82 彼と私でクソガキ団
この道を何度通っただろう。私は、冬君の手の温もりを感じながら、そんなことを思った。
小学校も中学校も、そして高校――登校できていた期間も。それから冬君と一緒にリハビリする間も。何度も何度も通った道なのに。今日歩く、この道が、こんなに色彩が豊かに、光が眩しいって思えるのはどうしてなんだろう? 空気は澄み渡って。淡い花の香が嗅覚を優しく撫でてくれる。肺いっぱいに、空気を吸い込んだ。不思議と今、呼吸は苦しくない。
冬君がいてくれるから――それは自分でも分かっている。自分だけで歩み出してみようと思ったことも一度や二度じゃない。
実際に踏み出してみた。その途端、どうやって呼吸をして良いか分からなくなってしまう。慌てて、冬君からもらったストラップを握りしめると、ほんの少しだけ呼吸が落ち着く。冬君の存在を感じたら、こうやって外を歩くことができるのに。当たり前に呼吸をすることができるのに。
(悔しいなぁ……)
でも今は仕方がない。そう気持ちを切り替える。
だけど、頼りっぱなしでいるつもりはない。一方的に支えられるだけじゃイヤだって、思ってしまう。私だって冬君を支えたいから。だから、一歩。この一歩が大切なんだと歩みを進めていく。
爽やかな風が吹く。私の背中を押す。
梢が優しく揺れる。焦らなくて良いと、肯定してくれているようで。どこからか、猫の鳴き声がする。冬君と一緒に寄り添ってもらっている――そう思った刹那だった。
囁きが聞こえる。何人か。多分、同じ学校の生徒がいたように思う。囁く。小声で。
きっと私には聞こえていない、とあの人達は思っている。
――上川君と一緒に歩いている子、誰?
――めちゃくちゃ、可愛くない?
――あれ、上川って下河さんと付き合ったって聞いたけど?
――じゃあ、あの子は誰?
――もう、下河さんと別れたの?
――それなら、さっさと上川君に告白すればよかった!
――いや、ムリしょ? だって図書室の王子様よ? 相手にもされないって!
――手を繋いでいるイコール付き合っているじゃないかもしれないじゃん?
気付けば私は衝動的に、手は握ったまま冬君の腕に抱きついていた。
今までの私だったら……。
こんな言葉や視線に晒されたら、静かに本音を飲み込んでいたように思う。でも、今の私はもう――無理なんだ。
だって私は知ってしまったから。冬君の優しさも暖かさも。一緒に歩める喜びも。一方的に支えてもらうだけじゃなくて、私から贈ることの喜びも知ってしまったから。冬君は弱い私も欲張りな私も全部、受け止めてくれたから。
だから――譲らない。渡さない。この隣は誰にも譲らない。そう思い始めると、今の幸せがシャボン玉のように弾けていきそうで怖くなる。そのまま冬君の手が離れて、消えてしまいそうで怯えてしまう。不安が汚泥のようにまとわりついて、呼吸が浅くなる。
どうやって、さっきまで息をしていたのか、分からなくなって、私は口をパクパクさせて――。
くいっ、くいっ。
冬君が私の手を2回握り直した。
――大丈夫だよ。
冬君がクスリと笑みを零す。気付けば、校門をとうにくぐり抜けて、生徒用玄関の前まで来ていた。部活で来ている他の子の視線を感じる。私の知った顔が何人もいた。
「上川?」
「ん? 町田?」
冬君が声の方へと振り向く。3人、野球部の男子が私達を見ていた。3人とも、小学校から知っている人達。そのうちの一人は、小学校時代のムードーメーカー、"町コン"のニックネームと残念アイドルの異名を持つ町田君だった。
「だ、誰だよ、その可愛い子……?」
町田君は、緊張して、声が上ずっていた。
面食らって声が出ないのは私も同様で。冬君以外の人に、そんな言葉をかけてもらえるなんて――まして、町田君はクソガキ団の【雪ん子】を女の子扱いしてくれたことなんか、これまで一回もなかったのだ。
だから――。
この反応が予想外すぎて、やっぱりどう反応していいか分からない。
でも、冬君はそんな私達の反応をよそに、町田君に向けて微笑を崩さな――あれ? 心なしか冬君が不機嫌だった。笑顔はそのままに。
(冬君が怒ってる?)
