63 これはあっしらの宣言だ
――クロ、雪姫嬢を追い込んだ奴らを調べとけ。
■■■
だいたい、親分は猫遣いが荒いのだ。わざとらしくため息をついてみせる。でも親分に頼られてイヤな気持ちにはならない。むしろ誇らしいと思う。
(こんなあっしを、参謀と認めてくれてた――)
ハグレだった猫が【家族】の中軸に挙用された。これは大抜擢といえる。
と、停車している車のボディーに映る自分の姿を見えた。今度は自然と重いため息が漏れた。自分の容姿がコンプレックスなのは、いつまでたっても変わらない。
もともと頼られるような性分じゃなかった。
腹と尻尾は白。それ以外は黒。人間はあっしを見る度に「パンダ」と笑う。界隈のノラ猫達も同様だった。反論する術も力もなく。結果、どこの組にも属せないハグレとなったワケだが――。
この3ヶ月で、全てが様変わりした。
あのニンゲン――雪姫嬢が過呼吸で倒れたタイミングだったから、よく覚えている。
以前、この地域を牛耳っていた【トラ猫団】
ヤツらを蹂躙した白猫が現れたのだ。
理由は単純。黒姫に惚れ込んだ【トラ猫団】のボスが、姫の貞操を力付くで奪おうとして――白猫が、無謀にも抗った。それが親分だった。
「女を泣かすヤツがボスだって? 笑わせるな」
そんな理由で。おかしな猫だ。変な猫だ。ハグレの猫を気にかけて、ニンゲンと半同居して。そしてニンゲンのことを気にかけている。
不思議とそんな白猫に、ハグレを中心に惹かれていった。ハグレ猫連合――通称【家族】が結成されたのも、自然の流れだった。
結果、【家族】の圧勝。ふんぞり返っていたあいつらが、こんなに弱かったってなんて知らなかった。
変化はすぐに訪れた。
猫の矜持に反する者は粛清され、猫の誇りをもつものは尊重された。人間との関係も悪くない。気を使うことは増えたが、それでご飯にありつける機会が増えたから――悪くない。
弱きを守り、強きを挫け。まるでニンゲンの御伽噺にある騎士道精神のようだ。でも、あっしは、なかなかそれが気に入っている。
ルルの親分が、白い悪魔、白猫の騎士と言われる所以である。
だから、と思う。
猫の矜持のもと。
【家族】の一匹として。
雪姫嬢を追い詰めた、愚か者が許せない。
あっしは鳴いた。
呼応するように、周囲の【家族】も鳴く。
「にゃー」
「みー」
「にー」
多くの猫が呼応した。
■■■
タンタンタン。小気味良いリズムを鳴らしながら、バスケットボールを繰る少年。そして対峙する少年が一人。ボールをドリブルしているのは雪姫嬢の弟君――空坊だった。
一対一で、1on1が行われていた。守備と攻撃がハーフコートで競う。時々、この公園で見る、彼らのお馴染みの光景だった。
「……毎回思うけどさ。空、おかしくない? なんで現役バスケ部じゃないのに、今もそんなに反応できるの?」
「んー? ボールは今も暇な時は触っているし、筋トレしてるしね。ただ、やっぱりスタミナは保たないね。さすが現役」
「イヤミかよ。誤差の範疇だろ?」
この間も彩坊はボールを奪うのに必死だが、股の間をボールはいったりきたり。緩急をつけ、まるで猫がジャレているようで、奪うことはかなわない。
「雪姫さんのことが落ち着いたんだから、戻ってこいよ?」
「俺、彩翔と付き合ってたっけ?」
「より戻そうって意味じゃねぇし! 部活に戻ってこいよってコトだよ! そもそも空と付き合ってた既成事実はないから! 俺、湊一筋だからな。それに冗談でも天音さんの前でそんなこと言うなよ?」
「翼が? なんで?」
「……鈍感め。俺はアイドルさんのご機嫌損ねたくないからな」
あぁ、とあっしは頷く。空坊は知らないが、翼嬢が男子諸君を徹底的に打ちのめす光景は珍しくない。翼嬢は自分と相容れない人に容赦なく、塩対応だ。
彼らは空坊が仲良くなれたのなら自分も――と思うらしいが、何の努力もせず番になれるものか。呆れるしかない。
とスマートフォンが着信を告げる。
「おい、空。鳴ってるぞ?」
「とりあえず、ゲームが終わったら出るよ。あの着信音、翼だから、そんな急ぎでもないでしょ。あっちの用事が終わったんじゃない?」
「俺、知らないからな――」
何故か彩坊の動きが止まる。その一瞬の隙をついて、空坊は跳躍をして――ボールがリングに吸い込まれるように入った。
「今回は俺の勝ちかな」
ニッと笑って振り返った空坊の――笑顔が凍りついた。
