74 空君とバスケットボール
tubasa:ごめんね、空君。ちょっと遅れるね。
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LINKのメセージを見て困惑する。約束通りの時間にやって来れば、いるのは彩翔だけだった。
彩翔は手持ち無沙汰な様子を隠さず、バスケットボールをひたすらドリブルしていた。
あからさまに「俺、隠し事してるよ。空、聞かないでね!」って自己主張しているようじゃないか。
「湊はどうしたんだよ?」
「え? あ、うん……ちょっと用事があるから遅れるってさ。多分、天音さんといっ――いや、別々なんじゃないかな?」
あからさまに怪しい言い訳だった。
「なぁ、空。待っていても仕方が無いからさ、1on1しようぜ」
公園に一本だけ立てられてたバスケットゴールを見やりながら、彩翔は笑む。子ども達の猛攻に耐えてきたゴールだ。ボロボロになりながら、まだまだ現役だった。
|1on1はハーフコートで、攻撃側と守備側に分かれてせめぎ合う。俺たちは11点先取で勝敗を決めていた。ディフェンスが止めれば、攻守交代である。オフェンスが点をとれば、交代なくそのままゲームは進む。この公園の設備と広さじゃ、そもそも1on1ぐらいしかできなかった。
彩翔がごまかすように笑う。難しいことを考えるより、とにかく体を動かしたい。そう思っているのが、明け透けなぐらい伝わってきた。
「ん? 良いけどさ」
彩翔がボールが弾ませる。その音が心地良い。
ようやくその顔に笑顔が少し戻ってきたのを見て、俺はようや息をつく。何をたくらんでいるのか知らないが、今は乗っておいてあげるよ。そう心のなかで呟く。
(あの時とは、まるで逆だね)
つい苦笑が溢れてしまった。
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「何でだよっ?!」
あの日、彩翔の激昂が響いた。バスケ部顧問に退部届を出した。先生には色々と声をかけてもらったが、正直、耳に入ってこなかった。生徒の意向なら仕方がないと、学年主任が最終的に受理したのだ。
(――学年主任は、波風たつの面倒臭かったんだろうな)
おかげで助かったけれど。
誰も彼もそんな態度だったら楽に過ごせるのに。ついそう思ってしまう。
でも彩翔は違った。
小学校の時から、ミニバスケットボール――通称、ミニバスをやってきた仲だ。いや、正確には俺が最初に始めて。湊が興味をもった。最終的に彩翔が加わった。そんな三人だから、クソガキ団の先輩たちと遜色ないほど、少しお互いの思いを分かり合っていた気がする。
――退部理由。高校生とトラブルを起こしたから。
俺には意図があった。放課後、姉ちゃんを守るために時間を使いたかったのが理由の一つ。部活のみんなをこんなトラブルに巻き込みたくなかったのが理由の一つ。でも最大の目的は、派手に問題提起をしてやったことだ。
いくら学年主任がウヤムヤにしたくても、高校生とトラブルになったのだ。当然、その原因は追究される。そして俺は「姉がイジメを受けていた」と明言したのだ。波風がたたないわけがなかった。
でも――。
先輩達は、否認した。
――あんな中学生は知らない。
――私達がそんなことをするわけないでしょう?
――下河の弟の被害妄想じゃないですか?
有象無象の言葉が飛び交って、結局、無かったことにされた。
彩翔が俺の胸ぐらを掴んできたのを、まるで昨日のように思い出す。
とんとん。
湊が、俺の彩翔の頬を指で突く。呑気に笑顔を浮かべて。
「「あ"!?」」
「そんな怖い顔しないでさ、ワン・オン・ワンで決めようよ」
にぃっと、湊はそう言って笑ったのだ。
たん、たん。
バスケットボールが弾む。
た、たん。たん。
縦横無尽にボールは跳ねて。
いつもならすぐにカットできるのに。あの日、彩翔からボールを奪うことに、本当に苦労を――いや、完敗だたっと思う。それだけ俺に集中力がない証拠だと言える。
「……お前さ、本当のことを言えよ?」
「何が?」
嘯く俺の横を彩とはすり抜けていく。見惚れるほど鮮やかに、レイアップシュートを決めた。
ボールがたんたんと音をたてて転がっていく。彩翔の圧勝だというのに、その後もコイツは猛攻を緩めない。
「……雪姫さんのこと、聞いたよ」
彩翔の言葉につい舌打ちをしてしまう。身から出た錆なのだが、そう言われたら隠しようもない。
「それってさ、俺達だって手伝え――」
「バカなの?」
「は?」
ようやく俺が彩翔のボールをカットする。シュートを目論むが、見事にリングに当たって入らない。
「俺は高校生相手に暴力沙汰を起こしたの。あいつらがウヤムヤにしたけどさ。俺、姉ちゃんのためなら、これからも躊躇わないよ。でも、そのまま俺が在籍してたら、バスケ部は大会の出場停止、免れないでしょ?」
