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64 君を祝福するclapping hands


【4/30 23:19】



「絶対、可愛いと思うんだよね」


 俺はベットで寝転がりながら、雑誌をめくる。ティーンズ向けガールズファッション雑誌【Nyan Nyan(にゃんにゃん)】だった。今やインターネット通販で気兼ねなく購入できるから、本当に助かる。中学校の時は何度、(みどり)と一緒に買い物に付き合ってもらったか分からない。


 今回の特集は、小悪魔系女子と天使様系女子。あなたはどっちで、彼のハートを射止める? だった。

 そんなの――。


「雪姫ならどちも似合うよね。そう思うでしょ、相棒(ルル)?」


 知るかよと、ルルは尾も耳もピクリとも反応させない。ちょっとそれは、薄情すぎないだろうか。


 俺は俺で意を決して、相談をしてるんだけど。ま、うちの相棒が気まぐれなのはいつものこと。結局は聞いてくれるから、俺は構わず言葉を続ける。


「でも、どちらかと言うと天使系かな。今の雪姫って、髪が全体的に厚いけど。毛は艶があって、綺麗なんだよね。少しボリュームを整えて、カールするだけで、大分印象が違うと思うんだけど――」


 知らん。ルルはタオルケットのなかに潜り込んでしまう。


「ちょ、ちょっと。ちょっとぐらい付き合ってくれてもいいじゃん。俺、緊張で死んじゃいそうなんだって。煮干しあげるから、少し付き合ってくれよ」


 ルルはちょんと顔を出す。が、すぐに興味をなくしたように目を閉じた。


「え? 煮干しだよ? ルル好きじゃん? 食べないの?」


 面食らうが、もう関心がないかのようにスピースピーと寝息をたてている。

 これはドコかで、上等の煮干しをもらっている可能性があるのでは?

 ルルを睨んでみるが、この同居人は反応を示さない。


「自由なのは良いけどさ、偏食は体に毒だからね」


 ふぅとため息を付く。

 チョキを作って、雪姫の髪を思い浮かべる。鋏をいれる感覚。絶対に失敗はできない。そんなに恐れるんだったら俺じゃなくても。

 それこそ爺ちゃんや婆ちゃんでも――。


 でも弱気になる感情(キモチ)を無理やり、追い出す。


(だって、これは俺のワガママだから)


 雪姫の髪を触るのは、俺が良い。俺じゃなきゃイヤだ。誰かに任せるつもりはない。雪姫を変えるのは俺だ。今さら雪姫の可愛さに気づいても、もう遅い。誰にも渡さない。


(……俺ってこんなに独占欲が強かったんだな)


 自分でも呆れるけど――この気持ちは変わらない。

 とルルが片目をうっすら開けていた。その目が


『ガンバレ』


 そう言っている気がした。

 俺は雑誌のページをめくる。イメージはもう固まっているけれど。

 




 ――小悪魔系女子と天使様系女子、深夜の逢瀬へ。男子を堕とす10のテクニック。


 いや、これはまだ早い。

 というか、ファッション雑誌の特集って、時に過激な内容あるよね。

 慌てて、俺は雑誌を閉じた。





■■■





【5/1(土) 13:00】



「雪姫、大丈夫?」


 隅の席で本を読んでいる彼女に声をかけた。雪姫は特に呼吸の乱れなく、本を読んでいる。


「ん。大丈夫」


 ニッコリ笑って雪姫はコクリと頷く。

 俺はお仕事モードで一礼した。


「お待たせしました、ご注文のカフェオレです。追加のご注文はございませんか?」


 と雪姫の前に、カフェオレを置く。


「今は、大丈夫です。あ、でも店員さん」


 雪姫にそう呼ばれると妙にドキドキする。


「はい」

「休憩時間に、一緒にご飯を食べられますか?」


 へ? と俺は固まる。


「そこまで待つの? お腹空かない?」

「冬君と食べた方が食欲わくもん。冬君が私と食べたくないなら、別だけどさ」


 ぷーっと頬をふくらます。雪姫が拗ねる意味が分からない。


「冬君って、たくさん女の人に声をかけられていたもんね。私と食べなくても、そういう人達と一緒に食べられるもんね」

「普通に接客していただけだから」


 俺は小さく息をつく。


 確かに他のバイトメンバーに比べたら声をかけられる割合は多いかもしれない。でも、それはあくまで可愛がってもらう程度――とまで思って、思考を打ち消す。それはあくまで俺が思っているに過ぎない。雪姫は現在進行系で、不安を感じている。だったら、俺がすることは一つしかない。