ワンビース姿の翼嬢、それからハーフパンツ姿の湊嬢が立っている。
翼嬢は、両手を腰にあてて、明らかに不満そうな表情を見せていた。
「……え、っと?」
「空君、私のことを無視したよね?」
「あ、え、その、え?」
翼嬢の視線に耐えられず、思わず空坊は目をそらす。
「湊、助けて!」
慌てて隣の湊嬢に救いを求めた。
「……昨日の段階で、今日は空いているって言ったの君だからね。怒る権利はつーちゃんにあるよ。私ら女子バスの用事が終わったら、合流しようって言ったよね?」
「それは……。だから、待っている間の――」
「電話があったということは、私らの用事が終わったって想像できるんじゃない? 全面的に空と彩翔が悪いよ」
「俺も?!」
彩坊、みごとに巻き添えを食らったらしい。
「あ、その……。翼、ごめん。無視したかったわけじゃなくて。久々だから、つい楽しくて……」
「……」
翼嬢は無言で、頬を膨らませている。その容姿から察するに、空坊と一緒に過ごすことを、かなり楽しみにしていたようだ。
「それに……。今日、会うのが楽しみだったの、俺もそうだから」
坊の言葉に、眉が小さく動く。ボソリとつぶやく。空坊には聞こえていなかったようだが。
「へ?」
「私もやる。私も1on1やる!」
「い……だって、翼、その格好じゃ――」
「私も空君と1on1やるの!」
その小さなワガママに空坊は唖然として、彩坊と湊嬢は微笑ましそうに、頬を緩ませた。
取り繕ってない――素の翼嬢がいた。
翼嬢から香る甘い香。それが今の彼女の率直な気持ちを表していた。空坊もいい加減、気付いて良いと思うのだが――いや、空坊は気付いている。だから戸惑っている。どう翼嬢と向き合って良いのかわからない。そんなところか。
何とも微笑ましい。
もう少し、このアオハルな一幕をもう少し覗いていたかったが、遠くで交わされた無粋な声が、あっしの鼓膜を震わせた。
――下河を学校に行かせるな。
悪意のこもった声。
触れれば、果実が腐り落ちてしまうような、言い得ない腐臭。あまりの悪意に、鼻が曲がりそうだったが、あっしは意を決して駆ける。
草むらをぬけて、塀を飛びこえ、人の足元をくぐり抜けて。近づけば近づくほど、鼻を刺激する悪臭に耐えながら。
■■■
高校の裏にある焼却炉の前。そこで悪臭の根幹が、悪びれる様子も無く、言葉をかわしていた。
「手は打った。覆すことは不可能だ」
「本当かよ? 現に下河、上川と外が出られるようになってるじゃねーか。アイツが俺達を告発したら一発だろ?」
「学校の決定は絶対だ、もう覆らない。退学は決定事項だ。それにあいつが今さら言ってきても、否定すれば済む。そもそも証拠がない。違うか?」
「言われただけでダメージだから。内申点が傷つくの、私はごめんだからね」
「言わせる状況は作らない。そもそも、人と接するだけで過呼吸になるんだ。まともな発言ができるはずがない」
「でも、今は上川が――」
「それなら、上川を潰せば良いだろ? 県外から来た一人暮らし。コミュ障。追い込めば、くだらないことも言えなくなる。そうだな、大國を使うか」
その発言に、口笛を吹いたり、安堵したかのようにそれぞれから小さく歓声があがった。
「それは良いね、彼は上川に悪感情を抱いてる」
「不良どもを潰した【化け猫】が上川だって噂があるじゃん。本当に大丈夫なのかよ、生徒会長?」
「問題ない。調べたら、あいつら飲酒をしていたらしい。そんな状態じゃ潰してくれと言っているようなものだ。むしろ、それをタネに脅して、不良どもにも協力してもらおう。人海戦術で上川を潰すんだ。そして下河は穏便に退学してもらう。みんなウィンウィンだと思わないか?」
不快感から爪が出る。でも、すぐそれを止める温度を感じた。目をパチクリさせる。ルルの親分が隣りにいた。見れば、ティアの姫も、モモのお嬢も――顔なじみの【家族】の面々が寄り添うように、この場所に集っていた。
「よくやったな、クロ。でも、まずはその感情を収めろ」
そう親分は言う。奴らの会話は続いている。
「全員、この匂いを憶えておけよ?」
ルルの親分はそう言う。でも、たかだか猫に何ができるんだろうか。猫の言葉は人間には決して届かない。
