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81 君と一緒に始まりのドアを開ける



 不思議な感覚だった。朝、リハビリと称して雪姫と一緒に過ごす。そこまではいつも通り。でも、そこからいったんアパートに戻って、制服に着替える。


 ――制服を家に持ってきたら良かったのに。


 ぶすっと頬をふくらました雪姫を思い出して、苦笑する。でも、そこまで甘えるワケにはいかないと思ってしまう。そんなことをしたら、新婚夫婦か同棲カップルのようだ。大地さんの複雑な視線を感じれば、なおさらそう思ってしまう。


 だから甘えすぎちゃいけないと、思ってしまう。下河家はそれだけ居心地が良いのだ。自分が体験することが少なかった一家団欒。その一員として一緒に居られる喜びを感じてしまう。目を閉じれば、つい先程までのやり取りを自然に思い出してしまって、胸が熱くなる。




「今回は、一緒に登校する喜びをゼロから感じたいってヤツと思って、妥協するけど、次からは遠慮は”メッ”よ?」


 春香さんは、俺の鼻頭を指でちょんと弾く。見れば、不満そうな雪姫の頬が、さらに膨らんでいた。


「なんで、お母さんが冬君とイチャイチャするの! 冬君は私だけの冬君なの!」

「独占欲を通り越した所有欲は、浅ましくて愛想つかされちゃうわよ? こんな小娘より、私がちゃんと冬希を愛してあげた方がいいかもねぇ」

「何でお母さんが呼び捨てするの?!」

「息子として呼んだつもりだけど? もちろん雪姫から私に乗り換えてもいいけどねー」


 明らかにからかわれているのに、雪姫はムキになってキャーキャーワーワー言葉にならない言葉を、春香さんに投げつける。


 大地さんはそんな二人のやりとりを見て、俺も含めて見やりながら柔和に微笑む。クイクイと、空君が俺の袖を引っ張った。


「やかましいのはさておいて、でも母ちゃんの言う通りだからね」

「へ?」

「遠慮は無用。俺は冬希兄ちゃんのことを実の兄ちゃんだと思っているし、家族だって本当に思っているから」

「うん」


 俺が大きく頷いた瞬間――雪姫が俺に抱きついてくる。

 きっと春香さんに煽られ過ぎた結果で。空君と俺の会話を聞いていたワケではないと思うのだが、つい苦笑が漏れてしまう。


 不安というよりは素直。嫉妬というよりは、純粋に甘えたい。最近の雪姫は、自分の感情に率直だった。だったら、俺がすべきことはたった一つしかない。迷わず、そっと抱きしめて、雪姫の髪をこの手で梳く。


 だた、それだけなのに。


 相好を崩して。雪姫がこれでもかというくらい、笑顔を零すから――俺まで、つられて笑顔になって。二人の笑顔が、さらにみんなに伝染していく。


「あ、あのさ? 一応、聞くんだけど、ね?」

「なに、大地さん?」

「父ちゃん?」

「お父さん?」


 下川家が目をパチクリさせる。


「俺、義理の息子に、妻をNTR(ネトラレ)た?」


 一瞬の沈黙。俺は小さくため息をついた。それぞれの感情が爆発するまで、カウント3秒前。


「……大地さん、バカなの?!」

「父ちゃん、頭は確か?!」

「ま、まだ義理の息子じゃないからね! 勝手に冬君を独り占めしないで!」


 反応は、人それぞれ。俺はそんな喧騒を心地よくて、やっぱり苦笑が漏れてしまった。





 目を開ける。

 たったこれだけのやりとりなのに、つい笑みが溢れてしまうのは、本当に自分が幸せ者だって実感をするから。すでにルルは外出している。いつもなら、取り残されたように一人ぼっち――孤独感に苛まれるのに。


 ココ最近、ずっと胸が暖かいのは雪姫の――それから下河家のおかげだって思う。

 昨日の夜ラッピングしたプレゼントをカバンのなかに丁寧に入れる。指で触れて、もう一度、確認をした



(――大丈夫)

 ずっとプレゼントをしたいと思っていた。きっと雪姫なら今のストラップだけで十分と言うかもしれない。高価な品物より、気持ちだの方が重要だと光にも言われた。


 ――でも、確かにソレなら、下河は喜ぶと思うよ。


 そう光に太鼓判を押された。電話の向こうでクスクス微笑まれていたことを思い出しながら。


 パン!

