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71 あんな愛の告白、真似できない


 誰があんな愛の告白、真似できるだろうか。


 つい嘆息が漏れた。愛用のキャラバンのエンジン音が心地よくて、その感情が溶け込む――より早く助手席の妻はクスリと笑んだ。春香さんに見事に聴かれていたらしい。


「春香さん?」

「大地さんが考えていること、当ててあげようか?」


 クスクス彼女は笑う。かつて高校生の時、生徒会長だった彼女。こうやって二人きりの時に、イタズラめかした表情を浮かべるのは今も変わらない。誰にも見せない、そんな表情(カオ)。引き込まれない方がおかしかった。


「あんな愛の告白、真似できない」

「……」


 視線を一瞬、春香さんに向け――それから慌てて、視線をフロントに戻す。後部座席中央には空と翼ちゃんが時折会話を重ねる。後部座席ではすっかり疲れ果てた雪姫と上川君が、眠りの世界へすでに誘われていた。



 もともと【恋する髪切屋】の営業終了後、髪を切ると決めていた雪姫と上川君。遅くなることは想定内。事前に帰りは迎えに行くと俺から申し出ていた。


 もっとも、その時間に行くとは誰も言っていない。

 有料駐車場に愛車を停めて、雪姫達を見守っていたのは、アップダウンサポーターズの機密事項だった。


 そんなわけで。他の面々は、すでに自宅まで送り届けている。


 また小さく息をつく。

 ハンドルを握りながら思う。雪姫に彼氏ができた。何度思ってもそれが不思議で、なかなか認めることができなかった。でも、彼しかいない。それは俺も分かっている。


 雪姫に変化を感じたのは、4月の上旬。


 お菓子を作りたいと再び思ってくれた。ちょっと立ち直ってきたんだろうか。そんな甘いことを考えていた。でもお菓子を作ってあげたい相手が現れた。それが上川君だったのだ。


 上川君と外に出ることができた。家族の誰もできなかったのに。これは父親としての浅ましい嫉妬だった。本当は嬉しいはずなのに。


 Cafe Hasegawaで雪姫にカフェオレを淹れたいと上川君は言う。君は知らないのか? 雪姫はコーヒーが苦手なんだ。それに今の雪姫がお店に行けるほど精神状態が安定しているとは思えな――。


「嬉しかった。とても嬉しかったら……なんだか涙がとまらなくて。人間って嬉しくても、涙を流すんだね。私、初めて知った」


 あの日。上川君と食卓を共にしたあの日。ちょっと席を離れたあの時。雪姫の絞り出すような声は、抑えきれない喜びで満ちていた。娘の幸せを願わない親はいない。――全てがそうとは言い切れないけれど。少なくとも、俺は雪姫の幸せを願っている。


 それに、と思う。複雑な感情が拭えないけれど、上川君が雪姫の笑顔を灯してくれたのは間違いない。

 食卓でも無言だった雪姫が、ポツポツ言葉を漏らすことが増えた。


 ――今日、上川君って子がね……。

 ――上川君が今日も来てくれたの。


 いつの日か当たり前のように、雪姫の口から出る話題は上川君のことで。


 ――今日、冬君とリハビリに出られたんだ。

 ――冬君と神社まで行けたよ。彩ちゃんと海崎君にも君にも会って、お話できたんだ。


 満面の笑顔で、雪姫はそう言う。いつの間にか呼び方が【冬君】になっていた。


「大地さん。きっと雪姫は恋をしているよ」


 春香さんに言われるまでもなく、その表情が雪姫の気持ちを代弁していた。


「大地さんは複雑かもしれないけど、私は雪姫を応援してあげたいかな」


 あの時、春香さんの言葉に対して、俺はイエスもノーも言えなかった。俺と同じ日に生まれた子。大雪の日に。女の子なら雪姫。これは俺が考えた。男の子だったら空。これは春香さんが考えた。