なかには雪姫嬢や冬坊のような優しい心音をもつニンゲンもいる。でも、そんな子達は例外だ。多くのニンゲンは傲慢で、無責任。例えばあっしのように、毛色が珍しくて飼ってみたものの、飼育できずに放り投げる。そんな猫は多いし、そういう身勝手なニンゲンの方が大多数だ。
最初の飼い主があっしをパンダと名付けた。
腹と尾が白い。
ブサイクだと、あいつは笑っていた。
【クロ】と名付けてくれたのは、ルルの親分だ。この名以外で呼ばれることをあっしは認めない。でもこの名を、ニンゲンが呼ぶことはありえない。だから、あっしがニンゲンに歩み寄ることが、そもそも有り得ないのだ。
「でも、あっしら、たかだか猫ですぜ。何ができるって――」
「たかだか?」
親分は意地悪く笑う。いや嗤ったと言った方が正解か。
「俺にとっては、猫とかニンゲンとか。そんな括りはどうでも良いね。うちの【家族】って、いつから猫専になったんだ?」
「……」
そうだった。犬だろうが、ツバメだろうが、山から降りた熊も、動物園から逃げ出した猿も、親分にとっては【家族】だった。今さらニンゲンが一員になったとところで、驚くことはない。そして雪姫嬢も冬坊のことも、ニンゲンその他大勢として括るには、あっしは感情移入し過ぎている。
(放っておけない――)
そう思う。
「頼むぜ、参謀」
親分はそう言って笑った。匂いは憶えた。手始めに引導を渡してやりたい。それが無意味なことであっても。あっしは、そう親分に伝える。親分は「そりゃ良いな」と笑む。
【家族】の面々もコクンと頷き同意を示した。
「おあー!」
高らかに親分が鳴く。
それに続いて、あっしらも。姫も嬢も、【家族】の面々が追随する。
密談していたヤツらの声が止まった。
さらに声高に、猫が、犬が遠吠えするように、声量を上げていく。
「き……気色悪い。何なの?」
「化け猫の祟り?」
「あれは酔っ払いどもの戯言だって!」
「……ここでずっと話していて、悪目立ちしたら本末転倒だ。日を改めるぞ」
「わ、分かった!」
顔を青くして、奴らは散り散りになっていく。
それを見て、親分はコクンと頷いた。
「それぞれ、尾行しろ。情報を収集し、参謀に報告。今後の対応は集会で判断する」
「「「「いえっさー!」」」」
【家族】達が景気よく、声を上げる。ニンゲンなら敬礼しているところか。かくいうあっしも、みんなと同じように声を張り上げていた。
■■■
とはいえ、だ。今のあっしにできることはほとんど無い。
今は、【家族】メンバーが報告をくれるのを待つのみで。
あっしは大きく欠伸をした。
公園に戻って、ベンチの下、花の匂いを楽しむ。桜の花びらは散ったが、チューリップの匂いが楽しませてくれる。と、季節外れの金木犀の匂いがふんわりと公園中を埋め尽くす。この甘い匂いは――。
「雪姫、疲れた?」
「そんなことは――あ、でも素直に言うって決めたんもんね。冬君、ちょっと疲れたから、そこのベンチで座って休んでも良い?」
「もちろん」
ベンチに座った男女が誰なのか、今さら確認する必要もない。
「明日、本当にCafe Hasegawaに来るの? 大丈夫?」
「うん。だって、これから学校に行くんだもん。少しずつ範囲を広げていかなくちゃ。冬君に頼りっぱなしもいけないしね。あ、でも勘違いしないでね」
「へ?」
「冬君がいらない、なんて言ってないからね。私には冬君が必要だよ。でも、冬君に支えてもらうだけなのは違うし、私も冬君を支えられるようになりたい。そう思っているから」
「うん、それは分かっているよ」
そう言う冬坊から苦笑が漏れる。少なからず、そう考えてしまたっということか。悩め少年少女、とつい思ってしまう。
「だから――その後、私の髪をお願いね」
「本当に俺で良いの?」
「冬君が良いの」
「言っておくけど、俺は素人だよ?」
「高校生が理容師免許を持っていたら、それこそビックリだよ。それに、幼馴染さん達には髪を切ってあげたって聞いていたけど、私はダメなの?」
「え?」
あからさまに冬坊は狼狽する。
「俺、そこまで話したっけ?」
「この前、霜月さんとお電話したから。その時に教えてもらったの」
クスクス笑って、嬢は言う。
「婆ちゃんめ」
冬坊がため息をつくと――スマートフォンが鳴る。
「……父さん?」
「出て良いよ。待ってるから」
「ごめん」
そう言って、冬坊はベンチから立ち上がる。少しだけ、距離を置いて、通話する。
――元気だよ、うん。
――彼女? 言ったのは爺ちゃんか……え? 二人から?
