87 君と一緒に音色を奏でて
――楽しい。
そんな感情に俺は満たされていた。このゴールデンウィークはこの一言に尽きた。光や黄島さん達と今もバカ騒ぎをして。でも、絶対に寸分と離れず、雪姫が傍にいてくれた。
1年前には絶対、想像することもできなかった。
だから――なのか。
お酒なんか、一滴も飲んでないのに妙な興奮があった。
まるでほろ酔い感覚で、俺は司書室に飾るように置いてあったアコースティックギターを手に取る。
ペグを回して、音を紡いで。無造作に、チューニングをしていく。
弦を爪弾き、無造作に音を垂れ流す。まるでBGMを紡ぐように。楽譜にない音で。コードの寄せ集めで、小さな音楽になっていくからギターは不思議だ。
「冬君……?」
雪姫が目をパチクリさせて、ジャマになるんじゃないかと、体を離そうとした。そんな俺の一番さんに囁く。
――傍にいて。
自然と自分でも笑みが溢れるのを自覚した。俺の隣で、膝にその手を置く。雪姫が安心したかのように、息を漏らした。
でも、安心していたのは自分の方だ。
と、みんなが目を丸くするのが見えた。COLORSの真冬に触れて欲しくないと、とみんなに思わせていたんだと思う。この一年、ほとんど楽器には触れていなかったけれど、嫌いじゃないんだな、って今さらながらに思う。
「上にゃん、この曲って……」
黄島さんが絶句する。そりゃそうだ。今演奏しようとしている曲は。この前奏は。COLORSの【息継ぎ】って曲だから。
――息をしたら、もう雪のように溶けて
――何もかも なくなって
――もう何も残らない
――跡形もないから
――息も忘れるくらい
――もっともっと、君に溺れたいから
――結局、全部 溶けてしまう
――お願い、今だけ息継ぎさせて
曲が始まり、すぐにサビへ。そしてAメロ。迷わずみんなが歌い出す姿を見て、今度は俺が目を丸くする番だった。
間奏でわざと音を継ぎ足して、時間を引きのばす。これもライブで、colorsの3人がMCをする時に、よくやっていたやり方だ。
「みんな、歌えるんだね。アルバム収録のかなりマイナーな曲だと思うんだけど?」
「そりゃ、そうでしょ。COLORSの真冬推しなんだよ、私は? 布教の一つや2つ、するって」
「彩音の場合は、それじゃ足りないくらい布教してたからね」
「ちょっと、ひかちゃん。一応、遠慮はしていたんだよ?」
「彩音のアレはもう洗脳だからね」
「瑛真先輩、ひどくない?!」
「でも、瑛真ちゃんもかなりハマってましたよね? あれって上川君が文芸部入る前くらい――」
「音無ちゃん、ちょっと黙ろうか?」
そんなやりとりをみていた町田は目をパチクリさせる。
「え? え? 上川って何者なの?」
どうする? と光が俺を見る。町田が悪いヤツじゃないっていうのは分かる。他の文芸部員の子達もそうだ。でも、真実のことを言って、冬希じゃなくてCOLORSの真冬として見られる。それはやっぱりイヤだって思ってしまって――。
「冬君の格好良い一面、また知ることができた」
雪姫が満面の笑顔を浮かべる。でもね、と雪姫の言葉は続く。
「冬君の一面しか知らない人に、渡さないから。私が冬君の一番だから」
熱のこもった眼差しを向けられる。思わず、頬が熱くなるのを感じた。いつも思う。雪姫が見てくれているのは、やっぱり俺自身で。
――冬君は冬君だよ。
その言葉にどれだけ助けられたか。どれだけ背中を押してもらったことか。でもこの子は、きっと分かってないんと思う。どれだけ、雪姫に俺が救われたのかってことを。
照れ臭さを紛らわすため、ギターをかき鳴らす。爪弾いて、リズムをよりアップテンポに。まるで音を叩きつけるように。
■■■
でも、音を爪弾けば。
やっぱり思い出したくない記憶で色塗られていく。
モノクロが、重苦しいカラフルに。
過去の残像がちらついていく。
■■■
あの日も同じように、ギターを爪弾いて。音を紡ぎながら、考え事に耽って――人の気配に、俺の指が止まる。
「真冬」
声をかけたのは、マネージャーの柊さんだった。
「君は、何か勘違いをしていないか?」
ことあるごとに、辛辣な言葉を投げてくる。今回もそうだった。
