閑話9 オカシをくれてもイタズラしちゃうゾ
季節は移ろう。
色のない風が吹き抜けて、今日のように紅葉を巻き上げながら。
■■■
秋風が吹き抜けたあの季節。
秋風の同義語が「色なき風」とはよく言ったものだと思う。季節は色を失い、冬へ移ろう。
同じように、色を失って。大切にしていたことを喪くしていきながら、オトナになっていく。
でもあの時の僕は、そんなこと露ほども思っていなかった。
保育園時代、小学校時代のようにまた無邪気に笑い合える。それが当たり前だと、そう信じていた。
この時の下河は、まだ学校に登校できていた。でも、ドコとなく表情に陰を落としていた気がした。今から思えば、だけど。
風は色を失い。
表情は温度を失って。
言葉は少なく。
兆候はあった。
悪意の含まれた言葉なら、多分、ずっと下河に囁かれていた。ただ、この時の僕は全く気付いていなかっただけで。
「はい、海崎先輩。これハロウィンパーティーの進行ルート、最終版ね」
と空君が地図を手渡してくれる。下河が、子ども会の役員と確認をして作ってくれた運行表だ。さっと目を通す。
「ルートが変更された場所がある?」
「ゆっきが、厳さんと確認をしてくれたんだけどね、臨時で工事があるみたいでそおは迂回することになったの。でもこの高台、ちょっと注意必要よね。きっと登りたがる子がいるよ?」
と彩音が同様に行程表を見やりながら言う。
「了解。ちょっと気にかけておくね」
と頷きながら、ちょっとワクワクしている自分がいる。子ども会恒例ハロゥインパーティー『百鬼夜行』が今年も開催となったわけだけれど。――誰かな、こんなネーミングを採用したの?
ハロウィンにちなんで、仮装して町内を練り歩くのだ。
行く家々、通り過ぎた人たちに向けて、
『トリック・オア・トリート お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ?』
とお菓子をねだりまくって。大人達がオカシを準備済みなのはお約束。町内会回覧板で告知済みだ。ゴールは保育園。その園庭でパーティーを開催するまでが、このイベントの行程となる。
ちなみに僕らは過去に【クソガキ団】と言われていたが、そりゃそうだよねと今さらながら納得する。行いがあまりにヒドすぎた。
お菓子を出す前に「タイムアウトー!」って、絵の具を撒き散らしたり、ミイラに全員で仮装した時は、歩きながらトイレットペーパーを放り投げたり、クラッカー鳴らしたり。
大人たちが怒り心頭になると、瑛真先輩、彩音、そして下河が首を横にコテンとして「トリック・オア・トリート」と可愛らしく言えば、だいたいは許してくれる。あざとい女子の勝利だ。
その一方、僕と圭吾は大目玉を喰らっていたわけだけれど。
そう考えると、今の子達は悪ふざけも良識的だ。
今年もほどほどに騒ごう。そして、できれば下河と距離を近づけたい。そう思う。
「空は天音さん、誘えばよかったのに」
と彩翔君が言う。湊が仲良くなった転校生の子か。最初、空君が校内を案内をしたらしい。部活をやめた直後で、暇だっただけ。そう空君は言う。
勿体ないよな、って思う。彼はバスケ部の中心だった。特に何か問題があったワケじゃないのに。それなのに、どうして――。
そう言うと、湊は呆れた顔をした。すぐにその表情を引っ込める。
――お兄ちゃんのそういう鈍感なトコ、ある意味じゃ救いかもしれないけどね。
肩をすくめて。
今ならわかる。この時から――その前から、真綿で首を締めるように、下河は追い込まれていた。
夏前には下河が何回も過呼吸をおこしていたと、後で知る。
でも、あの時の僕は……もう終わったことなんだと。前向きにみんな学校生活を送っていると、呑気にそう考えていた。
「なんで天音さんを俺が誘うんだよ?」
空君が訝しげに彩翔君に訊く。
「だって、一番先に仲良くなったの空じゃん」
「暇だったから、学校を案内しただけだし。だいたい、天音さんはもう友達がいるだろ。色々誘われていたし。もうスケジュールつまってるって、本人が言っていたの聞いたけど?」
「そりゃ先約、私だもん」
と言ったのは湊。空君が言葉を失い、目を丸くした。
と、湊の後ろに隠れるように、空君を見ている女の子が一人。湊とお揃いの、某魔術学校の制服を来ていた。見れば、彩音がニンマリ笑んでいる。子ども会衣装班の重鎮は、今回も良いお仕事をしたらしい。
「あ、天音さん?」
「下河君……。お邪魔し、ます。この町のこと、分かってないから。その……。案内してもらっても良いですか?」
「そ、それは。俺で、良ければ。それは喜んで、だけど」
辿々しくも初々しい二人に目を細めて、つい微笑んでしまう。湊を見ると、嬉しそうに笑っていた。湊は、まだ始まっていない恋を全力で応援したいらしい。
僕も、もっと下河と距離を詰めたい。そう思う。
せめて、小学校の時のように――。
そう思うのに、彼女を慕う子ども達が壁になって、なかなか雪姫の傍に行くことができなかった。
■■■
はしゃいでいた子が、高台に上がる。例の要チェックポイントだった。
「こら、危ないよ!」
下河が声を上げるが、女の子は何のその。
「大丈夫だよ、お姉ちゃ――」
刹那、足を踏み外した。
時間がまるで止まるように、僕は体が動かなかった。アスファルトに彼女が激突する――。
その瞬間、放り投げられたエコバックが視界に飛び込む。
(え?)
