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73 君の隣で朝陽より暖かい言葉を添えて


 カーテンの隙間から、朝陽が差し込む。

 俺は甘い香りに夢うつつ、手を伸ばした。

 すぐそこに、柔らかい感触を感じて、つい抱きしめてしまう。


「んぅ……。ん、冬君」


 思わず声のする方に手を伸ばした。サラサラとした髪が手に触れ――る?

 俺は目をパチクリさせた。

 と、目の前で、同じようにパッチリと空いた対の瞳。


「冬君?」

「雪姫?」


 あまりにも二人の距離が近い。それも今さらだったけれど、今回はちょっと状況が違う。見慣れない部屋。本棚にはビッシリと本が並び。机には俺と雪姫のツーショットの写真が。


 カフェオレを淹れた日、美樹さんが撮ってくれた写真だった。


 だって、その写真を俺は、スマートフォンの待受にしているから。

 ここやで思考を巡らしてさぁーっと血の気が引くような感覚を憶えた。一気に目が醒める。


(――ここってもしかして、雪姫の部屋?)


 思わず声にならない声が出そうで、俺は雪姫に背をむけた。と、ぎゅっと俺の腕が掴まれた。


 カーテンが揺れる。

 風が頬を凪いで。

 そよ風のように紡がれた声は、まるで絞り出すようで。


「……離れたらイヤだよ、冬君」


 ぎゅっと雪姫に抱きしめられる。


「やっぱり、雪姫?」

「うん」


 恐る恐る、雪姫に抱きしめられながら、体の向きを変える。見れば、二人とも昨日の服のままだった。


「あのまま寝ちゃったみたいだね」


 クスッと雪姫が笑みを溢す。

 大地さんが迎えに来てくれたことまでは、覚えていた。あの後、二人で後部座席で寄り添って――それから記憶がない。


 ただ曖昧だけど、夢を見ていた。

 ほんのり温かくて。

 ちょっぴりと甘くて。


 確かに雪姫の温度を感じていたのだ。夢のなかでも。一人でいることは慣れていたはずなのにな、と思う。ルル以外で何年ぶりだったろう。こうやって、肌と肌が触れて、社交辞令じゃない言葉を交わすのは。

 ただ、今はあまりにも二人の距離が近くて――頬が熱い。


「俺、雪姫に何もしてないよね?」


 服に乱れがないことを確認して、思わず聞いてしまう。無意識下に、雪姫を奪って汚すのだけは絶対にイヤだった。


「無理やり、奪ってもらっても良かったんだけどね」

「そ、そんなことできないし、それだけはイヤだ」

「うん、冬君は優しいから」


 雪姫の手が伸びて、俺の頬に触れる。


「冬君って、寂しがり屋さんで、照れ屋さんだよね――本当に、可愛い」

「ゆ、雪姫?」


 事後、男が吐く台詞をチョイスするの、ワザとですか?


「私は嬉しかったよ」

「へ?」


 俺は目をパチクリさせる。雪姫の手は頬から目尻へ、額へ。それから髪へとのびていく。


「本当に嬉しかったの。私のことを冬君に知ってもらったことも。そんな私を受け入れてもらったことも。冬君に私を変えてもらったことも」


 雪姫の目に吸い込まれそうになる。俺は雪姫の髪を、この手で梳く。俺がしたことは髪を切っただけ。でも、もともと雪姫は綺麗だったから。容姿って、ほんの少しのアクセントで大きく変わる。でもスタイリストが変えられない部分、それは絶対にあって。


