第五章 ごめん、本当に今だけは悲しい歌を聴く気分じゃないから
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みかん(以下、み):『暴れん坊将軍』に感じたもの足りなさについて。
雄平(以下、雄):唐突すぎるぞ、オイ。
メイド(以下、メ):暴れん坊…?
真澄(以下、真):松平健っていう将軍様が毎週逆ギレする悪人をバッタバッタ斬りまくる痛快時代劇や。
咲希(以下、咲):あ、マツケンサンバの人ですね。
真:で、何がもの足りないんや?
み:暴れっぷり。
咲:え、暴れん坊なのに?
み:なんちゅうんかね、暴れかたがキレイなんよ。教科書通りの基礎がしっかりした剣術ってカンジで。
真:あー、なんかわかるわ。マツケン、暴れん坊というより男気のある優等生みたいなカンジやな。
み:それ、良いたとえ!
咲:じゃあ、どれくらい暴れたらいいのかなぁ。
み:んー、アバレンジャー?
メ:ダンシングクイーンの人たちね。
み:ちょっと違う!
雄:ってかそれは知ってるんだ…。
真:とにかく、もっと悪ガキ感を出してほしいわな。アメリカのアクション映画ばりに「ヒャッホウ!」って言いながら大砲を打ちまくるとか。
メ:それはワイルドね。
雄:どんな時代劇だよ。
み:うんうん。悪ガキ感、大事!行儀よく真面目なんてクソくらえみたいな。
雄:尾崎豊かよ。
み:ところで夜の校舎の窓ガラスを壊してまわったっち言うけどさ。
雄:話、変わったよ。
み:自由になりたいけん学校の窓ガラスを割るのはどげぇかえぇと思うワケよ。
真:まぁ盗んだバイクで無免許運転かまして自由になれた気がしたくらいやからな。
咲:それって自由というより犯罪ですよね。
真:気持ちはわからんこともないけどな、八つ当たり同然に周りに迷惑をかける自由なんてそれこそクソやな。
み:それに割った窓ガラスを修理するんに、税金が使われるんで!豊が仮にガラスを三十枚割ったとするやろ?ガラス修理ん一枚あたりん単価は…(スマートフォンを取り出して調べる)おおっ、てぇげするわ!
真:なんや、どれくらいか?
み:業者や規格によってそれぞれ違うごたぁけど、だいたい一万五千円くらいやな。
真:おお、けっこう高いな。
み:っちゅうことは三十枚やと…四十五万円や!
真:まぁそんなに枚数あるならわりと値引きしてくれるかもわからんけど、それでも四十万前後くらいかかるやろうな。
み:四十万円よ、四十万円!豊んイライラ解消んために、わたしらん血税が使われよるんで!
咲:あの…。
み:ん?咲希ちゃんどげぇした?
咲:いまは窓ガラスを割ると割った人が弁償しなきゃいけないんですよ!
み:ほう、そりゃいいぐれぇなこっちゃねぇ!
真:せやな。犯罪で得た自由にはそれなりの代償がないとな。
メ:よくわからないけど、その豊という人は通り魔的な犯罪者なの?
み:違う違う、歌手。
真:それにしてもよく考えたら大変なこっちゃな。有名なシンガーがこんなこと歌っとったらそりゃマネするヤツもけっこういたやろうな。今後言語を規制する法律ができたら犯罪を誘発する恐れがあるとかいって真っ先に狙われそうやな。
み:ユウちゃんはどう思う?
雄:あの時代のああいう連中、反吐が出るほどキライだね。こないだテレビで八十年代にワルやってた芸能人が「俺もむかしはよく人をイジメてたけど、いまのイジメは陰湿だ。俺たちは悪いことばっかやってたけど心を傷つけるようなことはしていない」ってほざいてたんだけど、ああいうの聞くと本当にムナクソ悪くなるわな。身体的な暴力よりも言葉による暴力で心に傷をつけるほうが良くない?力の弱い者をいじめたり恐喝していた俺たちはいまよりはマシって?アホか。なんで他人の痛みをお前らが勝手に語ってるんだよ。
真:ユ…ユウくんどないしたんや?
み:ユウちゃんはね、不良やDQNが嫌いなの。
雄:っていうか、自分のやってた悪いことを正当化したり美化する連中が嫌いなんだよ。他人に迷惑をかけたり傷つけたりしているという自覚のない連中が。
咲:えっと、じゃあその豊って人は他人に迷惑をかけるような悪い歌をうたって有名になったってことですか?
真:いや、そういうわけでもないけどな。
雄:「シェリー」はわりと好きかも。
み:わたしは断然「アイラブユー」!