 一番最初に、俺たちを選んでくれたのは、雪姫だった。


 文字通り、雪の日に生まれたお姫様。


 体重2500g。未熟児とまでいかないが、低体重で産まれた彼女を恐る恐る抱き上げた、あの日。


 春香さんが朦朧とした意識の中、微笑んでくれていたのが今でも、瞼の裏に焼き付いている。


 春香さんのことはもちろん――この子を何があっても守っていく。あの時、そう誓ったのに。


 俺は、結局、雪姫に対して何もできなかった。

 それから幾日かたって。


「ねぇ大地?」


 Cafe Hasegawaで。仕事の合間に息抜きをしつつ、ノートパソコンで報告書を作成していた俺に店主(マスター)――誠さんが声をかけてきた。トレイには、マグカップを二つのせて。


「はい、カフェオレ」

「へ? 俺、頼んでないっすよ?」

「いいから、いいから」


 とマグカップを置いて誠さんは俺の正面に座る。


「雪ん子ちゃんと仲良くしている上川君がいるでしょ?」

「……この前、会いました」

「彼、うちの店員(アクター)なんだけどさ。今度、雪ん子ちゃんにカフェオレを淹れるって話は聞いている?」


「え、えぇ……。上川君、本人から聞きましたけど、でも……雪姫はコーヒー苦手ですよ?」

「それがね、学校で海崎君や弥生ちゃんにコーヒーを淹れたのが、面白くなかったみたいでね。いじけた時があるんだってさ」

「へ?」


 この時の俺は、かつてないほど間抜けな顔を浮かべていたと思う。


「「「そういう反応なにりますよねー」」」


 と隣から仲良く声が飛んできた。見れば、瑛真ちゃん、彩音ちゃん、光君――懐かしいクソガキ団の面々が何やら打ち合わせをしていた。


「君らは変わらず仲良しだな」


 懐かしさとともに、変わらぬ姿に嬉しさが込み上げて。それ以上にココに雪姫がいないことの寂しさが滲み出るが、その感情をなんとか飲み込む。


「まぁ昔から知ってますからね。勝手知った仲ですから」


 と瑛真ちゃんがニッと笑む。


「君らも上川君を知ってるの?」

「知ってるも何も、ウチで働いてますし」

「クラスメートですから」

「おじさん、この前、上にゃ――上川君のおかげで、ゆっきとお話しできたんです。本当に嬉しかったんですよ!」


 瑛真ちゃん、光君、彩音ちゃんがそれぞれ言いながら、勤務中の彼――上川君に目を向ける。Cafe Hasegawaによく似合う所作が自然で。動作の一つ一つが本当に綺麗だと思う。


「それ上にゃんが淹れるって言っていたカフェオレですか?」


 彩音ちゃんが目をキラキラさせながら言う。誠さんがニマニマと笑みを隠さずに頷く。


「え? 一番は絶対、雪姫に飲ませるって上川君言っていたのに、良いの?」


 ジトッと瑛真ちゃんが誠さんを睨んだ。暗に「私も我慢しているのに」と言いた気だった。


「完成品じゃないし。出来は6割だって本人も言うからね。雪ん子ちゃんパパに飲んでもらうくらい良いんじゃない?」


 そう誠さんが言うので、俺はカフェオレに口をつけ――その瞬間、さらに呆けた顔になった自覚があった。


「あの顔、やっぱり美味しいんだー」

「瑛真先輩はまだ飲んでないの?」

「雪姫が一番だって飲ませてくれないんだよー」

「絶対、美味いヤツだよね。僕も飲みたい」


 口々に言うのを聞きつつ、俺は言葉が出てこない。これで、6割? 誠さんが淹れたわけじゃなくて? へ?


「美味しいでしょ。豆はウチのだけど。ブレンドも焙煎も抽出も、全部上川君だからね。コーヒーが苦手な子に、コーヒーを好きになって欲しい。どうせ淹れるなら、飲んで最高に幸せになって欲しい。友達と彼は言い張るけどね――上川君はその雪姫(トモダチ)に最高の一杯を飲んで欲しいんだってさ」