 ――それは、人の心音(ココロネ)だった。


 ここが美しくなければ、誰であっても映えない。

 美しい服も、艶のある髪も、指先のネイルだって、ゴミになってしまう。


 美しい人は努力を重ねた人なのだ。


 天賦の才は、最初のスタートダッシュ程度。

 あとは、どれだけ努力をしてきたか。


 ――美しい人はね、冬希。着飾らなくても、僕らが触れなくても美しいんだよ。

 父さんはそう言った。


 ――でもね、ほんのちょっとでもさ。その美しさが際立つ、そのお手伝いができたら、本当に幸せだと思わない? 僕らにできることって、実はその程度なんだよね。


 本当に美しい人は最初から、すでに美しい。

 考えてみれば、雪姫と初めてあった日――この子の心音に惹かれていた気がする。


「今日ね、また嬉しいことが増えたの」

「へ?」


 ぽかんと呆けていると、また雪姫が体の向きを変える。雪姫が俺に跨り――馬乗りになる。


「ゆ、雪姫さん?」

「冬君と一緒に朝、目覚めることがこんなに幸せだなんて思わなかった」


 髪を掻き上げた雪姫は、むしろ艶めかしいとすら思う。


「私、本当にワガママ」

「そんなことは無いんじゃ――」

「そんなことあるよ」


 クスッと笑む。俺の手首をそれぞれの手が掴んで離さない。


「冬君のその目に私だけを映したい。他の人じゃイヤだもん。私のことをしっかり見て欲しい」

「それは勿論。俺だって、雪姫だけを見ていたいよ」

「……でも、そんなの無理なの、私は知ってるから」


 雪姫の瞳に憂いの色が宿る。


「いや、無理とか、そんなことはないから。ちゃんと雪姫を見てい――」

「だから、閉じこもっていられないの」

「へ?」


 何度、今日は雪姫の顔を見直すんだろう。


「一気には変われないと思う。でも、冬君と一緒なら進めるって思えた。冬君の目に私だけを映したいって思うから。それなら、冬君に何度も何度も好きになってもらえるように、私が頑張るしかないもんね」


 と雪姫が口吻を落とす。

 髪を切った自分が言うのもおかしな話だが、まるで別人のようにその双眸に引き込まれてしまう。


 もう何回だって好きになっているし、恋をしている。

 と首筋に雪姫がすり寄る。


「冬君の匂い~」

「こ、こら。お風呂に入ってないんだから。そういうのはダメだって」


 そんな俺の反応お構いなしに雪姫がジャレついてくる。まるで甘えてくる猫だった。


 と、コンコンのノックする音が響く。

 雪姫はその音に気付いていない。

 その唇が愛しそうに、俺の首に触れた瞬間だった。

 ガチャリとドアが開く。


「「「あ」」」


 声は見事にシンクロする。


「ご、ごめん。まさかお楽しみ中だったとは」


 気まずそうに空君が言う。


「し、してないから!」


 バッと離れて、雪姫はタオルケットにくるまってしまう。俺は目を丸くするしかなかった。

 と、くいっと雪姫が俺の手を引く。自分から離れたものの、やっぱり寂しくなったらしい。雪姫は俺の膝に頭を乗せて、満足そうに息を吐いた。その手は繋いだままで。


「言っとくけど、俺はちゃんとノックしたから――」


 せめてもの抵抗と言いた気に、雪姫は全力で枕を空君に投げつける。

 うん。確かにノックはした。でも許可を得てから、入室はすべきだったと思うんだよね。

 空君の顔面に枕がヒットした今、もう遅すぎるアドバイスなんだけどさ。





■■■





「何にせよ、昨夜はお楽しみでしたね」


 空君、まだ言うんかい。

 俺と雪姫はベッドに腰を掛ける。空君は俺たち二人を見て、ニヤニヤしていた。

 と、何故か空君の両頬がこころなしか腫れていた。


「空どうしたの、その頬? まさか、翼ちゃんにエッチなことをしたんじゃないでしょうね?」

「……姉ちゃんがそれを言うかなぁ」


 ゲンナリとした表情を浮かべ、空君はため息をつく。

 はっと雪姫は、慌てて自分の胸を押さえた。


「――空のバカ、変態!」

「へ?」


 今度は空君と――そして俺が目をパチクリさせる番だった。雪姫が言わんとすることを理解したのか、空君は脱力して項垂れた。


「姉ちゃんをそんな目で見たこと無いし、これからも見ること無いから! そういうのは冬希兄ちゃんの役目でしょ! だいたいさ、普段から18禁の恋愛小説なんか読んでるから、そんな妄想をするんだって!」

「よ、読んでないもん!」


 おそるおそる雪姫が俺を見た。すがりつくように、俺に抱きついてくる。


「読んで無いから! 本当だからね、冬君っ」

「読んでいても、そうじゃなくても、雪姫は雪姫だから大丈夫だよ」

「わ、私、本当に読んでないからっ!」

「はいはい」


 苦笑しながら、俺は髪を撫でる。雪姫は気持ち良さそうに、目を閉じた。

 読んでいても読んでいなくても。それで雪姫を見る目が変わるなんてことないのにね。

 そう言えば、と思う。幼馴染達もそんなオトナの恋愛小説をこっそり読んでいたことを、今さらながら思い出す。誰だって、未知の領域には興味がある。ただそれだけの話だ。


「すぐに余裕でイチャつくんだもんなぁ、本当にイヤになるよ」


 ふぅっと空君は息をつく。


「でも兄ちゃん、一言だけ言わせて」

「俺?」


 目をパチクリさせる。


「車の中でさ、兄ちゃん達寝ちゃったんだよね。そこは良いよ。色々あったんだろうし。でもさ、兄ちゃんに起きてもらおうって体を揺すろうとしたとした瞬間、コレだからね」


 シュッと空君がシャドーボクシングの素振りを見せた。


「え、っと?」


 思わず俺は雪姫を見る。心あたりがないのか、大きく首を横に振る雪姫が可愛い。


「姉ちゃん、なんて言ったか覚えてないでしょ? 兄ちゃんを起こそうとする度に『誰にだって冬君は渡さないもん』って何回も連呼だよ。その度に拳が飛んでくるんだからさ。俺と父ちゃんはその犠牲者だからね。ここまでされてもさ、ちゃんと部屋まで連れて行ってあげたんだから、感謝して欲しいよ」