ぽふん。
柔らかい音がする。
反射的に閉じてしまった目を開けると、女の子は高校生らしき男子に、受け止められていた。
「あ……ありがとう。お兄ちゃん」
「うん、気をつけてね」
そう言って彼は彼女を優しく降ろす。放り投げたエコバックを拾い上げて、彼は何でもないかのように歩き出した。
「あ、お兄ちゃん!」
「え?」
彼が振り返る。
「とりっく・おあ・とりーと! お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ!」
「こ、こら! そこはまず、『ありがとうございます』でしょ!」
と下河。もっともだ。
と、彼は困惑して――そして苦笑を漏らしていた。
「お菓子は持ってないんだけど……イタズラは勘弁して欲しいかな。これで許してくれない?」
と取り出したのは、ゼリー急速エネチャージと栄養ドリンクだった。
ちょっと待て、君。保育園児に何を渡してるの?
「うん、ありがとう。もらったからイタズラしないであげるからね!」
「栄養ドリンクは、大人の人に飲んでもらってね」
「わかった!」
「あ、あの。ごめんなさい。」
そう言ったのは下河だった。対して彼はふんわりと笑う。
「怪我がなくて良かったね。あなたも一人でこの人数の子達を見るの大変だったよね。気苦労多いだろうけど、ケガしないように頑張って」
彼はそうヒラヒラ手を振って、去っていく。
「あの人、確か県外から入学した1組の……上川君じゃない?」
彩音の呟きも、耳の奥底まで届かなかった。
頭を強く殴られたような――そんな衝撃を覚える。
(何やってるんだ、僕は……)
下河は子ども会の仕事を頑張っている。
それなのに僕ときたら、子ども達をジャマとすら思っていた。なかなか下河と近づくことができないから。
(――本末転倒だ、何しに来たって話だよ)
僕は首を横に振る。
結局、僕はこの時から。その前も大切なことから目を背けていた。気付かない振りをしていた。気付こうと思えば、知ることができたのに。
子どもだったんだと思う。
この日は結局、下河とはまともに話ができないまま終わりを告げた。
時間ばかりが過ぎて。
ハロゥインパーティーの後も、下河と接点がもてないまま。
カレンダーは、めくられて。
年が明けて2月。
下河雪姫は、学校に来られなくなった。
僕たちの目の前で、発作を起こして――。
■■■
季節は移ろう。
色ない風が吹き抜けて、今日のように紅葉を巻き上げながら。
色が褪せても、気温が下がっても。
あの時とは違う風景が広がっていた。
影がその表情から失せて。
彼がいるから、君は呼吸ができる。
■■■
子どもたちが、下河を囲むのはいつものこと。でも、今はその隣に冬希がいる。冬希はドラキュラ、下河は魔女に扮していた。狼男は空君、僕はミイラ男、天音さんは死神、彩翔君はピエロ。湊は黒猫に仮装して。
「空の狼男って、翼ちゃんを襲ってやるぞって意思表示?」
「そんなワケあるか!」
湊、子ども会のイベントでそれはシャレにならないからね。
「でも翼ちゃんは、刈り取る気満々よ?」
と湊は天音さんを見やるう。死神の鎌を可愛らしく振りながら、空君のクビに尽きつける。
「なに? 俺、殺されちゃうの?」
「どうかな? 他の女の子に優しくしすぎると、空君の魂を奪っちゃうかもね」
ニシシと天音さんは笑う。おぉ、ヤンデレっぽいよ。空君、まるでその意図に気付いてないけど。
「お菓子あげるから、それは止めて。猟奇的殺人の匂いがするから」
と空君はチョコレートを渡す。
「ちがーう! 空君のバカ、トリック・オア・トリートじゃない! 私は本気で――」
きゃーきゃー騒ぐ彼らを尻目に、冬希と下河を見やる。
