70 君の髪を切る。君を染める。未来まで彩る。
「一番、最初に切ってもらうのはウチ(私)(俺)だから!」
あの頃の記憶が脳裏をよぎる。幼馴染三人の声が重なった。
上川皐月が、俺や母さんの髪を切る。それが当たり前じゃないと知ったのは、いつのことだろう。父さんに憧れて、オモチャのハサミを持ち。それだけじゃ気持ちが抑えきれなくなって、自分の髪を切った。
父さんと母さんに大目玉を喰らったのも、今となっては良い思い出だ。
それからは父さんの現場――それから爺ちゃんと婆ちゃんの店で、見て技を盗むことに務めた。
どうやったら綺麗に、どうしたら格好良くなるんだろう。
素敵に変わっていく人達とその笑顔を目に焼き付けて。
一番の理想は母さん――上川小春が上川皐月の手で変わる瞬間だった。
人って、こんなにも変わるんだ。そう思った。変幻していく様を見て、俺は虜になった。
でも、と思う。
きっと俺には、変えたいと思う人がいなかった。
父さんに憧れて、母さんに羨望して。ステージに立っても、幼馴染達の髪を切っても全然満たされなくて。
――からっぽ。
そんな言葉が、俺にはよく似合うと思った。
だから、はじめて――。
本当に初めてだったんだ。
この人を俺が変えたいと思った。無色のキャンバスに色を染めて。こんなに可愛くて、こんなに綺麗な人だって、色々な人に見せてあげたい。
でも、その時気付いても、もう遅いから。
雪姫の髪に櫛を通しながら、俺はイメージを重ねて……。
「ふゆ君?」
感情が揺れる雪姫の声に、はっと我に返る。
「あ、ごめん。ちょっと考えごとしてた」
「……その考えのなかに、私はいる?」
雪姫は少し俯いて、やっぱり目を開けずに言う。何回、雪姫にその言葉を言わせてしまったんだろう。結局、全部雪姫に行き着くのに。ちょっとしたことで、雪姫を不安にさせてしまう。
ほんの些細なことが雪姫には伝わる。同じように、雪姫の不安や迷いを俺は感じ取ってしまう。
「うん。最終的には全部、雪姫に行き着くかな」
それは心の底からそう思う。櫛で髪のバランスを確かめながら、微調整で鋏を入れていく。
「それは本当?」
「前にも言った気がするけど、本当に初めてだったんだ。自分で決めたから。雪姫に好きって伝えたことも、こうやって行動していることも」
「でも冬君。COLORSのみんなの髪を切っていたでしょう?」
「切ってた。でもただ切っていただけかな」
「ただ?」
「うん。俺ね、ずっと父さんが憧れだったんだ。父さんが人を美しく、綺麗にしていくのが。でも当たり前だけどさ、俺は上川皐月にはなれないんだよね」
苦笑が漏れる。俺は父さんじゃない。母さんじゃない。COLORSのみんなじゃない。だから、もう同じステージに無理に立たなくて良い。
目の前の子が俺に言ってくれたんだ。
――だって、冬君が冬君だから。
鋏を入れる。櫛を通す。髪がふわりと舞って。まるで淡い粉雪を連想させる。純白で、純真で。まっすぐな雪姫の心音のように。
「雪姫をね、変えたいって思ったの。他の誰でもなく俺がね。――俺、本当に雪姫のこと、好きすぎって思うけど。でも仕方ないよね。だって大好きだからさ」
自分でも気付かないうちに、雪姫の耳元でそう囁いていた。俺が見て分かるくらい、雪姫の顔が朱色に染まっている。
「み、耳元でそんな風に言うのズル――」
「大好きだよ」
もう一回、囁く。
「私も……好き。大好きだよ。でもやっぱり今は私のことだけを考えて欲しい。ちょっとでも、他の人が冬君の気持ちを占めるの、やっぱりイヤ」
「うん」
「……ごめんね。そんなことでヤキモチ妬くのはやっぱり違うって思うけど、でも――」
「雪姫、髪を洗うから椅子を倒すね」
と有無を言わさず、バーバチェアをゆっくり操作した。背もたれが静かに動く。鋏と櫛を置いて。雪姫の前髪に触れた。それから当たり前のように、唇に触れて。