不快というほどじゃない。でも棘が刺さったような、その僅かな変化に、私は思わず首をかしげてしまう。
「上川、お前、下河と付き合っているって話だったじゃんか」
「うん、そうだよ。何回も話したよね?」
学校で、私達の関係を話してくれていたんだ。そう思うだけで、頬が熱くなる。何より、冬君が言い切ってくれた。その一言が嬉しい。
「じゃぁ、その子は誰なんだよ! お前、二股とか、最低だろ!」
「二股とか意味分からないし。他の子なんか興味ないよ。俺が好きなのは、雪姫一人だけだから」
「だったら、その子は遊びってか? なお最低じゃんか!」
町田君が激昂するのを私は目を点にして見ることしかできなかった。
「だから、この子が雪姫だって」
「は? お前がそんなヤツだと思わなかったよ! 言い訳にもなってねぇから! 上川、お前、本当に最低だな?」
「だから、雪姫なんだって」
「だから、お前! いい加減にしないと、本当にぶん殴るぞ――」
「あ、あの町田君!」
ようやく私は声を出すことができた。
「へ?」
町田君が呆けた表情になっていた。こういうのを狐につままれる、って言うのかもしれない。別に化かしたつもりないけれど。
でも、冬君に髪を切ってもらって、化けたのは事実かもしれない。今までファッションに興味なかった私だ。町田君の反応も仕方ないと思うし――もっと可愛くなって、冬君の視線を独占したい。そう思っている私がいるのだ。
うん、やっぱりこの変化は、町田君達の視点で見たら、狐につままれるレベルかもしれない。かつての【雪ん子】じゃ有り得ない発想だった。淡白で、恋愛に興味も示さないのが、かつての雪姫だったから。
こんな私に冬君はいつも囁いてくれる。
――雪姫は最初から可愛かったよ。
そんなことを真っ直ぐに言われたら、頬が自然と緩んでしまうのも、仕方がないって思う。
だから――冬君が傍にいるから。手に温もりを感じるから。その存在を感じられるから、私は踏み出す勇気をもてる。
「そ、その久しぶり? 憶えているかな? あ、あの下河雪姫です」
小さく深呼吸をして。それからペコリとお辞儀をしてみせた。
喧騒がピタリと静まる。
それこそ、まるで波が引いたように。
「え?」
きょとんと、私は首を傾げる。
「「「「「「「ええええええええっ!!?????」」」」」」
大絶叫がグラウンドに響き渡ったのだった。
■■■
みんながパニックになっているのを尻目に、冬君が私の手を引いて、走り出す。えっと? 私はどうしたら良いか分からない。ただ、冬君に引かれるままに、走り出した。
見れば、冬君が町田君に舌を出して「アッカンベー」のポーズ。笑う冬君がまるで子どもみたい、って思う。
息があがる。
呼吸が早い。
でも、苦しくない。
胸がドキドキする。
――廊下は走るな。
そんな張り紙が見えたけど、それすら無視して走る。冬君が手を離さないと言わんばかりに、指と指を絡める。すれ違う人の間を抜けて。時に歩いていたカップルの脇をぶつからないようにターンしながら。でも、絶対に冬君は私の手を離さない。私も絶対に冬君の手を離さない。
絶賛イタズラ中――そんな顔を二人で浮かべていたように思う。ぎゅっと、手を握りしめる。離さない、絶対にこの手は離してあげないから。私は、心の中で冬君にそう囁いたんだ。
■■■
階段の踊り場で、二人揃ってしゃがみこむ。
全力疾走で、階段を駆け上がったり、廊下を走り回ったりしたから、流石に呼吸が促迫する。それに冬君とリハビリを重ねていたとはいえ、運動不足が如実にあらわれている気がした。それなのに、やけに気持ちが高揚して、妙におかしくて。自然と二人で視線が交わり、笑いが溢れていく。