 こん。

 俺は雪姫の額に自分の額を合わせる。ほぼゼロに近い距離。唇が触れるかぐれないか。唇と唇から、吐息が漏れる。雪姫の体温をダイレクトに感じた。


「ふ、冬君?」

「俺が見ていたい人も、傍にいて欲しい人も、一緒にご飯を食べたい人も雪姫だけだよ」


 耳朶まで、雪姫は赤く染める。俺は笑みで唇が綻ぶ。嬉しいと思ってしまう自分がいる。雪姫のそういう表情を独占したいし、ドキドキさせたい。誰にも目を向ける余裕がないほど、もっと、もっと。そう思う。


「お店で、キスはダメだからね」


 と苦笑する声が飛んできた。美樹さんが雪姫の向かいに座ってニコニコ俺達を見やる。あえて無視していたのが、美樹さんの方が耐えきれなくなったらしい。


「し、しません!」


 雪姫が真っ赤になって俯くから、その手に触れる。優しく彼女の手を握りしめた。今、雪姫がどれだけ気を張っているのか。外の世界に踏み出そうと決意を決めたのは雪姫だ。だからこそ、どんな小さなことでも雪姫のことを支えたい。純粋にそう思う。


「美樹さん、この時間に抜けられるのは痛いんですけど?」

「今日はそこまで、バタついてないでしょ? バイトリーダーの音無(おとなし)ちゃんもいるし、瑛真ちゃんもいるからね」


 そうなのだ。最近、小遣いが欲しいと瑛真先輩がちょくちょくバイトとして参加している。勝って知ったる我が家。教えることは殆どないのだが『冬先輩❤』とわざとらしく囁いてくるあたり、やっぱりこの先輩にはかなわないと思ってしまう。


「でも、そろそろスイーツの注文を片さないと、かな?」

「食後のパフェ、オーダー入ってますからね。そろそろ作らないとですよ」

「オッケーオッケー。あ、雪ん子ちゃん、さっきのお願いは大丈夫よ」


 さっきの? 俺は目をパチクリさせた。雪姫は赤くなって俯いたままだし、美樹さんはニマニマと俺に向かって笑いかける。


「へ?」

「あ、そうそう。それとは別でね。また道場においでよ?」

 道場? 俺は首を(かし)げる。と、雪姫は雪姫で想定外の言葉だったのか、ぽかんと呆けている。


「雪ん子ちゃんが、頑張りたい気持ちは分かったし、私も応援したいって思うよ。上川君がいるからこそ、もっと踏み込んで良いと思うんだよね。守られるだけの女の子じゃいたくないんでしょ?」


 美樹さんは真っ直ぐに雪姫の目を見る。


「きっと上川君なら、ドコだって一緒に行ってくれるよ。ね? 上川君」


 いきなり話を振られるが、何のことやらチンプンカンプンだ。ただ雪姫のことで協力できることなら、何でも手伝いたいと、純粋にそう思う。


「きっとラブホテルでも、ね」


 ちょっと、ちょっと? 美樹さん、何を言っちゃっくれるの?


「……ふ、冬君もやっぱり、そういうことに興味あるの?」


 顔を真赤に――両手で覆いながら、指と指の間から、雪姫が俺を見る。

 あ、え、いや。言葉がぐるんんぐるん空回りする。雪姫以上に、俺が真っ赤になっていた気がする。


「上川君ー! 恋するカフェオレのオーダー入りましたよー!」


 音無先輩の声に、ほっと胸を撫で下ろす。


「雪姫、ちょっと行ってくるね」

「うん。また後でね。本当に一緒に食べてくれる?」

「もちろん。俺も雪姫と一緒に食べたいからさ」


 耳元でそう囁く。


「「いってらっしゃい」」


 何故か、声が重なった。見れば、美樹さんが未だ笑顔を絶やさずニコニコしている。


「美樹さんも、行くんです!」


 と美樹さんの腕を引っ張る。席を立てば、さっきまでのおふざけが嘘のように、美樹さんはカフェ内の状況を分析していた。まるでステージに立った舞台俳優のようですらある。


 Cafe Hasegawa。この空間を構築するため、スタッフは役者であることを求められる。故にスタッフを俳優(アクター)と呼ぶ。


 ランチタイムは戦争だが、冷静に対応することが俳優(アクター)に求められていた。慌てない、足音を立てない。待たせない。――だって、最高の時間を堪能しようと、お客さんは来店するから。だったら迎えるスタッフの力量が常に100%じゃなければ、意味がない。