 頬を叩く。

 気合を入れる。


 今日という日を迎えるために、雪姫がどれだけ勇気を振り絞ったのか。どれほどリハビリを頑張ってきたのか。雪姫の姿を目の当たりにしてきたのは俺だ。

 だったら、俺にできることはサポートすることだけだ。


(アップできるようにサポート、ダウンしてもフォロー、か。良いフレーズだよね)


 どこかで聞いた。どこで聞いたのかも忘れかけているけれど。自分でもそう呟いて、それからドアを開けて、外に出る。


 始まりのドアを開ける。

 雪姫と一緒に、手と手を重ねて一緒に開ける感覚で。

 5月の陽射しは、もう痛いくらいに眩しかった。





■■■





「ど、どうかな?」


 はにかむ雪姫の笑顔に、俺は思わずスクールバッグを落としてしまった。

 雪姫と一緒に登校する姿を何度も夢見てきた。


 昨日、同じ高校の生徒につい目を奪われてしまったのも、同じ。結局は雪姫のことを最優先に見てしまう。結局、彼女を不安にしてしまったけれど。


 どれだけ雪姫のことを最優先に考えているのだろうか。ついそう思ってしまう。雪姫の隣が居心が良くて。こんなにも愛しくて。あの子に依存しているのは、むしろ俺の方なのに。


「冬君……どう?」


 不安そうに顔をあげる雪姫を見て、ようやくはっと我に返る。


「あ、その、雪姫、あのね……」

「うん?」

「とっても可愛いくて――」


 それだけ何とか言葉にして絞り出すけれど、あとは言葉にならない。顔が熱い。ブルーのリボンタイもチェックのプリーツスカートも、ずっと脳内で想い描いていたのに。目の前の雪姫は、想像していた以上に可愛いくて、目が離せない。


「えっと……冬君? そんなに見られたら恥ずかしいと言うか。あの照れちゃう、から。ね? それに制服姿が似合っているのは冬君だから、ね。私いつもドキドキしていたんだから」


 すっと雪姫が俺の首元に手をのばす。制服のネクタイをシュッと締め直した。


「雪姫?」

「首元が緩いと、ちょっと色っぽいから。そういう冬君は、他の子にちょっと見せたくないかな……」

「あ、いや、そんなことは――」

「あるよ。でも、誰が羨ましがっても、この隣は絶対に譲らないけどね」


 ペロッと舌を出す姿は、まるで小悪魔のようで。さも自然に俺の手を握ってくる。指と指を絡めて、絶対に離さない――そう雪姫が言ってくれているのが分かって、また胸が暖かくなる。


「あのさ、雪姫?」

「なに?」

「写真を撮っても良い?」

「え? で、でも、そ、そんな恥ずかしいよっ」


 雪姫は顔を反らす。でも、その手は離そうとしない。


「いろいろな雪姫を見たいって思っていたんだけど。記憶に収めるだけじゃ物足りなくて。ずっと残したいって思っちゃったんだよね。ダメかな?」

「だ、ダメじゃないけど、その恥ずかしいって言うか……でも、私も今の冬君の写真が、ほ、欲しいっ……!」

「え? 雪姫は俺の写真を持って――」


 ルルとのツーショットを以前送ったはずと逡巡していると、必死な雪姫の言葉に打ち消されてしまった。


「い、今の冬君の写真が欲しい。どんな表情だって、いつだって私が独り占めしたいもんっ」


 雪姫にそう言われて、苦笑が溢れる。結局、二人が思っていることは一緒だったらしい。

 と、俺達の後ろから、盛大なため息が漏れた。


「あのさ、ココ、下河家の玄関だって分かっている?」

「私的には、もっとやれだけど?」

「いや、春香さん、そこは少し自重しろって言うべきじゃ?」

「どうせならお兄さんとお姉さんで、ツーショットを撮りましょう!」

 下河家の面々にプラスして、遊びに来ていた天音さんにまで見守られていたことに、今さらながら気付いたのだった。





■■■





 下河家の前で、二人並んで写真を撮る。まるで高校の入学式のようですらある。


 カシャ、カシャ、カシャ、カシャ。


 それぞれのスマートフォンで撮影会となってしまった。シャッター音の雨にまるで、いつぞや体験した取材会見のようで、苦笑が漏れてしまう。大地さんにいたっては、わざわざ一眼レフを手に撮影してくれている。


