第四章 J-POPは桜の花びらを舞い散らせときゃ売れるって誰かが言っていた気がするがそんなことはもうどうでもいいのだ
4
「えー、桜の森の満開の後、皆様方におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます」
「坂口安吾かよ」
四月下旬の土曜日、正午。
東津留にある大分市平和市民公園の裏川沿いにて、俺と姉、そして先日の三人で花見をするために集まっている。
…正確にいうと花見ではない。もう花は散ってしまっているからだ。あえていうなら「葉見」だ。
「…うう、やっぱこげな挨拶は苦手やき、はよ乾杯しよっか。じゃあまっすん、おねがい!」
「よっしゃ、みかんちゃん!まかせとき…って、まっすんってわいのことか!…まぁええわ。みんなコップ持ったな?今日はユウくんとゆかいな仲間たちの初会合っちゅうことやけど、まぁみんなで和気藹々と盛り上がってこか!乾杯!」
田中真澄による威勢の良い乾杯の音頭。異口同音で「乾杯」の声が続く。
「それにしてもこの川、だいぶ…というか、かなりよごれてますね。棲んでるおさかなさんたちがかわいそう」
乾杯直後にその話題。橘咲希は、こういったところは本当に昔と変わっていない。
「せやなー。でもな、江戸時代の川柳に”白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき”ってあってな。意外とこっちのほうが心地良いかもしれんで」
「でもそれって田沼意次と松平定信に対する大衆の反応だろ?田沼の賄賂政治は自分たちの与り知らぬところでやってたからよかったけど、、松平の四角四面な倹約は窮屈でつまんねーっていう。生活環境だけでいうならよごれてないとこのほうが良いに決まってるよ」
「どうかな。たしかにきたない川は身体に良くないかもしれへんけど、エサはきれいな川よりうまいかもわからん。人間かて自然あふれる田舎よりもよごれた都会に行きたがるさかい、魚かて一緒の可能性もおま」
「うーん、結局どうなのかなぁ。おさかなさんたちに聞くしかないですよね」
「咲希ちゃん、たしかにそう!こげなときこそほんやくこんにゃくおみそ味がほしいよね」
「なんで味限定なんだよ」
「…魚、けっこういるわね。食べられるのかしら」
「…食べたいんですか?」
最初はどうなるかと思ったが、意外とみんな馬が合っている。俺もこんなふうにまともに姉以外の人と会話をしたのは大分に来てからははじめてかもしれない。
姉は大分に来てからしばらく俺の心配ばかりしていたところもあるから、これで姉の肩の荷も少しは降りただろう。俺自身もこういう会話は嫌いじゃないから、正直けっこう楽しかったりする。
そして集まってくれたみんなも、クセはあるしキナくさいことこのうえないけど、こうやって話してみると悪いひとたちじゃない。
いまの、そして今後の自分自身について、元々の性格と過去のせいにしていろんなことから逃げるのは良くない、とかねがね思っていたから、こういうきっかけを与えてくれた姉には感謝したい。まぁ口にはしないけど。
…とはいえ、やはりコスプレ集団が昼間から桜が散ってしまった後に花見みたいなことをしている様子は傍からみれば異常なのかもしれない。散歩で通り過ぎる人たちの視線がやたら冷たい。
「あの…おねえさん。ところでどうして今日はみんなこんな服を着てるんですか?」
ベトナムの民族衣装であるアオザイを着ている橘咲希から当然の質問が飛び出す。
「おお、そうや。なんでもいいからコスプレで来てくれっちゅうからバタバタ用意してきたんやけど」
マンチェスター・シティのユニフォームを着ている田中真澄からも同じ疑問。っていうかそれはコスプレなのか?