雄:きしむベッドの上でやさしさを持ち寄りたいんだろ?
み:わかってらっしゃる!
雄:いつも言ってるからな。
咲:なんできしむベッドの上なんですか?持ち寄るならテーブルの上とかでいいと思うんだけど。
真:グホッ!(飲んでいたメロンソーダが変なところに入ってむせる)
み:まっすん大丈夫?
咲:え、どうしたんですか?
み:いや、なんというか。テーブルの上にやさしさを持ち寄ってんね、確かめられんのよ。
咲:何をですか?
み:あの…ほら…なんてちいうか…「愛」を。
咲:なんでそれがベッドの上じゃなきゃいけないんですか?おいしいものを買ってきて二人で食べるのもきっとしあわせですよ。
み:まぁそりゃそうなんやけどね…。
メ:要はセックスということね。
み:ストレートやね!
雄:ストレートかよ(上と同時)
真:ストレートかい!(上と同時)
咲:えっ…そうなんですか?(赤面)
メ:つまりみかんさんはセックスしたいということよ。
咲:!!(赤面)
み:日本のヒットソングはそういう歌が多いんよ!GLAYや湘南乃風、欧陽菲非にジュディ・オングとかね!!
雄:勢いで誤魔化すか。(ボソッと)
2
別府タワー近くのガストでたわいのないハナシをはじめて2時間。窓の外は青空が広がっている。まぁ所謂五月晴れってヤツだ。
このメンバーで集まるのは葉見を含めるとこれで四回目。ほぼ毎週どこかに集まって、こういったどうでもいいようなトピックであーだこーだ言ったりしている。今回はメイドさんの家から離れてないところに集まろうということになったので別府に来たというわけだ。
姉が俺にともだちがいないことを心配して立ち上げたこの団体、活動内容をみていると、その趣旨にかなっているように見える。そのおかげか、姉はこの集いを本当に心から楽しんでいる。俺自身も、普段できないようなハナシができるから居心地も決して悪くないと思っている。
しかし、それは表向きのハナシだ。田中真澄は「正常な世界を守るため」という理由で俺に接近してきた。小学校時代のクラスメート・橘咲希は田中真澄と同じ組織に属しており、同じ任務のため俺と再会。しかも得体の知れない不思議な力を持っているときた。メイドさんに至っては記憶喪失だから何の情報もナシ。
田中真澄の言うことがホントであれば、俺の与り知らないときにこの世界の存亡をかけたミッションが繰り広げられるということだ。いつどこで何が起こるかを知りたいのだが、それを俺が知ると「世界が綻ぶ」ということなので教えてもらえない。
せめて彼らが何者であるか、それをもっとハッキリと聞きたいところであるが、先月末にそれを田中真澄に伝えたら「まぁそのうち順を追って説明したる」とやんわりと逃げられた。
まぁそんなワケだから、焦ってもしかたがないのでいざというときはなるようになると構えている。
「つまりそういうワケやけん、行儀よく真面目なんてできやせんわたしたちは自分のチャリで走り出したいワケよ」
ちょっとボーッと外を見ている間に姉がよくわからん結論を導き出していた。
「やき、次は自転車でちょっと遠出するっちいうのはどげぇかえ」
ものすごく良いアイデアと思ったのか、姉が「どやぁ」って顔をしている。
「ええんちゃうかな。行儀よく真面目になれないけど、世間様に無駄な迷惑をかけへんところがわいららしいな」
「いーですね。たのしそうです」
「わたし、自転車持ってないわ」
「えっ、そうなんや。じゃあこれからみんなでメイちゃんにふさわしいチャリを探しに行かん?」
「そうね。お金はあるから良いのがあったら買おうかしら」
どうやらこれから後の流れは決まったらしい。
3
「ねぇ、椎名くん」
ひたすらグラウンドを走るという地味な体育の授業中に水美南美が声をかけてきた。
「何?」
「ねぇ、もうちょっとゆっくり走ってよ」
「…」
「一昨日の昼頃、別府のナフコにいたでしょ」
一昨日…ああ、そういえばそうだった。メイドさんが乗る自転車をみんなで探しに行ったっけな。
「まぁね」
「あ、やっぱり!あそこにちょっと用事があって立ち寄ったんだけど、椎名くんっぽい人がいるなぁって思ってたの」
「ふーん」
「一緒にいた人たちは、お友達?」
友達…。そういうふうに聞かれるとどうこたえたらいいかわからない。最近よくつるんではいるけど、橘咲希以外は歳が離れているし、なんかしっくりこないことばだ。日本のレゲエやヒップホップは「コイツは俺の大親友」と堂々と言い切っているが、ああいうのがうらやましく思える。
