閑話10 フォーリンナイト
その電脳世界は、すでに修復不能なバグにより潰えようとしていた。コードエラーにより、無差別にエラーが発生する。デバッガー達は、この壊れた世界に眠る偶然の産物として誕生したコード、世界記憶の断片を求めていた。この戦場で、アカシックレコードを望む君は強欲者か?それとも救世主か?
▶モード、デュオが選択されました。
▶ユーザーIDを認証中。ID:Sora
▶認証。
▶スキンをロードしています。
▶シンクロ率100%
▶電脳世界に接続します。
▶コード:フォーリンナイト起動。
▶デュオモードのため、世界崩壊前に98人のデバッガーを駆逐するか、アカシックレコードを解読してください。
▶コード:フォーリンナイト展開します。5秒後にアポカリプスへ突入。準備してください。
▶DIVE IN
▶I wish you all the best
▶bon voyage……
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まるで雨が注ぐように、数字や言葉の断片、プログラム構文が流れていくのを尻目に、俺は時計型端末クロックパッドを起動した。空中ディスプレイに所持品、他のデバッガー達が圏内に入れば探知、地図の表示、パーティーとの音声チャットができるというスグレモノだ。初心者脱出の鍵は、このデバイスをいかにスムーズに使いこなすかにかかっている。
自分のスキンを確認する。真っ青なジャケット、ハーフパンツ。まるで今にもバスケットボールができそうな出で立ちだが、敏捷性がプラスされるのだ。このスキンは侮れない。
終局の島の形状は基本、一緒だ。バージョンアップされるまで変更されることはない。ただしアイテム、トラップがランダムに配置される。ルールは簡単。100人とのバトルロワイヤルのなか、生き残ったら良い。
今回はデュオモードなので、相棒とともに二人で生き残れば勝利。もしくは探索は困難だが、毎回場所がシャッフルされるアカシックレコードを起動させるか。
俺は廃墟のなかを駆け回る。まずは武器の調達である。銃声が鳴り響く。すでに戦闘は開始されているのだ。音の聞き取りも重要だ。足音が、相手との距離を示す。
跳躍した。
飛ぶことで目立つ可能性もあるが、この混戦状態なら問題ない。空中でサブマシンガンを連射する。一発一発の威力は低いが、あくまで注目をひくためのフェイクだ。近距離に詰めて武器をショットガンへ。ただしサイレンサー機能付きだから、音は低い。至近距離で服に密着をさせたら、なおのこと。
トリガーを引く。相手のライフはそれでゼロに。ヤツの物資を奪って進もうとして――俺の足元に銃弾が飛んでくる。バックステップをし、距離を保ちながらもう武器は切り替えていた。横に小刻みにジャンプを繰り返しながら、小型爆弾を投げ込む。
これで奴らが盾として使っていた壁は取り払われてしまう。
お相手が、構えたのはロケットランチャー。序盤からもう、それを獲得できたのは運が良い。絶対、いただく。
「ちょこまかと、これでクタバレよ!」
奴がトリガーをひこうとした瞬間だった。
「残念、最初で片付けるか。建築で、壁を作るべきだったね。照準が雑すぎる」
「へ?」
俺はクロックパッドで、相棒の位置を確認する――までもなかったんだけどね。
少し離れた尖塔の真上で、アサルトライフルをい構える天使姿の分身。亜麻色髪の乙女。羽根をパタパタさせているのが、まるで挑発しているようであすらあった。
「そんな距離、いくらアサルトライフルでも――」
とまで言って、固まる。
「スナイパーエンジェルとスカイ・ウォーカー? ウソだろ、あの二人がデュオを組むとか反則じゃんか……」
最後までセリフを聞くことはかなわない。
スナイパーエンジェル――天音翼の弾丸が、標的に寸分の狂いもなくプレイヤーのライフを消滅させたのだった。
【生存デバッガー:87名】
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「やっぱり近接距離戦が得意なスカイ・ウォーカーと組むの、楽でいいね」
にこっと猟奇的天使様は笑う。こちとら不本意なあだ名にげんなりである。”スカイ・ウォーカー”とは、バスケの神様――伝説のプロプレイヤーの異名だった。俺がプロNBA選手を意識したスキンを活用するので、そんな二つ名を周囲のユーザーがご丁寧にもつけてくれたのだ。
ただし、名前だけじゃない。俺のプレイスタイルは、スピード重視のトリッキーさと照準の正確さを兼ね備えている。バスケの感覚で敵陣地に攻め入るのが、自分の性分にあっていた。
一方の翼はスナイパータイプだ。遠距離から着実に相手をしとめる。かつ、全方位視点で、プレイヤーの位置情報を把握するのだから、狙われた奴らはたまったもんじゃない。かくいう俺も、翼の狙撃をかいくぐって、自分優位の近接戦に持ち込むのに、どれだけ苦労したことか。彼女が味方だと、逆に背中を任せられる安心感がある。
「ねぇ、空君」
「えっと。メンバーチャットで本名晒すのやめない?」
「もう今さらだよ。だってID本名じゃん。それに私、空君に名前を呼ばれるの好きなんだけどなぁ」
soraにtubasaがIDなので、そう言われたらぐうの音も出ない。
「実はね、アイテム回収していたら、良いの見つけちゃった。なんと”逆探知パラボラ”だよ?」
「おぉ、良いじゃん!」
思わず翼のアイテム欄を見やる。メンバーチャットは言うなれば、チームを組んだメンバー間でのボイスチャットなのだが、このアイテムはその会話を盗聴できるという代物だ。もちろん、俺達の周囲のパーティーに限られるのだが、音声チャットの内容を傍受することで、敵チームの動向を探ることも、作戦を出し抜くことも可能だった。
足音や銃声から、この近くにも敵パーティーがいることは間違いない。最初の一手として逆探知パラボラは有用だ。
起動させると、程なくして近接パティーの音声チャットの盗聴に成功した。
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――こんな感じで良いの?
