84 頑張る君に送りたい、とっておきのプレゼントとメッセージを
俺は雪姫の隣で、漫然とみんなの自己紹介を聞いていた。
改めましても初めましても、雪姫は真剣に聞いている。俺は、ついその表情に見惚れる。
雪姫は基本的に真面目で、ひたむきなんだ。
――と、雪姫の表情が警戒に染まっていくので、思わず目を丸くした。
「あ、あの、下河先輩。そ、その初めまして……」
ビクビクと声を絞り出したのは、期待の文芸部一年生、芥川さん――芥川媛夏だった。初対面での堂々とした様子は、どこにいってしまったのか。ガチガチに緊張している姿に、つい微笑がこぼれてしまう。
(芥川さん、雪姫のこと好きすぎでしょ)
COLORSの真冬の追っかけと彼女は言う。でも真冬はすでに退場した存在だ。何より小説投稿サイトで雪姫の小説にコメントを寄せている姿を見たら、どれだけ彼女に憧れを感じているのか、イヤでも感じとるというもので――。
と、俺の手の甲をぎゅっと抓られ、思わず顔をしかめてしまう。
「へ?」
見れば、雪姫がすっかりムクれ、ぶすっと頬を膨らませていた。
「え、あ、え? 雪姫?」
「冬君の、そういう無節操に優しいトコはちょっとダメだと思う」
「へ?」
どうやら雪姫は、俺が芥川さんに愛嬌を振りまいたように見えたらしい。俺と今の文芸部――芥川さんとの事前情報を、空君に言いように煽られた。その残滓が、未だ雪姫のなかで燻っていたようだ。
(本当にこの子は――)
可愛い。そんな感情とともに笑みが溢れてしまう。
「冬君?」
「前にも言ったけどね、芥川さんは俺のことを元推しぐらいにしか見てないから。それに今の推しは、雪姫みたいだしね。それなら、俺は芥川さんよりも誰よりも、もっと近いトコで、雪姫を見ていたいかな」
テーブルに肘をついて。掌に顎をのせて、より距離をつめて。雪姫の双眸を覗き込んだ。
「……見ているだけ?」
「傍にいたいし、雪姫と一緒に歩みたいって思ってるよ」
その手をもう一回繋ぎながら、雪姫へ囁く。ほんのちょっとしたことで不安になる。でもその不安のカケラ、一つ一つを受け止めて、その不安ごと溶かしてあげたいって思う。それは他の誰かじゃなくて、俺が良い。そう思ってしまう。
「まったく……上川君も雪姫も、隙があればイチャつくよね!」
「いや先輩、今のは普通に日常会話で――」
「そんな日常会話あってたまるかー!」
瑛真先輩がぷりぷりだったが、怒る理由が分からない。
「あ、あの。ゆっき先輩! それから上川先輩!」
「「え?」」
思わず芥川さんの勢いに、俺と雪姫の困惑の声が重なる。
「真冬は今でも私の推しです。そこは変わってませんから!」
芥川さんの言葉に、雪姫の表情はあからさまに不機嫌になり、目を細める。ハイライトが消えるとはこういうことを言うのか。ごめん雪姫、正直、俺もコワイ。
「ゆっき先輩も私の推しです。でも今、二人揃っているこの瞬間が良いって思いました! だから二人が私の推しです」
「「へ?」」
今、二人とも今日一番、間の抜けた顔をしているんだと思う。
「それに……」
「それに?」
雪姫がさらに警戒して、目を細める。
「真冬のことは大好きですが。私、彼氏いますから! だから、ゆっき先輩にたくさんアドバイスしてあげますからね!」
「へ?」
まさかの芥川さんのカミングアウトに、文芸部が絶叫するまで5秒前。
この直後――。
声にならない声が文芸部に響いたのだった。
■■■
「勝負キメる時はいってくださいね! ゴムのことから勝負下着のことまで、オールコンサルしますから!」
さらに勢いよく、拳を握りしめる芥川さんは――見事に、ハリセンで黄島さんに頭を叩かれていた。
「ゆっきに変な知識を植え付けないで!」
「いやカケヨメの投稿を読んでいたら、ゆっき先輩もだいぶ耳年増――」
再度、黄島さんにハリセンで頭を叩かれる芥川さんだった。
「……なんで、このトンチンカンに彼氏がいるの? ドウシテドウシテドウシテ……」
ぶつぶつと呪文のように呟き、魂が抜けかかっている瑛真先輩。そっとしておくのも優しさかもしれない。
「それと、ゆっき先輩は上川先輩が優しいって言ったじゃないですか? あれ、大きな誤解がありますからね!」