「ああ、それはね」
白衣姿の姉(本人曰く、セクシー女医)はメイドさんを一瞥した。二人もメイドさんを見た。メイド服を着ているメイドさんはもうこの段階で小僧寿しのパーティー寿しセット(4人前)をそしらぬ顔でひとりでたいらげていた。
「メイちゃんの記憶が戻るにはどげえしたらいいんかなーって考えたんだけど、もしかしたらむかしはホントにメイドやってたかもしれんやん?」
「ああ、だからメイド服を着ているとふと記憶が戻るかもしれない、ということですね」
「そう。でも一人だけそげなカッコをさせるんはちょっとむげねぇやろ」
「そんでわいらも一緒に、っちゅうことか」
「そのとおり!」
「児玉清かよ」
いくら数年前に博多華丸が『細かすぎて伝わらないものまね』でやっていたとはいえ、いまだにこのネタを引っ張っているのは姉くらいだろう。っていうか、姉のネタは基本的に古い。
「ところでユウくんは何のコスプレなの?」
「え?あっ、ああ…」
「…ユウくん、まさかひとりだけ私服ってこたぁないよな?」
「うっ…」
「実はね、わたしが光GENJIみたいな衣装を用意したんやけど、ユウちゃんが嫌がっちからね」
「…ひかるげんじ?なんですかそれ?」
「ガビーン!咲希ちゃんの世代はしゃかりきコロンブスを知らんのやね!」
「ねぇちゃんの世代でも知らねーよ、ふつう」
俺たちがそんなやりとりをやっている横で、メイドさんはパーティー寿しセット(4人前)の二つ目を完食しようとしていた。
もう一度言わせてくれ、食べ過ぎ。
…とまぁ、実に平和なカンジで葉見が行われている。
のどかだ。なんてのどかなんだ。
ほんの少し前までの出来事がウソに思えるくらい。
1
午前十一時―葉見がはじまる一時間前。大分市平和市民公園の中にある樫の並木道で、俺は田中真澄と会っていた。
俺としては関わりたくない、それが本音だった。
しかし、息がピッタシの掛け合いと不慣れな関西弁が気に入ったのか、姉は俺に田中真澄も葉桜見に誘うことを提案してきたのだ。
ああいうタイプのキャラは苦手なため、いつもの俺なら「ヤだよ」とハッキリと断っただろう。
そうしなかった理由はただひとつ。聞かなければならないことがあるからだ。何の目的で俺に近づいたのか、橘咲希とはどういった関係なのか。
「なーるほど、そういうことね。だからわいだけ早めに呼び出した、っちゅうこっちゃな!」
おそらく不快感を隠しきれずにいる俺とは対照的に、田中真澄は持参したアサヒのドライゼロをグビッと飲み干し、ニカッと笑った。
「…ノンアルコールなんだ」
「ん?ああ、二十歳になるまであと数か月あるからな」
そういうところは律儀なんだな…って思わず感心してしまったが、そんなことはどうでもいい。
「ところでユウくん」
田中真澄は飲み終えた缶をビニール袋に入れ、芝生の上に腰をおろした。
「ユウくんは、この世界をどう思う?」
「…?」
「俺から見たら、狂ってるとしか思えへん。富を持たざる者はこころが荒み、持つ者はそれに反比例してこころが貧しゅうなる。海の向こうではいまでも飢えやドンパチで毎日えらい数の人間が死んどるし、この国も一見平和やけど行き場のない薄汚い感情が歪なカタチで噴き出しとる。右も左もバカ面が蔓延って、けがれのない花が平気で踏みにじられる」
おどけてはいるが、ゆっくりと、おだやかな口調であった。そしてその目にはどこか憂いや悲しみがこもっているようにも見えた。
「まぁこんなクソを塗りたくったようなゲロ以下の世界やけどな、これが”正常”らしいんや、残念なことに。人間の醜さってのはこの世界を構成しているもののひとつで、神様にとっちゃあ想定の範囲内で取るに足りないコト…って分かりにくいか!」
いまいち何が言いたいか分からない、要点がつかめないハナシに俺はきっと怪訝な顔をしたのだろう。それに気付いたのか、田中真澄は「てへペロ!」とその容貌に全く似合わない仕種をし、ドライゼロの二缶目のタブをプシュッと開け一口飲んだ。