「ギター、曲のアレンジにしろ、ヘアースタイリングも、そしてステージ演出にしろ、すでにプロはいる。じゃぁ、君の存在意義ってそもそも何なんだ?」
また、か。柊さんは、もともと母さんのマネージャーをしていた人だ。ショービジネスに並々ならぬ情熱を抱いている。そんな彼女は、常々、俺のことをCOLORSに相応しくないと、繰り返し言ってきた。
小さく、息をつく。
――存在意義、か。
鼓膜の奥底で音色が揺れる。
ずっと、昔。
母さんに憧れて、ギターを初めて。
みんなと、歌いたくて。
一緒に歌っていたら、いつの間にか注目されるようになった。
でも、求められるのは、もとアイドル――上川小春。
父さんにも、母さんにも憧れていた。
でも、同じようになんかできない。同じを目指した瞬間、まがい物になる。これまで、何度も藻掻いて――その都度、痛感したことだった。
まるで眼鏡の奥底から、俺の弱さを覗き込むように、笑みを溢す。
「3人がボイストレーニングに呼ばれて、自分が呼ばれない理由がわかる?」
みなまで言わなくても、理解できるでしょ? そう彼女は囁く。君は上川小春の息子なんだ。あんまり私をガッカリさせるな?
ほぼゼロ距離で、そんな言葉を投げ放たれて。
思えばこの時、俺は限界を迎えたんだと思う。
気付けば、感情にまかせて俺はギターを叩きつけていた。
「……真冬?」
普段感情を見せない柊さんの眉が上がる。
「……上川小春の子どもとして産まれてきて良かったなんて、一度も思ったことなかった!」
その刹那、柊さんからの平手打ちが飛ぶ。
時間が凍りついたようだった。
頬に灯る熱が、やけに俺を冷静にさせてくれる。
「僕は冬希だ。真冬じゃない」
そう言えば、と今さらながら思い出した。この時まで、俺の一人称は【僕】だった。
「そのふざけた言葉を訂正しなさい。あなたは、小春がアイドルを捨ててまで産んだ――」
「そんなこと、頼んでないから」
今にも掴みかかりそうな柊さんを、紙一重で躱す。端役だったけれど、ミュージカルやドラマに出演してきた。その経験がこんな場所で活かせるとは、自分でも思わなかった。
「理想のCOLORSを追求したら良いと思うんです。でも僕には無理だから」
「そ、それはどういう――」
「そのままの意味ですけど?」
ずっとのしかかっていたモノを降ろすことができた瞬間だった。カバンから封筒を取り出して、柊さんの前に置く。
自筆で、辞表と書いた封筒を。
柊さんが目を丸くしているのが見えた。
本来ならマネージメント事務所の社長は母さんだ。そして、COLORSとはあくまでマネージメント契約を結んでいるだけで、雇用関係にあるワケじゃない。本来ならCOLORSと相談すべきだってことも分かってる。
(でも、もう良いかな)
この時、そう思ってしまったのだ。
「こ、小春は何て――」
「あの人たち、忙しいから。最近、会っていません。だからマネージャーに後は託します」
そう言って、踵を返す。と、入れ違いのように、馴染みの面々、COLORSの3人が顔を見せた。
「今すごい音したけど、冬――?」
蒼司の表情が凍りつく。
「ふー?」
「ふー君?」
朱音、翠の声も届かない。割れたギターの破片を踏み潰して。俺は踵を返した。
三人が、俺の名前を呼んで。そして――。
■■■
蒼司が走ってきて。俺の肩をつかんで。
それから――。
思考はグルグル回る。
思い出したくなかったから、ずっとギターに触れたくなかったのに。
COLORSの音楽も目にしたくなかったのに。
(こんな時に、何やって)
雪姫がやっと文芸部に来られた。そんな大切な日に。
こんなの、自爆じゃんか。
どうして。
なんで。
ぐるぐる、と。
ぐるぐるまわる。
その思考を、溶かしたのは――予想もしていない音色だった。
■■■
――息をしたら、もう雪のように溶けて
――何もかも なくなって
――もう何も残らない
――跡形もないから
――息も忘れるくらい
――もっともっと、君に溺れたいから
――結局、全部 溶けてしまう
――お願い、今だけ息継ぎさせて
雪姫の声に、俺の声が重なる。まるで意識してなかった。無意識に、雪姫の声に声を重ねて。まるで、手と手が触れ合うように。優しく抱きしめ合うように、二人の声が溶けていくのを感じる。
(雪姫?)