――うん。一箇所にとどまるよりも、ジャンプしたり移動する方が良いよ。武器を撃つ時は、落ち着いてね。ショットガンでとりあえず行こう。負けても大丈夫だからね。
――こんな感じ? ズギューン!
――ヤバい。可愛すぎて、俺がつらい。
――むぅ。冬君、バカにしてない?
――してないよ。だってさ、雪姫のいろいろな表情見れるの、やっぱり嬉しいし。雪姫の表情も仕草も、どんな時だって、好きだなぁって思っちゃう。
――う、う……。ふ、冬君、不意打ちは卑怯だから!
――だめ?
――だ、だめじゃない。わ、私も冬君のこと好きだもん。冬君の表情も、何もかも。全部、大好きだもん。
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「あ、あのバカップル、ゲームのなかまでイチャついて! 次のターゲット、あの人達で決定! 真面目にフォーリンナイトしている人に謝れ!」
「はいはい、空君。落ち着いて。音の感じからすると、外?」
「だね。土を踏む音がした。メインストリートから外れているから。多分、森に入ったね」
マップを見やりながら、作戦を立てる。
翼が、この廃墟で待機。俺が火炎瓶で森を焼いて。二人の場所を視認したうえで、囮になる。好機をうかがい、翼が狙撃をする。これで冬希、雪姫チームは脱落決定である。日頃から、俺を無視してイチャイチャしやがって。このいたたまれない気持ち、日頃の鬱憤を晴らしてやる。そう意気込んで、俺は窓を突き破って跳躍して――。
「にゃに?」
俺の目の前に煉瓦の壁ができる。
(まさかの建築? ちょっと兄ちゃん上手すぎない?)
フォーリンナイトには建築スキルという機能がある。周囲の資材を集めて、壁を作ったり階段を作ることができるのだ。防壁にしたり、足場にするワケだが、今回は見事に兄ちゃんにしてやられた。
落下するも回転して体勢を立て直して着地。ダイナマイトで壁を強引にぶち壊す。もう少し時間が稼げると思っていた兄ちゃんが、舌打ちをするのが”逆探知パラボラ”越しに聞こえた。
真っ黒なコート、黒髪のスキンに身を包みライフルを持っているのは、兄ちゃんで間違いない。
でも、遅いよ。俺はニヤッと笑んでショットガンを構え――。
と、影がぶつかる。全力の体当たりに、俺のスキンがバランスを崩す。
真っ白いドレスに身を包んだ、さながらお姫様が俺の前にいた。この分身が姉ちゃんだ。
所持しているのは金色のショットガン。ランク最上級の武器だった。でも武器が最上級だとしても、照準が定まらず、弾道がぶれていたら宝の持ち腐れだ。恐れるに足りない。
「雪姫、大丈夫だからね。落ち着いて、深呼吸をして」
「うん」
見れば、兄ちゃんが姉ちゃんに寄り添う。初心者の照準を補正する先輩システム。通常、建築の練習や独自ルールで遊ぶクリエイターモードで、初心者が操作になれるため使用するのだが。
(マズい、本番で先輩モードを使われると思わなかったよ――)
でも、さ。ショットガンは近接で有用だけど、連射には不向きだ。弾丸さえ避ければまだ活路はある。ショットガン使いとしてなら、はるかに俺にアドバンテージがある。
俺は迷わずしゃがみんだ。弾丸が俺の頭上を飛んでいくことを確認もせず、横飛び。しゃがみ姿勢を解除。樹木を蹴りあげ、バックパックのロケットに燃料を投下した。スカイ・ウォーカーと言われた所以である。空高く、俺は舞い上がる。
しかしまぁ、と呆れる。森の中が無造作に建築で壁が乱立していた。これじゃ火炎瓶も意味をなさない。
――空君。
――あいよ。
――私の方も、壁で塞がれちゃってるの。お兄さんの建築、本当に早すぎるよ。
――マジかぁ。まず兄ちゃんをkillしないと、こっちがやばいね。
――だからさ、戦況を変えるためにも、ロケットランチャーぶっ放しても良い?