「へへっ。これで俺もクソガキ団?」
「残念。クソガキ団でも廊下は走らなかったよ」
クスクス笑う。それに、歩いている人にもイタズラはしなかったよ? そう付け足してあげる。二人でますます笑いが膨れ上がっていく。
「それじゃ、俺と雪姫で【超クソガキ団】だ」
「それは、ちょっとかっこ悪い? そもそもクソガキ団は大人が勝手につけたんだから。私達が名乗っていたワケじゃないからね!」
ところどころ、息継ぎをしながら。そんなバカなことを言い合って。ゼェゼェハァハァ、浅い呼吸を繰り返しながら、ようやく心臓の鼓動が落ち着いてきた、そう思った刹那――。
冬君が私を引き寄せた。
私は目を白黒させる。
でも、吸い込まれるように、その胸に顔を埋めてしまう。普段は私が甘えてばかりだから。こうやって冬君に求められたら、拒絶できるはずがなかった。嬉しくて、つい唇が綻んでしまうのを自覚する。
「ふ、冬君、私きっと汗臭いから――」
それは私のささやかな抵抗だった。
「ムリ」
ぎゅっと強く抱きしめられた。折角落ち着いた心音が、また跳ね上がる。
「ふゆ君?」
「ごめん今、絶賛ヤキモチ中。だから、ちょっと離してあげられない」
「途中、町田君に怒っていたように見えたの……あれって、冬君のヤキモチ?」
私がそう言うと、冬君の頬がカァッと朱色に染まる。
「だって……。心が狭いって思うかもしれないけどさ、町田の一言でさ、雪姫が照れているのを見たら……なんか、モヤモヤしたんだ。今まで、その表情も笑顔も声だって、何もかも。俺が独占していたのに。悔しいって思っちゃって。雪姫は最初から可愛かったよ…… でも今さら気付いても、もう遅いから」
「もぅ、またそういうことを言う」
私は冬君の頬に両手で触れる。冬君はいつもストレートにそんなことを言うから、心臓に悪い。付き合って。彼女になって。キスだってした。それなのに、冬君と過ごす毎日は、常に新しい体験ばかり。私はいつもドキドキしてしまう。
「あのね、冬君。恥ずかしくて照れるのと、大好きな人に気持ちをこめてもらうのじゃ、大きく意味が違うからね」
「それは、そうかもしれないけど……。言ってみたら幼馴染でしょ、町田も。俺はそこに入り込め――」
「私は今、冬君と過ごす時間が一番大切なんだけどね」
「ん……。それは……」
「大好きだよ、冬君。私をココまで連れ出しの、冬君だから。冬君がこの手を取ったんだからね。簡単には離してあげないから。ん、ダメだね――絶対に離してあげない。冬君の隣、絶対譲らないもん」
「う、うん」
「安心した?」
ニッコリ笑って、冬君の目を覗く。その目が私だけを見てくれているのを実感する。むしろ私の方が安心していた。好きだなぁ、って思う。本当にこのヒトのことが好き。好きって言葉、その一言じゃ全然足りなくいらい、冬君のことが好きなんだ。どうしたら、この気持ちの全部、冬君に伝えることができるんだろう? 伝えたい。もっと伝えたい。他の人が誰だって入り込めないくらい、冬君を独占したい。
コクコク頷く冬君を、私は抱きしめた。いつもされるように、今日は冬君の髪を手櫛で梳いて。それから、冬君の頬に――。
「……まだ、かかりそう? ゆっき?」
予想外の声が真上から飛んで来て、私達は固まった。
上の階から、ニヤニヤと見下ろす彩ちゃん。それから、真っ赤になって目をそらす海崎君が視界に飛び込んできて――私は硬直するしかなかった。
■■■
「い、いつからソコで、み、見ていたの?」
聞くだけムダで分かっているけど、つい言葉にしてしまう。
「冬希が『これで俺もクソガキ団』って言ったあたりから、かな?」
クスッと海崎君は笑う。やっぱり聞かなきゃ良かった!