そんな具合に答えあぐねていたせいか、水美はちょっとムッとほっぺたをふくらませた顔でさらに聞いてきた。
「あの女の人とは、どういう関係?」
「え?」
「だから、あのとき一緒にいた女の人とはどういう関係?」
あのとき一緒にいた女の人…。橘咲希とメイドさんのことだろうか。どういった関係と言われても、ひとりは昔のクラスメートでもうひとりは…なんと説明したらいいものか。
「それ、どっちのこと?」
「どっちって、一人しかいなかったでしょ。栗色の長い髪の人」
ああ、分かった。姉のことだ。たしかメイドさんが自転車を購入する段取りをしているときに姉と田中真澄の三人で激落ちくん等のキッチン周りの用品をみてまわっていたっけ。それを見られていたのか。
「あー、あれは俺のねーちゃんだよ」
「おねえさん…ああ、フラッシュ・オン・ザ・ロードで椎名くんの仲間を募集したっていう」
「まぁ、そうね」
「なんかあんまり姉弟ってカンジがしないよね」
「…よく言われる」
「一緒にいた怖そうな人、おねえさんの彼氏?」
「いや、違うけど」
「ふーん」
なんかいろいろ聞いてくるなぁ。そんなことを考えていたら体育教師の怒号が飛んできた。
「コラァ、そこの二人!無駄話しとらんでちゃんと走らんか!!」
体育教師が大声出したせいで、みんながこっちを向いた。ああ、なんかイヤなカンジだ。
水美はバツが悪そうな顔をして、一瞬俺に近づいて囁いた後にだんごのように集まって走っている他の女子集団のところへと向かっていった。
「ごめん、またあとでね」
4
「今日はホントにありがと!たすかったよ」
「あれで良いかは保証しないよ。あまり踊るってカンジの曲じゃないからな」
「ううん、さっきちょっとユーチューブで聴いたけどかっこよかったよ!みんなにも聴かせて、良かったら使ってみるよ!!」
フォーラス1Fにあるスタバ。俺は水美の買い物に付き合い、いまこうやって二人でお茶を飲んでいる。
どういう経緯でそうなったかというと、昼休みに弁当を食っていたら水美がやってきて、CDを買いたいけど何を買ったら良いかわかんないから一緒に選んでほしいと頼んできた。
どうやら仲の良い友人たちと何かのイベントでダンスを披露したいらしいが、自分たちが踊る後ろで流れる曲をいま探しているらしい。「そういうのはEXILEやAAAとかでいいんじゃない?」と言ったのだが、そういうのはおそらく他の団体が使うことが予想され、そして今回は洋楽でいきたいとのことだった。
正直、あまり気乗りしなかった。別に水美のことが嫌いというワケではない。そういうのを誰かに見られたりすると、周りがひやかしの目を向けそうだからだ。クラスで誰とも話さない根暗な男と誰からも人気のある女子だ、高校生のヒマつぶしの話題としては絶好のエサだ。周りからとやかく言われるのがイヤではない。そういうので彼女に面倒をかけるのが気が引けるし、なんといってもゲスな話題で陰でワイワイ騒ぐ様子をみることがたまらなく癇に障るからだ。
「別に俺じゃなくてもよくね?他にもいるだろ、洋楽聴いてるヤツ」
やんわりと断ろう。そんなつもりで言ったのだが、思いがけない反応が返ってきた。
「椎名くん、わたしが話しかけるの…やっぱり迷惑かな?」
驚いて彼女の顔を見た。笑ってはいるが、ほんの少しの戸惑いと悲しみが見てとれた。普段は明るくてあっけらかんな印象だったが、まさかこんな顔をするなんて。
ああ、最低だ。女の子にそんなことを言わせるなんて。自分の都合だけで、彼女がどう思うかなんて考えてもいなかった。
「迷惑なんかじゃ…。っていうか俺よりもそっちが迷惑になるかなって…。いや、そうじゃなくて」
つい動揺してしまい、自分でも何を言っているかわかんなかった。一度落ち着き、アタマのなかを整理して俺は答えた。
「俺が選ぶの、いまどきの高校生にはウケないかもしれないけど…それでもいいなら」
気になったので再度彼女の顔を見た。いつもの天真爛漫な笑顔、っていうか爆笑していた。
「アハハハハハッ!マジでウケるぅー!!いまどきの高校生って、椎名くんだってそうじゃない」
いろいろ思うところもあったけど、とりあえず今日学校が終わったら彼女の買い物に付き合うことになった。
…というワケで、現在に至る。
「椎名くんってさぁ」
「ん?」
「最近、ちょっと楽しそうだよね」
…楽しそう?俺が?
