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85 君(雪ん子ちゃん)は怒る


「停学処分を受けているヤツが、無断で学校に来ているって話を聞いたからさ、ちょっと確認をさせてくれよ?」





■■■





 このたった一言、それだけで俺の感情を沸騰させるのには十分だった。思わず握りしめた拳を抑えたのは――。


(光?)


 光は拳を優しく押し戻す。首を小さく横に振って。もう片方の手がぐっと引かれる。雪姫の温もりを感じて、ようやく俺は冷静になった。


 ――冬希、まずは相手の話を引き出そう? 発言は全部、素材として使わせてもらうからね。ココは文芸部に任せて?

 ――冬君。一人で背負い込んだらダメだからね。一緒に向き合ってくれるんでしょう?

 二人の囁きが俺にブレーキをかけてくれる。


「えっと……そもそも、誰だっけ?」


 俺の質問に彼はあんぐりと大きく口を開け、文芸部の面々は頭を抱える。


「お前、俺を知らねぇの?」

「そうだった、上にゃんってゆっき以外のことには、本当に無頓着なんだった」

「彩音のことも、最初は顔を憶えてなかったもんね」

「同じクラスなのに、あれはひどいと思うよ」

「そういえば彩ちゃん、そうだったもんね。ダメだよ、冬君?」

「はいはい、雪姫はそこで嬉しそうな顔をしないの。余計に腹がたつから」

「瑛真ちゃんは、そこでやさぐれない」

「俺だよ、俺! 野球部の4番! 大田太(だいたふとし)。通称クリーンアップ大田って、俺のことだから!」


 彼は髪を掻き上げるようなモーションで表情をキメる。あまり容姿をどうこう言いたくないが、名は体を現すってこういうことを言うんだなって思う。スポーツ刈りで、無い髪をかきあげられても、とは心の声。


「野球部、去年は甲子園に出場したんだよね。カンパ募るために私らが広報したから、よく憶えているんだけどさ。4番の子がちょっと絵にならなくて。ポスター作る時に本当に苦労したんだよね」


 瑛真先輩がしみじみ言うけど、その4番って大田先輩だよね?


「なんでだよ! 4番だぞ! スラッガーだぞ! 俺のホームランで甲子園に連れて行ったのに、扱いがひどい! なんであの時補欠だった町田がモデルだったのか理解に苦しんだけど、作為的だったの!?」


「だって4番の人、女子を見る目がちょっとキモいというか」

「分かる。今も瑛真ちゃんとゆっきの胸をチラチラ見てるの、ちょっと引くよね」


「ち、違うから! 俺は生徒会から託された要件を処理しようと知っているだけだし。どの子が例の子かって……って。え?」


 ぼーっと雪姫を見やる。大田先輩の目が、男の俺から見ても、下心丸見えと言わんばかりに、鼻がのびていた。あまりの露骨さに、雪姫がまた俺の背中に隠れてしまう。


「……か、かわいい。うちの学校に、こんな子がいたなんて……」

「大田君、元からいたから。その子、下河雪姫さんだからね」

「またまた。長谷川さん、そんなギャグ全然笑えないから。あんな地味っ子、ソコの陰キャがお似合いだよ。こんな可愛い子が下河のワケないじゃん?」


 と太田先輩が指をさすのは、俺だった。期せずして、雪姫との仲を認めてもらったようなモノだが、不快感が滲み出る。

 雪姫はもともと可愛かったのだ。今さら気づいたってもう遅いし、近寄らないで欲しいと思う。


「だいたい、さ。根暗文芸オタクが何をイキってんだ、って話でしょ? 図書室の王子様、無愛想猫。それに図書室で抱かれたい男ランキング第一位? そんなふうに言われてもねぇ、笑わせるじゃん。ちょっと、もてはやされたからって、調子ノリすぎ。文芸部のことだから、自作自演でPRしたんじゃねぇの?」


「大田先輩、そういうトコがダサいんですよね。陽キャとか陰キャとか、人間をその両極で分けられるワケないじゃないですか? あえて仕分けするとしたら、大田先輩は非モテメン。以上です。本当にダサダサです」


 芥川さん、一刀両断だった。


「も、もてるし! 俺がホームランを打ったら、黄色い歓声がわくし! おかしいのお前らの方だから。あとでやっぱり仲良くしてくださいと言われても、もう遅いから――」

「「「絶対に言わない」」」


 綺麗に重なった女性陣が誰なのかは推して知るべし。


「冬希がCOLORSの真冬って知ったら、大田先輩はどんな反応するんだろうね?」


 そんなことでマウント取りたくないから、光もちょっと黙って?