そう言えば、と思う。唇越しに甘い感情を感じながら。父さんは、カットの度に母さんとキスをするのを見ながら、胸焼けする想いだった。息子がいることをもうちょっと意識してくれ、と何度思ったことか。
(ま、あの二人に比べたら、マシだよね)
そこは自信をもって言えると思う。見境なく、イチャついてないし。ちょっと周りが見えてない時があるけれど。でも両親のようにはなるまいと改めて誓う俺だった。
「……気持ち良い」
雪姫から吐息とともに、そんな言葉が漏れる。俺は満更でもなく、頰が緩むのを感じた。
シャワーでお湯を優しくかけシャンプーを流していく。続いて2回目。ゆっくりと雪姫の髪をシャンプーで洗っていく。
「……いつも冬君に洗って欲しいかも」
雪姫の思わぬ言葉に、俺の手が思わず止まる。
シャワーの流れる音がやけに耳をつく。
「ち、違うから。い、一緒にお風呂に入りたいとか、そ、そういうことじゃ、な、な、ないからね!」
「一緒に入りたいの?」
雪姫の慌てふためく様子を見て、つい意地悪に笑んでしまう。
「ふ、冬君の意地悪! 違うもん、私そんなエッチな子じゃな――」
「別に髪を洗うだけなら、エッチは関係ないんじゃない?」
「冬君なんか知らない!」
プイッとそっぽを向こうとするので、髪に優しく手を添える。
「髪が洗えないよ。真っ直ぐ向ける?」
「冬君がイジワルする、意地悪!」
雪姫がすっかりむくれてしまった。俺はゆっくりと頭皮をマッサージするように指で、トリートメントを馴染ませていく。雪姫は未だに顔を真っ赤に染めたままで。
「で、でも……わ、私。冬君になら全部捧げて良いって……思ってるからね」
予想外の言葉に、今度は俺の方が頬が熱くなった。
「あ、あのさ。雪姫、一応、段階を踏みたいから。その、ゆっくり二人で歩っていきたいって――」
「冬君、もしかして照れてる?」
今度は雪姫が、小さく笑む番だった。
「シャワーかけるから、この話はこれで終了!」
強制終了。これ以上この話題が続いたら変に意識してしまう。だいたい雪姫は無防備すぎるんだ。普段から自然と擦り寄るように甘えてくる。でも、ダイレクトに感じる女性ならではの感触にヨコシマな感情が芽生えそうになる。いつも理性で抑え込んでいる俺の努力を理解して欲しい。
「あのね、冬君」
「な、何?」
ふんわり雪姫は笑みを溢す。
「他の人には触れられたくないの。冬君にだけ触れて欲しいって思ってるから。同じように、他の子を冬君が触れるのはイヤ。触れるなら、私が良い。私じゃなきゃイヤだよ?」
「ん。それは――」
「今じゃなくても良いの。でも、私は冬君の全部が欲しいから。私、欲張りだからね。それ以上進むことに怖いって気持ちもあるけど。だから他の子に触れて欲しくない。私じゃなきゃイヤ、絶対に誰にも触れさせたくないからね」
「それは俺だって――」
「冬君が悪いんだから。私、恋なんかよく分からなかったのに。そんな私がね、いつも冬君のこと思うとドキドキしてる。むしろ冬君がいないと息ができない。冬君がいないと、私、ダメなんだって自覚してるよ」
「うん」
コクンと頷く。シャワーのお湯を優しく、雪姫の髪に注ぎながら。
「俺だってそうだよ。雪姫じゃない人と一緒に過ごす未来なんか想像できない。雪姫が他の人と過ごす未来は、もっと許容できない。雪姫じゃないとダメなんだ。だからさ――焦って、壊したくない」
「ふゆ君?」
「もっと雪姫と色々な場所を見たいし、感じたい。一緒に共有したいから。彼氏彼女という関係が欲しかったわけでも、そういう行為で欲望を発散したいわけでもない。俺は、下河雪姫って子の人生全部を攫いたい。過去も今も未来も。触れ合うだけじゃ満足できそうにないから。ね? 俺の方がよっぽど欲張りでしょ?」