「入学した最初のころって、いつも外ばっかり見ていたよね。つまんなさそう、というよりもわざと楽しいことや面白いことを避けていたような」
「…」
「でも先月の終わり頃からかな?相変わらず外ばっかり見ているけど、前よりもそのかたーい表情がやわらかくなった気がしてね。あー、なんか楽しいことでも見つかったのかなーって」
これには吃驚した。たしかにそうかもしれない。いや、そうだった。しかしその正鵠を射た指摘よりも、彼女が俺のことをそういうふうに見ていたことに一番驚いてしまった。
そうか、楽しそうに見えるのか。俺にとってあのメンバーで集まることを考えると、少しだけ面白いって思っているところがたしかにあるかもしれない。
「ところで一昨日ナフコでおねえさんと怖そうなお兄さん、楽しそうにおしゃべりしてたけど、いったい何を話してたの?」
「たいした内容じゃないよ」
「えー、そう?気になるなー」
本当にたいした内容じゃない。たしかあのとき話していたのは「西野カナが会いたくて震える27年前に尾崎豊は自分の存在が何なのかさえ分からずに震えていた」とかだったはずだ。
「っていうかこのシフォンケーキ、けっこうおいしい!」
「あ、そう」
「ホントにおいしいよ。ホラ!」
そう言って水美はスプーンにケーキをとって、俺の口元に差し出した。
…食べろ、ってことだよな?
俺はできるだけ何も考えずに、一口で食べた。
「ね、おいしいでしょ?」
「…うん」
そう答えると、彼女はにぱっと笑った。
ああ、どうも調子が狂う。こんなことを姉以外の女からされるのは初めてだ。
5
「じゃ、今日の練習でみんなにコレ聴かせてみるね」
「ああ」
「今日は本当にありがと。じゃ、また明日!」
五車堂前の交差点で、水美は俺に手を振りながらトキハ方面に向かって行った。
…なんか今日はどうもヘンなカンジだ。自分のペースが乱されまくったというか。
…っていうか、俺のこと見てくれる女もいるんだな。
「なるほどね。ユウくんああいうタイプが好みなんやな」
聞き覚えのある声がしたので振り返った。田中真澄だ。いや、真澄だけじゃない。
「えらしいねぇ。うん、えらしい。女の子に慣れてないピュアボーイズを確実に虜にする小悪魔系だねぇ」
「えらしい?」
「かわいいっていう意味です」
「かわいくて小悪魔系…リトルビッチといったところね」
「ビッチって何ですか?」
「おいおい、いくらなんでもビッチはあんまりやで」
「じゃあ略してLBなんてどうかしら」
「略したらええってもんじゃないやろ」
「エルビー…エルビー…ェルビー…ルビー…ルビィ。そうだ!るびぃちゃんっていうのはどげぇかえ?」
「そりゃええわ!かわいらしいし、ちょっとビッチっぽいカンジも出とるからな」
「ねぇ、ビッチって何ですか?」
まさかのメンバー全員集合。一体何でみんなこんなところにいるんだ。
「なんちいうか、街を歩きよったらみんなとたまたま遭遇しちね。いつもんごつ無駄話をしよったらたまたまユウちゃん見かけたけんスパイ大作戦しよったんよ」
「いつから?」
「ん?スタバで見かけて…」
「たしか…ケーキを食べさせてもらっているところからだったわ」
なんてことだ。あれを見られていたのか。恥ずかしい。こんなに恥ずかしいと思ったことはいままでにないくらい恥ずかしい。
「おおっ、ユウくん顔真っ赤になっとるで!初々しいなぁ!!」
「もう、まっすん!あんまりユウちゃんをせがわんで!!」
姉は俺をかばう素振りを見せているが、その顔は相当ニヤけている。おそらくこの状況で一番テンションが上がっているのは姉だろう。
「ユウくん、あの人と付き合ってるんですか?」
橘咲希がのほほんと、それでいてストレートな問いを投げかけてきた。俺はここに至るまでの経緯を説明した。
「ふーん、じゃあダンス用の曲を選ぶんに一緒にタワレコに行ってアドバイスしちゃったっちワケやね」
「まぁ、うん」
「ええと、必ずしもダンスユニットの曲じゃねぇでんいいんやったっけ」
「ああ。振付は自分たちでつけられるって」
「で、結局何にしたの?」
「…バックストリートボーイズ」
姉と真澄は微妙な表情を浮かべながら相槌を打った。
