながら優雅に泳ぐ。得体の知れない透明な魚。見たことは無い種は不気味な姿に思えるのに、光に反射して銀にも見える体面は美しく、誰もが魅了されていく。
人々の間を一周した魚は、ミューリと女性の間に静かに横たわる。
同時に、ほの暗く美しい曲が終わる。音の無くなった空間は、唐突に朝の静けさに晒された。
「火だろうと水だろうと、あなた方にとっては『魔法使いは恐ろしい』の一言で纏められますから、これが貴女の息子さんを攫っていない証拠にはならないのでしょうね。そうでなければ、『魔法使いだった』というだけで、なんの関係も無い私の下へは来ませんよね」
横たわる魚は、静かに、動かなくなった。
「私は、あなたが恐ろしいです」
揺れる水草も、魚も、静かに消えていく。
「貴女は『魔法使いは恐ろしい』のでしょう? ……でも魔法使いである私は、貴女という人間が恐ろしいのです」
ミューリはただ微笑んで女性を見下ろした。次いでぐるりと周囲を振り返って、怖がらせてしまったらしいと苦笑する。ミューリの視線に肩を跳ねさせる人が何人か、そのまま頭を下げる人もいる。
仕方ないことだと窓の外へ目をやったミューリは、近付く気配に気付いて開きっぱなしの宿の入り口を見る。
「ミューリっ!」
「っ……、何があった?」
シードとフェルエスが慌てたように扉から顔を出した。
正しくはフェルエスが扉から、シードはミューリに近い窓から滑り込むように入ってきた。なんていつも通りの光景だろう、とミューリは微笑んだ。
「大したことは、何も」
「何も、って……」
驚きに目を見開き固まる者、夢見心地で宙を見る者、魂が抜けたように地面に座る女性……。
その手前に、何事もなかったように美しく微笑むミューリがいる。
「いや、はぁ……。確実にあっただろう」
「おや、風の噂でも聞きましたか?」
「シードが遅い遅いと煩くてな……。『火の魔法使いが子供を攫った』って部分と、君の沈み切って尚自由に泳ぐようなヴァイオリンの音色だな」
「わぁ、素敵な表現ですね」
「わぁじゃない……まったく……」
ホッとしたように息を吐いて眼鏡を上げるフェルエスは、いつもの外套は着けていない。シードは口元にジャムか何かが付いている。
随分急いで来てくれたらしい。ミューリはほわりと頬が緩んだ。
二人の会話に「ヴァイオリンってなんだ、俺は聞いてないぞ」と、シードは今度は別の内容に怒っている。そういえば彼の前でヴァイオリンを出したことは無い。若葉色の瞳が何か言いたそうにミューリを見るので、近く見せろ聴かせろとせがまれそうだと予想する。
ミューリの無事を確かめたフェルエスは、宿の店主に目を止めた。
「……アンタか」
「あ、あぁ、風車の丘の魔法使いさんで……。おはようございます」
「……申し訳ないが、客を一人貰って行くぞ。ここにはもう置いておけないだろう」
「そうですか……。それは、残念なことで」
宿屋の店主は眉を下げて、心底落胆した様子でミューリを見つめる。その視線を真っ直ぐに見つめ返すミューリは、少しだけ目を見開いて嬉しそうに微笑んだ。
「フェルエスさん、手伝って貰えますか? 私はまだ、街の半分くらいしか気配を辿れないので……」
「半分なら大したものだろう。僕は六分の一を順に探るくらいしかできないぞ」
「結構ですよ。半分を担当してくれるだけでありがたいので」
「そもそも、まだこの街に居るのか?」
「居ますよ」
そう断言して宿を出ていくミューリに、母親はハッとして顔を上げる。何故、どうして、理由を聞きたくとも、もう口が開かない。凛と正しく生きている少女を傷付けてしまった自分に、話し掛ける権利はないのだ。
希望を残して去って行く背中を、ただ見送るしかなかった。
「『火の魔法使いだ』って言いながら、目の前で子供を奪って行ったのでしょう? 騒ぎが起きている今を楽しんでいる気がします。もし夜のうちに出て行ったなら、門番にも火の魔法だと言って危害を加えていると思うんですけど……」