「……」


 言葉にならなかった。


 上川君には感謝してもしきれない。男親としての複雑な感情がどうしても混ざってしまうけれど。雪姫の笑顔を取り戻してくれたのは、間違いなく彼だから。


 雪姫はコーヒーが嫌いだ。

 その雪姫が上川君の淹れたコーヒーを飲みたいと言う。


 ――にっがぁ。

 そう言ったのは、高校の時の春香さんだった。


 ――よくこんなの飲めるねぇ。

 呆れたようにそう言う春香さんを、今でも憶えている。無理して飲まなきゃいいのにと、つまらなそうに俺は言う。と満面の笑顔で、俺の言葉なんか打ち返すのだ。


 ――好きな人と同じものを分かち合いたいって気持ちは、絶対つまらなくないよ。


 春香さんにはかなわない、本当にそう思う。

 そんな複雑な想いがカフェオレの中に溶かしながら。少しだけ、カレンダーはめくられて。


 あの夜――。

 上川君が雪姫に心を込めてカフェオレを淹れた夜。

 朱雀春風を結集して、夜回りをしたあの日。


 悪ガキに教育指導をして、しこたま春香さんに怒られたあの日――なんで俺だけ怒られたし。とても理不尽だ。


 でも、と思う。寄り添う二人を見て。そして手を重ねる二人を見れば。

 イヤでも分かる。


 手を重ね合わせる以上に、気持ちが重なったことを。


 そして、今日。

 上川君が雪姫の髪を切った。


「お父さん、お母さん。私ね冬君と――みんなと学校に行きたい」


 雪姫の力強い言葉が今でも鼓膜を震わす。雪は何があったのか未だに語ってくれない。


 でも結局は、噴水公園で上川君に真実を語った瞬間からサポーターズはその場に居合わせていた。


 噴水公園は、コロシアムのように中央が低く、公園外に向かうほど高くなる。所々、植樹された落葉樹やオブジェが、ちょうどみんなを隠してくれた。

 何より当初は野外演劇の公園やライブを想定していた。音が反響しやすい作りになっている。


 だから全てを聞いてしてしまった――。


 怒りで腹が煮えたぎるなか、確かに聞いたのだ。

 上川君が、ギリッと感情に任せて歯軋りをしたのを。


 あぁ――と思った。この少年は人の為に怒ることができる子なのか。優しいだけじゃない。その人のために行動ができる人なのかと。

 大切な人のために、妥協なく心血を注ぐことができる子だということは、あの6割完成のカフェオレが全てを物語る。


 ルームミラーから、後部座席にいる二人を見やる。


 すっかり睡魔に誘われ、夢の世界に飛び込んでしまった二人。


 雪姫は上川君から片時も離れないと宣言をするかのように、背中に両手を回してその胸を枕にしていた。一方の上川君はそんな雪姫を全て受け入れるように、優しく受け止めている。


「大地さん、あんまり気を取られていると危ないわよ?」


 春香さんの言葉に、我に返る。意識は運転に集中していたが、つい娘の幸せそうな寝顔に見惚れてしまった。つい最近まで、寝付けなかったり、悪夢にうなされていたのがまるでウソのようだ。


「雪姫にとって、上川君は精神安定剤になっているんだな」

「それ以上でしょう」


 クスッと春香さんは笑む。そんな表現じゃ足りないよ、大地さん。春香さんはそう微笑む。


「雪姫にとっては、上川君は半身と言っても良いんじゃないかな。上川君を失うことがあれば、多分、雪姫は自分の体を半分を失う以上に辛いと思うよ」

「いやいやそんな大袈裟な――」

「父ちゃん、大袈裟じゃないからね」


 と言ったのは空だった。言ってみれば、雪姫が失意の淵に落ちていったのを目の当たりにしていたのは、彼なのだ。そこに気付けず、踏み込めなかったのだから本当に歯痒く――。


「兄ちゃんじゃなきゃ無理だったよ。俺達は本当の意味で姉ちゃんの寂しさを理解できてなかったと思うんだよね」

「……」

「でも、それが悪いとも思わないんだよね」

「空?」


 俺は息子が何が言いたいのか分からず、困惑する。


「家族だから、友達だから、幼馴染だから――それで、全てが分かり合えるわけ無いと思うんだ。兄ちゃんは今の下河雪姫を見てくれた。俺達は昔の【雪ん子】ばかり見てた。それだけだと思うんだよね。同じようにさ、俺は翼を学校のアイドルだから、俺なんか相手にしなくても、って思っていた。でも違うんだよね。翼は多くの生徒のなかで友達を増やしたいんじゃなくて、そのうちの一人、下河空を見てくれたんだなって今は思うよ」