「ユウくん、そりゃちょっと古いんとちゃうか?」
「大丈夫よまっすん。『学校へ行こう』のエアボコーナーでちょっと知名度上がったけんいまの高校生でもギリギリ通じるんやない?」
「もっと分かりやすいダンスチューンがあったんとちゃう?」
「いや、いわゆるダンスチューンはフロアが踊るための曲で、ステージとかで踊るのはまた別やないんかな。ダフトパンクやカサビアンとかは振付つけて踊るカンジやねぇやん」
「まぁ、たしかにそうやなぁ」
なんか良い具合にハナシが逸れてきている。できたらこのままうやむやにして今日はこの場を退散したい。
そんなことを考えていたら電話がかかってきた。水美からだ。なんでこのタイミングでかかってくるんだ。彼女からかかってきたことが分かるとまたみんなが冷やかしはじめるだろうから、用件だけ聞いて早く切ろう。
「もしもし。どうしたの?」
「どうしたじゃねーよ、殺すぞコラ」
水美の声じゃない。アタマが悪そうな田舎ヤンキーみたいな声だ。
状況がのみこめず、何事かと思ったらアタマの悪そうな声の男がアタマの悪いことを言い始めた。
みんなも俺の異変に気が付いたようで、電話している俺をじっと見つめていた。電話を切った後、みんなが固唾を飲むような雰囲気のなかで俺はいま起こっていることを説明した。
「ねぇちゃん、先月ゲーセンで俺が田舎ヤンキーに絡まれたの、覚えてる?」
「え?あ、うん。覚えちょるよ。それがどげぇしたん?」
「あいつらが水美を誘拐したらしい」
6
いま何が起こっているかを説明すると、こうだ。
先月ゲーセンで俺に絡んできた田舎ヤンキーどもが水美を誘拐した。「お前の女を預かっている」とかほざいてやがっていたが、さきほどまでのやりとりを偶然どこかで見たのだろう。要は水美が俺の恋人と勘違いされたということだ。
誘拐の理由は俺への怨恨だろう。俺や姉にコケにされたのがよっぽど悔しかったのか、「あのときの礼をさせてもらうぜ」なんてテレビや漫画ですぐに殺されそうな下っ端悪人のようなセリフを吐き捨てやがった。
相手の要求は、「女を返してほしければ、今日の午後七時に新川の海沿いにある倉庫に一人で来い」というものだった。姉が勘定に入ってないのは、おそらくあのときたまたま通りかかったホンモノのスケバンか何かと思っているから、かもしれない。いずれにせよ、小悪党感丸出しの情けない連中だ。
さて、どうするか。時間を確認したら午後5時半。指定された時間まであと一時間半だ。しかも「ケーサツに言うとタダじゃおかねぇぞ」というお約束のセリフまで残しやがったしな。
…しかたない。大分で平凡な生活ができると思っていたけど、もうそれも今日で終わりか。
「ユウちゃん!本当に一人で行くつもりなん」
「…」
「ダメだよ!せっかく大分に来て、二人でまたイチからやりなおそうっち言ったやん!!」
「…」
「ユウちゃん一人を行かせるわけにはいかん。わたしもついちく」
「ダメだ。あいつらは一人で来いって言ったんだ」
姉の言いたいことは分かる。でも、俺に近づいたせいでくだらないいざこざに巻き込まれてしまった女がいるんだ。このままじゃいけない。絶対に俺が何とかしてやる。
そんななか、突然緊張感のない音がアーケード街に鳴り響いた。
プウゥーーーーーーーーーーーーーーーーーッ。
この音、そしてこの臭い。音と匂いの主はすぐに分かった。田中真澄の放屁だ。
「いやぁ、すまんすまん。昨日の晩にちょっとイモ食いすぎたさかい、ガス溜まっとったんや」
真澄は照れたような顔をして笑った。タイミングが絶妙すぎたせいか、おかげでちょっと気が抜けてしまった。
「ユウくん、ちょっとアタマ冷やしていこうや」
…たしかにそのとおりだ。ついアタマに血がのぼってしまい、また昔と同じ轍を踏むことになりそうだった。事態は急を要しているとはいえ、他に手立てがあるはずだ。
「なぁ、ユウくん。わいにひとつアイデアがあるんやけどな」
口火を切ったのは真澄だった。
「わいら三人がおれば、きっとるびぃちゃんを無事に助け出せるで」
咲希は何かを察したようにそっと頷いた。メイドさんは相変わらずとぼけたような顔をしていた。