「……門番たちが不自然な様子は無いな。警戒は強めているらしいが」
「そうですか」
不自然にフェルエスの髪が揺れる。今現在の様子が即座に分かるとは、風の情報収集能力は優秀だ。
今警戒しているということは、出て行く不審な人は夜から今まで居なかったということ。しかし門以外から出て行ったなら分からないし……その子供の生死も分からない。
宿を出て街の中心街へ向かう三人に、街の住民が視線を向ける。目立つ三人組というだけでなく、おそらく事件があったことが伝わっているのだろう。
「(それでも直接何かしてこないのは、魔法使いが恐ろしいからか……あるいは、)」
ミューリは、浮かんだ言葉にフェルエスをチラリと見る。視線に気付いたフェルエスが片眉を上げるが、ミューリは微笑んで前を向いた。
「(あるいは、風車の丘の魔法使いがそんなことしないと、街の人は知っているから)」
そっちだといいな。
ミューリは少し軽くなった足取りで進む。普通の人間では気付かないようなほんの少しの変化に、シードはなんだどうしたとミューリに詰め寄る。楽しげにしながらも首を振るので、シードは面白いことがあったのに教えないのだと確信して口を尖らせた。更に追求しようとしたところで、中心街に着いて目の色を変えたミューリに黙る。
「僕が街の北側でいいか? 風向きが楽だ」
「では私は南側で」
「オイ、俺は何をしたらいい?」
「シードは、僕たちが集中している間の見張りだ」
は、と不敵に笑ったシードは、ポケットから一つの種を取り出し両手で挟んだ。
バキバキと金属のような音を出しながら、手の中に木の棒が現れる。
自分の背丈と同じくらいの長さの棍棒をグルグル慣れたように回すと、カンッと地面に突き立てた。
「なるほど理解した。近付く人間を蹴散らせばいいんだな」
「何をどう理解したんだ……足止めだけで良い」
何だ、とつまらなそうに視線を逸らして人々との間に立つシードに、フェルエスは眉間に皺が寄るのを眼鏡を上げて誤魔化した。
緊張感の無い現場に微笑みながら、ミューリは南を向いて何かを持ち上げるように両手を出す。
フェルエスはそれを見て北を向くと、手のひらを上にして片手を口元の高さまで持ってくる。
「では……よろしくお願いします」
その声に合わせて、フェルエスが細く息を吹き出した。
……街の南側では湿度が上がり、北側ではさやさやと微風が吹き抜ける。
何が起きるのかと三人を見ていた街の人々は、ただの自然現象を気にすることはなく、ただ噴水の前を見ていた。何も気付かず、暑さにタオルで額を拭い、風に乱れた髪を整える。少しの変化を自然なこととして受け入れる。
街の中心にその三人がいることを知らない端の方では更に気付かない。生活している住民たちが、起床したり朝ごはんを作っていたり、何の変哲もない日常を過ごしている。
「……見つけました」
ミューリは静かに視線を上げた。
「どこだ」
「南東の、倉庫が固まったような場所です。子供が三人、不自然な格好で寝かされています。足を畳んで小さくなって、箱に入れられたような感じでしょうか……」
「周りに大人は?」
「……いませんね」
「いないのか」
不思議そうに言うフェルエスに、ミューリも首を傾げた。見張りもいないのか、と。
「飛ぶぞ。シード、ここで待ってろ。すぐ戻る」
「は。俺も連れて行け」
「二人は無理だ」
フェルエスはミューリを抱えると、早々に片足で地面を蹴る。
周囲で噴水の方を見ていた人々からはどよめく声が上がった。「人が消えたぞ!」「魔法使いだ!」という声に、シードは鼻で笑う。
「……ただ跳び上がっただけだ」
噴水を背に腰かけて斜め上を向けば、二人の姿が街中の屋根に消えて行くところだった。小さく欠伸をする若葉色の瞳は、二人が跳んだ空を暇そうに眺めた。
ミューリが指で示す屋根に降り立った二人は、そのまま屋根を突き破って侵入する。空き家の多い場所らしく、屋根を破壊する音は少々大きく響いた。