「まぁここからが肝心や。カンタンに言うとな、この”正常”な世界を”異常”にしようとする悪い神様がおるんや。ホントは神様という概念的なモノやのうて、形而下に実在する意思を持った反物質に似た宇宙規模の巨大な力…ってそこらへんはどうでもええわな。まぁその悪い神様はあの手この手をつかってこの世界を”異常”にしようとする。それを防ごうとしているのが”正常”な世界の神様で、俺はその神様の手足となって動く組織の一員というワケや」
このとき、俺は「こいつ、アタマおかしいんじゃねぇの」という感想しかなかった。冗談で言っても全く面白くないというのに、この男は本気で言っているのだ。とにかく心底関わりたくない、そう思った。しかし、まだ俺が聞きたいと思っている内容には触れていなかったため、不本意ながらもそのイカれたハナシに付き合うことにした。
「で、その正義の組織が俺に何の用?」
「正義…っちゅうと語弊があるなぁ。まぁいいや。結論から言うと…ユウくんを守りに来たんや」
「守りに…って何で?」
「ユウくんが悪い神様に狙われとるからや」
「…うわ」
「まぁそんな顔せんで聞いてや。実はこの世界はな、ちょっとしたきっかけで”異常”になってしまうらしいんや。たとえばある人物が一定の期間内に道端に落ちているバナナの皮を踏んづけて盛大に転ぶ…それが世界を”異常”にするスイッチになってしまうことがあるみたいなんや。悪い神様はこの世界を”異常”にしたいから、あらゆる手段でそうなるよう仕向ける。そうならんよう、予め先回りして道端に落ちているバナナの皮を回収するっちゅうのがわいの任務なんや」
丁寧で分かりやすい説明のおかげか、言っている内容の意味はよく分かる。だがまるで「そうなのか」って気持ちにならない。もはやライトノベルの世界だ。
しかしここで挫けてはいられない。そう思った俺はもう少しだけこの男と同じ土俵に立つことにした。
「じゃあさ、俺の何かしらの行為が世界に大きな影響を与えるということ?」
「そういうこっちゃ」
「それって何?」
「あー、実はそれには答えられんのや」
「は?」
「いや、それを言うてしまうとな、そうならんようにって”意識”するやろ?そうなるとこの世界、”異常”にはならへんのやけど”綻び”ができてまうんや。”綻び”があるとこの世界は”脆く”なってな、それが大きくなると世界は”崩壊”してしまうらしいんや」
「…」
「まぁ組織には”綻び”を”繕う”チームもあるんやけど、これがえらいしんどいみたいでな。それに悪い神様も、世界を”異常”にすることが目的やさかい、”崩壊”されると都合が悪いらしい。だから悪い神様や俺ら現場の人間は、ターゲットにこっちの動きを”意識”されんように動かなあかんのや」
「だったらおかしくない?」
「何が?」
「…いや、それはいい。そんなことよりも…」
肝心なことを聞こうと思った瞬間、俺のスマホからメールの受信音が鳴り出した。橘咲希からだ。
「ちょっと早いけど、能楽堂に着きました。ゆっくりしてるから、いそがなくてもいいよ」
俺がいちばん聞きたかったこと。それは橘咲希との関係だった。なぜ田中真澄は彼女のことを知っているのか。もしかしたら彼女もこの男と同じ組織に属していて、俺を守るために接触してきたと言うんじゃなかろうか。そんなバカな…。
「ユウくん?」
突然背後から声が聞こえた。橘咲希であった。
2
「ユウくん、もう来てたんだ」
振り向いたら、バスケットケースを持った橘咲希が立っていた。
しまった、まさかこんな早く彼女が到着するとは。できたら彼女が来る前にハナシを終えておきたかった。
そんなことを考えている俺をよそに、彼女は田中真澄の存在に気づき、声をかけた。
「こんにちは。ユウくんのおともだちですか?」
!?