 その状況を見極めたうえで、こうやってマスターと美樹さんは、お客さんと絡むことが多い。そういう意味では雪姫に対しても、最高のおもてなしをしてくれていたと――そう信じたい。




「上川君、上川君」

「なんですか?」

「今月号の【Nyan Nyan(にゃんにゃん)】ね。夜の逢瀬、男子を堕とす10のテクニックが特集なんだけれど、参考に読んでみちゃう?」

「……読みませんから!」

 すでに読んだ後とは、口が裂けても言えなかった。





■■■



【5/1(土) 13:20】




「光と黄島さん?」


 俺は目をパチクリさせた。Cafe Hasegawaで、色々な人を見るがこの組み合わせは初めて見た気がする。普段、一緒にいるようで、いつも遠慮するかのように少し距離がある。それは俺が今まで光を連れまわしていたから、かもしれない。


 見れば、光は気まずそうに真っ赤にしているが、黄島さんは嬉しそうにニコニコしている。


「まぁ、幼馴染だしね。たまに一緒に買物に行くことだって、あるよ」


 光は珍しく素っ気ない。


「光、俺はまだ何も言ってないけど?」


 思わずニンマリ笑みが溢れてしまう。いつもからかわれているので、ちょっとお返しをしてあげた。


「上にゃん。ひかちゃんは照れ屋さんだから、あまりからかわないであげてね。ちゃんと報告するから」

「彩音、報告とかいらないから!」


 ワタワタと慌てる光が楽しい。あまり刺激して二人の時間を邪魔しちゃ悪いので、これぐらいで控えておく。


「雪姫もいるけど、声をかける?」


 と聞くと光は首を横に振る。


「今日だったよね。この後、行くんでしょ? 邪魔しちゃ悪いから、今日は遠慮しておくよ」

「行くのは俺のバイトが終わってからだけどね」


 俺の言葉に、コクンと光は頷く。

 今日、雪姫の髪を切る。光にも黄島さんにも、伝えていたことだ。


「頑張って、冬希」

「頑張ってね、上にゃん」


 二人の声が重なって。そして三人で拳をコツンとぶつけ合う。三人同時に自然と笑みが溢れてた。不安と緊張が心の中を占めていたが、一気に気持ちがほぐれる。持つべきものは友達だねと、照れくさいけどそう思う。


「それじゃ気を取り直して。――ご注文をお伺いしますね」


 俺は姿勢を正して、ペコリと二人に一礼したのだった。





■■■





【5/1(土) 15:00】


 やっと一息ついて、雪姫のもとに戻ることができた。ゴールデンウィーク、飲食店は勝負の時。とはいえ流石の忙しさにヘトヘトになる。


「お疲れ様、冬君」


 雪姫が優しく微笑む。


「ごめん、遅くなって。やっぱり先に食べてもらってたら良かっ――」


 そう言う俺の唇を、雪姫は人差し指で塞ぐ。


「そういうこと、言ったらイヤ」

「雪姫?」

「折角、冬君と一緒にいることができるのに、そういうこと言わないで」

「ん……」

「だって、一人で食べても美味しくないもん。私は栄養が必要だから、食べるって感じだったの。食べないとフラフラしちゃうから。でもね、ご飯を食べるのこんなに美味しいって知ったの、冬君と一緒に過ごしてからなんだよ? 待つのくらい、たいしたことないよ」