「へ?」
困惑している雪姫を尻目に、芥川さんが取り出したのは――あぁ、なんかゴメンと思った。赤ペンの記入で真っ赤になっていた紙の束。校正原稿だった。
「確かに、誤字脱字の指摘はお願いしましたよ! でも、ココまで容赦ないとか、上川先輩、本当に鬼ですか?!」
「ふ、冬君、これって……?」
「あぁ、あのね。上にゃん、文芸部員として何か協力したいって言うから、ね。読み専門――読み専さんの意見が欲しいってお願いしたら――それが想像以上だった、というワケ」
黄島さんが苦笑しながら言う。それぞれ取り出すのは、やはり真っ赤に染まった校正原稿だった。
「……イヤなら止めるけど?」
みんなの本心はわかっているが、つい意地悪く唇を綻ばせてしまう。
「それでヤメたら、単なる意気地なしでしょ? 冬希が真剣に向き合ったくれたんだから、こっちが逃げ出すわけにはいかないよ」
「むしろ燃えているから、上川君!」
「ちょっとお手柔らかにお願いしたいけどね、上にゃん」
「COLORSの真冬がアレンジやライブ演出に凝っていたのは有名だけど、ココまでとは思っていませんでした。流石、私の推しです。でもむしろ滾ります!」
とそれぞれがむしろ気合を入れ直すから、つい苦笑が浮かぶ。でも芥川さん、君は俺を上げたいのか下げたいのか、どっちなのさ――と、見れば、雪姫が不満そうに、ぶすっと頬を膨らませていた。
「え、ゆ、雪姫?」
「それは冬君が、文芸部の編集スタッフって位置づけ?」
「まぁ、そうなるよね」
不穏な空気を感じたのか、瑛真先輩がコクコクと頷く。
「……みんなの作品が一番だったんだ」
ぶすっとさらに不機嫌になって視線を逸らすから――俺はその頬に触れる。分かりやすいな、って思う。そんな雪姫を見て、みんなは目を丸くしている。
ワルガキ団のクールなお姉さん。それがみんなの持っている【雪ん子】のイメージ。それは今までも散々聞いてきた。
でも違うんだよね。
ちょっと甘えるのが下手で。
つい自分よりも、誰かを優先にする。
結局、自分のことは後回しにしてしまって。雪姫はそんな子だって、この短い時間を共有するなかで、イヤというほど感じていた。
「冬君?」
「一番先に読んだのは、雪姫の作品だったからね。そもそも雪姫がいなかったら、文芸部に入ろうって、思わなかったよ?」
「あ……そ、それは……」
「だから、そんな顔しないの」
「だって、だって――」
みなまで言わなくても分かっている。雪姫は、俺の前で本音を飲み込むことをヤメたんだ。見る人から見れば幼い感情と思うかもしれない。でも俺にとっては、雪姫が自分の気持ちをごまかさず、真っ直ぐに向けてくれることを意味する。
それが何より嬉しい、と思ってしまうのだ。
だから俺は自然と、雪姫の髪を手で梳いていた。
「冬君……ご、ごまかされないから!」
「ごまかしてないよ? すねている雪姫を見て、可愛いって思っているけどね」
「冬君、こういうタイミングで、そういうこと言うのズル――」
「でも俺、物書きさんの気持ちは分からないから、配慮も妥協もしてあげられないからね?」
「妥協されるのはヤダ。それに冬君はCOLORSの真冬だから、作り手の苦しみは熟知したうえで、手を抜かないんでしょ? それなら、むしろ望むところだよ?」
雪姫の前向きな視線に嬉しくなる。誰かと何かを作り上げる。もうそんなことはできないと思っていただけに、頬が緩むのを止められそうになかった。
(全部、諦めたのにな――)
とん、と。俺は雪姫の前に包を置く。
「え? 冬君?」
雪姫は目をパチクリさせる。
「本当はね、今日の部活が全部終わってから渡そうと思ったんだけど。雪姫があまりにも俺を喜ばせるから、ちょっとガマンできなくなっちゃった。雪姫に、頑張っているねって言いたかったのに。俺もその輪のなかに入れてくれるんだ、って思ったらさ」
「……もぅ、そんなの当たり前だよ」
雪姫の指が、俺の指先に絡んで。冬君と色々な景色を一緒に見たいから。そう雪姫が囁く。どんな場所でも。自分の知らない景色だって。冬君が一緒なら、怖くないって、今ならそう思えるんだよ?