彼女はこの男のことを知らないのか?ならばなぜこの男は彼女のことを知っているのか。
田中真澄は、姉にナンパしたときのような、おそらく対女性用の顔で彼女の横に立ち、肩に手を回した。
「おお、はじめましてやな。”コスモノート”ちゃん」
“コスモノート”――そのことばが出た瞬間、一気に空気が重くなった。比喩的表現ではない。ほんの少しだが、息苦しく、身体が重く感じたのだ。田中真澄に至っては、彼女の足元で苦痛に顔を歪め、蹲ってしまっていた。
「あなた、何者ですか?」
橘咲希が田中真澄に向ける視線には、明らかに敵意があった。彼女がこんな顔をするとは。そして息苦しさは増していき、意識が朦朧としてきた。
「ちょっと…待ってぇな。俺は…敵やない。同業者や」
田中真澄は青ざめた顔で両手を上げた。
「わいの…コード…ネームは”アロウ”…聞いたことあるやろ?」
次の瞬間、スッと涼しい風が吹き抜けた。普通に息ができる。身体も軽くなった。
田中真澄は「はぁーっ!」と大きく深呼吸をし、フラフラながらも立ち上がった。
「もう、咲希ちゃん!こんなトコでいきなり能力使うたらあかんやろ!」
重苦しい空気はなくなったが、彼女の表情はまだ警戒を示していた。
それにしてもいったい何が起こったというのか。能力?いったい何のことだ。
「あなたが機密条項違反に抵触したからです。組織外の人間の前で自他問わずコードネームを使用する者は排除対象とみなしても良い。ご存知ですよね」
おそらくここでいう組織外の人間とは俺のことだろう。それは会話の流れで理解できた。
それにしてもなんていうことだ。俺にはよく分からないが、二人は同じ畑で会話をしている。田中真澄の言っていたことは事実だというのか。
「ん?なんかおかしいで。咲希ちゃん、今回の任務のこと聞いてへんの?」
「…どういうことですか」
橘咲希は警戒を解かない。ただ、田中真澄の発言如何によっては先ほどと同じ現象が起こる。なんとなくだが、そう感じた。
「ウィズダムから特例措置があったやろ。今回の任務、椎名雄平に限り一部機密条項の開示を認めるって」
「…?」
「うわ、なんやその顔。本当に何も聞いてへんの?今回は俺とペアを組むってことも?」
橘咲希はきょとんとした。先ほどまでの緊張感はなくなったが、彼女も状況がよく分かってないようだった。
「実はわたし、何も知らされてないんです。先週の日曜日に成瀬さんがうちに来て、”いまテレビに映ったお前の昔の友人が今回のスイッチだ。テレビ局を通じて彼と接触しろ。任務の内容は、行けばそのうちわかる”って」
「成瀬のおっさんか!なんちゅうアバウトな説明や!おかげでわい、殺されるかと思うたわ!」
どうやら行き違いがあったようだが、なんとか解決したようだ。
「ごめんなさい。知らなかったとはいえ、Aクラスのオフィサーにひどいことしちゃって」
「いや、かまへん。そら知らんヤツが自分のコードネームを言うたらそうするわな。悪いのはちゃんと説明せんかった成瀬のおっさんや。それにしても咲希ちゃん、能力の使い方、うまいなぁ。さすがアンダー15でBクラスに入っただけあるわ」
「それよりも、特例措置なんてあるんですね。さっきはつい非常事態と思っちゃって。あなたを排除したらユウくんの記憶操作をしなきゃな、って考えてたんです」
ぼーっとした顔でなんておそろしいことを言うんだ。
しかしこれでハッキリした。田中真澄と橘咲希は同じ組織の人間で、二人とも同じ目的で俺に近づいた。そして橘咲希には、何か不思議な、そしておそろしい能力を持っているということが。