「あ、う、え、その、ごめん――」


 見に覚えのない事実の露呈に、雪姫は言葉にならない。


「さて、と。俺はちょっと翼達とバスケをしてくるから、二人でゆっくりしていて良いから。父ちゃん達はまだ寝てるし。まぁ、あっちは本当に夜、お楽しみのようだったけどさ」

「そ、空……。今、言わなくても良い情報だからね、そ、それ」


 雪姫は意識しすぎて、オーバーヒート寸前だった。


「まぁ、安心したよ。今さらだけどさ、姉ちゃんが我慢すること無く本音で関わってくれる人に出会えたことにね。冬希兄ちゃん、本当にありがとう」


 ニッと空君は笑んで、それからペコリと頭を下げた。思わず面食らってしまい、うまく言葉にならない。


「どうせならシャワー浴びてきて、それからゆっくり過ごしたら良いよ」

「あ、それなら。俺も一回帰ってこようか――」


 と言う俺の手をきゅっと雪姫が掴む。

 離れたくない。

 そう目が物語っていた。


「はい、良ければこれを使ってね」


 と渡したのは、コンビニの袋で。中には男性用の下着(トランクス)が入っていた。


「え?」

 思わず困惑してしまう。これだけ渡されても、空君どうしろと?


「姉ちゃん、前にサイズを間違って買ったTシャツがあったじゃん」

「え? あ、うん……?」

「冬希兄ちゃんは痩せてるから、きっと入るよ?」


 空君は悪い笑顔を浮かべていた。


「彼シャツならぬ()()()()()、なかなかないでしょ。こんなシチュエーション」

「え――?」


 ニシシと笑む空君とは対照的に、パニックになった雪姫は口をパクパクさせるばかりだった。


「ふ、冬君が私のシャツを……?」

「今まで散々イチャイチャしてきたんだから、なんてことないでしょ? 昨日の痛みはこれじゃ到底済まないけどさ、これぐらいで勘弁してあげるから。股間を膝蹴りされた時は、マジで死ぬと思ったからね」


「うぅ……。そんなこと言われても、全く覚えてないもん」


 雪姫は呻くように言うが、空君の腫れた頬がその苦労を物語る。


(……まぁ、でも眠っていても、離れたくないって思ってくれたってことなんだよな)


 雪姫が潜在意識のなかでも俺を想ってくれていた。それが嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。


「でもさ」


 と空君が雪姫に向けて小さく微笑む。


「姉ちゃんは、冬希兄ちゃんと離れたくないんでしょ?」


 空君の言葉に雪姫は俯いてしまった。でもその手は、俺を掴んで離さない。


「冬希兄ちゃん、うちの姉ちゃんはちょっと面倒臭いところがあると思うんだけどさ。でも、これからもよろしくね」


 空君はヒラヒラと手を振って、部屋を出て行く。

 俯いた雪姫が、おそるおそる俺を見た。


「冬君、やっぱり私って面倒くさ――い?」


 俺は包みこむように、雪姫を抱きしめていた。

 面倒くさいかどうかと聞かれたら。

 まったく面倒と思わない。


 真剣に雪姫が気持ちを向けてくれるから。

 だから。俺も恥ずかしがらずに、素直に気持ちを伝えたいって思った。


「あのね、雪姫」

「え?」

「朝、一番に本当は言いたかったんだけど」

「う、うん?」

「雪姫と一緒に朝、目覚めることがこんなに幸せだなんて思わなかったよ」

「う、うん。私も、私だって――」


 雪姫が俺の首に手を回す。

 穏やかな風が揺れて。

 俺たちの髪を優しく撫でる。

 まるで背中を押すように。

 ここからお互い、一歩を踏み出すために。





■■■





 【5/2(日)8:40】


 うっすらと目を開けて、カレンダーと時計を見やる。

 ゴールデンウィークはまだ始まったばかり。


 カーテンが揺れる。

 朝陽がカーテンの隙間から差し込んで。


 風が頬をくすぐる。風が俺たちの髪を撫でた。

 雪姫の髪に、触れるのは俺が良い。俺じゃなきゃイヤだ。ついそう思ってしまって、思わずこの手で、髪を梳いてしまう。


(俺のほうがよっぽど独占欲が強いし、面倒だ――)


 でも、雪姫の暖かい温度を全身で感じながら。

 誰よりも近くに、その存在を感じることができて。安心している自分がいる。


 だから朝陽より暖かい言葉を添えていく。飽きもせずに、雪姫の傍で、何度も。何度も。何度でも――。

 気付けば、二人の唇が自然と重なっていた。

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