部屋に着地すると、そこには木箱が幾つか置いてある。近くに固そうなパンが食べ掛けで転がり、コップが一つと、床に突き立てたナイフが一つ。
ミューリは迷わず木箱へ向かうと、重い蓋を押すようにして開けた。
「……大丈夫ですか?」
ロープで手足を縛られ、口には布を噛むようにしている。怯えた様子で目に涙を浮かべた子供は、やけに色合いの美しい少女が現れたことに目を丸めた。涙など引っ込んだ。ハッとして現実に意識を戻すとミューリへ向けて何かを話し出すが、布のせいで言葉にならずに苦し気に息をしている。
他の箱を開けたフェルエスも、ミューリを見て頷いた。一つからは恐ろしさから失禁か嘔吐もあったようで異臭もする。
今助けます、と落ち着いた声で言うミューリはヴァイオリンを構えた。弓を引いた直後、穴の開いた屋根から現れた水流が木箱をバキバキと音を立てて壊す。そのまま子供たちを拘束していたロープも布も、水に流されていく。
あの淑やかさの塊のようなミューリが大胆なことをしたことに、フェルエスはじわじわと口が開いた。これはシードの影響ではないだろうかと、険しくなる顔を片手で隠す。魔法がまだ不慣れだからという理由もあるだろうと、一体誰の為か分からない言い訳を心の中で繰り返した。
パチパチと目を瞬かせた子供たちが、フェルエスとミューリをポカンと口を開けて見ている。何が起きたのか分からないまま、明るい景色に慣れようと何度も瞬きをして目をこすって、そしてまた口をポカンと開けた。
「怪我はありませんか? 体も綺麗にしてみましたが、まだ汚れているところはありますか?」
「本当に便利だな、水……」
洗濯や洗浄に特化していることを羨むのは、フェルエスが一人暮らしだからだろう。生活感のある呟きに笑えば、子供たちは素直に自分たちの手足や服の匂いを確認する。
確かに頭上から降ってきたはずの水は、幻でも見ていたように消えてしまった。未だに目を瞬かせる子供たちの中で、二人は兄妹だったらしく震える手を取り合って怪我が無いか確かめ合う。一人、比較的年齢が高そうな子供は「魔法使い」と呟いた。
ミューリは少しだけ目を細めて、その声に向けて微笑む。
「魔法使いは、怖いですか?」
「……ぼくたちを攫った人も、魔法使いだっていってた。でも……全然違う」
「あら、違いますか?」
何がどう違うのかはよく分かっていないらしく、それきり言葉を止めたままじぃっとミューリを見るだけだ。ふふ、と小さく笑ったミューリは、もう一度ヴァイオリンを取り出した。
「フェルエスさんも乗りますか?」
「……、……………何に?」
自然と首肯しようと傾きかけた頭は留まって、冷静になって疑い、考えてから苦い顔で問う。
ヴァイオリンを出した途端に、喋っていた一人以外は怯えたような目でミューリを見るが、それに構わずミューリはヴァイオリンを奏で始めた。
「帰りましょう? お父さんもお母さんも待ってますよ」
どこか可愛らしい音楽が始まり、突然猫が二匹現れてドラムを叩き出し、もう一匹は縦笛をピィピィと鳴らす。
怯えた目の子供たちは行進のような音楽に次第に楽しさが上回って、縮こまった身体は緩められていく。ミューリが軽く跳ね上がりながら音も跳ねさせれば、頬を赤らめた子供の口角が少しだけ上がった。
そして音楽は少しずつ、夢のような不思議な曲調に変わる。
白く美しい羽の生えた馬が、後ろに屋根の無い白い馬車を引いて現れた。
乗るかと聞いたのはこれかと理解したフェルエスは、馬車の扉を開けて乗り込んだ。少しの興味と、自分が安全確認で乗った方が後に続きやすいだろうと一番手に乗った。
ミューリも馬車に乗り、猫二匹も当然のように続く。
「ねこさんも、のっちゃうの?」
猫に釣られて乗ってくる子供たちは雲のようなふかふかの椅子にまた驚いて、何度か弾力を確かめるように跳ねた。楽しそうな様子にフェルエスはホッとしながら……しかしどうやってこの大きさでここを出るのかと片眉を上げる。