ああ、マンガのようなハナシでうんざりしていたのに。これが現実となると溜息しか出ない。
「あれぇ?それにしてもおかしくないですか。いくら一部とはいえ、スイッチが機密事項を知ったらほんのわずかでも”綻び”ができちゃいますよ。それ、いいんですか?」
それについては俺も気になっていた。彼女が言うスイッチとなる人物が意識することによって”綻び”が生じるとなると、いまの俺のように「自分の何かしらの行動が世界を”異常”にする」という意識だけでも少なからず影響があるんじゃないか。
「あー、それについてやけどな」
田中真澄は腕時計をちらっと見た。
「あとでゆっくりと話すわ。詳しいこと話すと長くなるし、ユウくんの前じゃ言えんこともあるさかい」
スマホを見たら、集合時間まであと15分。そろそろ他のみんなが集まってもいい時間だ。
「ま、今日はみんなで楽しもうや!みかんちゃんに咲希ちゃん、かわいい女の子に囲まれながらパーッと騒ぐ!くぅーっ、最高やな!」
まぁいろいろとショックなことを知ってしまったけど、たしかに考えてもしかたがない。悪い神様(?)に狙われているとはいえ、ハナシを聞く限りは直接的に何か危害を加えてくるわけでもなさそうだし。
「まぁ、そうだね。そろそろねえちゃんとメイドさんも来るだろうし」
俺がそう言った途端、鼻歌まじりで上機嫌だった田中真澄の顔が一気に固まった。
「ユウちゃん、いま何て言った?」
その声にはおちゃらけは一切なかった。その様子は、なんとなくだが”素に戻った”という表現がしっくりくるかもしれない。
橘咲希も田中真澄の様子が一変したのに気付いたようで、俺と目を合わせ、首をかしげた。
いったい、急にどうしたのだろうか。そんなことを考えていたら向こうからこっちに歩いてくる人がいるのに気付いた。
両手いっぱいにスーパーのビニール袋を持ったメイドさんだった。
3
「こんにちは、ユウさん。ところで、荷物はどこに置けばいいかしら」
「どうもこんにちは。この並木道を抜けて右側に荷物置いてるから、そこらへんで」
「わかったわ。そこに持って行く」
メイドさんが来た方向にふと目をやると、タクシーが停まっていた。あれに乗ってきたのだろうか。
「そう。まだ荷物を積んでるから早く降ろさなきゃ」
「だったら俺も手伝うよ」
「あっ、わたしも」
橘咲希はてくてくとタクシーまで駆けていき、オードブルが入っていそうなビニール袋を持って葉見場所へと向かった。俺もあとに続き、カーネル・サンダースのイラスト入りの大きなボックスが何箱か入ったビニール袋を両手いっぱいに持って行った。メイドさん、よっぽどケンタッキーが好きなんだな。
「まだまだたくさん積んでるよ。あと何回か行かないと」
「ありがとう。ところであなたは?」
「あっ、はじめまして。わたし橘咲希といいます。ユウくんとは幼馴染で…」
「そう、わたしは矢沢あい…と言うらしいの。よろしく」
「らしい?」
「あ、この人記憶喪失なんだ。とりあえず俺とねえちゃんは”メイド”さんって呼んでるけど」
「じゃあわたしもそう呼ばせていただきますね」
ここであることに気付く。田中真澄だ。性格からしてこういう場合
「女の子にそんな重いもの持たせたら男がすたる!わいにまかしてや!」
なんて言って積極的に動きそうであるが、メイドさんが来てから完全にフリーズ状態になってしまっているのだ。
いったいどうしたというのか。声をかけようと近づいたら、田中真澄は小さい声で何やらつぶやいていた。
「なんで…ミイが…」
明らかに遠くを見ていたその視線の先には、メイドさんがいた。
…もしかして、メイドさんのことを知っている?