 と、握っていた雪姫の手がすっと離れる。


(雪姫?)


 大田先輩がその目に歓喜の色を灯す。


「やっぱり分かる子は、分かるんだよな。いや、そもそも文芸部のヲタ達は、俺の本質を理解していないってことだし。でも、君はよく分かっているみたいだね? オッケー、良い想いさせてあげるよ。そんなプレゼントなんか目じゃないくらいの、ね。君が何をやらかしたのかは知らないけど、生徒会本部にちゃんと口利きをしてあげるか――ら?」


 雪姫の手がのびて。

 俺の頬を、その両手で添える。


 大田先輩も俺も目をパチクリさせるしかなかった。その雪姫の目の色がどことなく仄暗い。


「一度、冬君としっかりお話をした方が良いって、思っていたの」

「雪姫?」

「あちゃー。ゆっき、完全にスイッチ入ったヤツだね」

「えっと……お、俺じゃないの?」


 大田先輩。正直、あなたにかまっている余裕はない。雪姫のハイライトが消えた双眸を見て――つい唾を飲み込んでしまう。


「雪姫が上川君以外になびくワケないじゃん、調子ノルなっての」


 瑛真先輩の言葉も、雪姫にはまるで届かない。


「冬君が格好良いのは知ってるよ。だってCOLORSの真冬だもん。無愛想猫はともかく、図書室の王子様は納得するよ。見ている人は見ているんだねって思うし」

「いや、俺そんなんじゃないから――」

「でも、図書室で抱かれたい男ランキング1位って、コレはどういうこと?」

「俺も知らな――」

「ヤバ。それ学校のホームページのアクセス数稼ぐため、書いたネタ記事だ……意外に蔓延していたのかっ!」


 芥川さんが掌で口をおさえるのが見えた。犯人、お前かよ!


「火のないところには煙がたたないよ? そういう評価になっているってことは、少なくとも冬君が色々な子に優しさを振りまいているってコトでしょ?」


 俺は全力で首を横に振る。そりゃ光や黄島さんとつるむようになって、色々な人が声をかけてくれた。


 でもそれだって俺がCOLORSの真冬だからじゃない。光や黄島さんを通して――雪姫がコミュニティーに入るきっかけを与えてくれたんだ。


 今までの一年とは、まるで比べものにならなかった。


 雪姫と出会って、その短い時間のなかで。俺は、久々に心の底から笑っている気がする。


 ありのまま。自然体で良いと雪姫が言ってくれたから。


 ――冬君は冬君だよ。

 そう雪姫が言ってくれたから。真冬じゃなくて、冬希を肯定してくれたから。


 こうやってみんながいるのも、自然と笑えるのも全部、雪姫のおかげなんだ。


 その一方で、雪姫は学校での俺は知らない。不確定な情報に惑わされて不安になるのも当然だった。


「――ヤダ、嫌だよ」


 絞り出すような声。その目に感情が滲むのを見て、俺は返すべき言葉が出てこない。


「海崎君や彩ちゃん、瑛真先輩なら、まだガマンできるよ。冬君の目に、私だけ映すなんて無理なの分かってるもん。でも、それ以上はイヤだ。冬君が優しいの分かっているけれど、他の子に笑う姿は見たくない」

「笑わないし、笑えないよ――」


 多分、雪姫がいるから。雪姫がいてくれるから。

 他人に無差別に優しさを振り撒けるほど、俺は器用じゃない。まして雪姫以外の子と、もっと距離を深くしようだなんて、とても思えない。

 俺は雪姫の溢れ出た感情を、指で拭った。


「私、ワガママだって思うけど抑えられないから――」

「不安になったら伝えてねって言ったの俺だから」

「うん、不安。今が不安。冬君が学校でどう過ごしているのか。その笑顔を誰に向けているのかって。気になったら、苦しいの。苦しくて苦しくて仕方がないの。でも、冬君が私をしっかり見てくれているの分かるから。だから冬君の気持ち、私に教えて欲しい。私が不安になるの『バカだな』って、いつものように笑い飛ばして欲しい」