ミューリを見れば、ニコッと可愛らしく微笑まれた。
全員が乗り込んだ馬車は、そのまま浮き上がり―――豪快に屋根を突き破る。
豪快すぎる行動について後で問い詰める必要があると、フェルエスは頭を抱えた。
晴れた空に、白い馬が大きな翼を広げて飛んでいく。
それだけで人々は驚きの声を上げて空を指差し、そして次は耳を澄ませる。何か華やかで安寧に引き込まれるような旋律が、鳥のような馬から聞こえてくる。
それは短い幸せで、空の旅を終えて街の中央へ着地する時には、ゆっくりゆっくりと曲を終えていった。
「お待たせしました」
「ズルいぞ。面白そうなことして。馬も良いな。飛べる馬か……ん? なんで、水の魔法使いで空を飛べる?」
「実は飛んで無いです」
ふふ、と笑いながら馬車を降りたミューリは、降りる子供を一人ずつ見守る。一人は少しよろけながらも自力で降りたが、兄妹の方は体力自体が無くなっているのか足元が覚束ない。一体いつから箱に入れられていたのか。
それでもサラサラと消えて行く動物や馬車を、残念そうな声を上げながら全員が見送った。そこにシードの声も混ざっていたが、違和感は全くない。
「あっ、お母さん!」
手を振って駆けていく一人が、宿屋に来た女性の下へ向かった。泣き崩れた女性は少年を抱きしめて……ミューリを認めて目を丸めると、また涙を流す。その涙の意図は分からない。しかし悪い視線ではなかったように思えた。
他の二人もキョロキョロと周りを見回すが両親の姿は無いらしく、手を取り合って不安そうに瞳を揺らす。不安そうな瞳をミューリへ向ける程度には、心を許してくれたらしい。ミューリはほわりと微笑んで、大丈夫、と声を掛けて背中を撫でた。
「……そもそも、この街の子なのか?」
「見たことありませんか?」
「あぁ。全員を知ってるわけじゃ無いが、見たことはないな」
フェルエスの言葉に目を瞬かせていた二人は、次第に不安な表情で俯く。
人の中に見覚えのある顔を見つけたミューリは、そっと手を上げて呼んだ。夕方によく会う街の門番が私服姿で立っている。非番なら申し訳ないと思うが、覚えている顔がその人しかいないので仕方ない。
自分を指で示して戸惑う顔を見せながらも駆け寄ってきた門番は……ミューリの手前でシードの棍棒によって止められた。
「エッ!?」
「なんだコイツ」
「あ、違いますよ。私が呼びました」
「シード、もう足止めはいい」
そうか、と言いながらミューリの前から少しズレる。鋭い若葉色の目はそのまま門番に向けられているが、攻撃する気はないと示すようにその場にしゃがんだ。
「すいません、迷子です」
「えっ?」
「この子達に見覚えはありませんか?」
「えと、そうか……名前は言えるかな?」
目線を合わせて屈んだ相手に一人ずつポツポツと名前を言うが、門番は難しい顔をして静かに頭を振る。聞き覚えはないらしい。住んでいた場所の名前も聞いてみると、どうやら三つほど離れた地域の村から来たようだった。
ミューリは二人の背中をそっと押すようにして、門番の方へ行くように促す。不安そうな視線に「この人は信用できる大人です」と頷けば、ゆっくりゆっくりとミューリの側から離れていく。
その瞬間、シードは顔を上げて駆け出した。
何事かと全員が視線をやったときには、大きく踏み込んで棍棒を振り下ろしていた。
―――飛んできた何かが、ガシャンと音を立てて割れる。
ミューリは咄嗟に子供二人の肩を掴んで、門番に体当たりするように飛び込んだ。驚きながらも受け止めた門番に、一度肩を叩いて頷くように頭を下げて謝罪した。
その間もシードは敵対する何かと、ミューリたちの間に立っている。
警戒しながらも正しく余裕のある悠然とした立ち姿で、どこにも余計な力が入っていない。何が起きても対応できる隙の無さに、どこか身長よりも大きな存在に見えた。