 雪姫はそう言って書きかけのノートを閉じた。


「そっか」


 思わず苦笑が漏れる。一人だと悲惨な食生活になってしまい、雪姫に心配をかけてしまったことを、今さらながらに思い出す。


 むしろ雪姫と過ごすようになってからなのだ。食べることを意識するようになったのは。


 体調不良で倒れている余裕なんかない。だって、雪姫と学校で一緒にいられない分、会える1分1秒が本当に大切だと感じているから。


「俺も一緒に食べられるの、嬉しいよ」


 コクンと頷いて見せる。雪姫はボロネーゼのスパゲティを。俺はハンバーグドリアを食べる。真向かいではなく、隣で寄り添いながら。


 と、クルクルとフォークで巻いて雪姫は俺に差し出す。自然と俺は、パクリと食べる。俺のドリアも同様に。少し熱いから、少し冷ましてから。スプーンを雪姫に差し出す。小さな口で頬張り「美味しい」と雪姫は笑顔を溢した。


 美味しいをシェアするだけなのに、こんなに幸福感で満たされるとは思わなかった。


「おぉ……ナチュラルだよね、君たち」


 と声をかけてきたのは、瑛真先輩。その横には音無先輩もいた。

 活発な瑛真先輩とは対照的に、黒い髪を腰までのばし、大和撫子という表現が合う音無先輩。ただし、なかなか楽しい性格をしている。


 雪姫は目をパチクリさせる。そして、無意識なんだろう。俺の腕をぎゅっと掴んだ。


「ごめんなさい、下河さんにご挨拶をしたくて」


 と音無先輩は言う。


「音無雪です。私と同じ読みの名前だったから、ずっと気になっていたの」

「……生徒会副会長さん?」


 雪姫がそう言うと、音無先輩は、ぱぁっと表情に笑顔を咲かせる。


「私のこと憶えていてくれてたんだ? 上川君なんか、私のこと全然憶えてくれていなくて。本当にあの時は絞めてやろうと思ったのよ」


 爽やかに言ってくれる。本当に良い性格をしている先輩である。バイトのムードメーカーなのは間違いないが、俺をダシにするのだけはどうか止めて欲しい。


「入学当初の話でしょ! 生徒会役員の名前まで知らないって!」

「下河さんはちゃんと私のこと知っていたよ?」

「上川君は雪姫のこと以外、あまり興味ないからね」

「瑛真先輩、言い方!」


 ニヤニヤする瑛真先輩に一応の反論をしてみるが――ごめん。今の生徒会長の名前、やっぱり知らないや。


「じゃ、改めてだけど」


 音無先輩が雪姫に手をのばした。


「これからも、よろしくね」


 音無先輩は言う。その手を雪姫はおそるおそる触れた。呼吸に乱れはない。大丈夫――俺の方が心配で、喉がカラカラになる。


「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします。頑張ります!」


 決意をこめるかのように雪姫は言う。

 あれ? と思った。何だろう、この違和感、まるでバイトに仲間入りするような――?





■■■





【5/1(土) 16:07】


 カフェ内の柱時計を見る。17時の退勤予定までもうすぐだ。この後、恋する髪切り屋に向かう。今日しか、店舗を借りることができなかったのだ。


 下河家で切るという手もあったが、中途半端なことはしたくなかった。


 ――学校に行くのなら、髪を切りたい。冬君に切って欲しい。


 そう言ったのは、バーベキューの後。決意したその目に、不安は何一つなかった。

 だってね、と雪姫は言う。冬君の彼女として、釣り合ってないって言われるのはイヤだから。背伸びしてると思うし、それで自分を変えようだなんて身の程知らずだと思うけど。


 俺は首を横に振る。

 覚悟を決めて、変わろうとしている人を誰が笑うことができるだろうか。そう思う。むしろずっと思い描いていたことだ。雪姫を変えてあげたい。どうせ変わるなら、それは俺の手が良い。誰か違う人の手じゃなくて。

 俺は思考を打ち消す。今はとにかく目の前のことに集中して――。




「雪姫、遠慮しなくて良いからね」

「瑛真ちゃん……」


 と奥の席から声が聞こえた。雪姫が瑛真先輩と一緒に席を立つのが見える。トイレかな? と思うが、そこまで言及するのも野暮だと思い直す。目の前の仕事に集中しなくちゃと、思考を切り替える。




「お待たせしました。マスターのモカブレンドです」


 と俺は常連のご婦人達に、コーヒーを差し出す。


「上川君、ありがとう。本当はね、君の『恋するカフェオレ』飲みたいんだけど、流石に旦那がいる身で恋をするのもね」


 とクスクス笑う。


「そうそう、家庭崩壊しちゃうから」


 まるで、これからイタズラするかのように微笑んで。このご婦人方は時々、こうやって俺をからかってくるのだ。


「旦那さんに、もう一回恋しちゃったら良いと思いますよ。恋が未婚の人限定だなんて決まってないですから」


「なるほどー、そうキタか。以前のタジタジで初心な上川君が懐かしいわね。うん、分かった。次に来た時は『恋するカフェオレ』を注文するから、よろしくね」

「私も頼むからよろしく、上川君」


 そう微笑んで言ってくれる。俺はペコリとお辞儀をしてこの場から退こうとして――?