「ねぇ、ミイってあの人のこと?」
俺が近づいたことに気付いた田中真澄は、「うおっ!」と軽く驚く素振りを見せたが
「な…なんでもあらへん。いやぁ、えらいべっぴんさんやさかい、ちょっとみとれてしもうたわ!」
と、またいつもと同じ(でもどこかぎこちない)調子で笑いながら、メイドさんに近づいて行った。
「ねぇちゃんごっつかわええな。わい、田中真澄っちゅうんや。よろしくな」
田中真澄はそう言いながら、メイドさんが手にしていた荷物を持ってあげた。
「田中さん、ですね。はじめまして。わたし…」
「メイド、やろ?ユウくんから聞いたわ。まぁこれからよろしゅうたのんますわ」
「ええ、こちらこそ」
「よっしゃ、じゃあみかんちゃんが来る前に全部運んでしまうで!」
田中真澄は荷物を持って勢いよく駆けだした。
「ほらほら、ユウくん!ボーッとしてたらあかんで!こういうときこそ男が動かないかん!」
俺のイメージ通りの田中真澄。おかしなハナシだが、なんだかその声を聞いてちょっと安心してしまった。
俺もつられて駆け足で荷物を運ぶ。公園の出口あたりに停まったタクシーから並木道をこえたところまでの距離を三往復、ようやく運び終えた。
それにしても、この食べ物の量は異常としか思えない。高校の平均的な1クラス分の人数をまかなえるくらいはある量だ。
「メイドさん、いっぱい持ってきたね。わたしもサンドイッチ持ってきたけど、こんなにあれば必要なかったかな」
「いや、メイドさんは食欲がものすごいからな。一人で軽く二十人分は食べるんじゃない?」
「ええっ、そんなに食べるの!」
俺と橘咲希が話している脇で、田中真澄は缶コーヒーを飲みながらまた遠い目をしていた。その視線の先は、タクシーに料金を支払っているメイドさんだった。
「はじめまして、か」
かなりちいさな声でボソッとだが、たしかにそう聞こえた。
俺が思うに、間違いない、田中真澄はメイドさんのことを知っている。でもメイドさんは田中真澄のことを知らない。さきほどの橘咲希と違って自身の正体を明かさないということは、言っても伝わらないから、ということか。まぁ記憶喪失だからしかたないだろうけど。
しかしよく考えてみたら、メイドさんのあの光る腕の文字はやっぱりフツーじゃない。田中真澄のハナシといい、橘咲希のなんだか恐ろしげな能力といい、ここ数日でなんだか自分がとんでもないことに巻き込まれているんじゃないだろうか。
それでも、こころのなかでは「ま、いっか」と思ってしまう自分がいる。きっと俺はのうみそのいろんなトコのねじがぶっとんでしまっているんだろう。むしろ、この三人と絡んで、この先どうなってしまうのか、あらゆる謎が明らかになるのか、という期待すらある。
そんなことを考えていたら、姉がやってきた。その両手は、缶のビールやチューハイ、ソフトドリンクがたくさん入った袋を持っていた。
「あれーっ、もうみんな来てたの!早いねー!」
スマホをみたら、正午の五分前だった。
5
気が付いたら、もう夕方の五時になろうとしている。プッチ神父のスタンド攻撃を受けたんじゃないかと疑いたくなるくらいの時間の経つ速さ。
よく見ればものすごい量の空き箱とパック、そして缶。まぁその8割以上がメイドさんだが。
姉はけっこうアルコールが入っており、そのせいか、かなり上機嫌だ。
「じゃあ歌いまーす!キャンディーズの『春一番』!」
「いよっ、みかんちゃん!日本一!」
姉がフリ付き、そしてアカペラで大好きなキャンディーズを歌いはじめた。この堂に入った動き、もはや完コピと言ってもいい。
「キャンディーズ、わたしも知ってる。おかあさんがたまに口ずさんでた」
「ああ。名曲はいつまでも名曲やな。ミキちゃん・ランちゃん・スーちゃんのかわいさはこれから先も語り継がれるべきやな」
「女性の三人組…。咲希さんとわたしも覚えたほうがいいかしら」