――へ?
俺は目をパチクリさせる。翼の”スナイパー・エンジェル”の名は伊達じゃない。ライフル以外にも、遠隔武器の巧みな武器捌きは一線を画する。ロケットランチャーは、反動が強く次のモーションまで5秒間、身動きができなくなる。そのリスクも些細なこと。冬希兄ちゃんの建築物を一掃できるとなれば、やる価値がある。
俺はコクンと頷いた。
――やっちゃって。
――おっけー! 行くよっ! せーのっ
翼が深呼吸した。
――……空君の鈍感無自覚たらしバカっ!
――へ?
翼がトリガーを引き絞る。兄ちゃんが作り上げた、壁という壁があっさりと駆逐されていく。俺は迷わず火炎瓶を放り投げた。森が燃え上がり、二人の姿が視認できた。どうやら兄ちゃんは、翼のロケットランチャーの直撃を受けたらしい。
――なんか、俺、罵倒されなかった?
――ちょっと本音が漏れただけだから気にしないで。
――なお気になるわ!
――そんなことより、バグの侵食が拡大中だよ。このエリアもヤバいからね。
フォーリンナイトはバグが時間の経過とともに拡大して、ステージを汚染していく。汚染地域に身を置けば、体力が削られ、秒単位でゲームオーバーになってしまう。
なお姉ちゃんは、パニックになってショットガンを発砲するが、こっちの思うツボである。そもそも射程圏外だ。俺はバックパックを操作して、急降下する。
(姉ちゃん、悪いね。ショットガンはこうやって使うんだよ)
ニッと笑む。
姉ちゃんが、動転して素材採集用のスコップを振り回す。土が抉れ、木が倒れるが――それじゃ、敵対デバッガーを倒すことはできない。
「I wish you all the best」
俺はフォーリンナイトお決まりのセリフを呟いて、ショットガンの引き金を絞ろうとした、その瞬間だった。
――雪姫、さすが!
――え?
――その石板をアイテム欄に装備して。武器を使う要領で同じように使えるから。大丈夫、ちゃんと傍にいるから。一緒に空君をビックリさせてあげよう?
――う、うん!
(う、ウソだろ?)
目を丸くする。姉ちゃんにとっては間一髪。ショットガンから放たれた弾丸が、姉ちゃんに着弾する前にソレは起動した。
世界記憶の断片。
パーティーメンバー以外を、バグで塗り替えてしまう反則級のアイテムだ。フォーリンナイトは、このアカシックレコードを見つけるのが目的なのだが、その発見率は限りなく低値。俺も翼もゲーム実況の動画でしか見たことがなかった。実物を見るのはこれが初めてだった。
▶コード:アカシックレコードの解読を開始。
▶コード:アカシックレコードの解読を完了しました。起動させますか。
▶Yes.
▶ コード:アカシックレコード、起動します。
その刹那だった。兄ちゃんと姉ちゃんのスキン以外の場所が文字という文字で溢れ、崩落していく。終局の島は楽園として新生するのだ。
▶fuyuki & yuki
▶No.1!