終始、見守られていたことを知り、私も冬君も顔を真っ赤に染めて俯くしかない。
「グランドがやけに賑やかだったから、もしかしてと思ったら。ビンゴだったワケですよ」
「うぅ……」
もう反論の余地もなかった。冬君のことになると、どうも私は周りが見えなくなってしまう。反省はするけど、でも仕方がないと開き直っていた。だって私には、冬君が必要だから。冬君がいないと呼吸ができないから。私はその点に関して、一切妥協しようと思わない。
誤魔化さない、飲み込まない。自分に嘘をつかない。せめて冬君の前では素直でいたいって決めたから。
「まぁ、ゆっきが甘えにゃんこなのは、承知済みだから今さらだよ?」
「あ、あ、甘えにゃんこなんかじゃないもん!」
「あのね【雪ん子】は、上にゃんにすっかり溶かされてしまったからね? ……上にゃん、ゆっきにダダ甘だからね? 永久凍土が一級糖度だから! 温暖化現象も真っ青だよ?」
「そこまでじゃないよ! た、多分――」
否定しきれない。
自分がどれだけ冬君に甘えていて、冬君が無条件に私を甘やかしてくれる。その実感があるから。
「でも、上にゃんもゆっきに、あそこまでアマアマだったとは、ね」
「甘やかしプレイの世界って、本当にあるんだって今日、学んだよ」
「ひ、光! ち、違うから――」
冬君が反論するけれど、モゴモゴそれ以上、言葉にならない。
「海崎君、あまり冷やかさないでね? 冬君は照れ屋だから。素直になった冬君って,本当に可愛いんだから。冬君のそんな顔が見られなくなったら、ちょっと寂しいからね」
「あ、えぇ、うん?」
「……」
「ダメだね、こりゃ」
彩ちゃんの乾いた笑い声。海崎君の苦笑が溶け合って。冬君は沸騰しそうなくらい、真っ赤になっていた。
え? 素直に自分の気持ちを伝えただけだけど――私、悪くないよね?
私は冬君の手を改めて握る。冬君が握り返してくれる。
文芸部まで、階段をあと10段ほど上がったら。もう少し、あと少しだけ、歩けば――。
あと、ちょっと。もうちょっと。
でも、その前に。
彩ちゃんと海崎君が、視線をそらした一瞬を私は見逃さない。
「雪姫?」
私は冬君の頬に、この唇で触れた。
だって好きだから。誰よりも、冬君のことが好きだから。好きって言葉じゃ、伝えきれないくらい。やっぱり、私は冬君のことが大好きだから。
絶対に、誰にだって――この隣は譲ってあげない。
【サポーターズ専用SNSが立ち上がりました!】
サポーターズOさん「遅刻しますよ?」
サポーターズMさん「BOSSをまず攻略しなきゃ!」
サポーターズKさん「学校着くまでこの調子でいちゃつき続けてそう」
サポーターズRさん「本筋はここから。がんばれ!」
サポーターズ猫代表「まぁ、そうなるよな。知っていた」
サポーターズ猫2 猫3「「ゆっきちゃん、かわいー!」」
サポーターズ副代表「ゆっきがキス魔疑惑……見えてるから、見ちゃったから」
サポーターズH君「親友が幼馴染にバブみを感じていた件について……」
※一部、コメントから引用させていただきました。(Twitter含む)
コメントでのサポーターズ活動、随時募集中です(小声)
※本アプリは猫語翻訳サービス「第にゃん話?」を搭載しています。