「それ、グッドアイデア!っと、”ひだっまーりにはスズーメーたちがたのーしそうですー♪”」
それにしても…
「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど」
「ん?なんや?」
「どうしたんですか?」
「なぁに?」
「いまさらだけど…今日は花見じゃなくて葉見をしているよね」
「おう、それがどないした?」
「なんでわざわざ葉っぱを見なきゃいけないんだ、って思わなかった?」
三人はお互いに顔を見合わせ、首をかしげながらも答えた。
「葉を愛でることって、何か問題があるのかしら」
メイドさんは真顔で考えている。自分の記憶にはないが、そんな法律があったかな…といわんばかりの表情だ。
「問題はないけど…一般的にあまりしようとは思わないからさ」
「桜って花が散ったら次の春まで忘れられるでしょ。それってかわいそうだよ。花が咲いてなくても、緑の葉っぱでおもいっきり深呼吸して、寒くなったら葉を落として、冬を越えているんだよ。そう思ったら、一年をとおして、全ての季節でこういうのをやってもいいと思うな」
先ほどの川に棲む魚の例といい、橘咲希は人間以外の生き物に対しての思いやりがあるなぁ、って思った。田中真澄に「あなたを排除する」と言ったのはもう別人じゃないかと思えるくらい。
「いいんじゃない?冬は寒くて大変だろうけど」
「桜は散り際が美しい言うやろ。でもな、散った後の花びらって土や泥にまみれてきたなくなるやん。でも、それもやがて土に還る。そしてその後は若々しい緑の葉がはえる。たとえ誰にも褒め称えられなくても、生きることの力強さを謳歌するような瑞々しい葉がな。まぁその葉も冬には枯れ落ちてしまって、いずれ土に還る。…何が言いたいかっちゅうと、そういうの全部含めて、人間の一生を見ているようやない?桜というひとつの木に、二つの生き様があるっちゅうか。…って、分かりにくいか!」
今日一日で思ったこと。田中真澄は一見反社会的としか思えない風貌で、女を口説くことが日課のチャラい男と思っていたが、実は根はかなりマジメで、かなり教養があるんじゃないかってことだ。所属している組織のこととか、メイドさんとの関係などまだまだ隠していることは多いけど、きっと悪い人じゃない。仮に悪い人だとしても…こういう人は嫌いじゃない。まぁテンションが高いときのノリはやっぱり苦手だけど。
「いや、なんとなくわかるよ!」
歌い終わった姉が、田中真澄にレスポンスした。
「いいねぇ、みんな今日の宴を楽しんでくれたみたいで!」
姉は上機嫌だ。酒が入っているから、だけではない。きっかけはアレだったけど、俺のために人が集まってくれたこと。そして、さっきのみんなのことば。きっと姉は嬉しくてたまらないんだろう。
「ところでさ、重要なことを決めてなかったね!」
「重要なこと?なんやねん」
「”ユウちゃんとゆかいな仲間たち”ってちょっとファニーすぎるでしょ?だからもっとかっこいいチーム名にしたほうがいいかなって」
「うわっ、それ良いアイデアです」
「いや、俺はどうでもいいと思うが…」
「…たとえばどういうのがいいのかしら」
「そうねぇ。リトルバスターズとかぁ、超平和バスターズとかぁ、あとゴーバスターズとか?あ、ゴーストバスターズもあるわ」
「なんで”バスターズ”にこだわるんだよ」
「まぁいまパっと思いつくもんじゃないやろ、次回の会合までの宿題でどうや」
「そうね、それがいいかも。ユウちゃんはどう思う?」
「心底どうでもいい」
…とはいいつつも、内心ではけっこうドキドキしている。チーム名ではない、このメンバーだったら、きっとこの退屈から抜け出せるんじゃないかっていう期待からだ。
―――数日後、俺はこのときの自分がいかに呑気だったかということを思い知らされることになる。それは「ノーサンキュー」と言いたくなるくらい期待を遥かに上回る出来事が起こるからだ。