 雪姫はその目を閉じる。

 その体が、心なしか震えていた。


 また、やってしまったんだな、って思う。

 本当に上手くいかない。


 ココに来るまで、どれだけ雪姫が勇気を振り絞ったのか。


 俺は結局、雪姫を不安にさせてしまっている。一番近くで寄り添って、一番近くで支えたいのに。

 そう考えたら、大田先輩のコトバも、周囲の視線もどうでもよくなってしまった。


「光達に助けてもらってるよ。有難いなって思う。でも、一番は雪姫なんだ」

「冬君――」


 今は雪姫の言葉を、唇ごと奪う。


「ふ、ふゆ君? み、みんなが見て、見てる――」

「あのね、雪姫。はっきり言うよ。他の人が何って言っても。誰に言われたって、俺の気持ちは変わらないから。雪姫が好きだよ。好きって言葉じゃ足りないくらい、雪姫のことが大好きだからね」

「あ、う、うん、ん、私も、私も冬君のことが大好き……」

「なに、人を無視してイチャついてんだっ!」


 逆上した大田先輩が吠え、拳を振り上げた。俺はステップを踏む。

 大田先輩が困惑の表情を浮かべた。


 そりゃそだろう。避けるならともかく、前に踏み出したんだから。


 拳が頬に当たるが、たいして痛くもない。だって、懐に入り込んでしまったから。逆に、力は分散され、むしろ先輩が体勢を崩す。


(ごめんね、大田先輩)


 俺、結構短気なんだよね。人の彼女に色目使われて平静でいられるほど、穏和じゃない。

 それにお話をして、理解してくれるとは到底思えない。


(ま、これで正当防衛は成立でしょ)


 意外と冷静に思う自分に内心に苦笑しながら、俺はさらに踏み込んだ。

 俺が拳を振り上げた瞬間――幾筋も風が流れて、俺の髪を揺らしたんだ。





■■■





 いつの間に来ていたんだろう。制服姿の音無先輩が、競技用薙刀を喉元に突きつけていた。俺は目を丸くする。


(なぎなた?)


 俺は何度も目をパチクリとさせた。

 見れば、動いたのは俺だけじゃない。


 俺より一歩前に出るように雪姫が。

 両サイドには、黄島さんと光が。

 そして、大田先輩の後ろには瑛真先輩が、みんな一様に拳を固め構えていた。


「熊さんの空手道場。その門下生が揃っているのに、ケンカを売るんだ? 大田君、本当に良い度胸だよね?」


 瑛真先輩がにぃっと笑うが、その目はまるで笑っていない。

 と薙刀を握る音無先輩が、喉仏をツンツンと突く。


「せっかくの下河さんの歓迎会だから。薙刀部の稽古も生徒会本部のお仕事もそこそこに、急いで駆けつけてきたんですけどね。コレは一体どういうことなのか、説明してもらっても良いですか?」

「いっ――」


 ツンツン。音無先輩は笑顔を絶やさず、再度薙刀で大田先輩の喉元を突く。競技用――竹製とは言え、選手レベルが薙刀を全力で振るえば、どうなるかは想像に難くない。


「なかなか面白いことが聞こえてきましたね。学校が停学処分? 生徒会本部が様子確認を指示?」


「そ、そうだよ! 葦原(あしはら)からそう聞いた!」


「事実無根ですね。生徒会本部から依頼を受けたということですが、それがそもそも有り得ないんですよ。生徒会本部が決起する時は、本部による協議のもと会長・副会長・書記、3役の承認が必要です。しかし本部会議は開催されていません。それはつまり葦原総司君が、勝手に大田太(だいたふとし)君にお願いをしたということになります。その声を受けて今回、大田君は勝手に――それこそ生徒会本部の名を騙って、傍若無人に動いた。そういう解釈になると思いますが、それでよろしいですか?」