「――私だって冬君の全部が欲しいもん。関係や触れ合いだけじゃ満足できないよ。当たり前だけど、冬君の思い出のなかに私はいないからそれがすごく悔しい。だから冬君に関しては、絶対譲ってあげられないの。今まで諦めることは簡単だって、そう思ってきたけど。冬君のことは絶対、諦めない。譲らない」
シャワーのお湯を止めて、俺は雪姫の髪をタオルで包み込んだ。
しばらくの沈黙。でも込み上げる感情は止まらない。
「あのさ」
「あのね」
二人の言葉が重なって、目を丸くする。雪姫の唇からも、苦笑が漏れた。
そういう行為が目的じゃない。そいうステータスが欲しかったわけじゃない。でも矛盾してる。君の全部が欲しい。その証が一瞬であっても欲しい。そう思ってしまう《《俺たち》》は、やっぱり――欲張りだ。
「「キスしたい」」
やっぱり言葉は重なって。
雪姫を傷つけたくない、その想いは拭えない。ほんの些細なことで、雪姫が壊れてしまうかもと不安になる。だから一歩踏み込む勇気がもてなくて。
でもワガママだから温もりを求めてしまう。それが一瞬で消えても、雪姫の傍には俺がいるんだと伝えたい。
唇と唇を重ねながら思う。
(雪姫の全部を攫いたい)
そんなことを当たり前のように思う俺は、本当に欲張りだ。
■■■
すーっと小さな寝息を雪姫がたてていた。
店内の柱時計がまもなく22時を告げようとしていた。デジタルパーマとヘアカラーのフルコース。どうしても時間がかかる。
でも、と思う。櫛で雪姫の髪を梳きながら。何度もバランスを確認をする。最初に出会った時から、ずっと抱いていたイメージ。
――冬君に全部お任せするね。
雪姫にそう言われた。自分のなかで創りあげたイメージはあった。
彼女はどう思うか分からないから不安が募る。でも、自分の全力を注ぎ込んだつもりだ。
俺はちょんちょんと、雪姫の肩を叩く。
「んぅ、んっ……」
悩ましい吐息を漏らす。そんな声を聞いたら、こっちがドキドキしてしまう。思わずその唇を奪いたくなる衝動を、何とか抑えた。
「雪姫、起きて。終わったよ」
ゆっくりと散髪ケープを外す。肩周りをブラシで、切った髪の毛をはらっていく。ようやくぼーっとした表情を見せながら、雪姫が目を開きかけ――慌てて、また目を閉じる。
俺はつい苦笑が漏れた。
「終わったから、ゆっくり立って」
背中周りをブラシで髪をはらっていく。
鏡越し、雪姫がようやく目を開けるのが見えた。
雪姫が、両手で口を抑えるのが見える。
多くの人が「同一人物?」と目を疑うかもしれない。でも、女の子は髪が変わることで、こうも変幻する。
カット前の雪姫は、背中まである髪を後ろに束ねていた。綺麗な黒髪だけど、カットできていなかった分、厚い印象があり、より重く見えた。
今は――明るくて、軽やかだ。
俺は雪姫にロングボブカットを選択した。髪先は、デジタルパーマでカールさせる。ヘアカラーはオリーブアッシュをチョイスした。
うちの学校、髪染めは比較的ルーズだ。校則には「本校の学生であることを意識し、過度に華美な服装は避けること」とある程度。黄島さんも髪をブラウン系で染めているが、彼女の方がまだ明るい。
(それも、どうでも良いか)
結局は雪姫がどう思ってくれるかだけだ。
見れば、まるで夢でも見ているように、鏡の自分を見つめて――と、その体が動く。
気付けば、雪姫に抱きしめられていた。
「ゆ、ゆき?」
「嬉しい……」
感情のこもった声を切って安堵する。それ以上の確認する必要がないくらい、笑顔が零れている。
「あ、あのさ。切った髪の毛がまた雪姫についちゃうから――」
「そんなこと、どうでも良い」
「お、おぅ?」
雪姫の勢いに狼狽してしまう。と、雪姫は求めるように俺を見た。その両手が、ぎゅっと抱きしめる力をこめる。――離れない、離さない。そうその目が言っている。でも、冬君は?