「お子様は前に出るなよ」
どの口が言うのか。
フェルエスは長く長く息を吐く。それは魔法ではなくただの溜息である。
自分はお子様には含まれないだろう、と何故か自信のある顔で隣に立ったミューリに、シードは深く頷いた。フェルエスは何かを通じ合っているお子様二人に頭痛を感じながらも、並んで立つ。
そして、気付く。
「「あ」」
ミューリとフェルエスは同時に声を上げて、互いに顔を見合わせた。
見たことのある二人組が並んでいる。ミューリを真昼間からを攫おうとしていた人間たちだと思い出して、ミューリもフェルエスも困ったものを見る目をしてしまう。と同時に、人攫いが火の魔法使いではないことが確定した。
あの妙な自信は「火の魔法使い」という自負から来ていたのだろうか。だとしても偽物では、本物を前に威張れるような力はない。それとも自信を持てるだけの何かがあるのだろうか。
ミューリもフェルエスも、とりあえず事の成り行きを見ようと興奮状態の二人組を静観することにした。
「よ、くも……!!」
「あぁ……あぁぁ……っ」
人混みの中に、二人の男が震えながら立っていた。一人は恐ろしさに震え、もう一人は怒りに震えている。
二人の異様な空気に気付いた周りの人はじりじりと遠ざかって、ポッカリと空いた場所に二人の男が立っている状態だ。中央街に集まり始めていた憲兵たちは、初めこそミューリたちを遠巻きに警戒していたが、この瞬間異様な空気の二人へ警戒を強めてそちらへ集まっていく。
男たちの手には、それぞれ瓶が握られている。
「よおぉぉくも俺たちの獲物取りやがったなアアァァッッッ!!」
ガシャン、ガシャンと、怒った男は持っている瓶を地面に叩きつけ、恐れる男はその側で地面を踏んで、靴をガチガチ鳴らす。
そして次の瞬間、爆発でもしたように一瞬で大きな炎が立ち上がった。
「どうやったかは知らねぇが屋根にデケェ穴開けやがって!! 儲け分のガキ返しやがれェ!!」
次から次へとガラス瓶を手当たり次第に投げて、中央の広場をあちこち燃やしていく。渦を巻くように激しい炎が空へ向けて燃え上がった。
悲鳴を上げた人々も、二人の男の異様さに集まり始めていた憲兵も、炎の量に恐れ散り散りに退避していく。
フェルエスがなんとなく風向きを調節しているので引火した者はいないが、ささやかな風向きに気付ける状態の人間はいない。
誰もかれもが悲鳴を上げて逃げる様子に気を良くしたのか、怒っていた男は今度はゲラゲラ笑い出す。
「俺たちは火の魔法使いだぜぇ? 丸コゲにされたくなけりゃ、そのガキどもを寄越しやがれェ!!」
燃え盛る火はかなりの物だが、本物の魔法使い三人はなんてことないように首を傾げて相対している。混乱を極めた中で異様な光景だが、怯むことも下がることもせず静かに状況を観察する余裕のある態度は美しくもあった。
街の人々はその落ち着きように自らの頭も冷えていくようで、じっと遠目から様子を伺う。
「よく燃える液体ですね。上手に使えば冬場は重宝するかもしれません」
「木の樹液の匂いだ。激しい燃え方の樹木があるんだ。あとで見せてやる」
「オイ、風向きは男二人の方に向けといたぞ」
フェルエスの言葉通り、勢いのある炎は全て男たちに向いている。身体中に燃える燃料の瓶を隠し持っているからだろう、「風向きちゃんと見たんじゃねぇのか!」とぎゃあぎゃあ騒がしい。
「慌ててますね」とミューリが言うと、二人はそれぞれ呆れたようなどうでもよさそうな声で同意を示した。
「っ、テメェらァアア!! 聞こえてねぇのかッ!!」
「聞こえてますよ」
ミューリは微笑みながら嫋やかに片手を上げて、軽く投げるように動かした。
それは動作の嫋やかさに比例せず、凶悪なまでに大量に噴水の水を持ち上げる。とぷんっと球体上に持ち上がったそれは、投げる動作と共に辺り一面の火炎へと投げ込まれた。
ザパンッと音を立てて、高く燃え上がっていた炎は全て消えてしまった。