「ふ、ふざけ――」


 ツンツン。音無先輩は、薙刀で大田先輩の喉仏周辺をなぞる。


「瑛真ちゃん、記録はとりましたか?」

「そりゃ抜かりなくだよ。私達は文芸部だよ?」

「よろしい」


 音無先輩は満足そうに微笑んだ。光が無言でスマートフォンを操作した。

 若干のノイズの後、確かにクリアに音声が再生される。


『オッケー、良い想いさせてあげるよ。そんなプレゼントなんか目じゃないくらいの、ね。君が何をやらかしたのかは知らないけど、生徒会本部に口利きしてあげる――』


 まさか、そこで切るとは思っていなかっただけに、唖然として光を見る。光はしてやったりと笑顔を見せた。だって、本当ならこの後、大田先輩は雪姫の行動に言葉を失ってしまうのだが、フェードアウトされた編集に、この後も先輩は悪意ある言葉が続くような印象を受ける。


「へ、編集に悪意があるじゃないか!」

「こんなの編集のうちに入らないよ。でも、これを聞いたら、他の人はどう受け取るんでしょうね? 少なくとも、先輩が下河に対して停学をネタに強請っているように、僕には聞こえるかな?」


 光はにっこり笑って、そう答える。


「お、脅すのか? お、俺は野球部のスーパースラッガーだぞ? こ、こんなことをして――」


「大田先輩の発言はどうでも良いんだけどさ。そんなことよりも。ねぇ、大田先輩? 本当に良い覚悟だよね。アップダウンサポーターズを敵に回しちゃうってことでしょう? こちらは、喜んで受けてたつけど?」


 と黄島さんが意地悪く笑む。ん? アップ? 


 と、足音が鳴る。

 たん。たん、と。軽やかに。


「雪姫?」


 こんなことがあっても呼吸は安定している。ひとまず俺は胸を撫で下ろした。


「き、君は俺の味方をしてくれるよね? だって、そうだろ? 俺、野球部のスーパースラッガーだもんな。今年も、チームを甲子園に連れていくから安心して――って、ひっ?!」


 ビクンと先輩は体を震わす。俺からは背中を向けた雪姫しか見えない。


「え? あ、ウソ? 下河……き、君、【雪ん子】な、なのか……?」


 雪姫が拳を構え、少しだけ腰を落とすのが見えた。


「ヤ、ヤメ。やめて! 悪かった! ()()()も、今日も、ごめん! 本当に悪かった! 本当に申し訳ないって思ってる!」

「冬君に手を出した……」


 雪姫がすーっと息を吸い込む。


「いや、それはアイツがむしろ、前に出てきたせいだから! 俺じゃない、俺のせいじゃないから!」


「冬君のプレゼントをバカにした……」


「いや、だって。そんなパソコンもどき、女の子に贈るヤツいるか?! センスのカケラもないじゃんか! 普通はアクセサリーとか、ブランド物のバッグとか――」

「プレゼントをテンプレート化して考えるあたり、本当に救いがないですよ。上川君がどれだけ下河さんのことを考えてプレゼントしたのか、(はた)から見てもよくわかりますよね」


 音無先輩が呆れたようにため息を漏らす。


「あることないことで、私と冬君を掻き回した」

「俺、何もしてないし。SNSの投稿を見ただけだから……お、俺じゃない!」


「ごめんね、先輩。その犯人は私でした……」


 芥川さんの声は誰にも届かない。俺も聞こえない振りに徹――している場合じゃなかった。


「上川君、あの雪姫の目はヤバい!」

「へ……? ゆ、雪姫! お、俺は大丈夫だから!」

「あれは、キレたね。久々に見るよ。【雪ん子】が怒るの」

「ひかちゃん! 呑気に言っている場合じゃないから!」


 俺の声も、みんなの声も雪姫にはまるで届かない。

 再度、雪姫は深く深呼吸をしてみせる。


「冬君との時間を奪った。私にしか見せない冬君の表情を盗んだ。ほんの少しでも、あなたみたいな人に声をかけられたって、冬君に思われるだけで不快。良い想いをさせる? 冬君以外、有り得ないから。冬君が私に呼吸をさせてくれたの。私を幸せにしてくれるのは、冬君しかいないから。何より、冬君を傷つけたあなたを絶対、私は許さない!」





■■■





 雪姫が激昂して、拳を振るそのワンモーション。


 言い得ない音が司書室に巻き上がって――気付けば、倒れた本棚と本の海に埋もれるように、大田先輩が昏倒していたのだった。

 


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