「そ、それは……」
「彩翔。俺はね、天秤にかけたんだよ」
「天秤?」
「そう、天秤。バスケットボールか姉ちゃんか。で、俺は姉ちゃんを選択したの。そんな薄情なヤツが退部しただけなんだから、気に病むなって」
「――だから! 決める前に、俺たちに相談をしろって言ってるんだよ!」
まいった、とあの時は思った。彩翔から本当にボールを奪えない。アイツのドリブルについていくのが、やっとで。でも何でだろう。妙に安心して、嬉しくて。笑みが溢れてしまうのは。
ぽた、ん。
冷たい雫が落ちる。
雲が厚く覆われて。ついさっきまでの、俺の感情のようで。
「……お前らに相談したら、それこそ感情剥き出しで、奇襲をかけるだろ?」
直情径行でゲームのなか、フェイクに騙されやすい彩翔。曲がったことが大嫌いな俺たちのボス、湊。この二人にかかったら、どうなるか想像できてしまう。絶対、お前らに相談はできないと思ってしまう。
「――次はないからな」
と彩翔は言った。俺は目をパチクリさせて彩翔を見る。冷たい雫が容赦なく、俺たちを打つ。
「空はバスケ部を辞めただけだから。バスケットボールを辞めたワケでも、俺たちと友達を辞めたワケでもないからな?」
「え、ん、あ? え?」
コイツはこの後に及んで何を言って――。
「バスケならここでもできる。雪姫さんなら、俺達も一緒に守る。高校に行ったら、また、同じチームでバスケができるだろ?」
言葉にならない。胸の奥底から感情がこみ上げてきそうになるのを、俺は必死に飲み込む。
「友達まで止めるとか言うなよ。そんな届出を出されても、ビリビリに破いてやるから」
いや、なんで書面で用意するスタイルなんだよ。そっちの方がよっぽど面倒臭いじゃんか。
雨滴を体に受けながら。俺はレイアップシュートを決めた。ようやく――得点が入ったことよりも、彩翔が嬉しそうに笑ってくれた、その表情に喜びを感じる。
ようやく言うべきことを伝えられた。そう彩翔の顔に、書いてあった。
と審判役の湊がホイッスルを鳴らす。ルールなんかクソ喰らえって感じの匙加減。湊らしいと思ってしまい、tつい苦笑が漏れた。
「空、交代だよ」
にっこり笑って湊が言う。俺も彩翔も汗なのか雨なのか分からないくらい、びしょ濡れになっていた。
「まだやるの? この雨のなかで、お前ら元気だよな」
呆れつつ小さく息をついた。明らかに彩翔はゲームができそうな体力を残していると言わんばかりに、背伸びをしたりアキレス腱をのばしている。
「何か勘違いしてない、空?」
にっこりと湊は笑う。「次は私と空だよ?」
その目が笑っていなくて、思わずゴクンと唾を飲み込んでしまう。
「ワン・オン・ワンで決めようって、私は言ったよね?」
――私、怒ってるからね。
その顔にはありありと、そう書いてあった。忘れていた、と思う。この三人のなかで、一番怒らせちゃいけないのは、湊だった。
雨足はさらに早くなる。
湊の不機嫌さを、如実に表現するかのように。
■■■
あの日の雨が、まさか豪雨になるだなんて。想像もしていなかった。
記憶は、くるくる回転しては弾んで。
まるでバスケットボールのようにバウンドをして、あっちこっちに行くように。
「なぁ、空?」
昨日の帰り、車の中で父ちゃん達と交わした、何気ない会話が脳内で再生された。
姉ちゃんと兄ちゃんが無防備に眠っている姿を尻目に。隣で翼が手で抑えつつアクビを噛み殺す。何でもない、単なる世間話に過ぎなかったはずなのに――。
「最近、チビっ子達は【沢】に行ってないよな?」
「流石に行かないんじゃない?」
「一応、子ども会にも通告を出しているけどさ。でも、ちょっと気にかけてやってくれよ? せめて工事が終わるまでは、さ。悪ガキの好奇心は嫌いじゃないけど、何事にも限度ってモノがあるからな」
「それを父ちゃんが言うかな」
俺は苦笑して。この会話はそれで終わった。
通称、【沢】――。
裏山の神社近辺を流れる小川周辺のことを近隣住民はそう呼んでいた。
竹林に囲まれ、周囲は岩肌が剥き出しになっている。小川周辺の湿地帯は子ども達の夏の遊び場定番スポットで――しかし今や、過去形で言わないといけない。
あの豪雨で、小川が氾濫して、川津波が起きてしまったのだ。川周辺の岩肌が、土砂崩れを起こし今や要警戒区域になっている。
記憶はくるくる回転しては、弾んで。
バスケットボールが弾む音がする。
あの時、雨に濡れながら湊が叫んだあの言葉が今も、俺の鼓膜を震わせて――。
■■■
「で、そろそろ白状したら良いんじゃない?」
と俺は何度目かのレイアップシュートを決める。一方の彩翔は精彩を欠いたプレーでまったく、”らしさ”が欠けていた。
「な、ナニをだヨ?」
彩翔はイカサマ外国人か。でもツッコミはあえてしないでおく。