――うん。俺も会って欲しいって思って……今イギリス? あぁ、そのスケジュールなら、夏休みまで確かに無理だね。
――あぁ、うん。うん。分かってる。俺より父さんだよ、体、気をつけてね。うん。
…。
……。
…………。
気になって、ついベンチの下から顔を覗かせると、不意打ちで頭を撫でられ、思わず身構えた。見ると雪姫嬢が、微笑んでいる。
「今日はクロちゃんだったんだね」
あっしは、目をパチクリさせた。なんで――。
「勝手に呼んでごめんね。本当の名前が違ったら、いけないよねって思うけど。綺麗な黒だから。クロちゃんて呼びたいってそう思ったの」
なんで、どうして。
猫とニンゲンは言葉が伝わるはずが無いのに。
――お前さ、ティアとはまた違う黒が良いよな。鋼色って感じ? ウチ、バカな奴ら多いけど、お前って本質は知的だよな。お前さ、俺の参謀になれよ。なぁクロ。あ、勝手に名前をつけたけど、良かったか?
そう言ったのは親分だった。
「いつもルルちゃんと一緒に見守ってくれていたでしょ?」
また雪姫嬢があっしの頭を撫でる。
放っておけない子だった。
貴女が発作を起こした時。どうしてあげることもできなかった。冬坊が外に連れ出してくれた時、心の底から良かったと思った。
これはルルの親分の気まぐれに付き合うだけで、ニンゲンに伝わるはずも無いって、そう思っていたけれど――。
「だから、クロちゃん。本当にありがとうね」
雪姫嬢は、続けて頭を撫でてくれた。
「にー」
あっしは鳴いた。
これは、あっしの宣言だ。
あっしは猫だ。
ニンゲンから見れば、弱くて、ヒヨワな野良猫だ。そんな猫だけど、【家族】の危機を見過ごせない。
雪姫嬢も冬坊も、あっしらの【家族】だと、そう思う。
「にー」
だからもう一回、あっしは鳴いたんだ。
「にゃー」
「みー」
「みゅー」
多くの猫が呼応する。
これは、あっしらの宣言だ。
■■■
アップできるようにサポート! ダウンしてもフォロー! 冬坊と雪姫嬢をハイテンションで応援! それが我ら――アップダウンサポーターズ!
これは、あっしらの宣言だ。
【ワンオンワンの後】
「空君が私の胸さわったー」
「いや、あれは不可抗力で……。翼のオフェンスが上手すぎて」
「じー」
「なんだよ?」
「みーちゃんとも1on1するんでしょ? 空君、みーちゃんに、そういうことしたらダメだからね!」
「し、しないし。湊は薄いから分からなかった――痛ェっ!」
「空君が前科持ちだった件……」
「つーちゃんと比べるな!」
「痛い、痛ひ、痛い!」
「両手に花だな、空」
「あひゃと、たしゅけひょ」
「ごめん、空。何を言っているか、ぜんぜん分からない☆」
「彩翔ー!」
【電話の後】
「冬君のお父さん、私達のこと知っていたの?」
「うん……。爺ちゃんと婆ちゃんが言ったみたい。夏休みをめどに帰国するから、その時ちゃんと紹介しろって」
「そっか。うん、もっと頑張らないとだね」
「雪姫はもう頑張っているって」
「だから、もっともっと頑張らないとなんだよ」
「そっか……スゴイな、雪姫は。本当にいつも前向きだなって思うよ」
「え? そんなこと……」
「ちょっと目を閉じて。おまじないをしよう」
「冬君?」
「目を閉じて。一人で頑張るんじゃないから。一緒に頑張るんだから。だから、おまじないをさせて」
「ん……」
「「――」」
「……冬君、ありがとう。がんばれる。私、もっと頑張るから。冬君、傍にいてね? 他の子の隣じゃイヤだから。絶対、私の隣にいてね」
「そりゃもちろん……なんだけどさ。ねぇ雪姫? 最近、猫が多い気がするんだけど、前からこんなにいたっけ?」
「……今は、見守って欲しくなかったかな……」
「へ?」
「な、なんでもない! なんでもないからね!」
「にー」
「にゃー」
「みー」