女の子が冬希にジャレつく度に、下河が少し機嫌悪そうに頬を膨らましていた。
改めて思うけど、そういう表情を見せるようになったんだな、って思う。昔の【雪ん子】からは本当に想像ができない。
ただ、その相手が自分じゃないことに一抹の寂しさを覚える。
「冬君……」
我慢できず、下河が口を開く。
「ん?」
「トリックオアトリート!」
「雪姫も?」
と冬希は苦笑しながらお菓子を取り出そうとして――。
今回はエネチャージゼリーじゃないらしい。取り出したクッキーを渡されるより早く、下河が背伸びをする。
ちゅ。
冬希の頬に躊躇わずキスをして、みんなの目が奪われた。
「な、な、雪姫? み、みんながいるから――」
「オカシをくれてもイタズラしちゃうもん」
にぃと下河は溶けるように微笑んで――間髪入れず、ポカンと空君に頭を叩かれていた。
「痛いっ。空ひどいよ!」
「あのね、姉ちゃん。場所を考えて! 今、子ども会の行事中。毎回毎回、チュッチュチュッチュ、発情期の犬か?! いや、それじゃ犬に失礼だよね、サキュバスだってもっと節操あるから!」
「ひどくない? 私はただ、冬君は私の大切な人だからねって言いたかっただけだもん」
「みんな知ってるわ!」
そうキャンキャン姉弟が言い合ってる瞬間だった。
「トリック・オア・トリート」
そう耳元で囁いたのは、彩音。
「え?」
「お菓子をくれてもイタズラしちゃうゾ」
にぃっと彩音は笑って。何かが僕の頬に触れた。
(――え?)
「ドキドキした?」
彩音はニコニコ笑う。その手には口紅が握られていた。
「へ?」
彩音がわざわざ手鏡で見せてくれる。まるで口づけをされたように。頬に小さく朱色が塗られていた。
「ちょ、ちょっと! 何やってるの?」
「ドキドキさせたいなぁって思って。ひかちゃん、ゆっきのことばかり見過ぎだもん。私のことを、もっとしっかり見て欲しいって思っちゃダメ?」
「え……」
「良いけどね。私がもっとドキドキさせて上書きするだけだから」
「……」
「13年分の気持ち、全部詰め込んであげるから」
彩音がそう囁く。唇が耳元に触れそうな、そんな距離で。僕は言葉なく、ただただ目を瞬きすることしかできなかった。
「それじゃ、次の家に行くよー!」
と空君が声を上げた。
「「「「おー!」」」」
みんなの声が重なる。
「次の家についたら? 何て言うんだっけ?」
と今度は天音さん。
「「「「「トリック・オア・トリート!!」」」」」
「「その後は?」」
空君と天音さんの声が重なる。
「「「「「お菓子をくれてもイタズラしちゃうゾ」」」」」
「それは姉ちゃん達だけで良いから! もらったのにイタズラしちゃダメー」
「「「「「お菓子をくれないとイタズラしちゃうゾ」」」」」
「「もう一回!」」
「「「「「トリック・オア・トリート!!」」」」」
「「「「「お菓子をくれないとイタズラしちゃうゾ」」」」」
ボルテージはマックス。笑顔と幸せを振りまきながら、行進は続く。見れば、冬希も下河も笑顔で声を合わせていた。
「……彩音、置いていかれるよ」
僕は彩音の手を引き、小走りでみんなを追いかけた。
「ひ、ひかちゃん?」
「お菓子をくれてもイタズラしちゃうゾ、なんだよね?」
ニッと僕は笑って駆ける。彩音の温もりを、この手で感じながら。
「「「「「トリック・オア・トリート!!」」」」」
「「「「「お菓子をくれないとイタズラしちゃうゾ」」」」」
パレードはまだまだ、始まったばかり。
それなのに。
彩音も、僕も――頬が熱い。
■■■
季節は移ろう。
色ない風が吹き抜けて、去年と同じように紅葉を巻き上げながら。
いつかと違う感情を巻き上げながら。
数多の未来、その支流の一つ。
例えば、この未来では――。
 