「バカ」


 ボソっと呟いた翼ちゃんの声は、空には届いていなかった。


「今度そんなこと言ったら、絶対に許さないから」


 思わず苦笑が漏れてしまう。君達はこんなにも相手に対して一生懸命になれる。もうかれこれ、自分が忘れてしまった感覚に、つい唇が綻んだ。


「でも、大地さんはあんな告白は真似できないって言うけどね。私は大地さんの告白だって、誰も真似できないと思うんだよね」

「へ?」


 思わぬ春香さんの言葉に目を丸くする。


「聞きたいです。お父さんとお母さんの話!」

「いや、あ、え、あの、その? え?」


 ちょっと待って。春香さん? あの時の話をするの? え? 本気?


「それは俺も初めて聞くかも。姉ちゃんが産まれた時の話なら、散々聞いたけどさ」

「それも気になるー」

「たいした話じゃないよ。早く結婚したい母ちゃんと、煮え切らない父ちゃんでちょっと葛藤があって。結局、我慢できなかった母ちゃんに召し上がられた、ってだけの話。その一回で姉ちゃんが産まれたんだって」

「え……」


 やめて、息子。人様のお嬢さんの前で、俺の愚息の黒歴史を赤裸々に話さないで!


「今思い返すと、あの時の大地さん可愛かったなぁ」


 やめて、春香さん! 本当にストップ!


「でも大地さん、照れちゃってるから。この話はお終いね。私が話すの恥ずかしいみたいだし」


 春香さんの言葉に、俺は胸を撫で下ろす。改めてハンドルを握り直した。


「じゃ大地さん、お願いね」

「……は?」


 俺は運転に意識を集中させながら、隣から聞こえてきた言葉に耳を疑う。


「私が言うのは恥ずかしいみたいだから、大地さんから言ってもらおうかな。あの時、大地さんがどう思っていたのか気になるしね」

「ちょ、ちょっと待って、春香さん?!」


「大地さん、運転に集中だよ? 安全運転ね♡」

「う、運転に集中させてくれないの、春香さんのせいでしょ?!」


「でも翼ちゃんも知りたいって言うし。空はどう?」

「親の恋バナなんか聞きたいって思うかよ――い、いえ聞きたいです、是非聞かせてください」


 え? 空? 今の間に何があったの。ルームミラー越しの君、明らかに視線を外したよね? え? え?


「高校生でね、108本の薔薇をもらえるなんて、思ってなかったからね」

「薔薇が108本? 何か意味あるの?」

「高校生の時に……お父さん、それ素敵です……」

「冬君、大好き……」

「雪姫――」


 きょとんとしている空、明らかに意味が分かっている翼ちゃん。

 それから、完全に夢の世界に旅立っているはずなのに、お互いのことを夢見ているお二人さん。全てがカオスだった。


「話すよ、話せばいいんでしょ!」

 最早、自棄(ヤケ)になるしかない俺だった。






■■■






【若かりし頃の下河大地さん in フラワーショップTakaiwa】



「あ……あの。薔薇って、意味があるんですよね……」

「そうですね。本数によって色々な意味がありますけど。贈答用ですか?」

「あ、その、はい。一応……片想いしている人に贈りたくて……」

「お父さん、薔薇、ウチに何本ある?」

「大地の一世一代の大舞台だろ? 店にある分だけじゃ足りるわけねぇだろ! 徹底的に薔薇、俺が集めてやるよ!」

「え、あ、え? え?」

「本数が多ければ多いほど、想いは重くなるからな!」

「いや、初デートは重くなくてもいいから! って、厳さん? 厳さんってば!」

「大地、大船に乗ったつもりで待ってろー!」

「いや、普通で良いの。普通でいいから、厳さーんっ!」


Q:108本の薔薇の意味は……。

A:

1本なら「一目惚れ、貴方しかいない」

2本なら「この世界は二人だけ」

11本なら「最愛」

では108本は……。次回の更新で!

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