 この間、雪姫はその手を絶対に離そうとしない。ただ上目遣いで俺のことを見続けて。その表情が本当に嬉しそうに笑っていた。

 と視線を向ければ、大地さんは半泣きの状態なことに気付く。


「大地さん?」

「お父さん?」

「父ちゃん?」

「お義父さん?」

「大地さん?」


 俺も意外で、思わず目を丸くした。


「な、なんでも、にゃ、い――」


 嗚咽をこらえるのに必死で、言葉にすらなってなかった。とてもスルーできそうにない。俺は、大地さんを手招きした。


「今度は俺が大地さんと雪姫を撮りますよ?」


 ちょっとだけごめんね、そう雪姫に囁く。雪姫は小さく頷いた。

 ――私から目を離さないでね。


 そう雪姫が耳元で言葉を返す。ちょっとだけ、呼吸が浅くなるのを感じた。だから、言葉で返す。絶対に目を離さないし、離れないから。


 ただ、それだけ。たったそれだけなのに、雪姫は破顔する。咲くような笑顔を浮かべて。


「いや、でも、あの――」


 まごつく大地さんの手を、しっかり雪姫は握った。


「ありがとう、お父さん」


 そうにっこり笑って。大地さんの涙腺が崩壊するのも一瞬だった。


「が、頑張ったのは雪姫だか、ら。それに冬希君がいたから、彼がいてくれたから――」

「うん。本当に冬君には感謝している。でも同じように、お父さんとお母さんが。空がいてくれたから――家族がいてくれたから、今日まで頑張れたの。だから本当にありがとう」

「う、うん。うん」


 大地さんは、頷く。何度も頷いて。感情を零して。


「次は春香さんと空君も。天音さんも入る?」

「い、いや。兄ちゃん、俺が撮るから。俺は良いから――」

「お兄さん。どうせなら皆で撮りません? 私、自撮り棒持っているんですよー」


 空君の言葉を掻き消すように、天音さんがポシェットから、自撮り棒を取り出した。天音さん、本当にナイスだ。


 雪姫は大地さんの手を握りながら、俺の手も求める。もう離さない、そう言わんばかりに指と指が絡む。

 と、大地さんの腕に春香さんが抱きついた。


「は、春香さん?」

「泣き虫大地さんは、私が隣にいないとね」


 ニッコリ笑って、そう言う。


「つ、翼、近い、近いから!」


 あっちはあっちで、大混乱中。それで躊躇するような天音さんじゃない。


「だって、くっつかないと撮れないよ?」

「入っているから、ちゃんと画面にみんな入っているじゃん!?」

「ブレないように、空君も自撮り棒、一緒に持ってね」


 と天音さんは、空君の手に自分の手を重ねた。本当に妥協するつもりゼロらしい。横目で見ても、空君が耳朶(じだ)まで真っ赤だった。


「それじゃ、いきますよー!」


 と天音さんの掛け声が、元気が良くて気持ちが良い。


1+1=(いちたすいちは)?」


 定番(ベタ)な掛け声だった。みんなが呼吸を合わせて


「「「「「にぃっー!」」」」」


 と声が重なる。ただ、違う音も重なった。


chu(チュッ)


 頬に暖かい溫度が、触れる。ゼロ距離で、雪姫の唇が俺の頬に触れていた。

 まるで時間が止まるように。全身が沸騰するような感覚を覚えて。

 カシャッ――。

 シャッターはすでに切られていた。





■■■





 だって、と。

 【雪ん子】モードの雪姫はニコニコ笑って、俺に囁く。

 他の人と一緒の距離じゃイヤだもん。もっともっと近くじゃないと、満足できない

から。

 ――どんな表情だって、いつだって私が冬君を独り占めしたいんだから。


 俺は雪姫のそんな感情をまるごと抱きしめたいって思う。自然と愛しさがこみ上げてくる。


 二人だから。

 この二人だから。

 二人は一緒だから。


 躊躇なく始まりのドアを開けることができる。

 雪姫と一緒に。手と手を重ねて、一緒にドアを開ける。そんな感覚で。

 ようやく俺達は踏み出すことができる。

 それが本当に嬉しいって――心の底から、そう思ったんだ。









「こ、こ、こ、この、バカ姉ぇっ!」


 この後、空君からお説教を受け、登校がもうちょっと遅れたワケなんだけど――その詳細は、省略させてもらおうと思う。ただ、雪姫のせいで、空君のお説教時間が少しだけ長くなった――それだけは、付記して。


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