「翼を含めて、ナニを企んでいるわけ?」
じぃっと見ると、目を逸らす。湊、彩翔を牽制役にしたのは失敗だと思うんだよね。
「べ、別に企んでないって。ただ、ちょっと沢で二人がデートしたい、って。それだけだし――」
バスケットボールが弾む。
たん、たんと。
ボールが弾む音は小さくなって、消えて。そして転がって、止まる。
「……今、なんて言った?」
「え? あ、空? 勘違いするなよ? デートって、別に天音さんと誰かが、って意味じゃないからな。あくまで、湊と天音さんがだから。言うなれば女子会って意味だから。だいたい、天音さん、本当に空にベタ惚れだと思うぞ。いい加減さ、空は天音さんの気持ちに向き合うべきだと思うんだけど――って、空?!」
彩翔が何かを言っていたが、俺はそれどころじゃなかった。
あの日の雨音が耳につく。
記憶は弾む。
あの日。
ピクニック前のあの時。
天音翼が、俺と接点を持とうとしてくれた、あの瞬間。
――私は嬉しかったんだけどな。
翼は、そう言って笑ってくれた。
――私は下河君と友達になりたいと思っていたの。
そう満面の笑顔を零して。花のように笑顔を咲かせて。
いつの間にか、呼び方が『下河君』から『空君』になって。
――私はとっても嬉しかったんだけどな、空君と友達になれたことが。
無邪気といっも良いくらい、真っ直ぐに。
『――デート』
彩翔の言葉がやけに耳について、翼の声をかき消していく。
翼の交友関係に口を出すつもりは無い。そもそも、俺と翼じゃ釣り合わないのは分かっている。
今まで、気まぐれで俺を優先してくれた翼だけど。彼女の人気を考えたら、相応しい相手を選ぶべき――そう思うのに、心の中が泡立つ。焦燥感にも似た感情で、胸の奥底が沸騰しそうになるのはどうしてか。
(……湊も湊だ)
あいつが、他人の恋にお節介を焼くのも、今に始まったことじゃない。お膳立てでも何でもしてあげたら良いと思う。でも【沢】だけはダメだろう。あそこが警戒区域になっていることを、湊が知らないはずがない。
自分の感情が分からない。
翼が誰を好きになっても。
一時でも、翼が俺を友達として優先してれくれたとしても。人間の関係なんて、あっさり変わってしまう。そんなの今さらなのに――。
泡立つ感情が止まらない。
たん、たん、と。
バスケットボールが弾むように。
コートの中をドリブルで駆け回るように。感情が抑えられない。
翼を邪魔しちゃダメだって思うのに。
淡々と、そう思うように務めるのに。
沸騰した感情が止まらない。
たん、たんと。バスケットボールが弾むように。
■■■
「――空?!」
彩翔の声が聞こえる。でも気づけば、体が勝手に動いていた。彩翔の声ならもうすでに届かない。
風を切る。
早く、もっと早くと。気づけば無意識にそんなことを思いながら、俺は駆けていた。
(これは翼のことが心配なだけだから)
言い訳じみたことを思いながら、正当化しようとする。
余計なお節介と、あとで軽蔑されても。何を言われても構わない。
この泡立つ感情の意味が分からなくても。翼に嫌われても、距離を置かれても。――それでも良いから。
たん、たんと。
バスケットボールが何度も弾むように。感情は泡立って、沸騰して止まってくれない。
(何で、こんな気持ちになるんだろう――)
何度も心の中で反芻してみても。俺はまるで自分の気持ちを理解することができなかった。
【とあるカップルのLINKメッセージ】
ayato:ごめん、無理だった!
minato:何とか時間を稼いでよ。今、つーちゃん、一生懸命なんだからさ!
ayato:いや、そう言われても。空、勘違いしちゃったし。
minato:かんちがい?
ayato:俺の言い方が悪かったと思うんだけどさ。天音さんが他のヤツとデートしてるって、思っちゃったらしくてさ。
minato:はぁぁぁぁぁ?!
ayato:それが、警戒区域の【沢】じゃん? いてもたってもいられなくなったみたいで――。
minato:本当に、それ空の話?
ayato:おう。下河空君ですよ。鈍感でニブチンで頑固な我らが下河空君ですよ。
minato:あの空が……ヤキモチ? ヤキモチを?
ayato:本人は自覚してないと思うけどな。
minato:つーちゃんの理由も理由だけどね。
minato:あー君、ごめん! ちょっとマズイ。また連絡するから。空をなんとか引き止めてよ! よろ!
ayato:え? 意味わかんないけど?
minato: ꒰ ๑óㅊò๑꒱ 「よろしくね、子羊ちゃん」
ayato:なに、そのスタンプ? みーが羊とかムリあるし。子羊ちゃんって……これ羊の皮をかぶった狼?
minato:解説すんなし!
minato:(*`Д´)=Э)TДT●)「ブンナグル!」