でも――誰にも譲らないからね? この手は絶対、離さないから。雪姫が熱い眼差しでそんなことを言うから、ますます胸が熱い。
「だからイチャつくなって意味――」
「瑛真ちゃん、無理だって。ゆっきはああなったら、周りが見えなくなっちゃうからね」
瑛真先輩と黄島さんが何やら呆れていた気がしたが、雪姫のことばかり見ていた俺はつい聞き逃してしまう。
「開けても良いの?」
「もちろん。頑張っている雪姫へのプレゼントだから」
その指が離れる。でも、その間も離れたくないと言わんばかりに、雪姫がすり寄る。まるで猫のようだと思う。雪姫が不安にならないように、近い距離を俺からなお埋めていく。ただ、それだけで安堵したように笑顔を零す――その表情が、途端に目を丸くさせる。
「冬君、これって……」
白いプラスチック製の板が、雪姫の手のひらにあった。
「そこのスイッチを押してみて」
「う、うん……」
「ねぇ、ひかちゃん、あれって? え?」
「彩音の予想で合ってるよ。冬希から相談は受けていたんだけどね」
「もしかして【メモ太】の限定COLORSモデル?」
「そういうこと」
光がニンマリと笑む。雪姫は訳が分からず、困惑の表情を浮かべていた。スイッチに指をかけた瞬間、画面が立ち上がり。観音開きのように、キーボードが開いた。
「へ……?」
雪姫はワケが分からなくなって、俺の顔を見た。
――ポケットノートライター【メモ太】
文房具メーカーが開発した、携帯型ワープロ専用機だ。文章しか書けない。だから逆に、物書き作業に集中できる。物書きさん憧れのアイテムとして、密かに人気がある一品だった。
でも、このモデルはスマートフォンと連携して、小説投稿サイトにアップロードができる仕様になっている。通常は黒モデルしかないが、COLORSとコラボしたこのメモ太は、限定品だ。COLORSのファンクラブ特典として、期間限定で購入ができた。もちろん、今や廃番である。
「え、ウソ……? え?」
「一応、これはメーカーの試作品で、俺が無料でもらったヤツなんだけどね。以前はこれで歌詞とかライブの構想とか書いていたんだけど、もう使ってないから。俺のお下がりで、ごめんって思うけど、良かったら使ってくれない?」
雪姫がコクコク頷く。でも、その視線の先は電源がついたディスプレイに釘付けになっていた。
――常に雪姫の一番でいたいって思うから。小説を書く瞬間も、頭の片隅で良いから俺のことを考えて欲しいって思っちゃうんだ。ワガママでごめんね。でも、雪姫を好きって感情が、止まらないから。誤魔化さずに伝えます。雪姫、大好きだよ。
事前にメッセージを入力しておいたのだ。雪姫がこのメッセージを独占したいと思ったのか、慌てて電源を消そうとする。でもこの【メモ太】は、電子ペーパーディスプレイを採用している。ページの切り替えの時だけ電力を消費するので、バッテリーのもちが良いのだ。電子ペーパーディスプレイの特徴の一つに、更新しない状態では、文字が残る。そして俺は今だけ、自動更新の機能をオフにしていた。
案の定、電源を消しても、ディスプレイ上には、俺のメッセージがそのまま残っている。
「ふ、ふ、冬君……」
「文字じゃなくて、声に――言葉にしたら良いかな?」
そう俺が言葉にした瞬間だった。感情を抑えきれなくなった雪姫が、俺の胸に飛び込んでくる。その声もその言葉も、全部、独占したい。誰にも渡さない。そう言いた気で。でも――独占したいのは、むしろ俺の方だ。
「だからイチャつくなって意味――」
「瑛真ちゃん、もう諦めようね。上にゃんとゆっき、止めようと思うだけ無理だと思うよ」
「でも見ていたら胸焼けだよね。想定内だけどさ」
「真冬モデルの【メモ太】に世界でたった一つのメッセージ、おまけに真冬とスキンシップとか羨ましいしかない……」
みんなの声が霞んでしまうくらいに。俺の全部が雪姫で満たされていく――その刹那だった。
コンコン。
司書室のドアをノックする音で、一気に現実に引き戻されてしまう。
「悪い、文芸部。生徒会から依頼を受けて来たんだけど、ちょっと良いか?」
許可も待たずに、ソイツは司書室のなかへ乱入してきた。ビクンと雪姫の体が震え、その呼吸が浅くなるのを感じた。無意識に、俺は雪姫の手を握り直す。大丈夫だから、とそう囁いて俺は立つ。雪姫をその背中で庇うように。
そんな雪姫の呼吸の変化もお構いなしに、アイツは無遠慮に言葉を投げつけてきたのだった。
「停学処分を受けているヤツが、無断で学校に来ているって話を聞いたからさ、ちょっと確認をさせてくれよ?」
 