俺は小さく息をついた。
そんなの答えは決まってる。
俺も雪姫の背中に手を回して抱きしめる。離さない、離したくない。誰にも渡さない。そう耳元で囁く。
「冬君?」
「ん?」
「私、どう? 変われた?」
「それをカットした俺に言う?」
「冬君の口から一番最初に聞きたい」
雪姫は真剣な眼差しで俺を見る。
「綺麗だよ。可愛いだけじゃなくて、本当に綺麗だと思ってる。初めて会った時からカットしてあげたいって思ってたんだ。今までね、何人か髪を切った経験はあったけど。この人を変えたいって思ったの、初めてだったから……」
雪姫と出会ってから、初めてのこと尽くしだ。本当に雪姫は俺を変えてくれた。
「うん……。あのね、冬君はずっと私を可愛いって言ってくれたじゃない?」
俺はコクンと頷く。だって実際、可愛いし。
「冬君は優しいから気を使っているって、ずっと思っていたの」
そう雪姫は言う。でもその目は、鏡に映る自分たちを見ていた。
「太鼓判押すよ。雪姫は本当に可愛いし、綺麗だよ」
そう俺が素直な気持ちで言うと、雪姫はまた顔を朱色に染めていく。
「……冬君、すぐにそんな風に言うの、本当にダメだから」
「へ?」
「他の子に、軽々しくそういうこと言ったら、怒るからね」
なぜかジトッと睨まれた。
「でも――」
すぐに雪姫の唇から、笑みがこぼれて俺は首をかしげる。
「私、もっと可愛くなりたいって思ったの」
「うん?」
「もっと可愛くなって、冬君の目に私しか映らないようにしたい」
「いや、そもそも雪姫しか見てないし――」
「それだけじゃイヤだよ」
雪姫の抱きしめる力を少しだけこめる。離さない、そう言いた気で。
「冬君が私しか見えないくらい。もっとドキドキさせられるぐらい、可愛くなりたいの」
「そのお手伝い、俺にさせてくれる?」
「冬君にして欲しい」
「じゃあ俺の服も選んでくれる? 雪姫をもっとドキドキさせたいから」
「え?」
今度は雪姫が目をパチクリさせる番だった。
「わ、私、センスはないよ?」
「他人基準のセンスなんかどうでも良いよ。俺は雪姫に選んで欲しいの」
「……そ、それってデートのお誘いのように聞こえるよ?」
「もちろん」
俺はニッコリ笑ってそう言う。
「リハビリじゃなくて、デート。雪姫と一緒にお出かけしたいって思ってるよ。雪姫に俺を変えて欲しい。雪姫が俺しか見えないぐらい、もっと夢中にさせたいから」
でもね、と俺は言葉を区切る。
「その前にお披露目しようか?」
俺はイタズラを成功させたコドモのような笑顔を浮かべる。
「おひろめ?」
目を点にさせた雪姫を尻目に、俺は雪姫から少し離れた。改めて片手で雪姫の手を握る。もう片方の手で、ガラス越しに手招きをしてみせた。
光や黄島さん、空君に天音さん。瑛真先輩、音無先輩、それから爺ちゃんや婆ちゃん――みんなと目があった。
■■■
「あ、あ、あ――みんな、いつから?」
雪姫が狼狽えているのが可愛らしい。
「えっと? 雪姫がタオルで目を冷やしたりしていた時かな?」
と瑛真先輩が良い笑顔で言う。
「……ほぼ最初からじゃない!」
雪姫の声が響き渡る。これまでに無いくらい雪姫が真っ赤になっていた。きっと雪姫は、今までの行為を思い返して、オーバーヒートしているに違いない。
「ふ、冬君はいつから気付いてたの?」
「雪姫の目を蒸しタオルで温めていたぐらい?」
「最初からじゃない!」
羞恥心から、俺の胸をポカポカ叩くが全く痛くない。
「と言うか、上にゃん気付いていたのに、あんなことしたの?」
黄島さんは呆れ顔だった。
「あんなことが何を指しているのか分からないけど。誰かの目を気にして、雪姫に遠慮するのは違うって思うからね。あえて見せつけてみたよ」
「ブレないと言うか、なんというか……もう確信犯じゃんか……」
空君は呆れを通り越して、諦めの境地らしい。何て言われようが、俺は雪姫に関して妥協も遠慮もする気はなかった。
「でもお姉さん、本当に綺麗」
うっとりと天音さんが言う。まるで自分のことのように、俺の頬が緩む。見れば光は温かい眼差しで、俺たちを見てくれている。心底、安心したと言いた気なそんな笑顔を浮かべて。