幻想的な二人だけの世界で、寄り添うように二人が見つめ合って、重なり合う。たまたま、キャラとキャラが重なりあっているだけだと思うのに――アサルトライフルで撃ち抜きたい衝動に駆られた俺、決して悪くない。
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【生存デバッガー2名】
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「マジかぁ……」
「何だかごめんね」
冬希兄ちゃんが申し訳なさそうに言うが、勝負の世界だ。ソコをどうこう思わない。どんでん返しのアイテム、アカシックレコードがあるのもこのゲームの魅力なのだ。勝率が悪いユーザーこそ巡り合える可能性が高い――という、そんな噂。そのアルゴリズムは非公表なので、あくまで憶測の域は出ないけれど。
でも、それもどうでも良くて。
(――姉ちゃんって、冬希兄ちゃんが近くにいると、途端に動きがよくなるんだよなぁ)
翼や俺と組んだ時はポンコツなのに、兄ちゃんと組んだら途端に動きが機敏だった。こんな姿を見せられたら、弟として嫉妬しちゃうよ。見れば、冬希兄ちゃんが、コテンと首を傾げていた。どうやら俺が何か思い悩んでいると思ったらしい。
だったら――。
「いや、あのね。俺、ずっと冬希さんのこと、兄ちゃんって呼んでたじゃない?ちょっと馴れ馴れしいというか、失礼だったかなぁ、って――」
誤魔化すことにした。間違っても、弟としてヤキモチを妬いたなんて言えるワケがなかった。
「なんだ、そんなこと?」
「え?」
「俺は一人っ子だったからさ。むしろ、嬉しかったんだけどね。空君からそう呼んでもらえるの」
ふんわり笑む。普段はクールで、人を寄せ付けない雰囲気がある。神秘性があると言えば良いか。そんな空気のなかで、親しい人にはこんなにも無防備な笑顔を漏らす。天然の人タラシと言っても誰も文句は言わないはずだ。
「……兄ちゃんは、俺を弟と思ってくれるくらい、姉ちゃんとの将来を真剣に考えている、ってこと?」
俺の言葉に兄ちゃんは目を丸くする。そしてやっぱり、ふんわりと笑んで頷いてみせた。
「まだ高校生だし。雪姫と出会って間もないから、どんな言葉もウソくさく聞こえちゃうかもしれないけど、さ。俺が雪姫を幸せにしたいと思ってるよ」
ストレートな物言いに、俺は頭がクラクラしてくる。そんな風に俺もいつか言えるんだろうか――そう思った途端に瞼の裏側に、なぜか翼の笑顔がチラついて困惑する。
(今さら理由の深掘りしなくても、分かっているけどさ)
そんな感情を追い出すように、俺は小さく息をついた。
「それなら、さ。これからも遠慮なく兄ちゃんって呼ばせてもらうからね」
ニッと俺が笑って。兄ちゃんが、俺の髪を優しく撫でる。あ、これはヤバいヤツだ。姉ちゃんが、蕩ける理由、分かってしまった。タオルドライとは比べものにならないくらい、この手櫛は、人をダメにする。
「冬君、空、チーズケーキでき……たよ?」
「空君とお兄さんがイチャイチャしてる……」
なんてタイミング。そして、二人とも不穏な空気を、どうして醸し出しているのさ?
「イチャイチャというか、弟君を愛でてる? 折角、仲良くなれるチャンスって思ったからね」
兄ちゃんが、ニコニコ笑って俺の肩を引き寄せた。見れば姉ちゃんが不満そうに頬を膨らませている。
「空君の髪って、雪姫と髪質似てるよね。もっと気をつかったら、サラサラになるのにね」
と俺の髪を指で走らせて、掻き上げていく。あの、兄ちゃん? ワザとやってる?
見れば、姉ちゃんがますます頬を膨らませて、破裂寸前なくらいむくれていた。いや、姉ちゃんも姉ちゃんだけどさ。男の俺にヤキモチ妬かなくてよくない? 【雪ん子】はどこにいっちゃったの? すっかり冬希兄ちゃんに溶かされちゃってるじゃんか?
と兄ちゃんが、すぅっと体を動かす。気づけば、ごく自然に姉ちゃんを抱きしめていた。
「そんなに空が良いなら、ずっと一緒いれば良いじゃない。空の髪、そんなに好きなんでしょ」
姉ちゃんはそっぽを向く。いやいや、最近、冬希兄ちゃんを意識して、姉ちゃんが髪を気にかけているの知ってるし。そもそも勝ち目ある無し以前の問題で。何をほざいているのかな、このバカ姉は?
「髪ってさ、それぞれ個性があるから面白いって思うよ。でも、一番好きなのは、雪姫だからね」
「髪が……?」
「雪姫の全部が、だよ」
兄ちゃんが、はにゃりと無邪気に笑う。
つい先ほどまでの絶対零度な空気。それを兄ちゃんの一言が、あっという間に溶かしてしまう。
(――かなわない)
心底、そう思う。
「よっこいしょ」
翼が俺の隣に腰掛ける。
「どっこいしょ」
俺もほんの少しだけ、距離を近づける。どうせ、あの二人はもう少し時間が必要なのだ。翼と一緒にもう一戦、フォーリンナイトをする時間はありそうだ。ほんの少しでも良いから、翼との時間を俺が独占したいって思ってしまう俺は――あの二人に毒されたのかもしれない。
「あのね、空君――」
「へ?」
「私の照準から逃げられると思わないでね」
指で銃を作り俺の胸に突きつけた。翼は意味深に笑む。
「……つばさ?」
戦場に降り立つ分身。
いつもは1人PLAYなのに。今日は何故か2人PLAYでログインしたい。そんな気分だった。
ほどなくして、俺たちは弾丸の海をくぐり抜けていく。
緊迫した戦闘を、掻き消すくらいに。
俺の心臓――その鼓動が、やけにやかましかった。