「…………へ?」
一瞬のうちに消えてしまった炎に、男二人がポカンとミューリを見た。
視線を受けて、小さく首を傾げ、応えるように微笑んで手を振る。
「ほ、ほん、ものォ……!?」
「やや、やべぇよ……どうすんだよぉ……!」
魔法使いは恐ろしい。
その心理を利用しての犯行。しかしそれは、本物の魔法使いの恐ろしさを知らないから出来ること。
ミューリはその様子を見て楽し気に両手を前に、シードは唇の片側を上げると地面に突き立てた棍棒を両手で握り、フェルエスは顔の横で片手を揺らす。
「おぶっ、ごはっ……ひ、ひぃっ?!」
「や、やめてくれよぉ! うぶっ、ぅゲホッ……っ!」
男たちは頭上から水を被り、石畳の隙間から生えて来た蔦が体中に巻き付き拘束され、風によってどこかから運ばれて来た枯葉や砂がベタベタと張り付いた。
「絵に描いたような小物だな」
「見ろ、顔中葉っぱだらけだ」
「実は植物の魔法使いなのかもしれませんね」
それなら仲良くしてやろう、と言うシードは現在進行形で楽しそうに蔦を増やしている。フェルエスは別に楽しそうな顔をしているわけではないが、指先をくるくる回して、男たちの周囲に枯葉を山のように積んでいる。きっと楽しいのだろう、とミューリは頷いた。
くるりと振り向いたミューリは、動けないままでいた門番と幼い兄妹に、ふふっと小さく笑って見せる。
「もう、済みましたよ」
立てますか、と兄妹に柔らかく手を差し出す少女に、門番は口を開けたまま高揚していた。
この街に魔法使いがいることは知っていた。「風車の丘の魔法使い」が存在しているのは、この街の共通の認識でもある。どんな恐ろしい魔法使いか分からないので、積極的に関わろうなんて人はいないし、あちらから関わることも無い。そうして関わりの無い穏やかな数年が過ぎてしまって、今後も関わることはないのだろうと漠然と感じていた。
だから今、実際に目の前で魔法使いを見るのも、さまざまな種類の魔法を見るのも、これが生まれて初めてである。
それも、三人もいる。
……強く、優しく、しなやかで、恐ろしい三人の魔法使いの姿は、確実に人々の心に滲み込み、根付いた。
子供たちより子供のように頬を赤らめて目を輝かせる門番に気付いて、ミューリは首を傾げる。子供たちをお願いしますと言えば「おおお任せください!」と大きな声で返されて、更に首を傾げる。
急にやる気になった姿に、まぁいいかとよく分からないまま手を振った。
「……朝ごはん、食べ損ねてしまいました」
その声に、犯人で遊んでいた二人がミューリを振り返る。
「大丈夫だ。フェルエスの家に行くぞ。パンがある」
「りんごジャムは、シードが全部食べたからないぞ」
「ハチミツとバターはわがままですか?」
「……君のわがままは本当にささやかだな」
歩き出した家主に、ミューリは続いて歩き出した。
使ってしまった噴水の水はしばらくしたらまた溜まるだろう。水浸しの広場は軽く乾かして、瓶の破片は危ないので、水で流して一か所にまとめておく。
ミューリの後に続くシードは、蔦だらけの犯人から蔦を一本一本解いていく。蔦は石畳の隙間に戻って、何も無かったように道があるだけとなる。
外套が無いことを気にするフェルエスは、散らかした枯葉や砂を風に乗せて……シードの森へと吹き飛ばした。
立つ鳥、後を濁さず。魔法の痕跡は出来るだけ消したが、屋根を大破させた倉庫は直せないなとミューリは微笑み、そして一旦忘れることにする。誰かの所有する倉庫なら犯人が根城にしていない。壊れても支障のない倉庫なら、咎められることもきっとないだろう。
それよりなにより、お腹が空いていた。
未だにざわつく街の中を、三人は普通に歩く。
遠巻きにする人々の間を悠々と歩いて、パンに付ける付け合わせを考える。
今日残りの一日はどうか穏やかでありますようにと願いながら、ミューリは「クロワッサンが好きです」と穏やかに希望を述べるのだった。




