18章 浮つく気持ちと黒い嘘 -38
翌朝。今日は所長さんが朝から依頼で出かけているみたい。引っ越しの手伝いと書いてあるけれど、7月に引っ越し?
「意外と多いのよね、会社から6月に辞令が出て7月に引っ越しって人。それに引っ越しの仕事ってぺちゃくちゃ喋らなくていいし力仕事だから、一番パワーがあるけど人付き合いはぶっきらぼうな、まさに八重島さん向きの依頼ってワケ。」
そうなんだ。私は他の会社で働いたことがないからよく分からないけど、川島田さんがそう言うならそうなのかもしれない。あっでも私のお父さんも四半期、とかって言葉をたまに使っているかな。
「おっ美羽ちゃん難しい言葉知ってるね。」
諏訪野さんだ、目の下に軽くクマができている。川島田さんが言っていた通り、屋台の仕事できっと帰るのが遅かったのだろう。それに客寄せのために声を張るためか、いささか彼の声がかすれている。
「お疲れ様です。やはり遅くまでお仕事されていたんですか?」
彼は昨日の屋台分の収支報告や進捗などを入力している真っ最中だ。パソコン席に座った私は多少入力を手伝ってあげた。
「もう慣れたよ。昨日はたこ焼きやさんの屋台でさ、この暑いのに鉄板の熱で追い打ち食らってぶっ倒れるか思ったよ。」
「熱中症を甘く見ちゃダメよ?最近は国からも各企業や事業所に対して、従業員に対する熱中症対策を徹底するようにと義務付けられているんだから。」
私たちの話を聞いていたのか、キッチンの方から川島田さんの声が聞こえてくる。
「わかってますよ、ただ2Lのペットボトル持参して正解でしたよ。あれがなかったら正直ヤバかったですね。この時期の水分補給って大切っすわ。」
私はふと川島田さんは何をしているんだろうと思って彼女へ目をやると、来客用のお茶菓子セットを用意している。いつもの在庫確認ではない、ということは誰か訪ねてくるんだろうか?
そう思った矢先、ピンポーンとインターホンが音を鳴らす。川島田さんが出ると、入ってきたのは例の不倫調査の依頼人、霧島桃子さんだった。
「あれ?もう結果がわかったんですか?」
と私は諏訪野さんへ聞いてみる。しかし彼は首を振る。
「いや、よくあるんだよ。浮気とか不倫調査の依頼人が、途中経過を知りたくて直接訪ねてくることって。多分状況報告じゃないかな。」
私は椅子から立ち上がり、いらっしゃいませと頭を下げる。来客用のソファーについた彼女はそんな私を見て、微笑んだ。
「あら、あなたちゃんと勉強してきたのね。この前来たときはおじぎが謝罪の角度だったけど、今日はちゃんと礼するときの角度になってる。」
私はちょっと嬉しく思った。そこへ川島田さんがお茶とお茶菓子のセットを運んでくる。辺り一面にお茶の良い匂いが漂う。これは来客用の高いお茶っ葉の匂いだよと諏訪野さんが耳打ちしてくれる。
「新米とはいえ彼女もここの一員ですから、お客様に失礼のないよう一通りの研修を受けさせましたの。それより霧島さん、今日いらしたのは調査報告の確認でよろしいでしょうか?」
「えぇ。やっぱりあれから夫の残業は続いていてね。一体どこの女に入れ込んでいるのかしらと思ったら、居ても立っても居られなくて。」
おっといけない、あの依頼は川島田さんの仕事だ。気にはなるけど、私も自分の仕事をしよう。
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