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VOID

日の出を待たずに私は家を出た。

東の空に見えるグラデーションを横目で流しながら煙草を咥えた。

まずはゆっくりと煙を楽しむ。

息を吐きながら上を見ると、半分に欠けた月が絹積雲の前で静かに輝いていた。

この時間に歩くことは普段しないが、思ったよりも風は冷たく感じるものだ。

口から吐き出される煙は、滑らかに私の後ろへと漂っていった。

もう一度、空を見上げた。

やけに雲が速く動いている。

そのせいだろうか、雲ではなく月が動いているように見える。



頭の中を空っぽにしながら歩いているとV通りに着いた。

この時間はやはりまだ人も多くないようだ。

ゆっくりと歩く老夫婦や犬を連れたご老人がいるくらいで、車なんて以ての外である。

私の知っている人混みのV通りとは全く違う表情になんとなく心が打たれたように感じた。

しかし、ボキャブラリーの少ない頭では言葉を失うことくらいしかできなかった。

身に覚えのない虚無を感じながらまた歩き出した。



一本目の煙草が終わりに近づいた時、O川に着いた。

先ほどよりも人が増えた気がする。

それでも、若い人はまだ一人もいないようだが。

そこそこ広いO川にはどこまでも芝生が続いていた。

近所の子供たちがこの河原でキャッチボールをして遊んでいるのを見たことがある。

専ら、最近では野球も人気が下がっていると聞くが、実際の所はどうなんだろうか。

緩く流れる川の音を聞きながら二本目の煙草にライターの火を近づけた。

しかし、近くにあった自販機を見てしまった。

いつもなら、すぐに二本目を吸うのに、今日は止めてしまった。

自販機にあった期間限定のコーヒーを買うことにした。

ポケットに手を突っ込み無造作に取り出した。

百十五円が手のひらに乗っていた。

期間限定のコーヒー缶はもう十円が必要になる。

心の何処かに面倒くささを感じてしまった。

結局、いつも買っていた百円で買えるコーヒーのボタンを押してしまった。

起きてから初めての飲み物だ。

多分、期間限定のコーヒーを飲んでも特に感想なんてなかっただろう。

コーヒーをちびちびと飲みながらまた歩き出した。



川原沿いを歩いていると、見知らぬ場所にまで来てしまった。

コンビニを見ると「I町一丁目店」と書いてあった。

もうそんな場所まで来たのか。

飲み終わった缶コーヒーをコンビニの前に設置してあるごみ箱に捨てて入店した。

迷わずレジに向かった。

店員もまた私に気付き対応しようとレジへと動いた。

私がお気に入りの銘柄を言いかけた時だった。通路から一人の老婆が現れた。

明らかに今からレジに通すであろう商品をカゴに入れている。

私は言いかけた銘柄をそこで終え、その老婆に手で合図を送った。

老婆もそれに気が付いたのか、どうも。と言って先に支払いを始めた。

少しして私の番が回ってきた。

先ほど言いかけた銘柄を店員に伝えようとした。

これは持論だが、先の缶コーヒーを買った自販機でも同じように商品を選択し金をいれて購入する。

同じような手順であるのに、人がここで介入するだけで私は気持ちに違いがあると思う。

店員の声に無意識に体が反応するとでもいうのか。

簡単な言葉の一つが、やはり心に届くのだと思う。

だから投げやりな態度だったり、異国の言葉で会話をされると何か思うところがあるのかもしれない。

しかし、それだけで心にゆとりがなくなってしまうのは違うというのが考えの一つでもあるのだが。

私は言いかけた言葉を撤回し、レジの横に置いてあったガムを手に取った。

店員とのやり取りを介し、ポケットに入っていた小銭を全て募金箱に入れて私は店を後にした。

買ったガムをポケットにしまうと、家を目指して歩き始めた。

しかし、店の前に在った吸い殻入れを思い出して戻った。

吸いかけの煙草に火をつけた。

まだ人は少ない。

私は大きく息を吸い込み、そして吐いた。

そして煙草を吸い殻入れに捨てた。

もう陽は完全に私を照らし、朝の陽気から夏の険しさに徐々に移り行くのであった。



じんわりと汗を背中に感じながら私は歩き続けた。

見知っている広い道路まで戻ってきたようだ。

ずっと歩いていたからか、腹が減ってきた。

もう少しで家にたどり着くが、帰っても朝食は自分で用意しなきゃならない。

悩んだ末、ここからすぐにあるチェーンの喫茶店「喫茶D ガランドウ」に行くことに決めた。

この店は朝はドリンクを頼むとトーストが付いてくるサービスが人気である。

入店すると元気な声が聞こえた。

「いらっしゃいませ!いつもの席で、いつものですか?」

「あぁ。それで頼む。」

彼女はオーダーを記録せずに厨房へ向かっていった。

この店でよく食事や休憩を取っていたのだが、数か月前から彼女がここで働くようになっていた。

常連と言うほど通っているのか分からないがオーダーを覚えてもらえるくらいにはなっているようだ。

少しすると、彼女がコーヒーとトーストを持ってやって来た。

「どうぞ。いつものですよ。」

「あぁ。ありがとう。」

「今日は煙草は吸わないんですか。」

「今日は、もう吸ってきたんだ。」

「そうなんですか。」

「それと、君に言わなきゃならないことがある。」

彼女は顔を赤らめていた。

「こんな私でよければ付き合ってくれないか。」

顔をこちらに向けた彼女は笑って、そして涙を浮かべていた。

慌てた私をよそに彼女は抱き着いてきた。

「ようやく返事をくれましたね。」

「あぁ。」

「ずっと待ってたんですよ。」

「すまない。」

「それにしても煙草の匂いがやっぱりしますね。」

「それも今日までだ。」

「どういうことですか。」

「今日からはこれだ。」

そう言って私はポケットにしまっていたガムを見せた。

彼女は笑っていた。

「苦手だった煙草の匂いも、もう慣れちゃいましたよ。」

「そうなのか。」

「じゃあ、これからはもっと一緒に居られるんですね。」

「あぁ。」

私は財布を取り出し、会計分の金を取り出した。

「いつもの無造作に入れたお金じゃないんですね。」

「これからはやめるよ。みっともないんだろう。」

「先に支払うのもどうかと思いますけどね。あと店長、今日でここを辞めます。」

すぐに止めに来た店長と彼女のやり取りを微笑ましく思いながら私は考えた。

私はこれから先も辛い道を歩まねばならないのかもしれない。

これまで惰性に生きてきたのだから、それも致し方ない。

しかし、そこに彼女を巻き込むのは戸惑いを感じていた。

だが、それも大丈夫なように今の彼女を見ていてそう思えてきた。

これからはちゃんとしよう。

私はポケットに入っていた空の煙草の箱を静かに握りしめた。

彼女のためにも。

自分のためにも。

もはや虚無を感じている余裕など私にはないのだから。

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