 マスターがカウンターに来るように、クイクイと手招きしていた。





■■■





【5/1(土) 16:15】



「悪いね、上川君。今日は人もいるし、お店の中も落ち着いているから、これから入る新人さんの研修を君にお願いしたいと思うんだけど。良いかな?」

「へ?」


 俺は目をパチクリさせた。新人(アルバイト)が入るのも初耳だし、本来なら新人研修は美樹さんや音無先輩の役目だ。


「マスター? でも、今日17:00で俺はあがりますよ?」

「うん、それは大丈夫。彼女も、挨拶がてら来てくれたからね。手始めにお店の説明や一緒に接客をしてもらったら良いと思うよ。時間までで大丈夫だから」


 そうニッコリ、マスターは笑う。

 と、瑛真先輩と美樹さんに連れられて、Cafe Hasegawaの制服に身を包んだ子が、自信なさ気に入ってくる。


「あ、あの……瑛真ちゃん、美樹さん……その、やっぱり恥ずかしい……」


 聞き慣れた声に、俺は言葉を失う。


「大丈夫、大丈夫。ほら上川君も見惚れてるから。でも本当に似合うよね。可愛い」


 と瑛真先輩がその子の背中を押す。


「さ、先輩にご挨拶しないと、だね」


 ニッと笑む美樹さん。それを見てマスターも音無先輩も、笑みを絶やさない。

 彼女は深呼吸し、意を決したかのように、口を開いた。


「あ、あの……。今日から入った新人アルバイトです。その、よろしくお願いします、せ、先輩――」


 カァッと頬を赤く染めながら、彼女はペコリと頭を下げた。


「下河雪姫です。一生懸命、頑張りますから、よろしくお願いします」


 もう一度、頭を下げる。

 その刹那。


 何故か、お店の中から拍手がわく。


 最初は小さく。細波(さざなみ)のように。それが大きくうねって。拍手という波に押し流されそうになる。


 思えば、今、ココにいるのは見知った常連さんばかりだ。それは幼い時から雪姫を知っている人達と同義語だった。


 この瞬間、多くの人に暖かい目で見守られている。そう強く感じた。


(どうしよう――)


 目頭が熱い。

 視界が滲む。


 いつか、こんな瞬間が来たら良いのに。ずっとそんな夢を見ていた。

 でも、それはまだ先のこと。もっと未来のこと。ずっとずっとそう思っていたのに。


 そんな俺の思考なんかお構いなしに、雪姫はすでに、新しい一歩を踏み出していた。


 俺は自然と手を差し出していた。引かれるように、雪姫も手を伸ばして。


 二人の手と手、指と指が絡むように触れ合った。お互いの温度を確かめあって。だから――これは夢じゃない。本物で、そして確かな現実だと知る。


 拍手は鳴り止まない。


 まるで、演劇のカーテンコールのように。

 拍手を送る一人一人に向けて、俺と雪姫は深くお辞儀をしていた。


 何かを返したい。でも、このお店で店員(アクター)が言うべき言葉は決まっている。


 常連客も、初めての人も。お久しぶりの人にも。今日しか利用しない人にも。このお店で、同じ時間――特別な時間を共有するから。

 すーっと、二人の深呼吸が重なった。




「「ようこそ、Cafe Hasegawaへ」」



 一寸のズレもなく、俺と雪姫の声が重なった。

 鳴り止まない拍手に迎えられて。胸がいっぱいになる。

 だから、その刹那。

 囁かれた声に、俺も雪姫もまるで気付いていなかったんだ。





■■■





  

 ――アップダウンサポーターズ!



 天に向かって拳を突き上げ、高らかに(うた)われた

 その言葉を。

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