見れば、目を開いて――それから心底、嬉しそうに笑う。
みんなも、この音にまるで言葉を失ってしまっていた。
音に呑まれた。
いや、俺自身が驚いている。
特別、上手いワケじゃない。それは俺自身だって。ココ一年、音楽そのものから離れていた。ボイストレーニングどころか、歌唱することも忌避してきたから。
「……ゆっき、歌は上手い方だったけど、コレは何ていうか……」
「下河、ハモりがめちゃくちゃ綺麗じゃんか」
黄島さん、町田が嘆息を漏らす。でも俺自身が一番、驚いている。
声を重ねて。ギターを爪弾くのが、こんなに楽しいって思ったのは、いつ以来だろう?
そして間奏へ。
これが終わったら、最後のワンコーラス。
まだ終わらないで欲しい。この夢のような時間が終わらせたくない。楽しい、本当に楽しい。心底、そう思っている自分がいた。
と、演奏をしている俺の横で、小さく囁く。
「冬君、まだまだ隠し事をしているよね?」
俺は目を丸くする。でも、音楽は――この奏では止まらない。
「ちゃんと、教えてもらうから」
そう雪姫は言う。
「冬君を私は一人にさせないからね」
重ねてそう言う。
「一人で抱えさせないから」
そう続けて。
「私だって、冬君の寂しさや辛さ、一緒に背負いたいから」
真っ直ぐに俺を見る。
「私は、冬君を絶対に一人にしない。だから冬君も、ずっと私の傍にいて。不安で押し潰されそうなくらいなら、私に話して。他の人じゃイヤだ。私じゃなきゃ、絶対にイヤだから」
感情がぐちゃぐちゃに入り混じって。
溢れてしまわないように抑えながら。
そのかわり、音を紡いで。
深呼吸をするように、カッティングする。
(せぇーの!)
まるで、そう掛け声をかけるように。
――息も忘れるくらい
――もっともっと、君に溺れたいから
――結局、全部 溶けてしまう
――お願い、今だけ息継ぎさせて
俺の声が。そいて雪姫の声が一緒に、全部溶けていくようで。
そして、ラストのイントロ。ギターをかき鳴らすのと同時に、みんなの拍手が巻き上がった。
俺がギターを下ろすのと。雪姫に包み込まれるように抱きしめられたのは同時だった。
「ゆ、雪姫。ちょ、ちょっと、待って! あ、当たってる、胸、当たってるから!」
ジタバタする俺なんかお構いなしで、雪姫が俺を抱きしめる。
「セーフかな?」
落としそうになったギターは光が受け取ってくれた。
「ついに、無機物にまでヤキモチを妬くようになったか。もう、いっそ清々しいね」
「恋する乙女に独占欲は不可避ですからね」
瑛麻先輩の言い方はひどいやら、音無先輩は明らかに楽しんでいるやら。俺は穴があったら入りたかった。
「ヤキモチ妬いてないもん! ちょ、ちょっとだけしか!」
雪姫は反論するが、漏れた声につい苦笑が浮かぶ。でも、不安定になった俺の感情は、結局雪姫が全部、拭ってくれた。
強く強く、雪姫に抱きしめられて。
抵抗ができない。なんて自分は弱いんだろうって思う。でも雪姫はその弱さをもっと曝け出せという。全部、肯定してその小さな体で抱きしめられたら――それこそ、溺れてしまいそうだ。
照れ臭い。そして恥ずかしい。そんな感情が湧き上がる。でも暖かい眼差しで、みんなに見守られているのを感じる。
本当に嬉しそうに笑う、雪姫の相貌を見上げる。
雪姫の指が、俺の髪を梳いた。
「雪姫?」
「一人で抱えさせてあげないからね?」
雪姫の唇が、俺の目尻に触れて――溢れた感情、その全てを攫っていく。思わず、息をすることも忘れそうになって。
――結局、全部 溶けてしまう
――お願い、今だけ息継ぎさせて?
もう音楽は終わったのに。それなのに――音色が鼓膜を震わす。君がいないと、息ができないのは。むしろ俺の方だった。