「本当に。彼氏さんにカットしてもらってこのクオリティー、どれだけ贅沢なんでしょ。彼氏さんがいるだけで罪深いのに、それだけ大罪なのに。お胸も大きくて、有罪だと言うのに――」
音無先輩がブツブツ呟くのが怖くてたまらなかったので、無視を決め込む。
「冬坊の全力、見させてもらった。ま、及第点かの」
「冬、良かったわね」
爺ちゃんと婆ちゃんにそう言われて、俺もコクンと頷く。二人の言葉は最大の讃辞だった。
と、すーっと雪姫が息を吸い込む。
これだけ多くの人に囲まれているけれど、呼吸に乱れはない。
きゅっと、手を握ってくる。
――傍にいて。
そう雪姫が言った気がしたから。
――傍にいるよ。
そう心のなかで囁く。声に出さなくても、雪姫には伝わるから。
雪姫は俺の手を離さずに、みんなの前でペコリをお辞儀をする。
「みんなに見てもらえて良かった。私、冬君のおかげで変わることができそう」
そうニッコリ笑って言う。
「みんなが思う【雪ん子】のままじゃなくてゴメン。強い雪姫じゃなくて、本当にごめんなさい。でも、もう自分にウソはつきたくないから。私、冬君の前なら当たり前のように自分を晒すことができたの。今ね、それが本当に幸せだって思ってる」
雪姫が俺を見る。
(私、自分の口で伝えるね――)
その思いがひしひしと伝わる。俺はただコクンと頷いた。
「ずっと我慢してた。お姉さんじゃないといけないって思っていたから。弱音は、本音は――ワガママ言っちゃいけないって思っていたから。だから、みんなが昔の雪姫を求めているのを知っていたから、ちょっと辛かった」
でもね、と雪姫は続ける。
「冬君はありのままの私で良いって言ってくれたから。今の私で。過去の雪姫も全部、冬君は肯定してくれたから。私は雪姫のままで良いんだって、冬君がそう言ってくれたから、私は呼吸をすることができたの」
すーっと、また雪姫は深呼吸をする。横に寄り添いながら、大丈夫だよと囁く。ここにいるみんなは、雪姫との接点をずっと求めていた人たちだ。天音さんは君のことを姉のように慕っている。爺ちゃんと婆ちゃんは、俺以上に雪姫のことを孫として見ている。それにさ――。
(俺が傍にいる)
温もりを介して伝える。雪姫はまるで向日葵が咲いたような笑顔を見せてくれた。俺の腕に、自分の腕を絡ませて。
「ゆ、雪姫?」
「下河雪姫は、上川冬希君のおかげで、こうやって外に出られました。私は、雪姫のままで良いよって言ってくれた、そんな冬君とこれからも一緒に歩いていきたい。そう思ってます」
雪姫は少し離れて――でも手を離さず――ペコリと頭を下げる。
反射的に俺も頭を下げた。
と、予想外の【音】に包まれて、面喰らう。
親友は、そんな言葉を受けて小さく拍手をする。それが黄島さん、瑛真先輩、空君――その場にいる人、何故か店の外から眺めていた人まで。拍手の輪が広がっていく。
「あ、あ――」
雪姫は言葉にならない。
これは決して否定の音じゃないことを理解したはずだ。
雪姫から、ポロポロと感情が滴り落ちる。
俺は無理にそれを止めようと思わない――
と、雪姫が周囲を気にすることなく俺に飛び込んできた。
音はさらに膨れ上がって。
そんな雪姫を全部、肯定してくれるように手を打ち続けてくれる。
誰が見ていても良い。
音に包まれながら。
その音に負けじと、俺は雪姫を包み込むように抱きしめた。
音が溢れて。
音に包み込まれながら。君の名前が呼ばれて。何故か俺の名前まで呼ばれて。この音の中に溺れそうで。幸せな音が氾濫していく。
■■■
と、一斉に拍手が止まる。
まるで波が引くように。
みんなが拳を振り上げた。
俺も雪姫も目を丸くして――その動きを真似してみる。
「「「「アップダウンサポーターズ」」」」
「えっと? あっぷだううんさぽーたー、ず?」
「あっぷだうんさぽーたーず!」
雪姫も合わせて手を振り上げる。
雪姫に追随するように、俺も手を振り上げた。
また湧き上がる拍手。音に溺れそうで、酔いそうで。暖かくて、嬉しくて。喜びの色に埋め尽くされてしまう。本当に幸せで。そんな色に君が染められていく。俺たちの未来まで彩る、そんな気がして。
この音の波は、もうしばらく引いてくれそうになかった。




